11

 手足から全ての力が失われた。

 エドワードは崩れ落ち、心の限り叫ぶしかできなかった。

 相棒の死は、その終わりは、エドワードの心をかつての親友の死以上の衝撃を以てして砕いてしまう。

 喉が擦り切れ、肺も限界を迎え、音が出なくなってもエドワードは叫び続けた。無音の慟哭はエドワードから全ての希望が吐き出されていくかのようであり、事実、彼の心には希望の一欠片も残ってはいない。

 己の無力を嘆き、死を苛み、エドワードの拳は地面を叩く。その骸に駆け寄りたいのに、足は全く動いてくれなかった。

 その様を、人形師は嘲笑う。

「うふ、ふふふふふふふふ。いいわぁ、その絶望した姿! 絶望した表情! あなた、最高ね!」

 恍惚の震えを抑えるように己の身体を抱き、メレディスは妖艶に叫んだ。愉しくてたまらない、面白くてたまらない。そう言いたげに口元を愉悦に歪め、エドワードを睥睨する。

 対するエドワードは、睨み返すこともしなかった。地面を呆然と見つめ、絶望の面持ちのまま沈黙している。

 そんな彼に、人形師は杖を差し向ける。淡い紫の魔力によって魔術式が構築された。構成するのは人形を操る魔術記号ではなく、もっとも単純な炎の弾丸の記号。それが今にも発動し、猛威を振るわんとして――唐突に、式が霧散した。

 気が変わった、とでも言いたげに唇を歪な三日月の形に吊り上げると、ゆったりと杖を下ろす。

 そして、ゆっくりとカレンの傍に歩み寄り、落ちた大剣を拾い上げながらメレディスはエドワードに向けて呟いた。

「ふふふ。どうか、その顔をもっともっと見せて頂戴な。そうすれば、あなたこそ人形にしてあげるわ。うふ、ふふふふふっ」

 そうして魔術式が展開され、女の身体が浮遊する。そのまま、ゆっくりと天井の大穴から出ていくのをエドワードは呆然と知覚することしかできなかった。

 何もしてこないことに疑問を抱くこともない。復讐する、という選択肢さえ浮かんでこない。全ての気力が失われている。ともすれば、地面についた手足から力が抜け、倒れ伏してしまいそうなほど。

 エドワードの中の全てが――世界ともいうべきものが、ガラガラと崩れていく。それだけ彼女が大きな部分を占めていたことに、事ここに至って初めて気が付いた。

 もはや、居なければならない存在とすら言えることに。

 どうしようもなく愛しくて、どうしようもなく恋しいことに。

 失ってはならない存在だったということに。

 気が付くには、あまりにも、遅かった。

 嗚咽が漏れる。胃の中のものをすべて吐き出す。血涙が流れそうなほど大きく目を見開いて、限界まで意識を薄くさせて。

 もう耐えられぬとばかりに、エドワードの意識は断絶した。









 不意に眩しさを感じて、意識が覚醒した。自分が起きていることを自覚して、そして何故こうして横たわっているのか理解できなかった。

 とりあえず記憶を探り――炸裂する閃光を思い出す。そして、それを悠然と乗り越えてやってくる半裸の男の姿も。その男の拳の一撃で意識を失ったことまで思い出して、ハーヴィーは目を見開いて跳ね起きた。

 視界に入った風景は、警察病院の一室。己はベッドの上に上体を起こしていた。

 点滴の打たれた腕を動かして腹を探れば、叩き潰されたはずの腹筋は元に戻り、その下の内蔵の感触もしっかりと存在している。

 同時に、そこまでしてようやく自分が生きている感触を実感した。あのまま殺されていてもおかしくはなかったのに、どうやって生き延びたのだろうか。そして、ここまで跡形もなく傷を治す医療魔術の技術など病院にあっただろうか。

 混乱したまま静止するハーヴィーに、横合いから女の声がかかる。

「おはよう、ハーヴィー。元気なようで何よりね」

「……イレイン」

 視線を向ければ、そちらには包帯まみれの痛々しい姿のイレインが、笑みを浮かべて隣のベッドの上に居た。

 なにがあった、と聞こうとして、不意にくらりと眩暈がして思わず頭を手で押さえる。その様子を見て、「急に動くからよ」とイレインが苦笑交じりに窘めた。

「血が足りてないんだから、動き回るもんじゃないわぁ。……あの後、フェリックスおじさんが助けに来てくれたのよ。向こうも何かあったみたいで、ちょうどよく撤退してくれたから、私たちはこうして生き延びているの」

「オヤっさんが……」

 尊敬する人の武勇を知り、それを嬉しく思いながらもハーヴィーは同時に己の不甲斐なさを呪う。たった二発の拳に完膚なきまでにやられた事実が、ハーヴィーに重くのしかかっているのだ。

 油断と慢心が招いた末の大怪我。相手がどれだけ怪我しようと行動するのは、事前の情報共有で少しは知っていたはずなのにこの様だ。自分の馬鹿さ加減にあきれ果て、思わず舌打ちが漏れる。

