19

 得体のしれない女を相手に八人が最初に仕掛けたのは、様子見ながらも必殺の意を込めた、中距離射撃の一斉射だった。

 炎が、風が、雷が、水が、大地が、光が、半円で囲む中心に立つ女に向けて一斉に放たれる。たとえ一流の魔術師でも許容量を超える大量の魔術を前に、女は緩慢なほどゆったりと――しかし光の槍が己に直撃するよりも早く、両手を左右に広げた。

 刹那、一斉に全ての魔術消し飛ぶ。まるで、真正面からやってきた凄まじい力に削り潰されたかのように先端から勢いよく消滅し、そのまま謎の力は、囲む全員へと襲い掛かった。

 一瞬耳が遠くなるような圧力を覚えたかと思えば、内臓ごと後方に引っ張られ、次の瞬間には足が地面を離れて体が宙を舞う。それは小柄なイレインも巨躯を誇るフェリックスであっても同じであり、カレンとその後ろに居たエドワード以外、全員が後方にあった建物に背中から叩きつけられた。

 そして、魔術殺しマジックキラーは甲高い音を立てて凄まじい反作用を持ち主カレンに与え、この全方位攻撃の正体を教えてくれる。またしても謎の魔術だった。

 そうして六人を弾き飛ばし、残る無事な二人――カレンとエドワードに照準を向けた女に、カレンは再び大剣を地面に突き立て、その陰に隠れるようにしゃがみこんだ。その後ろでエドワードもカレンの手に重ねるように己の手で大剣の柄を握り、反作用に負けぬよう支える。

 直後、襲い来る衝撃。握る手が痺れるような凄まじい衝撃に、エドワードは思わず唸った。こんなものを受け続けては、いつまでも耐えられるかどうか。いや、それどころか大剣とて無事でいられるかわからない。

 エドワードは必死の思いで思考する。視線の先、復帰したフェリックスやイレイン、マシューが決死の突撃を敢行しているが、いずれの一撃もドレスさえ傷つけられていない。

 そこへハーヴィーの『天雷槍ライトニングジャベリン・マキシマム』が確かに直撃するが、こちらも焦げ跡さえ残せず、それどころか麻痺した様子さえ見られない。名刀の如き切れ味を誇る『水鞭刃ウォーターブレード』でさえ、薄皮一枚切れていなかった。

 それら全てを無視し、両手に金色の光を閃かせながらひたすらカレンとエドワードを攻め立てる女は異様の一言に過ぎる。否、そのおかげで誰一人として死者が出ていないのだから喜ぶべきなのだが、誰の力でも傷一つつけられない現状は完敗へ確実に近づいていた。

 どうする、どうすればいい。考えろ、考えろ。何かないか、思い出せ。

 大剣の柄を握る手が、痺れで感覚を失い始めたその瞬間、エドワードの記憶の欠片に閃きが迸る。あった、女の魔術の正体の、一欠片が。

 試しで一度しか使ったことのない魔術式を高速で構築する。実戦で使ったことはなかったが、しかし四の五の言ってはいられない。間違っていたらやはり苦境に立たされるが、正解であれば決定的な打開策と為り得る。

 そしてすぐさま完成した魔術――『重力砲グラヴィティ』が、直径一メートルの魔術式から放射された。

 その正体は、魔導王ヴァレントが木から落ちたリンゴを見て発見したという、大自然の摂理『重力』の力場を限定的に発生させる魔術だ。エドワードの持つ手記に記されていた貴重な魔術であるが、彼はこれまで、一般にはあまり知られていないその概念を使用することに躊躇いがあった。

 しかし、女の使用する謎の魔術がもつ妙な特性――巨躯の男と小柄な女をほとんど同じ勢いで吹き飛ばし、炎どころか光さえも捉えてすり潰すなど――を見るに、ヴァレントの記述と一部が一致していたのだ。

 あれが純粋な力の流れである重力を操っているならば、反対方向から同じ力の流れをぶつければ抵抗レジストとなるのでは、という考えの元、『重力砲グラヴィティ』によって横方向の重力力場を発生させる。

