17

 最短距離で警察署を出る。即ち、巨剣によって穿たれた渓谷を降りていく。階段へと続く廊下は同じ渓谷に分断されているからだ。

 同じ階の向こうのフロアへ向かうには助走が足りないが、隣の下の階へ跳ぶなら、少しの度胸と受け身を取れる自信があれば可能だと今になって冷静な頭が教えてくれている。

 その途中で、何人もの負傷者と死傷者を見るが、残念ながらそれに対策本部の面々がかかずらっている余裕はなかった。一刻も早く、これ以上の悲劇を生まないために元凶を叩かねばならない。それが、被害者をより多く減らすことに繋がるとわかっているからだ。

 理性ではわかっていても、すぐ目の前で瓦礫に埋もれて意識のない人を見捨てていくのには、歯がゆい思いが胸に去来する。複雑な顔色を浮かべて駆けるカレンの横で、エドワードもやりきれない思いと共に前を見据えていた。

 それでも真っ先に<アンプル通り>に着地したカレンとエドワードの二人は、ようやくそこで下手人たちの姿を目にする。

 トゥリエス中央に開いた大穴の縁に立つ、三つの人影。遠目でもわかるほど特徴的な人物たちは、崩壊の羅針盤コラプスゲートの残りの幹部たちだった。

 濃緑のローブを頭から被る古代魔術師ザカライア、こちらもまた黒いローブをひっ被る巨躯の姿、そして場違いなドレス姿の黒髪の女。

 女が『先生』であるのだから、あの巨躯は残る一人の名前であるイーゴリと考えるべきか。今更、幹部が引きこもっているとは思えない。ザカライアをあと一歩で捕縛するという段階で出現した幹部たちの中に、あの巨躯も居たことであるし。

 ここで幹部揃い踏みということは、連中も勝負を仕掛けに来たということだろう。『刻印』を刻み、ついでに障害である対策本部の面々を殺すつもりなのだ。

 そうはいかない。むしろ、まとまって現れたそちらこそが、組織の壊滅を招くことになる。

 そんな挑戦的な思いを胸に、エドワードは魔術式を構築しながら前進。その一歩前をカレンが先行し、エドワードより少し遅れてやってきたマイルズとクリフォードが追随する。警官組はひとまずフェリックスのもとへ向かっていた。

 向かってくる四名に対し、幹部の三人のうち動きを見せたのは二人。ドレスの女の両脇に立つローブ姿の二人だった。

 古代魔術師は爪と思しきものを手のひらに乗せ、そこに魔術式を展開。そして、少しだけ前進した黒ローブの巨躯イーゴリは、ローブの表面に――やはり恐るべき数である、十の魔術式を展開させた。

 それは大量発生スタンピード時の喋る魔物を彷彿ほうふつとさせる異常な数だ。何かしらのタネがないのなら、それは恐るべき才能による展開数と言える。

 そして間髪入れず、古代魔術師の魔術式から巨大な火球が出現。それに先んじ、イーゴリの十の魔術式から十本の無骨な剣が生え、弾丸の速度で射出された。

 魔術式の数もさることながら、マイルズから聞き及んでいたこの未知の魔術も不明だ。鋼どころか剣を生成するなど、聞いたこともない。おそらく先ほどの巨剣もこのイーゴリによるものだろう。

 冷静に分析しながら、エドワードは魔術式を解放。発動された『爆裂エクスプロード』が迫る十本の剣を砕き、弾き、爆風で吹き飛ばす。

 結果として軌道上から逸れたそれらを完全無視し、疾走する四人は古代魔術師の放つ強力な火球にのみ集中――否、それすら気に留めない。

 理由は単純、先頭を走る彼女・・に魔術は意味を為さないからだ。

 その証拠に、砲弾の速度で空を滑って迫る火球に大剣一閃。それだけで消失した火球だが、その存在が無意味だったわけではなかった。

 振りぬいた姿勢のカレン、火球消失により開けたその視界に、火球によって見えなくなっていた正面低空から迫る紫電が映る。カレンが大剣を引き戻して切り捨てるよりも早く、その脚を貫くだろう。しかし、そんな瞬間の為に後方の三人が居る。

