12
スクーターと警察車両が風を切ってトゥリエスを駆けて行く。
エドワードの持つ羅針盤の針の指す先に従って、スクーターの先導で曲がり角を曲がった。車一台が何とか通れそうな狭い路地に入り、少し速度を落としたところで車の運転席のクリフォードが窓から声を張り上げてエドワードに話しかける。
「エドワード!」
「なんだッ?」
「カレン嬢のこと、そこまで大事なのかいッ?」
「――――」
振り返らずに応えれば、何とも返しがたい疑問がクリフォードから放たれた。言葉が後ろに流れていく風に溶け、それでも疑問はエドワードの耳にしっかりと残っている。
彼からすれば、僅か八か月行動を共にした少女の誘拐に対し、非常に錯乱して単独行動に走ったように見えたのだろう。その末の疑問は、ある種エドワードにとって究極の質問ではあったが。
それでもエドワードは小さく息を吐いてから短く答えた。
「そうだ!」
「――、そうかい、そうかい! なら、必ず助けなくちゃあね!」
ずっと前を向き続けていたが故にエドワードには見えなかったが、金髪の青年は少しだけ悔しそうな顔で笑っていた。その様子を見た隊長は、その心情を推し量りながら何も言わない。
例え、若き隊員が妹と同じ時期に入隊していたとして。
例え、若き隊員が妹と同じ時間を訓練で過ごしていたとして。
例え、若き隊員が妹に淡い恋心を抱くに至ったとして。
何かを口にすることはない。何故なら、誘拐された想い人を前に遮二無二駆けだした者としばし逡巡した者の差を、マイルズは少しだけ感じていた。
クリフォードもその差に苦さを覚え、引け目を感じている。己の想いの程度と彼の想いの丈を理解したが故に、萌黄色の瞳を薄く潰して苦笑いを浮かべるしかなかった。
*
やがて、羅針盤の針に導かれて辿り着いた先はトゥリエス西区画の廃ビルの前だった。
その上階に向けて、針は強く反応している。
それを確認しながら、エドワードは長剣を引き抜き、並び立つ二人の様子を確認した。
クリフォードはだらりと下げた右手にレイピアを握り、緊張の抜けた自然体の表情で立っている。その横で、マイルズはショートソードを抜きながら懐からアカシャ特殊殲滅部隊所属を示すプレートを取り出していた。
何かと見れば、そのプレートは淡く輝いている。視線でマイルズに問えば、彼は頷いて応えた。
「それぞれ部隊員の持つプレートには、その人物の生存を示す魔術が刻まれているんです。そしてこれは、カレンの部屋から回収した彼女のプレート。こうして輝いているということはつまり、まだ生きているということです」
「これがあるからこそ、さっきは騙されなかったのですがね」と苦笑するマイルズに、なるほどとエドワードは納得しながら唇の端を吊り上げて笑みを浮かべる。彼女が確実に無事だというのは吉報だ。
そのままプレートを左手に握り込むマイルズと隣のクリフォードに手で合図を出し、突入の意思を伝える。そして、素早く廃ビルの中に身体を潜り込ませた。
何も起こらない、つまり罠はない。
暗い一階を見渡してみても、上階への階段しか見当たらない。後方の二人を呼びながらそちらへと向かい、罠の有無を確認しながら階段を一段上り――エドワードは音を聞いた。
誰かと誰かが争う音。剣戟の金属音が鳴り響いて、女性の細い呼気がその間隙を縫ってエドワードの耳に届いた。
一瞬駆けだしそうになる己を律し、エドワードは後方の二人に再び突入のサインを示してから、階段を駆け上がる。
扉を蹴り破って入った空間は思いのほか広く、そして狭い。同時に、視界に入るものの情報量の多さに眩暈がしそうになった。
まず、入口を囲むように半円状に、びっしりと人形めいた人間たちが囲んでいる。どの人形もやや背が低いために奥まで見通すことができ、故に部屋の広さとそれを埋め尽くす人形の存在がよくわかる。
だがそれらの人形は全て、カレンの似姿をしているのだ。背が低い理由もそれであり、いくら馴染みの顔と言えど、こうも無数にあってはおぞましさを覚える。
