16
たった一日の間に、<ユグリー通り>から始まったいくつもの激戦。その最後には幹部三名を仕留めるという快挙が為されたが、諸手を挙げて喜ぶことはできなかった。あまりにも、トゥリエスの住民への被害が大きかったのだ。
まず、朝早くに起きた『
しかし、恐るべきはその後起きた、トゥリエス最東端にある『東トゥリエス大学』における虐殺事件だ。一連の全ての事件が終わるまで、誰もその事件に気が付けなかったのだ。異臭を感じた通行人や近隣住民の通報がなければ、翌日まで気が付けなかった可能性まであっただろう。
おそらく遮断系の結界が張られたせいで、悲鳴が外に漏れず、被害者は逃げられなかったものと思われる。そこではごく短時間において百人強の学生及び教授たちが殺害されてしまっており、その死因から例の二人組、シノノメとギディオンによる殺戮だと特定された。
この両名はこの一日で、あまりにも多くの人々を殺しすぎていたのだ。特に、<アンプル通り>における被害は、悲惨に過ぎる。
警官四名が到着するまでに殺された人々は百五十人以上。それだけでもおぞましい被害だが、特筆すべきは魔術犯罪課課長フェリックスが仕留め損ねたギディオンによる、最期の一撃による被害だ。
そのたった一撃で、トゥリエスの中心部に半径四十メートル超の大穴が穿たれた。それはトゥリエスの五十メートル直下に存在していた地下空間にまで及び、今も崩落の危険性を孕んでいる。
さらに、その大穴の範囲内にあった建物に逃げ隠れていた人々は今も行方不明であり、その数は百人を超える。
そう、一夜にして、四百人もの命が失われていた。それと凶悪犯罪者三人の命とでは、あまりにつりあわない。
今、トゥリエスには絶望と恐怖の暗雲が立ち込めている。もはや活気づいた街の姿はなく、誰もが被害者にならないように家に隠れ潜み、震えていた。いつ爆発するとも知れない不満、恐怖をなだめる手段をもたない警察とアカシャ特殊殲滅部隊の面々は、ただ全力で連中の行方を追うことしかできなかった。
✻
三人の幹部を仕留めながらも過去最大の被害を発生させた日の、二日後。
奇跡的にギディオンの最期の一撃から逃れたフェリックス、マシュー、ハーヴィー、イレインの四人と、そして無事帰還したマイルズ、クリフォード、エドワード、そしてカレンの四人、そして他数名の警官と特殊部隊の面々は、警察の対策本部室に集まっていた。全員が全員、この二日でどうにか怪我を治し、何も起きなかったことに安堵のため息を零していた。
特にカレンは、これまで病に伏していた所為もあり、完治したと言い張ってこの場に姿を現している。妹の強引な参戦に、マイルズはため息を吐きながらも許可。これまでの経緯を伝えていた。
しかし、これまでの全ての事情と被害状況を聞き終えたカレンは、硬く強張らせた表情で唇を引き結んでいる。
これほどの被害。まして、半年以上を過ごして愛着すらわき始めていたこの雑然たる街を、今まで追いかけていた組織がこうも容易く蹂躙している現状に、彼女の口から嘆く言葉さえ出てこなかった。
自身が風邪で寝込んでいる間に、これほど事態が進行しているだなんて、と己の不甲斐なさを無言で悔やむカレンの隣で、エドワードは思考する。
結局のところ連中の目的は、いったいなんだ? 大虐殺を引き起こすだけなら簡単な話だが、そんな単純な動機で動く愚かな連中ではない。二度、黒髪金眼の女に邂逅したことでその思いは強くなっている。
おそらくあの女が連中――
東部のトゥリエス大学、そしてトゥリエス中央のアンプル通り。そこで殺された桁が違う被害者数は、奴らの目的と一致しているはず。それ以外の被害は、連中にしてみれば攪乱か、それぞれの幹部の暴走及び趣味であると考えてみる。
そして、あのメレディスを殺しにやってきた黒髪の女の言葉。
「刻印せよ」とは、その目的ではないか?
その『刻印』とは、大量虐殺のことではないか?