 その結果。

 エドワードの魔術と激突した女の魔術。それを叩きつけられた大剣から伝わる反作用が――弱まった。それこそ、踏ん張らずとも耐えられるくらいに。

 刹那、女の目が見開かれ、エドワードが叫ぶ。

「行け、カレン!」

 指示を受けた特殊部隊の動きは素早かった。

 大地を蹴るのと同時に大剣を引き抜き、カレンはエドワードの放射する見えない力場に大剣が触れないようにしながら、その力場に乗った・・・

 するとどうしたことか、大地を蹴る最初の一足でカレンの身体が宙を舞い、一直線に女へと飛来。まるで高所から落下するようにぐんぐん速度を増し、およそ一息で女に肉薄する。

 その段になってようやく己を取り戻したらしい女が改めて手掌をカレンに向けるも、既に遅い。その時にはもうカレンは眼前にいる。

 大剣を振り上げ、脇を締めて突き立てるように構える。同時に、エドワードの魔術の力場に刃が触れて彼の重力が消え去るも問題はない。既に十分な速度がカレンに乗っている。

 刹那、女の向ける手掌に大剣が激突した。十数メートルの高さから落下したのと同等の運動エネルギーを以てして――切っ先が女の手のひらを割り裂いた。

 刃が突き立ち、傷口から女の黒い血がどろりと零れ落ちる。

 ついに、女に手傷を負わせた。

 その事実に、女こそが一番驚き、後退するカレンを見逃して己の切り裂かれた手のひらを呆然と眺める。

 もとより隙だらけの女だが、しかし動揺している今こそ何の対応もさせずに全力を叩きこめる。

 マシューが前進。たった一つの得意魔術『剛力腕ストレングスアーム』――否、もはや彼独自の魔術と言っていい『超剛力腕ストレングスアーム・マキシマム』にありったけの魔力をつぎ込めば、その膂力は竜と力比べできてもおかしくない馬鹿力と化す。これこそ彼の、奥義である一撃に相応しい。

「喰、ら、えェェェッ!」

 絶叫と共に、女の横っ腹へ超膂力の一撃が薙ぎ払われる。ミシリ、と戦槌と女のドレスの両方が軋みを上げ、次の瞬間女の身体が数メートル真横へと吹き飛ばされた。女の体が宙を舞い、両手足を使って着地した彼女の脇腹のドレスは、布のような見た目をしているにもかかわらずひび割れていた・・・・・・・

 そこへ迫る、もう一つの巨躯。背後からのその影に気付いた女が振り返り様に腕を薙ぎ払おうとして、しかしイレインの『風縛ウィンドバインド』とマイルズの『地縛アースバインド』がその腕を風とアスファルトの縄で地面と繋ぎ、動きを制限した。二人がありったけの魔力を込めて放たれた二本の魔術の縄は、例え一瞬とはいえ女の動きを妨げる。

 女が力を込めて縄を引きちぎりながら振り返った時には、既に遅し。その背後でフェリックスもまた、全身全霊を込めた魔術『剛徹甲撃バニシングバッシュ・マキシマム』を斧槍に展開し、これで仕留めるという裂帛と共に――振り下ろす!

 刹那、爆裂する一撃。衝撃波でその場にいた全員の体勢が崩れ、ただでさえボロボロだった周囲の建物全てが崩壊した。

 女を貫いた衝撃は地面に凄まじい破壊を及ぼし、視界を遮る粉塵が巻き上がるが――次の瞬間、放たれた重力の放射がすべてを弾き飛ばす。それは近くに居たフェリックスとイレイン、マシューとカレンも同様であり、勢いよく弾かれた彼らは背後にあった瓦礫の山に頭から突っ込んだ。

 そして、その粉塵から姿を現したのは、冷徹な仮面を引っぺがし、憤怒の形相を浮かべた美貌の女だ。フェリックスの一撃を受けたらしい胸部には壮絶な裂傷が刻まれ、赤い肉を露出させて黒い血液をどろりと零している。

 凄まじいパワーを誇る二人の全力の二撃を受け、しかし未だ倒れる様子のない女の眼前。そこに立つのは二つの魔術式を前後に構えるハーヴィーであり、駄目押しの究極魔術を放つべくその魔力を全て注ぎ込んでいた。