そして、一番向こう、入口の真反対にある扉を背にして、紫ローブの女が天井付近まで浮遊して笑みを浮かべていた。
浮遊する魔女が睥睨する存在は、半円の中央で黄金の大剣を振り回す少女だ。次々と襲い掛かる人形に対し、小豆色の髪を躍らせてステップを刻み、薔薇色の瞳を輝かせながら大剣を薙ぎ払っている。
戦う少女は、襲い掛かる人形と同じ姿をしている――つまり、カレンが戦っていた。
その事実に驚いてエドワードの動きが止まるのと同時に、扉が蹴破られたことに気付いた彼女も足を止めて彼の方向を振り返る。
喜色に顔を輝かせ、唇が彼の名を呼ぶ。
その、一瞬手前で。
どんっ、という鈍い音と共に、カレンの背中が弾けた。肉片が弾け飛び、血飛沫が撒き散らされて床に赤い絵画を描く。
「――――な」
彼女の華奢な背中から、子供の拳ほどはありそうな太さの杭めいた穂先が飛び出していた。前方から胸を貫通したらしいソレの慣性に引きずられ、カレンが驚きの表情のままエドワードの方向へ倒れていく。
あまりにもゆっくりと見えるその全ての動きに、エドワードは再び心が軋んだのを理解した。
飛んだ血飛沫はエドワードの頬にまで及び、感じるその生暖かさが彼女の生を思わせる。そう、あの彼女は胸を貫かれて血を流している。
人形では、ない。
それに思い至ると同時に、エドワードはいつの間にかカレンに駆け寄ってその小さく柔らかい体を抱きかかえていた。背中に回した腕で、流れ行く命の脈動を感じる。
杭のような矢は、彼女の心臓の真下、水月を貫いていた。その凄惨な有様に息を呑むエドワードに、まだ息のある彼女が何かを言おうと唇を震わせながら、手を伸ばす。
己が入ってきたばっかりに、油断した彼女がこのような致命傷を負ってしまった。その事実に震えるエドワードの頬を、革手袋に包まれたカレンの指が優しく撫でる。
薔薇色の瞳とエドワードの碧眼が視線を絡み合わせ、そこに何とも形容しがたい輝きがあるのを見てとって、エドワードは決壊しそうな心の片隅で何かを感じた。
目の輝き、手袋、そして――。
頬をなぞるカレンの指。それに視線を向けて、その手首が球体の関節であることを見てとってしまった瞬間、怖気がエドワードの背中を駆け落ちる。
同時、薔薇色の瞳の中の魔術式が輝きを増し、頬をなぞる指が急降下。五指が首に突き立てられるようにして鷲掴み、喉仏を押しつぶして気道を圧迫した。
目を見開くエドワードの眼下でカレンの顔が侮蔑に歪み、血反吐を吐き零しながら喉を震わせて嗤う。
それは彼女の声ではない。誰か別の声。よく見れば薔薇色の瞳は彼女ほど鮮やかではなく、小豆色の髪はこんなにも色が濃かっただろうか。
近くでよく見て、ようやくわかる。彼女の死の動揺から余裕を取り戻した心は判別できていた。これは、求める彼女ではない。よく似せた何かだ。
二度も騙された愚か者を、偽物があざ笑う。あまりに滑稽な茶番に、またしてもエドワードの中の何かがブチ切れた。
押しつぶされる喉によって白熱する視界の中、怒りが脳内を席巻する。首を絞める力から逃れようと食いしばった歯は今にも砕けんとし、右手に握り占めた長剣が軋みを上げた。
その間にも偽物に動きを止められたエドワードに向けて、周囲の人形たちが殺到せんとしていた。
呼吸ができず、喉を潰され、朦朧とする意識の中でも魔術式を紡ぎあげ――それより早く、横合いから飛来したコンクリートの槍が偽物人形の頭部を粉砕した。
脳漿を撒き散らして地面に新たな絵画が生まれ、エドワードの首から人形の手が落ちる。目の前で彼女によく似た顔が砕けるのを見た彼は少し気分を悪くしながら、抱きかかえていたそれを打ち捨てて立ち上がった。
同時に紡ぎあげた『
そんな彼の周囲に、後続としてやってきたマイルズとクリフォードが周囲の人形を打ち払いながら配置についた。
足元の頭を失った人形に一瞬視線を落とし、エドワードは一言「手間をかけた」と謝罪を口にする。対し、コンクリートの槍を放ったマイルズは、やや顔色を悪くしながら「構いませんよ」と首を振った。