しかし、ならば、何故東トゥリエス大学とアンプル通り中央で為す必要があったのか。
自分が何か意味のある『刻印』をすると仮定するならば、東西南北と、中央だろう。平面的な魔術式においても上下左右と中央の魔術記号は特に重要な意味を表すからだ。
しかし、これでは判断材料になりえないだろう。まだ五か所のうち二か所でしかその『刻印』とやらは行われていない。ただの推測の域を出ないどころか、これでは妄想の範疇に収まってしまうレベル――なのだが。
ここで、エドワードの脳裏に何かが引っかかる。本当に二か所だけか?
この一週間だけで考えれば、確かにそうだが――もっと前、この一年を考えれば?
いや、まさか、そんな――と己の飛躍しすぎている考えに若干かぶりを振るが、それでもその考えは脳裏に張り付いて離れない。
自身の頭が混乱しているのを自覚しながら、マイルズやほかの者と対策を話し合うフェリックスに、思わず問う。
「なあ、フェリックス。
「ん? 何をいきなり言っとるんだ。今はそんなこと――」
「いいから、頼む。教えてくれ」
「……二十一名だ。それが、今この件と関係があるんだな?」
エドワードの、知らず必死になっていた口調にフェリックスが表情を険しくさせながら答え、今度は巨漢が逆に問い質す。
一瞬口をつぐんだエドワードだが、いつの間にかこの部屋全員の人間の視線が集まっていることに気付き、「これは、推測どころか妄想に過ぎないんだが」と前置きしてから己の考えを述べた。
「やつらは、このトゥリエスに『刻印』とかいうものを刻んでいるんだと思う。それは、おそらく大量虐殺がキーとなっている行為だ。魔術式みたいに、上下左右中央――東西南北と中央に、その刻印とやらを刻んでいるんじゃないか? って、俺は考えている」
「ん、む……正直飛躍しすぎていてわからんが、仮にそうだとして、まだ東と中央でしかそのような虐殺は起きておらんぞ」
「いや、それは、この一週間だけで考えるからだ。よく思い出してみてくれ。このトゥリエスで、
周囲の人間が懐疑的な視線を向ける中、フェリックスがフォローするように穏便に否定するも、エドワードは首を振る。そして言い放った言葉に、トゥリエスに住まう者たちは少しだけ身を固くした。
「春、百四名の死者をもたらした大量殺戮事件の現場であるベースボール会場は――南部にあったわね」
「夏の大量発生では、
カレンが呟き、イレインが強張った顔で告げる。その内容に、特殊部隊の面々も理解したのか顔色を変えた。
「そして今、百名以上が死んだのは東部の大学、そしてトゥリエス中央。五か所のうち四か所で百人以上が死んでいる。フェリックスの言うように飛躍した理論なのは理解しているが……馬鹿馬鹿しい、って切り捨てられるか?」
エドワードが告げた言葉に、フェリックスは喉の奥で唸りを上げる。彼の言う通り、少しばかり頭のどこかで引っかかってしまうのだ。特に、魔術式に触れる機会の多い魔術師にとっては。
ならば、とクリフォードが声を上げる。
「残る北が、先ほど言っていた
「少なくない被害だが、他の被害者数を見るに関連付けるには遠い、か」
マシューが続きを引き継ぎ、眉根を寄せて思考する。残念ながら、この一年でも、過去十数年でも、彼の記憶に北部における百人規模の死者が出た事件はなかった。
それは長く警官を勤めるフェリックスも同じであり、やはりエドワードの考えは違うのかと結論付けようとする。しかし、それに待ったをかけるのが相棒のカレンだ。
「待って。まだ、北部の『刻印』とやらは終わってないのかもしれないわ。ねえ、北部で一挙に百人集まるような場所って、どこ?」
「っ、そうか、北トゥリエス大学だ! 連中は一回大学を襲っているし、味占めて同じことするかもしれねえ!」
カレンの言葉に、ハーヴィーが焦ったように声を上げる。彼の言う通り、東トゥリエス大学と同規模の北トゥリエス大学なら、虐殺が可能だ。
同意し、思わず腰を上げる面々に、フェリックスが一喝を叩きつける。
「待て! 現在トゥリエス全域に外出しないよう非常事態宣言を発しておる。北トゥリエス大学に、今は人っ子一人いないぞ!」
「だ、だったら、百人も集まる場所なんてどこに――」
