chapter1-2

 白石が教室の扉を開けると、学校教室特有の喧騒が聞こえてくる。

いつもなら馬鹿馬鹿しい雑談やなんかが目立つが、今日は少しだけ空気が違い、頭を抱えたり相談するような姿が目に付く。


「おはよー白石!」

「あ、おはよ。どうしたの? 今日はなんか大人しいじゃん」


机に鞄を置きながら、いつもは一番にふざけまわっているはずの川崎と挨拶を交わす。


「どうしたのじゃねーよ白石余裕だなー。進路だよ進路、本格的に決めて提出すんの今日だぜー? だから皆こうやって頭を抱えてだな」

「……そんなギリギリになって決めるもんなのか進路って」

「かーっ。これだから将来が決まってる奴はいいよな。俺なんて進学しようにも頭が足りてねえしよー」


そう言いながら頭を掻き毟る。

しかし川崎のような生徒も珍しくはないようで、あちらこちらでああでもないこうでもないと話に花を咲かせているようだった。


「なになに白石君はもう進路が決まっているとな? お先真っ暗な私からしたら聞き捨てならんですよー」


隣の席の田中麗奈が座った椅子をズズズっと引きずりながら近づいてきた。


「そりゃ白石はこの歳で国定剣術の師範代だからな。エリート軍人コースまっしぐらさ」

「こくてー……何?」

「何ってお前……本当に日本人か? 国定剣術ってのは、簡単に言えば国が優秀であると認めた剣術の事で、有事下での帯刀が認められたり、軍人になる時は優先的に出世出来たり、色々特別扱いされてるんだよ」

「ほえー……なんで?」

「なんでって……日本史で習っただろうが」


呆れた顔をしながら川崎はノートを広げ、図を交えて説明をし始めた。


「一昔前まで日本は、安保条約ってもんを盾に、軍を持たない平和国家として有名だったんだ。でも、安保を結んでいた国が経済破たんや軍事開発の遅れなんかが原因で国力が弱まり、安保による国の保障ってもんが怪しくなってきた。そこに他の国は好機とばかりに軍事力を高める動きが強くなり、その世界の流れに逆らえなかった日本も、自分達で自分達の国は守ろう、国力を高めようって考え方に世論が向き、それまで自衛隊とされていた日本軍は再整備された。その中で、強い兵隊の育成のために体術、剣術、銃術の三部門で効果の高い道場や機関を国で定め、優遇するって法律が出来たんだ」

「んん? 戦争ってミサイル撃ったり大砲撃ったりするのがメインじゃないの? 銃はわかるけど体術や剣術で戦争に勝てるの?」

「ああ、当時もそういう反論はあったらしいんだけどミサイル撃つだけが戦争でもなくてな、俺達みたいな市民に一番被害が出るのは市街地なんかの陸上戦で、そういう時はやっぱり身体能力が高くて戦い慣れしてる人間が必要だったんだ。当時の平和ボケしてた日本にはそういう人間が極端に少なかった。それにあくまでも侵略戦争のためではなく『対軍事力』に対する軍隊だったから、こういう国民に配慮した法律は重要だったんだと」


自分の詳しい分野について喋れるのが嬉しいのか、川崎は少し自慢げだ。喋るのが上手い彼の話を田中も熱心に話を聞いているし、白石も感心しながら聞き入っていた。


「へえー。凄いじゃん川崎、私今初めて川崎の事凄いって思ったよ!」

「お前なあ……」


彼は少し笑顔をひきつらせながらも、まんざらでもなさそうだ。


「そう、そしてその法律は予想以上の効果を上げる。伝説と呼ばれる日本の軍人、椎名宗弘、井出明人や彼の通う黒岩道場の師範、黒岩士郎などを筆頭に日本軍は海外で数々の奇跡と呼ばれる戦果を上げ、今や世界トップクラスとまで謳われる日本軍はその存在が外交のカードとなるまでに発展したのであった」


と、後ろから聞き覚えのある声と共に川崎の頭にコツンと出席簿が振り下ろされる。そこに立っていたのは彼らの担任教師だった。


「お前らなあ、勉強熱心なのは結構だが私が入ってきた事くらい気付け、ホームルーム始めるぞ」


はたと周りを見渡すと他のクラスメイトは皆すでに着席していて、彼ら三人だけが取り残されていた。

白石がそれに気付かなかったのは、確かに川崎の話に聞き入っていた部分もあったが、彼の話を聞いて朝の事を思い出していた。

自分の力に自信があっても、それは小さい枠の中だけで、さっきのような話はきっと樹のような飛びぬけた存在のためにあるのだろうと、ぼんやりと考えていた。

 チャイムが鳴り、いつもの日常が始まる。

前の席から配られたプリントには『進路希望調査票』と書かれていた。

白石は虚ろな目でそれを眺めながら、書ける事はあるはずなのに頭の中はこんがらがったままで、いつまでも書き出せないでいた。

放課後までそのモヤモヤはとれず、ひとまず進路希望には『軍人学校』と書き、すっきりしないながらも、この歳で自信満々に進路を決められる人間も少ないんじゃないか、と自分を言い聞かせた。


「白石―、お前今日も遊べない? たまにはカラオケとか行こうぜー」


帰る準備をしている白石に、川崎が声をかけてきた。

いつも彼は事前に誘われていたり、特別な用事がない限り帰宅後はすぐ道場へと向かう。

こういった急な誘いはすべて断っているのだが、ふと樹の顔が脳裏をよぎった。

休み時間にも顔をあわさなかった二人の間の空気はまだ少しすれ違ったままで、考え事も多かった今日は気持ちが落ち込んでいて道場へ向かう足も正直重かった。


「いいよ、今日は俺も行く」

「お? マジで? よっしゃ、麗奈も行くかー?」

「白石君も来るんだー、めずらしいね。じゃあさ、仲良しの黒岩君も呼んでよ! あの子可愛らしい顔してるから私好みなんだー」


いつもニコニコと笑っている彼女だが、より一層目を輝かせる。


「あー……師範代が二人も道場を空けるのはまずいかな」

「え、黒岩君も師範代なの!? あの顔で強いなんて……。うーん、さらに残念」

眉をハの字に曲げながら、とても悔しがる麗奈。

「なあ白石、朝はごめんな」

「ん? 何が?」

「いや、進路の事。将来が決まってる奴は良いなとか言ったけど今日なんかお前おかしかっただろ。道があるならあるで、悩みとかあるよなあって思って。気遣いが足りなかったっていうか、うん。ごめん」


急にしおらしくなった川崎に白石は思わず少し笑いそうになったが、同時にふっと心が軽くなった。

川崎は一見ふざけてばかりで考えなしに見えるが、こういう思いやりがある。

白石との付き合いは高校に入学してからで、とても長い付き合いとは言えないものの彼にとってとても良い友人だった。


「いいよ、気にしなくて。ほら、エリート様は妬まれるのも仕事の内だからな!」


「あ、お前! 調子に乗りやがって!」


ふざけあいながら、笑いあいながら白石は感謝していた。

考え込みすぎて、一番単純な答えを見逃している事に気付かせてくれた。

明日、樹に謝ろう。力になれない自分のふがいなさを。そしてそれでも力になりたい、俺がいるぞって伝えよう。

アドバイスしたり、助ける事は出来ないかもしれないけれど、川崎みたいな良い友人がいるだけでこんなにも心が晴れるのだから、自分も良い友人であり続けよう。

白石は心の中でそう誓い、学校を後にした。

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