 その彼に、女は右手を向けて排除せんとする。しかし、そのハーヴィーの前にエドワードが滑り込み、式を展開した。

 再び発動された『重力砲グラヴィティ』と重力魔術が再激突。しかし今度はエドワードの全霊の魔力が込められたことによって、拮抗が生み出されていた。

 二人の魔術が激突していると思われる中間点で、荒れ狂う力の奔流が大地に縦横無尽の裂傷を刻み、巻き込まれた小石が一瞬で粉塵にされ、そして奔流の動きを表すかのように渦を巻く。

 しかし、それは確実に、誰にも被害を及ぼしていない。女が表情を歪ませる。

 エドワードが急速な魔力消費に顔を青くさせるその背後で、ついにハーヴィーの魔術が完成した。

 その気配を感じ取ったエドワードが膝を突くように身体を急降下させ、射線を開けるのと同時、ハーヴィーが叫ぶ。

「いっ――けェェェッ!」

 刹那、後方の魔術式から放たれた雷槍がもう一方の魔術式に吸収され、そこから青白い稲妻の矢が――『震天雷条ライトニング・オーバー』が、エドワードの頭上から発射された。

 迫る雷光、それに女が残る左手を差し向けんとしたとき、更なる妨害が彼女の動きを妨げる。今まで沈黙を保っていたクリフォードがイレインと同じように放った『水縛ウォーターバインド』の水の縄が、その左手を地面と繋いでいた。

 掴み取った一瞬の遅滞。それは雷速を前に致命的であり、女が目を見開いたその瞬間に――その胸部へと、稲妻の矢が着弾していた。

 同時、凄まじい電光が炸裂する。全方位に雷撃が撒き散らされながらも、しかしその威力はただ一点に集中され、鼓膜を切り裂く鋭い爆音が鳴り響く。

 そしてついに――電撃が、女を撃ち貫いた。


 それは、八人による、掛け値なしの全身全霊、全力の総攻撃だった。

 それら全てを余さず受けた女は、胸を大きく抉られた身体をふらふらと前後に揺らし――しかし、倒れない。前方に大きく揺らいだ身体を、踏み出した脚が支えた。

 焦げた胸の傷を晒しながらも、女は乱れた髪を撫でつけながら顔を上げる。その口の端からは黒い血液がどろりと垂れているものの、黄金の瞳は未だ力を失っていない。

 それを前に、エドワードは歯噛みする。

「ここまでやっても、まだ――ッ!」

 どういう生命力をしてやがる、と口の中で呟けば、対する女は血の垂れる口の端を吊り上げた。

いやいや。これほどの魔術、剛撃――今の時代ときに、まだ使い手が存在していたとはな。さしもの我も、これは効いた。このままでは、死神が我を迎えに来るであろうよ」

 血を吐き出しながら喋る様は、確かに死期を感じさせる有様だ。余裕ある立ち姿とは裏腹に、掠れ始めた声は弱々しい。その内部は、ハーヴィーの雷撃によって蹂躙されているのだろう。

 その様子に少しだけ希望を見出したエドワードが、思わず挑戦的に投げかける。

「だったら、そのまま死んでくれるっていうのか?」

「それも否だな。我とてこのまま死ぬわけにはいかぬ。故に、我は許しを請わねばなるまい」

「……許し? 命乞いか?」

 女の言葉に、瓦礫から抜け出したフェリックスが「ありえない」と言わんばかりの表情で問いかけた。

 無論、女も首を横に振る。

「笑止。我は貴様らなどに許される必要もなし。我は、かの君・・・に許しを請わねばならぬのだ。その御前以外で、我が姿をさらけ出すことになってしまった、我の不能をな」

 薄い笑みを浮かべ、女は小さく首を振る。

 かの君。

 女が口にしたそれは確か、『前夜祭』とやらの主賓扱いをしていた存在だ。口ぶりからその敬愛ぶりが伺え、これほどの能力を持つ女がそのように扱う存在など、想像もつかない。

 気にはなるが、今は思考の外に放り出す。それ以上に女が何かしようとしている気配があるからだ。

 何かしたわけではないが、しかし、女から感じる圧力が圧倒的に増し始めている。初見時に感じた根源的恐怖が再び呼び覚まされ、立ち向かうことで誤魔化していた震えが握っている長剣を今更カタカタと揺らしていた。