と、カレンが口にした瞬間、全員が目を見開いて押し黙る。一瞬その様子に呆けたカレンだが、彼女もまた、すぐに理解した。
北部にあって、現在のトゥリエスで百人も人間が居る場所など限られている。
それは、今全員が居る――トゥリエス警察署と、そこに隣接する刑務所。
まさか、そんな、と誰もがやはりありえないと考える。今ここはトゥリエス全ての武力が集まっており、そこに襲撃を駆けるなど正気の沙汰ではない。
しかし、正気でないのが連中だ。ありえないとも言い難いのが現実。
思わず黙り込む面々を前に、エドワードは思わず懐の黄金色の羅針盤に指を這わせる。これが今回、己を導くキーであると理解している故に、触らずにはいられなかった。
それが、幸運だったのかわからないが。
触れたことでようやく、その羅針盤が微弱に震えていることに気付いた。
瞬間、慌てて引っぱり出した羅針盤は、針を高速回転させていた。反応がある、と戦慄した直後、針はピタリと止まる。
それは、もう一つの羅針盤を持つ、隣のフェリックス――ではない。
南、今もトゥリエス中央に開く大穴のある方向だった。
エドワードの挙動に驚き、彼の手の中を覗き込んでいたカレンとフェリックス、そしてエドワード自身が顔を跳ね上げる。
思わず見据えた窓の外にある、ここからでも見える大穴。その周囲を崩落注意の為に囲む警察官たちが――いない。最低でも五人以上は残るよう言い渡しているはずの警官たちが、人っ子一人見当たらないのだ。
その異常事態ともいえる光景に三人が立ち上がった、その瞬間。
ソレは、突然出現した、としか言いようがなかった。
大穴のすぐ傍。そこから、トゥリエスにあるどの建物よりも、高く、天を衝く――巨剣が、屹立していた。
あまりに非現実的すぎる光景に三人が絶句と共に硬直したその直後、ゆっくりと、巨剣が傾く。
否、トゥリエス警察署に向けて、振り下ろされていると、それが
他の面々が三人の様子に気付いて南の窓を見るより。
エドワードが魔術式を紡ぐより。
カレンが大剣を抜き放つより。
フェリックスが怒号のような忠告を叫ぶより。
圧倒的に早く、巨剣がトゥリエス警察署を真っ二つにしていた。
✻
「――ドッ! ――ワード! 起きて!」
必死の叫びを耳にして、エドワードは全身の鈍痛と共に意識を覚醒させた。
開いた視界には、半分が白い天井、もう半分には蒼穹が広がっていた。無理やり引きちぎったかのような断面を見せる天井と蒼穹の境からはポロポロと粉塵が零れ落ちている。
自分が仰向けに倒れていることを理解し、混乱しながらも身体を起こせば、自分と同じように倒れるマイルズやハーヴィー、イレインの姿を認める。フェリックスの姿はなく、マシューとクリフォードが倒れる若き警官二人を起こそうとしていた。そして、傍らのカレンは心配そうにエドワードを見つめていた。
「なんだ、何が――」
自分がこうして意識を失った要因を思い出せず、ぼんやりした頭でエドワードはかぶりを振る。周囲の様子をもう一度見直してみれば、ここは警察署であることを思い出し、そしてその警察署が半壊している現状に絶句した。
エドワードの左方、壁があった場所は消失しており、阿鼻叫喚の有様の向こう側が見える。壁があった場所の真下は同じように消失し、地下にまで貫通している渓谷を生んでいた。
そして、そのコンクリートの谷底には、鋼の輝きが埋まっている。それはあまりにも巨大であり、アンプル通りの中央辺りまで伸びていた。
これらの惨状を見て、ようやく思い出した。
「っくそ、やられた……フェリックスは?」
「無事ならよかった。フェリックスは被害状況の確認と現場指揮に向かったわ。みんなが目を覚ましたら、出来るだけ早く反撃を、って」
顔を歪めながらエドワードがカレンに問えば、フェリックスの言伝が伝えられる。
それに頷きながら、こぶになっている後頭部を押さえてエドワードがどうにか立ち上がるのと、事態が動くのは同時だった。
揺れ動くフロア。こんな時に地震か、と思わずしゃがみこんで舌打ちしたエドワードだが、即座に違うと理解する。すぐ隣の破壊の渓谷から粉塵が巻き上がり、破壊音と掘削音を鳴り響かせながら、ものすごい勢いで鋼色の巨剣が持ち上がっていったからだ。