 クリフォードが素早く放っていた水の鞭が、カレンに先んじて紫電に激突。通電され、カレンの脇を通り抜けていく紫電はさらに無害な方向へ誘導された。

 そしてマイルズの小剣ショートソードの切っ先から大地系の魔術式が飛翔。駆ける四人の前方の地面に着弾し、発動した魔術によってそのアスファルトが錐型に尖る。次いで砲弾の勢いで射出され、イーゴリから再度放たれた十本の剣の束を纏めて蹴散らして砕け散った。

 古代魔術師が新たな魔術式を展開しきる前に、エドワードの魔術が炸裂。カレンと幹部三人を結ぶ中間部分で発動した『爆裂』が、地面を粉砕して砂塵を巻き上げる。爆煙とも混ざって黒々しく立ち上るソレは、連中の視界からエドワードら四人を隠していた。


 それでもお構いなしに、式を展開した古代魔術師は二つの魔術を発動、撃ち放つ。風の砲弾と炎の砲弾が煙を吹き散らしながら発射され、そうして開けた視界に映ったのは――やはり、それらの砲弾を一挙に切り捨てるカレン。

 しかし、ここで古代魔術師の喉から思わず疑問の唸りが漏れる。先頭を駆けるカレンがまず最初に見えるのは当然だが、その後続の姿が見当たらないのはなぜだ?

 風の砲弾の余波で煙が完全に晴れ、彼女の後ろを走っているはずの三人の姿が完全に消えていることを確信。いまここに至って逃げたのか、という楽観的思考の傍で、古代魔術師ザカライアの危機意識が確かに警鐘を鳴らす。

 しかして、目の前を迫るアカシャ特殊殲滅部隊うっとうしいやつらの一人である魔術殺しマジックキラーの女を無視するわけにもいかない。

 とりあえず、牽制の魔術を、と思ったところで、『先生』を挟んで反対側に居たはずのイーゴリがザカライアの真横に駆け込んだことに気付く。そして、ぐいと引っ張られて巨躯の後ろに引き込まれるのと同時、イーゴリが五の剣魔術をザカライアの傍から伸びている路地裏に放つ。

 暗い路地裏に吸い込まれた五本の剣弾は本来なら大地か壁に突き立つ短い音を響かせたのだろうが、ここで路地裏から響き渡ってきたのは甲高い金属音。長く響くそれは剣が剣に弾かれた音であり、ザカライアが警戒するのと同時に、路地の闇から細剣レイピア小剣ショートソードの切っ先が唐突に姿を現す。

 そこには展開された魔術式。咄嗟にザカライアが構築していた火球を放つのと同時、水の弾丸とアスファルトの砲弾がそれらの魔術式から放たれる。

 衝突し、しかし圧倒的に威力で勝る火球が勝利。二つの魔術を正面から打ち砕き、奇襲を企てた下手人へ直進する。が、直前で再び地面に飛翔した魔術式が発動され、立ち上がったアスファルトの壁を破壊しながらも凄まじい熱波を撒き散らして火球が形を崩壊させた。

 そのコンクリートを赤熱させかねない熱量の渦の中を、二つの影が突き抜ける。姿を現したのは特殊部隊の二人、マイルズとクリフォード。

 そこへ、イーゴリの残る五の剣魔術が束となって放たれるも、二人は左右にステップして回避しつつ、更にローブの二人へ肉薄する。

 迫る二人を見ながら、別方向から駆け馳せるカレンを見やるザカライア。しかし、それと同時に視界の端で見えた、『先生』の挙動を見て、「ああ、いいや」と零しながら彼女の存在を思考から消し去った。

 何故ならば、『先生』がその右手を、カレンに差し向けていたのだから。









 エドワードの煙幕で、迂回路を利用することによってザカライアとイーゴリへの接敵に成功したマイルズとクリフォード。その姿を視界の端に捉えつつ、カレンは黒髪の女へ突撃する。

 対する女は涼しい顔。横目でザカライアとイーゴリの様子を観察している様子さえある。その余裕は、やはり実力に裏打ちされたものか、と二日前、初めて邂逅した時の恐るべき圧力を思い出す。

 今はその圧力を感じないが、警戒しなくてはならない相手であるのは肝に銘じていた。

 そんなカレンの走力なら、激突まであと数秒、という距離に迫ってようやく、女が黄金の瞳を動かし、その視線を彼女に向ける。

 射抜かれる視線に、カレンは己の心胆を絶対零度に晒されたかのような悪寒を覚える。そして、指先一本とて動かせなくなるような威圧感が全身を押し潰さんとしている錯覚まで感じ取った。