 女はこのまま放っておけば死ぬのであろうが、しかしその前に、確実に何かするつもりだ。それがわかっているのなら――やらせるわけにはいかない。

 ほぼ全ての魔力を使った戦士たちが、今度こそ仕留めるべく同時に動き出す。

「ここでっ、仕留める!」

 裂帛と共にカレンが疾駆。放たれた矢の如き勢いで一気に女に肉薄し、脇を締めて突き出した大剣の切っ先は、抉れた胸部に向けられている。

 対し、女はこれまでの余裕ある緩慢な動きとは一変し、腕を上げるのもやっとという鈍さで右手を振り上げた。直後、突き出されていた大剣が甲高い音を立てて上方に跳ねあがる。下から上へ放射された重力魔術を打ち消した反作用で、結局刺突をいなされたのだ。

 同時に女の左手が薙ぎ払われ、その動きに合わせてカレンが勢いよく弾き飛ばされる。往時の破壊力はないようだが、小娘一人弾き飛ばすには充分すぎた。

 そこへ迫るクリフォードの音速を貫く刺突を、もつれる脚で横へステップして女は回避。その右手を薙ぎ払って同じようにクリフォードを弾き飛ばすのと同時、エドワードの光弾が狙い過たず胸部の傷口に着弾する。

 思わず呻く女の左右から巨躯二人が接近し、ほとんど同じタイミングで女の前後を狙う薙ぎ払いを放った。痛みで避ける余裕のない女は身体を多少ずらすことで、胸部の傷へ当たらぬよう誘導する。結果、未だ防御力を失わない女の身体に激突した斧槍と戦槌は、傷一つつけられない。

 直後、ぼこん、と女の背中が爆発した。

 否、違う。内側から何かが背中を突き破って姿を現したのだ。

 それはぬめりを帯びる黒い体液を滴らせながら、大きく伸びをするとその背中の上で小さく折り畳まれる。しかし、それでも女の身体全てを覆えるくらいには巨大であり、それに戦槌を弾かれたマシューが戦慄の表情と共に後退した。

 その形状は、まるでコウモリの翼腕。黒い皮の張ったそれはすぐに乾き、光沢を発してその表面に繊細な鱗があることを主張した。

 やはりこの女の身に何かが始まっている。そしてそれを完遂させれば、明らかに良くないことが起きると、その場の全員の危機意識が訴えていた。

 故に、恐怖を殺してマイルズとハーヴィーが吶喊する。その目の前で、女の後頭部が同じように爆発し、ぬるりと白い三本角が生え出した。

 マイルズの小剣の切っ先から飛翔した魔術式が、アスファルトの地面に着弾。効果を顕した魔術がアスファルトを変形させ、無数の矢と化して女に飛来する。

 それらを女は新たに生やした翼を薙ぎ払うことで根こそぎ吹き飛ばし、遅れて迫るハーヴィーの『雷槍ライトニングジャベリン』は持ち上げた左手から放射された重力力場が粉砕した。

 同時、右手からも放たれた重力力場を左右に散開して回避した二人は胸の傷めがけ、全力の刺突を放つ。しかし、身を捩るだけで回避され、白い肌に激突した三つの刃は硬質な音と共に弾かれた。

 気づけば、女の肌を黒い肌が背中からどんどん這いまわり始めている。否、そうではない、もともと白い肌の薄皮一枚下に隠されていた黒い肌――が表面に姿を現したのだ。

 それはドレスも似たようなものであり、ドレスのように見せかけていた擬態を解いた鱗が形状を崩し、女の悩ましい身体の輪郭を克明にしていく。

 しかし、それは同時にドレスの下の変貌していく肢体を露わにするということ。

 特に、その細かった両足はより刺々しく、そして筋肉質に太くなっていく。両肩も同様に膨れ上がってその先の腕も一回り大きくなった。

 その変貌と同時に、薙ぎ払われた翼によって、接近していたマイルズとハーヴィー、そしてフェリックスが吹き飛ばされ、再接近を試みるカレンとイレインを、黒い鞭のような何かが強かに打ち据え、弾き飛ばした。

