15
一閃。
右耳に激痛が走り、ハーヴィーの視界の端で首の代わりに切り裂かれた己の耳朶が千切れ飛ぶ。それを目で追う隙を作るわけもなく、次いで放たれる刺突を左の剣を叩きつけてどうにか直撃を避ける。
しかし、それすらも無双の剣士にとっては必殺への布石。弾かれた勢いのままに高速で旋回した長刀が双剣の防御を掻い潜ってハーヴィーの右の太ももを掻っ捌いた。
思わず喉の奥で漏れた苦鳴の唸りをその場に残しながら、左足で大地を蹴って全力で後退。慣れない魔術式を必死で紡ぎ、完成したのは『
容易く回避した勢いで、剣士は『摺り足』と呼ばれる歩法で後退するハーヴィーにあっという間に肉薄。放った袈裟切りはハーヴィーの右の剣が受け止めるが、即座に『幽柳一刀流』たる由縁、ひとりでに動く魔剣のような挙動で長刀が剣に絡みつき、防御を掻い潜って切っ先が喉笛を掻き切らんとする。
それを双剣の片割れでハーヴィーはどうにか弾く。防御に優れた二刀流だからこそ、ハーヴィーはまだどうにかこの剣士に対抗できているが、しかしそれも致命傷だけ。既に全身に浅くも、深くも、裂傷を負っている。
至近距離、連続で放たれる斬撃は竜巻の如く。防いだ刃がいつの間にかわき腹を裂き、弾いた刀はいつの間にか反対側から切りかかってきている。薙ぎ払った剣は柳に切りかかるが如く受け流され、返す刃が全身を切り裂いた。
あまりに隔絶した技量。それでも、絶望せず戦意を失わない若き警官は反撃に出る。
即ち、向こうになくて己に在る強み――魔術だ。
紡ぎ出された魔術式が発光し、発動する。『
その隙に大きく後退しながらさらに魔術式を展開し、突き出した左の剣の切っ先から『
それは避ける暇もないシノノメに直撃――とはならない。その直前、剣士が足元の死体を蹴り上げ、その死体に直撃した砲弾が肉片と共に散らされてしまったからだ。
死者への無体に表情を険しくしながら、それでもハーヴィーは攻め手を緩めない。次いで突き出した左の切っ先から、『
間断なく放たれる高速の弾丸に、剣士はなお対応。摺り足で左右に揺れ動き、照準を狂わせながら身体を揺らすことで確実に回避していく。それと同時に前進、魔術を放ちながら後退するハーヴィーをシノノメは回避しながら追いすがっていた。
しかし、その攻防も一瞬のこと。魔術式が効力を失い、弾丸が弾切れとなった瞬間、シノノメが急加速。ハーヴィーが苦し紛れに放った『
反射でハーヴィーは、最も慣れ親しんだ魔術『
「くそったれッ!」
「甘い甘い」
毒づいて双剣で刺突を放つハーヴィーに、涼しい顔でシノノメが長刀一閃。
双剣が弾き飛ばされるのと同時、両手に電撃の痺れが迸り、驚愕したハーヴィーの胴をシノノメの『雷切』が袈裟に切り裂いた。
裂傷は幸いにして回避行動のおかげで浅かったものの、今度は全身に痺れが迸り、思わずハーヴィーは片膝を突く。この痺れは、まさに『
鈍る身体を必死に動かして逃げようとするも、目の前でシノノメがハーヴィーの首を刎ねる方が早い。完全な
目を見開くハーヴィーの前で、シノノメが宣告する。
「仕舞いだ」
「……ッ」
ここで終わり。またしても敗北し、今度こそ命を失おうとしている。力及ばず、最悪の連中を世に野放しにしたまま、ここで終わるのだ。
あまりにも悔しい。あまりにも口惜しい。
結局何もできなかった己を呪いながら、ハーヴィーは迫る刃をただ見つめることしかできず――しかし彼を運命は見放さない。
何かに気付き、ハーヴィーの首を刎ねる直前でシノノメが勢いよく振り返る。同時。薙ぎ払った長刀が何かを切り裂いた。それは風の砲弾、帯電する刃が瞬間的に電撃を放つことで、電離した大気が風を切り裂いたのだ。
その砲弾を放ったのは、遥か後方で息を吹き返していたイレイン。膝を突いて起き上がり、シノノメに向けた短槍の穂先にはさらに魔術式が浮かんでいる。
復活した好敵手に、喜びを隠せないように笑みを浮かべるシノノメだが、それが彼の最初にして最大の隙。同時に、相棒の復活を前に奮い立ったハーヴィーにとっての最後のチャンスだった。
身体は動かない、思考は出来る、ならばやることはただ一つ。
額に展開した魔術式が、ハーヴィーの優秀な処理速度によって刹那の間に完成。同時、放たれた『