 そんな感覚の中で、女がゆったりと、右腕を上げる。メレディスを瞬殺した右腕、何をされるかわからない。

 駆ける脚が、止まりかける。むしろ、ターンして逃げ帰りたくなるような根源的恐怖に――屈するような、軟弱者ではない。

「あ――ああァァァッ!」

 絶叫。緩んだ踏み込みに力を加え、アスファルトの地面に罅を刻みながら己の存在を確かめるように主張する。体にまとわりつく怯えと竦みを振り払い、カレンは前進を選択した。

 その彼女に照準を合わせるように、開いた手掌を女は向ける。

 しかし、ここで忘れてはならないのが姿を消している四人目だ。

 瞬間、黒髪の女のすぐ脇で大気が一点に吸い込まれる。爆発の予兆、女が一瞬チラリとそちらに視線を向けた時には既に遅し。『大爆裂エクスプロード・マキシマム』が、女を丸ごと包み込む規模で炸裂した。

 同時、エドワードがマイルズたちとは反対に位置していた路地裏から駆け出す。朦々もうもうと立ち込める爆発の煙へと、魔術式を展開しながら躊躇なく突撃する。それに合わせ、十字に挟む位置取りでカレンも吶喊した。根拠はないが、確信はあった。あの程度で倒れているはずがない。

 女がまだ立っているであろう場所へ、二人の斬撃が振り下ろされる。過去最高の鋭さを以て放たれた一撃は――しかし、使い手に指が痺れるほどの硬い感触と金属音めいた硬質な音を届けただけだった。

 目を見開く二人の前で、煙が吹き散らされ、健在の女の姿を見せる。しかも、煙の中からどうやったのかはわからないが、二人の斬撃を左右の腕で完全に防御していた。

 何の変哲もないドレス。しかし、そこには二人の刃は通じていない。辛うじて、カレンの大剣の刃が僅かに刺さっているように見えるが、一方のエドワードの剣は完全に弾かれていた。

 強固な壁に剣を叩きつけたときのような手応えに二人は困惑しながらも、即座に次の行動へ移っている。

 カレンは後方に転がるように退避し、エドワードは跳び退りながら魔術式を発動。

 ほぼ至近距離から放たれた光の弾丸に、しかし、女は動きを見せず。結果として顔面に着弾したソレは、しかして爆散するように散った。女の顔には傷もなく、髪さえも変化はない。

「どういう身体してやがるッ!?」

 エドワードが信じられない光景に思わず悪態を吐き、それなら、と貫通力に優れる魔術を構築。その隙に、女へとカレンの再突撃が放たれる。

 即ち、全力を賭けた低姿勢からの刺突。貫けなくても吹き飛ばすくらいは、という意気込みで放たれた一撃は、しかし逆にカレンの腕に重たい衝撃となって突き抜けた。

 切っ先は確かに女の腹へ命中している。しかし、そこで終わり。わずかに刺さるのみで、それもドレスを貫通していない。それどころか、押されもせず直立している。

 手ごたえはやはり、ビルの頑強な壁に攻撃したようなソレ。小動こゆるぎもしないその有様に、カレンは気づく。

 この女、何の手品も使っていない。

 ただ単純に硬く、そしてただ単純に重いのだ。

 華奢で均整の取れた美しい身体のくせして、その身に秘める質量は膨大。詰め込んだ身体は純粋に密度が高く、同時に硬くなっている。

 自分でも訳の分からない考え方だが、そうでもなければ、今も必死に押しているのに身動きすらしない女の正体がつかめない。いや、ますます正体がわからなくなっていた。そもそも体の一部ではないドレスを貫通できないとはどういうことだ。

 対して、女は防御のために挙げていた右腕をゆっくりと、カレンに向ける。咄嗟にカレンが後退するのと同時、エドワードの魔術が放たれる。

 『極光槍レディエイトジャベリン・マキシマム』が発動、細長く鋭利な穂先を形成した光の槍が、過たず女の脇腹に命中した。

 しかし、これも無意味。激突と同時に、たわんだ光槍が負荷に耐えきれずに爆散する。結果、女のドレスに僅かに穴を開けただけだった。女の動向を止めるには至らない。

 結果、五指を開いた女の右手が、カレンに向けられる。

 刹那、カレンの全身を引きつるような悪寒が迸る。脳内の警鐘がけたたましい音を立てて彼女に死を警告し、全身から溢れ出る脂汗がカレンを無理やりに行動へと動かした。

 恥も外聞もなく、全てを放り捨てるように左へ飛び込む。同時、女の右手がチカッと金色に光った、その瞬間。


 遥か後方にあった、警察署が――大穴を開けて、消し飛んだ。


 その警察署と女を結ぶ一直線、そこにあった地面でさえ無事ではない。何かが錐揉み回転しながら這いずっていったかのように荒々しい爪痕が刻み込まれ、それは進むごとだんだん大きくなっていっている。最終的に警察署の手前で十メートルの幅となり、そのまま直撃を受けた警察署はどてっぱらに大穴を開け、向こうの青空を見せていた。