 それは、女の臀部から伸びる――尾。光沢ある黒い鱗に覆われたそれは異様に長く、全長五メートルはあろう。

 その尾が生えるのと同時に女の身体はバランスを取るように前傾姿勢となり、変貌はさらに加速していく。

 黒い鱗はついに全身を覆い、女の黄金の瞳が細められ、背中の両翼がその頭からつま先まで全身を隠すように覆われた。その下の豊満な胸部は鱗に覆われるにつれてしぼんでいき、赤い筋肉を露出させる裂傷以外が硬い光沢に包まれる。開かれた脚はますます太くなり、気づけばフェリックスの胴体ほどの太さに膨れていた。

 そこへ飛来するエドワードの魔術はもはや通じず、かつての焼き増しのように着弾と同時に飛散する。

 もはや、こうなれば手出しは出来ない。唯一攻撃の通じる胸部の裂傷は翼に覆われてしまった。

 全員が手を止めたのは、そういった諦めもあろうが、しかし、それ以上に女が変貌していくそのフォルムは、何かを強く彷彿とさせるのだ。

 まるで、まるで――ドラゴン、のようではないか。

 知らず、誰かがそう呟き、全員が戦慄する。地上最強の存在、人がそんなものに変わる? 否、逆だ、そんなものが人に擬態していたのだ。

 加え、人と遜色ないほどの知性を有していた。そんな事実が有り得ていいのか。

 しかし現実を直視せねば、待つのは死だ。それに相手の正体が竜だったとわかれば、あの異様な防御力や質量などに説明がつく。あの小柄な女の矮躯に、今も膨れ上がっていく竜の大質量を押しとどめていたのだろう。

 諦めてはならない。既にあの女を、竜を、一度は追いつめている。向こうも余裕はないはずなのだから。

 そう己を叱咤する戦士たちの前で――ついに、女であった黒き竜が、変貌を終えた。

 ゆっくりと、翼が開かれる。

 そうして現れたのは――異形のドラゴンだった。

 体長はかつて見た竜よりはるかに小さく、およそ二、三メートル程度。全身は黒光りする鋭く尖った鱗に覆われていて、そしてその全容はあまりにも、醜悪と、言わざるを得ない。

 その頭部、前に突き出た顎にはずらりと並ぶ短剣の牙の羅列があるのだが、その内側、口腔内にもう一組の顎が存在していた。牙の檻の内側にさらにもう一つ、牙の檻がうごめいているのだ。

 そんな頭の後頭部からは三本の捻じ曲がる角が伸び、まるで何かの王冠のよう。角の根元には二対、都合四つの黄金の瞳があり、ぎょろぎょろと動いてその場にいる全員を品定めするようにねめつけていた。

 首はその重い頭をもたげてひょろ長くしなり、それにつながる胴体は重厚な鎧のごとく鱗に覆われている。胸部にだけは赤い肉を露出させた裂傷があった。

 この胴体の左右には、二対四本の細くも強靭な腕が生えており、どこか昆虫めいた不気味さを感じさせている。

 全身を支える二本の脚と尾は太く強靭で、足から生え伸びる五本の歪曲した爪がアスファルトを砕きながら掴んでいた。

 黒き竜が、重く熱のある吐息を吐く。そして、外側と内側二つの口を蠢かせ、不思議な声を響かせた。

『これから冥府に送られようとも、我が名を覚えておくがいい、戦士たちよ』

 翼を一際大きく広げ、女だった竜は咆哮と共にその名を叫んだ。

『我こそは、千年を生きた真なる竜、かの君に選ばれし極竜マキシマムドラゴン――ヴラディミーラ! その魂にこの名を刻み、冥府の底で死神どもを震え上がらせるがいい!』

 大気を震わせるその咆哮。ただの絶叫が物理的圧力となって全員を襲い、八人は思わず一歩後退した。

 直後、四つの瞳を輝かせ、ヴラディミーラが大きく息を吸い込んでその腹腔を膨らませる。そして二対の黄金が睨むのは――最大の危険性を有するであろう、エドワード。

 咄嗟に動こうとしたエドワードだが、直後、真上から押さえつけられるような圧力を前に、膝を突いてくずおれる。両手足を突いて必死に体を支えるエドワードは、極竜の四本の腕の二つに黄金の魔術式が輝いているのを見た。