その二人が息つく暇もなく、クリフォードの「来るよ!」という警告の声が空を走り、同時に周囲のカレンの似姿の人形どもが襲い掛かってくる。
攻撃は手に持った凶刃と拳足、そしてボウガン。
振り下ろされる刃を避け、弾き、反撃の刹那に野太い矢が飛来する。光線を予測回避し、弾丸を見てから避けられる剣士たちには余裕をもってして回避できる速度の攻撃であれど、間隙を縫うソレは無視できる威力ではない。
回避し、弾き飛ばすのに終始する混戦。時折混じる爆裂と槍、水の刃が一瞬人形の群れを切り崩すが、それも数体。無数の同じ顔は勢いの衰える様子を見せない。
どの人形も、動きは一級品。それぞれ別の体技を修めているのは明白であり、どうやら人間を人形化したものをさらにカレンに似せて作っているようだ、というのを乱戦の中でどうにか把握する。
混戦のおかげで、その達人級の腕前の攻撃の数々が無駄に終わることが多く、それによってエドワード達の手傷は数の差に対して少なく済んでいた。
しかし、気づけば背中合わせにしていたはずの他二人とはそれぞれ離れ離れになっていて、四方八方から迫り来る攻撃を必死に捌く羽目になっている。
身を捩って回避し、飛来する矢を叩き落し、迫る人形を吹き飛ばす。しかし、その人形の顔がカレンであることに、無条件に胸が激痛を覚えるのだ。それは三人ともが同じであり、人形だと割り切ろうにも心の準備が足りていなかった。
その胸の痛みを押し隠すように、振り下ろされた長剣を弾きながらエドワードは悠然と観戦する人形師に叫んだ。
「お前は、お前は何がしたい! ずいぶん手の込んだ真似をするじゃないかッ!?」
その言葉には不可解の色がありありと浮かんでいる。わざわざエドワードの前でカレンの偽物を二度も殺す意味も、こうしてカレンに似せた人形で襲う意味もない。やっていることは無茶苦茶だ。その目的は、
そんな疑問に、メレディスは然して声を張り上げることなく、しかしよく聞こえる少女の声で答えた。
「あらあら、忘れちゃったの? 最初に言った通り、私はコレクションを増やしたいの。私だけの人形に――エドワード、あなたをその一つに加えたいだけなのだから」
「趣味の悪い女だなッ」
差し向けられる、両立した好意と悪意にエドワードの背筋がぶるりと震える。何も嬉しくない。
その隙にと向けられた短剣の一撃を振り払いながら人形師の方を見やれば、持ち上げた三日月の杖に魔力の輝きがある。同時、放たれた銀色の光線が三体のカレン人形の頭部に突き刺さり、その動きが一瞬止まった。
そして、たっぷり数秒の時間をとってから動き出したそれらは――あまりにも素早かった。
放たれるボウガンの矢すら追い抜く速度で、一体がエドワードに肉薄。彼が咄嗟に放った爆裂を背中に置き去りにして、低空からのタックルがエドワードの腰に直撃した。
そのまま抱え込まれ、持ち上げられた身体は壁際まで運ばれて叩きつけられる。息も詰まる中で、さらに拳を固めた人形の拳が水月に叩きこまれた。
体内の空気がすべて吐き出され、めり込む拳が吸気を許さずエドワードの視界が再度、白熱する。拳が引き戻されると、エドワードはその場に倒れ込んで胸を抱えて蹲った。その背中へ落雷のように振り下ろされた脚が、彼を地面に縫い付ける。
クリフォード達は助けに行こうにも、他二体の性能の向上した人形を相手取るの精一杯。むしろ押し切られそうなほどに全員が危機に陥っていた。
踏みつけられて動けないエドワードのもとに、浮遊するメレディスがいっそ緩慢に思えるほどのゆっくりとした速度で近づいていく。そして、その目の前に着地すると、つま先でエドワードの顎を持ち上げてその顔を覗き込んだ。
下から覗く女の顔は、思ったより幼い。それをギロリと睨み付けるエドワードだが、人形が踏みつける脚に力を込めると苦痛に歪んだ。その表情を愉しむように、女は嗤う。
「うふふふ、いい顔ね、エドワード。やっぱり私、あなたのこと好きよ」
「俺は、大嫌い、だ」
愛の告白とでも形容できそうなほど、熱を籠めた女の言葉をエドワードは吐き捨てる。事実臓腑の底からせり上がるものがあり、嫌悪感は頭頂部から突き出そうなほど感じていた。