 この、おぞましい破壊力を見て、絶句せぬ者が居ようか。

 カレンとエドワードは、思わず動きを止め、その破壊の痕を眺めるしかない。そんな彼らに、女はぽつりとつぶやいた。

「北はこれで良し」

「――――っ!」

 その言葉に、その意味に、エドワードはただ理解する。

 この女は、俺たち二人を、歯牙にもかけていなかった、と。

 カレンを狙っていたかのような右手は、その実、後方の警察署を狙っていた。

 その事実に、全身を雷鳴のような寒気が駆け落ちる。こんな、馬鹿げた強さの相手――どうすればいいというのか。次元が違いすぎる。

 ただ固まるしかない、二人に、女が再び言葉を零す。

「さて――竜殺しよ」

 向けられた言葉。思わず反応し、後退してしまったエドワードに、黒髪の女は黄金の視線を向ける。

「今度は、抵抗して見せるがよい」









 マイルズとクリフォードの役割は、可能な限りこのイーゴリとザカライアをあの黒髪の女から引き離すことだった。

 ただでさえ強力である人物を援護されるわけにはいかない。攻撃力において突出しているエドワードとカレンが向こうに行ったのは、どうにかして短期決戦を行ってもらうためだ。

 その為に、マイルズは飛翔する魔術式を放つ。触れればそこから槍と化して襲い掛かってくるソレを受け止めるわけにもいかず、イーゴリもザカライアも回避。しかし、それこそが狙いだったマイルズの魔術式は、ザカライアの後方に着弾。

 直後、ザカライアの背中に向けられて放たれたアスファルトの槍は、直前で気づいてマイルズ達の方向へステップされることで回避される。

 それに合わせるようにして、クリフォードと共にマイルズは悟られない程度の速度で後退。結果、彼らを追いかけるようにして、ローブ姿の二人が追撃を放つ。

 炎の砲弾二つと、十本の剣弾。砲弾にはマイルズの生成する壁とクリフォードの水の壁を二枚重ねにすることで防ぐも、砕け散ったそれらを貫いて迫る剣弾には己の手で対応するしかない。

 連射するような間隔で次々放たれるそれらを、二人の細剣と小剣が空を滑り、旋回し、唸りを上げて次々と弾き飛ばす。数本が弾ききれずに二人の脇を掠めるも、浅い。弾き飛ばされた剣たちは穴に落ちたり、傍の建物に突き立ったりして再利用するには難しい。否、それ以前の問題だ。

「魔術で生み出されたものが、ああも長く存在しているとは」

「本当に、どういう魔術なんしょう、ねっ!」

 建物に突き立つ剣を視界の端に入れながらマイルズが呟けば、その少し前方で水の鞭を振るい、紫電の槍を誘導して直撃を避けたクリフォードが同意する。

 魔術によって生成された物体は、時間経過と共に生成に使われた魔力を消費していき、最終的には跡形もなく消失する。その時間は、よほど魔力を込めたものでなければ三十秒から一分ほどだ。

 しかし、あのイーゴリの放つ剣は三十秒以上経過しても、存在が薄くなる気配がない。カレンの大剣でなければ消えないのか、と思うほどだ。

 何か魔術式に細工をしているのか、それとも規格外の魔力を込めているのか。どちらにしろ、散らばった剣やその破片で怪我する愚は避けたい。

 思考しながら、巧みに退避しながら攻撃し敵の気を引きつつ、ついに四人の戦場は、エドワードらの居る場所と大穴を挟んだ向こう側に移動する。

 その時、轟音が響き渡り、ちらとエドワードらの方向を見たマイルズは思わず顔をそちらに向けてしまうほどの驚愕を覚えた。

 三つに分割されていた警察署が、そのど真ん中に大穴を開けて今にも崩壊せんとしている。それを為したのは当然、あの女であり、その規格外の破壊力に呆然とせざるを得ない。

 そんな彼に、少年の声でザカライアは小馬鹿にしたように声をかける。

「どうしたんだい? そんなにびっくりしちゃってさ。『先生』ならあれくらい腕の一振りでできちゃうんだよ。それとも、なにかい? 僕らが居なければ『先生』をとっとと倒せちゃう、なんて夢想してたのかい?」