 そして、視界の端でカレンが甲高い音共に弾き飛ばされるのも見てしまう。最大の障害、助けを引き離されたのだ。

 上方から下方へ放射される拘束の重力、やられたと思うのと同時に、抵抗レジストの『重力砲グラヴィティ』を構築し始めるが、それよりも早くヴラディミーラの口が開かれる方が速い。

 放たれるのは、どう考えても竜が持つ最大の切り札――竜の吐息ドラゴンブレスだ。どんな代物であれ、死は免れない。

 目を見開き、ゆっくりと開かれていく口腔を睨み付け、迫る死にエドワードは心臓を誰かに握りしめられているような気がした。

 そして、開かれた二つの口腔から何か・・が放射されるのと同時――エドワードは横合いから突き飛ばされる衝撃と共にその重力力場から転がり出た。反射で跳び退るのと同時、誰が己を突き飛ばしたのかを見る。

 それは、金髪を揺らし、諦めの笑顔を浮かべた――クリフォード。重傷の身体を押して、それでもエドワードを突き飛ばしたのだ。しかし、そうなれば、重力の檻に捕らわれるのはクリフォード。

 大地に縫い付けられた彼に、エドワードが何か叫ぶよりも早く――。


 ――消失した。


「な、ん――ッ!?」

 ドンッ、という鈍い音が響いたのはわかっている。しかし、何が起きたのかはわからない――否、認めたくないが、理解はした。クリフォードの身体が消失する瞬間を、目の前で見たのだから。

 じる、押し込む、引き裂く、抉る、潰す、砕く、壊す――全てを同時に引き起こし、クリフォードの身体は、遥か後方の大地で肉片として叩きつけられたのだ。

 竜の吐息ドラゴンブレスが通り過ぎた場所は、平等に全てそんな破壊を受けて引き潰された。

 目の前でその光景を見て、肌で感じて、確信する。この極竜は、やはり重力を操るドラゴンなのだ。

 故に、吐息ブレスさえも重力のソレ。その口腔から放射されたのは、狂える重力の檻だ。触れたものを内側に引き込み、そしてあらゆる方向から放射される強烈な重力でぐちゃぐちゃに引き裂くのだ。

 理不尽に過ぎる。どういう器官があれば、そんな真似ができるのか。明らかに条理というものを逸している。

 目の前で仲間が死んで呆然としながら、しかしエドワードは解析を止めない。死を無駄にしてはならない、自分は生き残らなければならない。

 しかし、そんな彼を現実はあざ笑う。

 己を取り戻し、仲間の死に怒りの絶叫を上げて飛び掛かるマシューとフェリックスの一撃を、空へ飛翔することで竜は回避。次いで放たれるアスファルトと雷の槍も回避し、最後方に立っていたエドワードのその後ろに着地する。

 咄嗟に『爆裂エクスプロード』を放つも、硬い鱗には微塵も通じない。焦るエドワードに対し、ヴラディミーラは魔術式を高速展開した。

『さあ――『前夜祭』の終局だ。これまで生き残った褒美に、かの君の御前に招待してくれよう』

 刹那、大規模な重力の放射。死なない程度に、しかし強烈な圧力でその場にいた全員を――大穴・・へと吹き飛ばす。それはカレンでさえも同様であり、強力な反作用で足が地面から引きはがされる。

 咄嗟の抵抗も、重力放射の二射目で全てを吹きとばされた。七人全員が宙を舞い、絶叫と共に大穴へと誘われる。

 そして、その後を極竜が翼を広げて追った。


 舞台は、暗い暗い、穴の底へ。

 最初からその底こそが、崩壊の羅針盤コラプスゲートの真の目的であり、これまでのソレは前座に過ぎなかった。

 故にこそ、最後の決戦はそこで始まり、そこで終わることだろう。

 その行く末は、誰もわからない。









 激戦のあった<アンプル通り>を、ようやく、静寂が覆う。


 しかし――そこへ、新たな参加者じんぶつが、足を踏み入れていたことに、誰も気づかなかった。

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