それだけで発生した突風をどうにか踏ん張って耐えるも、仰いだ天空にはまたもそびえたつ巨大な剣。意匠も装飾もない、ただひたすらに実用性のみを求めた鋼の塊が、再び垂直に立ち上がっていた。
それが意味するのは、ただ一つ。第二撃だ。
理解と同時に、エドワードは近くに転がっていた己の長剣を拾い上げ、魔術式を高速構築。ほとんど同じタイミングで、巨剣が再度、振り下ろされる。
「させるかァッ!」
全力で二つの魔術『
轟音と爆音を鳴り響かせ――それら全てをものともしない鋼が、全てを切り裂いて迫る。
驚きの声が上がる間もなく、恐るべき質量兵器は再び警察署とその背後にあった刑務所に、直撃する。
鼓膜を吹き飛ばすような大轟音と共に先ほどの比にならない揺れが警察署全域を襲い、今度はエドワードらの居る対策本部の右方が完膚なきまでに破壊され、二つ目の渓谷が生まれていた。
今度は身を伏せることで飛んでくる飛礫と衝撃に耐えたエドワードたち。跳ね起きたハーヴィーとイレインが混乱の叫びをあげているも、相手にしている暇はない。
二度振り下ろされた巨剣。それはエドワードらの居る対策本部の左右を真っ二つにしている。破壊の規模が桁違いだが、注目すべきはその威力ではなく、放った者の狙いだ。
明らかに、対策本部を狙っている。偶然で済まされるだろうか、退路を断つように振り下ろされた二撃を。どこにいるかもわからない、最大の障害であるエドワードらをピンポイントで狙うこと。それは、考えてみれば不可能なことではない。
こちらの持つ黄金の羅針盤が他の羅針盤を示すことができるなら、向こうの羅針盤も同じことができてもおかしくない。そして向こうには古代魔術師が居り、より正確な位置まで捕捉できるとしたならば――三撃目は、今度こそここへ振り下ろされる。
その確信を得るのと同時に、警察署をさらに破壊しながら巨剣が持ち上げられる。そこへ何発か魔術が飛ぶも、微塵も揺るがない。
そして、天頂に構えられたその剣は、過たずエドワードらの頭上に向けて振り下ろされた。
後方の扉に逃げても意味はなし、左右の渓谷を飛び越えて向こうのフロアに向かうにはあまりにも間隔が広い。迎撃の手段は、もはや究極魔術『
万事休す、ここで終わるのか――と唐突にやってきた死の具現を前に、しかし女騎士は諦めない。
抜き放った黄金の宝剣を下段に構え、闘志を薔薇色の瞳に宿したまま未だ崩れていない天井を睨み付け、叫ぶ。
「全員、伏せるッ!」
有無を言わさない指示に、全員が身を伏せる。
残る天井が邪魔で振り下ろされる巨剣が見えないまま、カレンは空を切る轟音が迫るのと同時、全身に力を込める。
そして、裂帛の叫びと共にカレンが大剣を振り上げるのと、天井を粉砕して巨剣が落ちてきたのは同時だった。
刹那、黄金と鋼が接触。
激突した瞬間、閃光。黄金と鋼の接点を中心に暴風の如き圧力が暴れ狂い、次の瞬間、黄金が振りぬかれる。その時にはもう、鋼は全ての存在を消し飛ばされていた。
一拍の静寂。己の死を確信し、伏せていた者たちはあり得ない光景にあんぐりと口を開けて固まる。しかし、すぐにエドワードは目の前で起きた現象に理解を示した。
「っ、そうか!」
「ええ、あんな巨大な剣を、何もなしに
確信はなかったから、正直賭けだったけど、と額から脂汗を滲ませてカレンは小さく付け足した。
相手が魔術なら、無類の強さを誇る
そのことにすぐに思い至らなかった自身を恥じながら、エドワードは立ち上がる。
あれほどの大質量、そうホイホイと連続で出せるはずもない。魔力を相当食うだろうし、魔術式の構築も上位魔術級以上の難易度のはずだ。どんな魔術か不明だが、流石に同じ魔術師としてそれくらいはわかる。
つまり、速攻をかけて二度目を封じる必要がある。
それ以上に、こうも好き勝手やってくれた連中を打倒してやらねば気が済まない。
立ち上がり、戦意を取り戻した面々は互いに頷きを返し、即座に<アンプル通り>の大穴のもとへ向かって走り出した。
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