21
『――クヴェトスラフ様』
薄暗い広間に、
名を呼ばれた海色の肌を持つ偉丈夫は、緩慢な動きで傍に立つ異形の竜を見上げた。その動作はひどく気だるげであり、人間的過ぎてどこか違和感を覚える。
そう、あまりにも、普通だった。
話に聞く魔人の凄まじさから考えられないくらいには、その雰囲気や動作は人間的であり、いっそ親近感さえ感じられる。今も、大きく欠伸を見せる姿は寝起きの男性のそれであり、いつの間にか物理的圧力から解放されていた七人は、互いに視線を合わせて戸惑っていた。
何かの間違いではないのか、という疑念は、しかしあの石棺のあった場所から何事もなく出てきた様子と、そして跪いて
『あぁ、あぁ、このヴラディミーラ、あなた様の復活を、永き時の間お待ちしておりました……! この日が来ることをどれだけ心待ちにしていたことか! あぁ、これまでの日々が報われるようです……』
「――ふむ」
山羊の黄金の瞳で
何故か、その場の人間すべての背筋に、氷柱が差し込まれたかのような悪寒が奔る。
理由の見当たらない悪寒、強いて言うならば、この声を聞き続けてはならないという本能が訴える危機感だろうか。身も震えるほどの、そんなカリスマ性がただの声に秘められていた。聞き続ければ、知らずこの海色の肌の男に傾倒してしまうのではないか、という畏れを抱いてしまう。
しかし、そんな七人など居ないかのように、男は顎に手をやって竜を見つめ続けていた。
そして、静かに問いかける。
「どれだけの時が経ったのだ?」
『八百年でございます。あなた様が失われてから、それほどの月日が経過してしまいました。あなた様を知る凡愚はもはや存在しておらず、あなた様を知りもしない愚物しか現在の地上には存在しておりませぬ。故、故、どうか今一度、あなた様の勇名を今の世に――』
「――ところで」
感極まったように語り続ける極竜。先ほどまでの様子と様変わりしすぎている信奉ぶりに、エドワードらが思わず黙り込んでいれば、不意にクヴェトスラフがその言葉を遮った。
それに合わせてヴラディミーラがピタリと口を止めると、たっぷり沈黙を作ってから、偉丈夫はまたも問いかける。
「
『――――っ! あぁ! おいたわしや、クヴェトスラフ様! 忌まわしき封印魔術が、妻たる我を忘れさせたもうたのですね……! なんと忌まわしい……ッ! しかし、思い出してください、我です。ヴラディミーラです!』
「……ああ。お前か、ヴラディミーラ」
彼の問いかけに、一瞬ひどく狼狽した極竜だったが、即座に四つの瞳に憤怒を滾らせて嘆きの叫びをあげる。そしてすぐに、己の存在を主張するように立ち上がり、翼を広げて名乗った。
そうまでしてようやく、男は得心がいったように頷く。そうして、すぐ傍にある頭を撫でるためであろうか、その彫刻のように美しい右手をゆったりと伸ばした。
それを受け入れるように頭を垂れるヴラディミーラに、クヴェトスラフは笑みを浮かべる。
実に――残虐な笑みを。
「お前のような
刹那、吹いた一陣の風。
後方に立っていたエドワードらには微風程度にしか感じられなかったソレは、しかし――
内臓と黒い血液が土砂のように地面にべしゃりと零れ落ちる。四の黄金の瞳が信じられないように目の前のクヴェトスラフを見つめ、そして一言も発せぬままに光を失った。
二つに分かたれた身体が左右に倒れ、そうして散々にエドワードらを苦しめた
戦慄し、否が応にも目の前の人物の危険性を再認識する。たった一撃、それだけで、全ての攻撃を弾いていた極竜を両断し、そして死に至らしめた。ようやくここで、死した竜が語っていた脅威を理解できたのだ。
思わず構える七人に、クヴェトスラフはようやく視線を向ける。その右手には、いつの間にか真っ黒に染まる長剣を携えていた。刀身に掘られた血溝と刃の部分にはおどろおどろしい紅色の線が走り、心臓の鼓動のように脈動する様は生物的な嫌悪を想起させる。
あの長剣でヴラディミーラを両断したのだろうか。なんにせよ、あの男が握る代物、恐ろしいことには変わりない。
警戒し、武器を構えて切っ先を向ける七人を前に、クヴェトスラフは恐ろしいほど自然体で語りかけた。