そんなつれない返事にむしろ女は気をよくしたように笑みを浮かべると、三日月の杖を持ち上げる。そして、その石突を投げ出されているエドワードの左手に振りおろした。鋭く尖った先が皮膚を突き破り、骨を砕いてエドワードに灼熱の激痛を叩きこむ。
「――ぎッ」
悲鳴の込み上げた喉を必死に押しとどめ、痛みを呑み込んで見上げた視界には、紫の輝きが蹂躙していた。視界を覆いつくす人形師の巨大な魔術式が展開されている。
杖をエドワードの手に突き立てたまま、メレディスは笑みを浮かべた唇で告げた。
「本来はもっとたくさんの準備と時間が必要なのだけれど、我慢できなくなっちゃったわ。エドワード、あなたを、今ここでコレクションの一つにしてあげる。直接操ることはできなくなるけれど、その分だけ愛でてあげるから、ね?」
陶酔的な色香を纏って吐き出した言葉と共に、杖先に展開されていた魔術式が下降する。杖を伝って式はエドワードの手まで落ち、分解された魔術記号が手から彼の全身へと絡みついていった。
明らかにまずいことをされるのは明らかだが、抑え込まれた身体は何もできない。魔術式を展開しようとした瞬間に、人形が槍のように鋭く突き下ろした脚が背骨を砕く勢いで背中に突き刺さり、あまりの痛みに式が霧散してしまう。
そうしている間にもますます体を覆っていく記号は増えていき、それに合わせて体の節々が固くなっていくのだ。そのおぞましさと意味に気付いてもがくも、やはり意味はない。
見上げる女の唇がますますの弧を描き、心底嬉しそうな童女の笑みを浮かべた。
「だいじょうぶよ。あなたの相棒と一緒に、私だけの人形として愛してあげるから。何も心配することはな――」
い、と最後まで人形師は言葉を続くことはなく、何かの異変に気付いて振り返る。否、振り返ろうとして、それよりも早く事が起きた。
即ち、振り返る動きの人形師の脇を通り抜けて、突き出された黄金色の切っ先が杖を真っ二つにしたのだ。
同時、その杖に這っていた魔術式の全てが霧散。エドワードを覆うソレらも消えうせ、彼の全身に走る違和感が消え去る。
その一瞬後に、メレディスは酷く焦った動きで全力で空中へ退避。突き出された黄金の刃が薙ぎ払われ、そのままであったなら人形師の上半身と下半身は泣き別れしていたであろう軌道を描く。
薙ぎ払った大剣を制止させ、それを握る少女は大地を蹴ってエドワードを踏みつける同じ姿の人形へと肩から激突。わずかに後退したソレへ向けて袈裟に切り捨てれば、その浅い一撃だけで文字通り糸の切れた人形の如く崩れ落ちる。
抑えつける存在がいなくなったことで、痛む背中をこらえながら立ち上がったエドワードの目の前には――薔薇色の瞳を持つ小豆色の髪の少女が、黄金の大剣を白い指で握って立っていた。
それは、この空間で嫌というほど見た特徴。二人を囲むそれらと同じ姿だ。
故に、エドワードは危機を退けてもらったにもかかわらず、怯む。理性が彼女へ駆け寄るのを抑え込んでいた。
しかし、その意志の強い瞳はそんなエドワードを真っ直ぐに見つめる。彼がどんな卑劣な手段で騙されたかも知らないだろうに、ただ一言、適切な言葉を告げた。
「――信じてっ!」
「ッ」
その一言が、どれだけの威力を誇ったか。
何度も傷つけられ、軋んでいた心が疑り深い理性に全力で訴えた。これこそ、彼女だと。これこそ、求めていたものだと。これこそ、カレンだと。
エドワードは思考の余地なく無言で頷き、二度騙された上で疑問を挟むことなく彼女を、カレンを本物だと信じた。
そのままくるりと背中を向ける彼女に並び立ち、長剣を構えてその切っ先に魔術式を浮かべる。
思えば、こうして肩を並べるのもひどく懐かしい覚えすらある。それを彼女も感じたのか、二人の視線は不思議と一瞬交錯した。
それだけで充分。
引き裂かれたコンビは、今ここに、互いに向ける無条件の信頼によって復活した。
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