「ぐぅ――っ!? ぬかったか!」
「っ、それが、あなたの敗因よ――!」
吹き飛ぶシノノメに、魔術式を展開したままイレインが立ち上がり、疾駆。その速度は明らかに遅いものの、踏み出す脚は力強い。彼女もまた、死を前にした相棒の為に奮い立っていた。
宙のシノノメとイレインが接敵。突き出したイレインの槍を、シノノメの長刀が受け流す。そのままカウンターの刃がイレインの眼窩を貫かんとするも、首を振った彼女の耳を切り裂くに留まる。
そこで魔剣から全身へ電撃が迸る。しかしそれでもイレインは足を止めず、着地寸前のシノノメに肩から激突。全力の踏み込みにより、今度はハーヴィーの方へシノノメの痩躯が吹き飛ばされる。そのまま倒れ込んだイレインは、執念で短槍の穂先を確かにシノノメに向けていた。
刹那、魔術が放たれる。
――
同僚に魔術を教授してもらっていたのはハーヴィーだけではなかった。お互いに己の得意分野を教えあってこそ、相棒というもの。それをこの瞬間、発揮していた。
しかし相手は電撃を喰らう魔剣を持つ剣士。吹き飛ばされながらも、シノノメは迷いなく長刀を差し出す。結果、当然のように『
それこそが狙い。
前方に差し出されている長刀。弾ける電光に目を向けてしまったシノノメは、気づかない。
背後で完成した、ハーヴィー全力の魔術に。
後方に引いた右の剣の切っ先に己の真骨頂たる雷撃の魔術式を、前方に伸ばした左の剣の切っ先にそれ以上の規模と精密さを形成する巨大な魔術式を浮かべる。
刹那、電光が弾け飛び、後方の魔術式から『
そこへ雷撃の槍が直撃し、同時、白い粒子と化して魔術式に吸収されていく。古代魔術の現象を発生させ、巨大な魔術式が完成する。
それは、かつて相対した敵――理性と知性を有する喋る魔物が、最後の瞬間に放とうとしていた究極の一撃。その魔術式を記憶に刻み、どうにか再現できないかと日々苦心して研究していたその成果だ。
十二もの魔術は用意できないから、嫌でも威力と規模は縮小したが、それでも、腐ってもそれは
その魔術の名は――『
相棒が隙を作ると信じ、絶対に命中する状況を作ってくれると信じ、今の今まで紡ぎあげた最高峰の魔術が、今、放たれる。
背後の圧力に気付いて振り返るシノノメだが、もう遅い。
空を駆ける手段を持たず、頼りの魔剣を罠にはめられたただの剣士は、もはや回避する術はないと理解し、最期に、ただ笑みを浮かべた。
✻
颶風を纏って迫る拳。速度と重さを増すその一撃を必死の思いで回避するも、直後に放たれる回し蹴りが鼻先を掠める。
それだけで顔面を持っていかれそうな風圧に顔をしかめながら、後退。追いすがる拳を避け、受け流し、隙を探るも獰猛な野蛮人につけ入る隙はない。
否、攻撃する隙ならばいくらでもあろう。しかし、それはできない。ただ敵に利するだけの行為を躊躇なく行えるほど、フェリックスは愚かではないが――取れる手段がないのは事実。
回避しながら斧槍には着々と魔術式を構築しているが、回避と受け流しに専念するあまり遅々として完成させられない。必殺の自信がある代物だが、この恐ろしく強化された蛮人に果たして通用するのか、という疑念すら己の内に持ち上がっている。
そんな苦悩を見抜いたか、それとも追いかけっこに業を煮やしたか、ギディオンが銅鑼のような大音声で叫ぶ。
「逃げてばっかりかデカブツ! そんなんで俺を捕まえるたぁ、片腹痛えなおい!」
瞬間、左足の全力の踏み込み。大地が割れ砕け、大きく右足を振り上げる。
その脚が捉えたのは、フェリックス――ではなく、ギディオンの足元にあった、切断された死体の脚。
砲弾のような勢いで顔面に迫る脚に、慌てて首を振ったフェリックスの視界に入ったのは、隙をついて懐まで潜り込んだギディオンの獰猛な笑み。
焦りと悪寒が背筋を貫き、フェリックスは反射的に斧槍を手繰り、目の前の肩口に叩きつける。しかし、無駄。深く食い込んだ刃をものともせず、ギディオンは拳を振りかぶる。
狙いは胸、心臓を一撃で叩き潰すべく、化け物めいた膂力がついに直撃する――その寸前。
横合いから高速回転して飛来する物体が、ギディオンのもう一方の肩口に激突する。重く鈍い音が響き渡り、さしもの衝撃に野蛮人も体勢を崩す。その隙に斧槍を引き抜いて下がったフェリックスが見たのは、強化魔術を霧散させて倒れ伏すマシューの姿だった。