「ところで、そこの人間たち。ひとつ聞きたいことがあるのだが――寝起きに随分眩しい真似をしたのは、お前たちか?」
「……だったら、どうした」
クヴェトスラフが言っているのは、恐らくエドワードが叩きこんだ『
対し、海色の偉丈夫は「そうか」と短く応え、左手を顎にやって何事かを考え始める。
その間に、じりじりと散らばり、集まりながら陣形を変えた七人は、次の瞬間、目を見開くことになった。
「――では、そうだな。お返しと行こうか」
その言葉と共に、展開された五つの魔術式。その数にも驚きだが、それ以上にエドワードを驚かせたのはその魔術式の構成だった。
見覚えがある、どころの話ではない。
それが、五つ。その意味に気付くと同時、喉が絶叫していた。
「全員、伏せろォォォォォォォォッ!」
刹那、光速の究極魔術が散開していた七人に襲い掛かる。
エドワードの一番傍にいたカレンは、彼を守るようにして大剣を構え。
マイルズとフェリックスは這いつくばるように伏せ。
ハーヴィーは超反応したイレインに蹴飛ばされ、彼女自身も滑り込むように別方向へと逃げ。
そしてマシューは決死の跳躍で逃げ――その先に飛来していた極光に、飲み込まれた。
「ッ! マシューッ!」
フェリックスが絶叫するも、既に遅し。上半身を光に呑み込まれたマシューは、残る下半身だけが無惨にも大地に伏していた。
広がる血だまりを見て、極光をやり過ごしたフェリックスは、憤怒に顔面を歪ませる。
また、こうもあっさりと仲間がやられてしまった。己の力不足と敵の残虐さに、抑えきれぬ怒りに全身を膨らませて、フェリックスは弾丸のように飛び出した。
同時、同じ思いではらわたを煮えくり返らせていたハーヴィーも駆け出し、イレインが追従する。
フェリックスはクヴェトスラフへの途上に突き立っていた己の斧槍を抜き放ちながら、魔術式を展開した。その脇を、ハーヴィーの『
それを海色の男は漆黒の長剣を一閃。それだけで雷撃の槍は真っ二つになって消滅し、痺れさえも残さない。
が、そこへ不可視の縄が飛来し、その右手首を縛り付け、大地と繋いで固定する。それと同時にフェリックス以上の速度で肉薄したイレインが、全力の刺突を放った。
迫る穂先。偉丈夫は薄い笑みを浮かべ、そしてその左手で容易く刺突を握りしめ、受け止めて見せる。穂先を直接握っているにも関わらず、しかし肌はまったく切り裂かれない。
そこへ、斧槍に全力の魔術式を展開したフェリックスが肉薄した。憤怒によって無理やり引き出した魔力が式を回転させ、効果を発揮させる。
そして、発動された『
発生する爆裂と空間を揺るがす強烈な衝撃波。
エドワードとカレン、マイルズ、そしてハーヴィーが推移を見守る中、晴れていく粉塵の中立っていたのは――三人。全員が確かに立っていた。
極竜の装甲さえ貫いた剛撃を真正面から受けて、クヴェトスラフはものともしていない。人類最高峰であろう物理攻撃は、その刃先数ミリを海色の肌に突き立てただけに終わっていた。
血すら流れない、薄皮を剝いだ程度。目を見開くイレインとフェリックスに、クヴェトスラフは言葉を放つ。
「ふむ、八百年か。長いものだな。人間がこれほど脆弱になるとは――いや、あのガロンという男が規格外なだけだったか? ……まあ、いい」
僅かに右腕を動かすだけで風の縄を粉砕し、そしてそのままクヴェトスラフは魔術式を展開する。
その数――二十四。
「――な、」
「さっさと死んでおけ」
エドワードの絶句を遮り、宣告が放たれる。直後、一人当たり四門の魔術が、一斉に放たれた。
マイルズとエドワードは咄嗟にカレンの陰に滑り込むことで、彼女の大剣で防御。彼女にかかる凄まじい負荷を、エドワードが背中から支えてどうにか耐える。一方、ハーヴィーも全力で駆けることで光線に掠りながらもギリギリ回避した。
しかし、至近距離に居た二人はそうはいかない。
全力で後退するイレイントフェリックスを、八つの爆裂が包み込む。直後、猛烈な勢いでイレインが吹き飛ばされ、大地に無抵抗に転がった。生きているのか死んでいるのかもわからない。
そして、爆裂が晴れた中で、巨躯もまた、力なくクヴェトスラフの前で倒れていた。その手にあった斧槍は微塵に砕け散り、そして庇ったのであろう左腕は半ばから消失している。
