Inside and outside

島田黒介

Chapter1

chapter1-1

微動だにしていない。おそらく一般人の目からすればこの光景はただそれだけに見えただろう。

目線だけが一点でまじわり、緊張感にまみれた空気が肌を刺す。

木の匂いが薫る剣道場、高窓から陽光が射すこの場所に、二人の人間が相対していた。

二人はどちらも高校生程度で、片側の小柄な少年は竹刀を真っ直ぐに相手に向けて構え、もう片側の少年は背が高く、尺の違う二振りの竹刀を両手に持ち、体を開いて構えている。

どのような武術においても、体格というものは勝敗を大きく左右するが、今この場において攻めあぐねているのは後者の彼のようだ。

踏み込もうとする足が迷い、構えが揺れる。

小柄の彼は一滴も汗をかいていないのに、こちらは額に汗が滲んでいる。

真剣での勝負ではないにしろ、彼らは防具を付けていない。

竹刀であっても、腕の覚えのある者の一撃であれば怪我は免れない。

下手が起これば死ぬことだってあり得るかもしれない。その緊張感が攻め手を鈍らせる。

数字にしてみれば数分間、しかし一時間は経ったのではないのかというほどの重く長い、完全な無音の時間だった。

それを切り裂いたのは、汗が滴り、頬から顎に流れ、やがて木張りの床に落ちた、微かな音。

それを合図に、彼は大きく踏み込み銃弾のごとく相手の間合いまで詰め寄り左手の短竹刀を胴に向けて薙ぐ。

ほとんどの者はこの速度には付いていけず何をされたかもわからぬまま一本を取られてしまうだろう。

しかし、これは彼にとってあくまでも囮の一手であり、この一撃を避けようとすれば右手の竹刀が相手を襲う。

かといって避けずに受け止めても、竹刀を封じられた状態で同じく一本を取られてしまう。

つまり、この間合いまで詰め寄らせ胴を打たせた時点で勝ったようなもののはずだった。

しかしその確信はいとも容易く、一瞬で打ち破られる。

薙いだ竹刀が振り切られる時には、彼の喉元に竹刀の先が突きつけられていた。

その動きを彼は目で追えてはいなかったが、直ぐに何をされたかを理解した。

あの速い打ち込みをさらに速く反応し、しゃがんで避けると同時に喉元へ竹刀を突き立てる。

口で言うなら造作もない事だが、常軌を逸した速度がなければ到底できない芸当だ。


「ふはっ、まいった。降参だ。これでもう何敗目だ? もう樹に勝てる奴なんて師範くらいしかいないんじゃないか?」

「そんな事ないよ、僕だっていつも裕也から一本とるのはギリギリだもん。お父さんにはまだまだ遠いしね」


小柄な少年の名前は黒岩樹(くろいわ いつき)、黒岩流刀剣術の家に生まれた子であり、この歳にして師範代である。

大柄な彼は白石裕也(しらいし ゆうや)、彼も黒岩流を修める者であり、二人目の師範代だ。


「まあ、師範も息子がここまで強くなってくれて嬉しいだろ。先に入門したのは俺なのに、いつの間にか差をつけられちゃったなあ」

「そうかなあ。でも僕に剣術を教えてくれたのは裕也じゃないか。君は教えるのが上手いし優しいし。……僕には技があってもそういう心の鍛錬が足りてないんだよ」

「……師範にそう言われたのか?」

「うん、父さんはいつもそう言うから」


少し寂しそうに床に目を落とす。会話が止まり、無言の時間が続く。


「あ、そろそろ準備しないと遅れちゃうな」


裕也は気まずい空気を払うためだけに声をかけた。

樹の気持ちは理解していたが、だからこそ気の利いた言葉なんてかけてやれなかった。

自分自身も強く、そこらの大人程度では太刀打ちできないほどだったが、彼はその遥か上をいっている。

強くなり過ぎたが故の憂鬱や重圧は他人が理解出来るものではない。

まだ少し肩を落とし寂しく歩く彼の姿を見ながら、剣術なんか必要とされない平和な世界に生まれていたらどれだけ良かっただろう、と考えながら、荷物をまとめた。

 

 二人はいつも特別な事がない限りは一緒に登校していた。

家が近いこともあったが、幼いころから仲が良く、面倒見の良い裕也の性格もあって、さながら兄弟のような関係だったのだ。

今でこそ力の差はついてしまったが、幼い頃は内気で泣き虫だった樹に積極的に話しかけ、構え一つから丁寧に教え、その内に共に励まし合える親友になっていた。

シャワーを浴び、制服に着替え、身だしなみを整える。

もう一つのシャワー室から出てきた樹は、さっきよりは元気を取り戻しているように見えた。

何とも言えぬ気まずさを抱えたまま道場を後にして、桜の散りきった通学路を会話もなく歩く。

ふざけあう男子やにこやかに挨拶を交わす女子を後目に、二人の距離はいつもより少しだけ離れてしまっている様だった。

結局何の会話も交わさぬまま学校に着くと、クラスが別々の二人は「じゃあ、またな」「うん」と短く言葉を交わし、それぞれの教室へと向かった。

思春期ならいくらでもある他愛のない行き違いの一つだったが、この時ばかりは無情にも、二人の知らない所で世界は変わり始めていた。

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