 喉の奥で笑いながら放たれた言葉に、マイルズは思惑が看破されていたことを知る。しかし、それに落胆はしない。また新たに考えが生まれただけだ。

「なら、『先生』とやらの援護を受けられないあなたたちを先に打倒させてもらうだけです」

「――ハハッ、ちょっとおもしろいよ、その冗談」

 真面目に放ったマイルズの言葉を、ザカライアは何一つ面白味のなさそうな声色で吐き捨てる。そして、それを待っていたかのようにイーゴリの放った十の剣弾が発射。対し、クリフォードの『水裂ウォータースラッシュ』の水の斬撃弾が迎え撃ち、半数を弾き飛ばしたところで打ち砕かれた。

 しかし、半分ともなれば回避も容易い。左右に分かれて避ける二人を、それぞれ炎の巨大な砲弾が狙い撃つ。

 クリフォードが大きく跳んで転がるように回避し、マイルズは足を地面に突き刺すようにして急ターンして軌道から逃れることで被弾を避ける。同時、ザカライアの前に立つイーゴリに向けて疾走を開始した。

 迎えるように放たれる剣の弾丸を、魔術で生み出した壁で悉く防御。その横へ飛び出ながら更に加速して接近する。妹の身体能力がずば抜けているならば、その兄もまた同じく。

 放たれた矢の如く駆け抜け、一息でイーゴリの前にやってきた彼は勢いのまま、巨躯に小剣を突き出す。

 対し、イーゴリな魔術式を一つ、左右それぞれ両手に展開。式から生み出された無骨な双剣を握り、交差させながら小剣を受け流した。

 同時、マイルズの反対の手から魔術式が飛翔。目の前のイーゴリに向かう。対し、巨躯も回避しようとするが、その大きな体がアダとなり、振ったローブの端に魔術式が着弾。

 鋭利な槍となった布から逃れるため、巨躯は唸り声を上げて脱ぎ捨てた。

 そうして現れた容貌に、マイルズは思わず絶句。その隙に、イーゴリは剛腕を振るって双剣を一閃する。辛うじて受け止めたマイルズだが、馬鹿力によって防御の上から殴り飛ばされるようにして後方に下がることになった。

 そこへ迫る古代魔術の火球を必死の思いで避けながら、後退したマイルズは未だ残留する驚きのままに呟いた。

「魔物……!?」

 漏れ出た言葉を肯定するように、灰色の毛並みを揺らし、虎の頭は唸り声を上げた。しかし、その下にあるのは簡素な布を纏う屈強な男性の身体。肌はいずれも灰色であり、その異様な風貌は明らかに『魔物』であることを示していた。

 その様子に、ザカライアは首を傾げて、すぐに納得した。

「あれ? 知らないの……って、そうか。お前らこの街の警察じゃなかったね」

「隊長、こいつ、トゥリエスで起きた大量発生スタンピード時に確認された――」

「人と獣の特徴を持つ、知性ある魔物、ということですか」

 クリフォードがマイルズに声をかければ、彼も聞き及んでいたのかすぐに正体を看破した。

 対する虎頭の魔物は、やはり喉と口腔の形状が発声に向いていないのか、喋ろうとせず唸り声を上げるだけ。発声魔術を作ることもせず、会話を完全に放棄していた。

 その代わりなのか、式を維持しながらザカライアが口を開く。

「どう? 珍しいだろ? 『先生』が連れてきたときは僕も驚いたけどね。でも、聞いたところによればこの街に来た奴はお喋りだったんだろ? イーゴリとは大違いだね、全く喋んないんだもん。名前だって『先生』がつけたもんだしさ」

 ぺらぺらと口が留まることを知らないザカライアだが、知らぬとばかりにイーゴリが唸り声を上げて前進。「あっ、おい」と制止する声を無視し、全身の表面に十の魔術式を展開しながらイーゴリはマイルズに肉薄する。

 敵の正体がどうあれ、わかったところでどうなるでもなし。元より宿敵同士だった両者は、言葉もなく再激突した。

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