「オヤっさん、イレイン――ッ!」
ハーヴィーが絶句し、顔面を憤怒に青くしながら駆け出しそうになる足を踏み留める。二人が歯も立たずやられた相手、無策で突っ込んでも後を追うだけだと、理性が必死に押し留めたのだ。
そんな彼を尻目に、クヴェトスラフは足元のフェリックスを跨ぎながら、ゆっくりと歩き出す。左手は考えごとをする癖のように顎に添えられ、観察する山羊の瞳がカレンの
「ほう、なかなか面白いものを持っている。私の時代の干渉魔剣であろうな、それは。イイ物を見た、私の魔術も散らされるだけであろう」
面白そうに語りながら、ゆっくりと歩む男。それに警戒し、カレンは言葉を返す余裕もない。
そして、残り半分ほどの距離まで歩いたクヴェトスラフは、不意に立ち止まる。
「――だが、使い手が
刹那、欠陥のあるコマ送りのようにして、男の姿が消えた。
目を見開くカレンの耳に、マイルズの絶叫が届く。
「左です、カレンッ!」
反応し、咄嗟に構えた大剣に凄まじい負荷。手首がへし折れるかと思うような剛力を前に、咄嗟に膝を落として大剣を斜めに構え、衝撃を流した。
そしてようやく視界に映ったのは、真横で剣を薙ぎ払った姿勢の海色の偉丈夫。いつの間に、などと驚く暇はない。
続けて振り下ろされる長剣を、大剣を掲げるようにして受け止め、即座に後悔する。地面についた膝が潰されるかと思うような、とんでもない力だ、受け止めようなどと考えてはいけなかった。
そのままであれば、耐えきれずに漆黒の長剣がカレンの額を割っていたのであろうが、当然後方のエドワードとマイルズが黙っていない。
切りかかるマイルズに先んじて、エドワードの『
そこへ、マイルズが魔術式を飛翔させながら接敵した。彼の振り下ろす小剣へ、クヴェトスラフは長剣を一閃する。たったそれだけで、頑丈な小剣が無数の破片と化して粉砕されるも、マイルズの目は死んでいない。
即座に身を伏せ、同時に飛翔していた魔術式がクヴェトスラフの脇を通り抜けて、足元の地面に着弾する。そして直後、隆起する錐型の岩槍が――蒼い脚に蹴り砕かれた。
しかし、それこそが狙い。片足立ちになった瞬間を狙い、マイルズは全体重を乗せたタックルを敢行する――が、それこそ無謀だった。まるで巨木に体当たりしたかのような、そんな感覚と共に偉丈夫は
そのまま、足元にまとわりつくマイルズの首を刎ねる軌道で長剣が薙ぎ払われた。それを、決死のカレンの刺突が妨げ、ギリギリのところでマイルズは死から逃れる。
しかし、それも一瞬のこと。転がるようにして後方へ退避したマイルズを、長剣の一振りでカレンを吹き飛ばしたクヴェトスラフが即座に追いつき、左脚を一閃。
胸部に直撃した足は深く埋まり、何かが潰れ、へし折れる音がそこから鳴り響く。そしてマイルズが胃液とも血液ともとれない体液を吐き出すのと同時、振りぬかれた。直後、砲弾のように吹き飛んだマイルズはエドワードの脇を通り過ぎ、壁面に着弾。壁に蜘蛛の巣の罅を刻み、そして力なく倒れ伏した。
「兄さんっ!」
どうにか立ち上がったカレンが叫ぶも、返答はなし。びくびくと痙攣し、生きているのかどうかさえ怪しかった。
ゆっくりと足を下ろしたクヴェトスラフは、薄い笑みを湛えたまま、呟く。
「あと三人、だな」
「っ、くそ!」
死の宣告のように放たれる言葉に、エドワードが戦慄を抑えるように、さらに三錠、スタミナ増強剤をかみ砕き、魔術式を展開。カッと熱くなる体の内部を感じながら、全力で『
正面から迫る閃光に、クヴェトスラフはまたも、ただ長剣を一閃する。それだけで、条理を覆して刃が光を縦に切り裂き、真っ二つにされた閃光は無情にも背後の岩壁を穿っただけだった。
その直後、双剣に『
それをクヴェトスラフは僅かに身を引くことで回避し、双剣の一閃を長剣を掲げることで防御。続けて放たれるもう一本の二閃目を、左手で受け止めた。
そこへ、エドワードの『
エドワードが驚愕している間に、クヴェトスラフは受け止めていた剣を弾き飛ばし、続けて迫るカレンの大剣へ長剣を振り下ろす。撃ち落とすようにして地面に叩きつけれた大剣が地面を抉るのと同時、前蹴りがカレンの肩当に直撃。同時に展開された『