上司をギリギリのところで救うために立ち上がったのだろうが、そこが限界。倒れた彼はもう完全に気絶しているようだった。
確かにその一撃はフェリックスを救った――しかし、神々のいたずらなのか何なのか、その瞬間こそが、ハーヴィーの『
それはもはや、青白い閃光。野太い稲妻の矢は一瞬にしてシノノメの半身を蒸発させ、その生命を断絶せしめる。長刀『雷切』を通過した瞬間に大部分を吸収されながらも、しかし究極の魔術は全てを奪われずにそのまま直進。
倒れ伏すイレインの真上を通り抜け、大気を焼き尽くしながら飛来した稲妻の矢は――射線上に立っていたギディオンの背中に直撃する。
全てを狙っていたわけではない。これはありとあらゆる偶然の上で成立した、運命だとしか言いようがなかっただろう。
凄まじい電熱が無防備な背中を貫通、強化された肉も骨も溶かし、右胸から飛び出てフェリックスの脇をすり抜け、遠い南へ消えていく。
「――――あ?」
間抜けな声を上げて、ギディオンが己の胸を見下ろす。熱に焼かれた傷口からは血も出ないが、大穴は確かにギディオンに重傷を与えていた。
ここが、フェリックスにとっての最大のチャンス。今しかない、と斧槍に展開していた魔術式を全力で完成させる。
同時、前進。隙だらけの野蛮人に、斧槍を振りかぶる。
「おおォォォォッッッ!!!」
魔術式が回転。発動し、紅蓮の光が斧槍の刃から放たれる。かつて、巨大な魔物の頭部を一撃で消し飛ばした剛撃――『
直前で顔色を変えたギディオンが回避せんとしたようだが、あまりに遅い。
ハーヴィーが作ってくれた最大の好機を活かした全力の一撃は、放ったフェリックスの鼓膜すら破る大爆音を響かせて、天高く爆炎が舞った。
それは、その後方に居たイレインやハーヴィーが余波で吹き飛ばされるほどの威力。周囲の建物の窓ガラス全てが割れ砕け、建物内に避難していた人々が悲鳴を上げる。
この圧倒的超威力の一撃は、確かにギディオンの身体を捉えており、そして、その半身を消し飛ばしていた。
斧槍が捉えた、腹部から上の右半身全てが消失。ボタボタ、と臓物や血液が零れ落ち、半身を失った体が片膝を突く。明らかな致命傷だ、生存しているはずがない。
そのはずなのに、なぜ、なぜ――ゆっくりと顔を上げることができるのか。フェリックスを睨む琥珀色の瞳はまだ、力を失ってはいない。
同時、全身を包んでいる、緑青色の魔力が爆発的に増加する。当然だ、重傷であればあるほど魔力を生成する古代魔術なのだから、半身を消し飛ばされればその分強化される。
つまり、即死を免れたこの男は、その分だけ強化されたことによって生きながらえているのだ。それどころか、強化された膂力は想像もできないほどになっているのではないか――?
先ほど以上の悪寒が背中を刺し貫き、フェリックスは倒れ伏すマシューに向けて直感の赴くまま走り出す。それと同時に、ギディオンは残った左腕をゆっくりと持ち上げていた。
「ちっ、これ、で終、いか……結構、楽しん、できたつも、りだが、終、わると、なると、ちっと、惜しいな」
血液混じりの咳をこぼしながら、ギディオンは呟く。いくら強化されているとはいえ、半身を失う怪我ではもうすぐ来たる死から逃れられはしないだろう。
ならば、最後の最後でやりたいことをやってしまうまで。
ちら、と相棒を務めていた剣士の骸を見やり、野蛮人は笑みを浮かべる。
「楽し、かったぜ、シノノメ。じゃ、あ、最期、に、一仕事、して、逝っちまうか……!」
残った拳を握りしめる。フェリックスがマシューを抱え、ハーヴィーとイレインの居る方向に向けて全力で駆けだすのと同時、ギディオンの胸と背中に残った魔術式が眩い光を放つ。
可視化された、天を衝くほどの膨大な魔力が掲げられた左拳に一点集中。禍々しい黒と化した拳は、次の瞬間、大地へ向けて振り下ろされ――
――トゥリエス全域に響き渡る大地震と爆音の後、ようやく到着した混成部隊が見たのは、大穴が穿たれたトゥリエスの中心だった。
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