その間にハーヴィーが雷速の二閃を放つが、どちらも手繰った長剣が同じ速度で二閃。逆袈裟に振り上げた長剣が双剣の一本を砕き、続けて流れるように振り下ろされると突き出されていたもう一本を粉砕した。
両手に柄しか残らなかったハーヴィーが目を見開く中、続けて放たれた刺突が――その腹部を貫く。
「――がッは……ッ」
血の咳を吐き出すのと同時、クヴェトスラフは長剣を抜き、そして蹴りを一閃。ハーヴィーもまた蹴り飛ばされ、無言で大地に転がった。
「これで、二人」
「…………ッ!」
海色の偉丈夫の言う通り、七人もいた戦士は、あとエドワードとカレンだけになってしまった。
そのカレンもまた、肩当てがひしゃげ、その下の肩を粉砕骨折している。力なく膝を突き、脂汗を流して荒い息を吐いているのがその証拠だ。
この、クヴェトスラフがやったことはそれほど難しい事ではない。ただ単純に、魔術と剣術、そして異様なまでに頑丈な体で打倒しただけ。ただ、そんな純粋な力量差で、五人がやられてしまった。
話に聞いた、世の摂理に干渉するという力。明確な形でそれがわかったのは、まだ閃光を切り裂かれた程度だ。つまり、この男はちっとも本気を出していない。
こんな化け物に、どうやったら勝てるという。
どうしようもない。どんな手を打っても通じない。純粋に、勝てない。
目の前に立つ、どうしようもない絶望に、エドワードが膝を突きそうになった、その瞬間だった。
「少し――間に合わなかったな」
この場に居る誰でもない、柔らかな青年の声が、響き渡った。
それは、エドワードの背後、この空間の入口。思わず振り返った先に居たのは、見覚えのあるような、ないような、そんな人物と――数多くの王国騎士達だった。
白銀に輝く鎧を身に纏う、この国精鋭の騎士達。それがこの場に居る違和感と、そしてそれらの最前列で指揮を執るように立つひときわ立派な鎧を身に纏う青年への違和感。
どういうことだ、と危機的状況にもかかわらず、エドワードが混乱していると、後方でカレンが驚いたように叫ぶ。
「だ、第二王子!? な、何故ここに……」
「第二王子、だと……?」
カレンの言葉に、エドワードは思わず陣頭に立つ青年を見やる。確かに、新聞などで見たことのある顔に思えなくもないが――記憶のどこかが、違うと言っていた。
そんな彼らを見ながら、第二王子は黒髪を揺らし、血色の瞳を細めて柔らかく微笑んだ。
「すまない、到着が遅れたばっかりに、被害が増えたようだ。だが、もう安心してくれ」
「いやその、なにが、なんだか、わからないんですが……」
「おいおい、そんな敬語なんてやめてくれ。一緒に戦った仲だろう?」
「は……?」
エドワードの疑問に、第二王子は更なる疑問を投下する。当然、混乱する彼に、「ああ」と思い出したように第二王子は、オールバックにしていた黒髪に手を突っ込んだ。そしてわしゃわしゃと前髪で目元を隠せば、エドワードとカレンが思わず驚きの声を上げる。
「――アーサーッ!?」
「やっと思い出してくれたネ。まあ、あの時は
そう言って、再び前髪をかき上げ、血色の瞳を露わにする。そして、その視線は鋭く、海色の偉丈夫を射抜いていた。
「さて――待たせたな、魔人よ。まずはお目覚めに祝辞でも贈ろうか?」
「……何者だ、貴様。随分と――忌まわしい気配を、否、違うな。忌まわしい
答えるクヴェトスラフの声色には、今まで聞いたこともなかった最大限の警戒が混じっていた。これまでやりとりに口を出さなかったのも、
対し、第二王子は右手で背後の騎士団に合図を送る。そして、騎士の一人が一本の剣を抱え、彼の隣に跪いた。
「答えてやろう、魔人王よ」
それは、無数の紋様が鞘の上を奔る豪奢な長剣。まるでクヴェトスラフの長剣と対を為すかのように純白であり、荘厳なる気配を漂わせている。
その剣を、鋭く抜き放ち、第二王子は鮮烈に名乗りを上げた。
「我こそは、初代ガロン王の最期のお言葉を継ぐ者、ガロン五世が息子の一人――アルトリウス=ドラコナイト・ガロンツァールである! そして、貴様を――葬り去る者だッ!」
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