 ともあれ、自分を責めて感傷に浸る己に酔うほどハーヴィーは子供ではない。反省の末に気を取り直し、イレインに問う。

「オヤっさんは? それに、俺の怪我はどうなってやがる」

「フェリックスおじさんなら、対策本部室よ。あなたの怪我は――そうね、エドワードさんのおかげ、かしら」

「ハァ? なんであの白髪野郎が……」

 彼の名前を聞いた途端、露骨に機嫌を悪くして渋面を作るハーヴィーに、イレインはおかしそうに笑いながら答えた。

「あの人の持ち込んだ再生魔術の式を複写したものを、あなたに使ったのよ。複写に一日かかった上、一回で使い物にならなくなったから、私には使えなかったのだけれどね」

「なんだそりゃ……」

 訳が分からん、とかぶりを振るハーヴィーに笑いながら、イレインはベッドに横になる。彼女には通常の治療魔術で治療したようで、完治はしていないようだ。

 「とりあえず、彼に感謝しといたら?」「ぜってーヤダ」とくだらないやり取りを少し交わした二人だが、すぐに静かになって押し黙る。

 二人ともベッドに横になって、沈黙の中で思い浮かべるのは敗戦の無惨さ。あまりにも、圧倒的な地力の差で負けてしまった。命を失わなかったのはただの奇跡であり、二度目はない。しかし、警官として、必ずもう一度戦うであろうことはわかっている。

 その時、どうなるか。

 死が怖くない、などと嘯くつもりは二人には毛頭ない。死への恐怖があり、あるからこそそこから逃れるべく努力するのだ。戦士とはそういうものであり、そう教えられた。

 新たな魔術や戦術を覚える努力をする時間はないだろう。ならば持てる手札を駆使して、あの圧倒的に強い幹部たちに対抗するしかない。

 静かな病室で二人して、黙りこくる。思考の中で試行し、模索し、生き残るべく頭を回転させていた。

 それらが活かされるのは、僅か数時間後のことである。









「――――ッ」

 叫びかけた喉を抑え、エドワードは意識を取り戻した。正確には、誰かに叩き起こされた、というべきか。

 眼前には、心配げに眉根を寄せるマイルズの顔。その顔に浮かぶ彼女の面影に、意識を失う直前の出来事を思い出して、喉が干上がった。

 目を見開いたまま固まるエドワードに、マイルズは憔悴したようにため息を吐いて隣に座り込む。そして懐から魔術式の刻まれた紙を取り出し、ざっくりと切れたままのエドワードの肩口に押し付けて発動させた。

 柔らかな光が漏れ、その肩口に疼痛が訪れる。じわじわと断裂した筋肉と骨を繫げているのだ。即効性はないものの、コストの割に比較的効果の高い治癒魔術だった。

 その様子を眺めながら、マイルズは呆れたように呟く。

「まったく、勝手に一人で行かないでください。それだけの怪我をして、意識まで失って。あなたが今生きているのは奇跡なくらいだ」

「……マイ、ルズ」

 翡翠の瞳でじろりと睨まれるが、エドワードはそれどころではない。

 妹の死を告げるべきか、と逡巡していると、ここが意識を失う前と同じ地下空間であることに気付く。

 故に、思わず彼女の遺体を確認してしまったのは当然で、そして変わらず転がる彼女の残骸・・に言葉を失った。そして、ゆっくりとマイルズを見やれば、「ああ」と思い出したように呟く。

アレ・・がどうかなさいましたか」

「アレ、って、お前……」

 唯一の肉親の骸を前に、異常なほどこの男マイルズは落ち着いていた。信じられないようにエドワードが見つめるも、翡翠の瞳は静かに凪いでいる。激情は欠片も存在していない。

 特殊部隊として生きるのに徹しすぎて頭がおかしくなったのか、と思わず怒りがわき上がるエドワードを置いて、立ち上がったマイルズはその骸に近づいていく。

 そして、転がる頭を持ち上げて、小さくため息を吐いた。

「本当によく出来た人形・・です。兄である私でも、一瞬騙されるくらいに」

「――は?」

 彼の言葉に、そんな馬鹿な、とエドワードが絶句する前で、マイルズはくるりと手の中の頭を回転させてその小豆色の髪をかき分ける。

「カレンは十五歳の時、訓練中に崖から滑落しましてね。頭部に重傷を負い、その時の傷は今も頭頂部の下あたりに古傷として残っています。が、コレは流石にそこまで再現できていませんね。耳の裏の黒子もないし、これを妹と思うことは、私にはできません」

「……にん、ぎょう?」

「ええ。エドワードさんは騙された口のようですね。本当に、連中の趣味の悪さは吐き気を催します」

 固まるエドワードに、マイルズは苦笑しながら続けた。

「だいたいですね、この人形からは血すら出ていない。正真正銘、樹脂でできたカレン人形です。あなたも早とちりが過ぎる。冷静さを欠きすぎですよ、らしくない」

「そ、うか。そう……だったのか」

 思わず、背中からエドワードは倒れ伏した。崩れていた世界が形を取り戻し、罅だらけながら心が持ち直す。

 カレンは、死んではいない。それがわかれば十分だった。

 見事に騙された己の馬鹿さ加減に思わず笑いだしそうになりながら、しかしその裏には怒りと苛立ちと混乱が、混沌と渦巻いている。これはもう、クソッタレな茶番を演出した人形師に全力の一撃を叩きこんでやらねば気が済まない。

 全ての気力が、手足に、心に、充足している。切られた左肩ももはや気にならない。十全に動けることだろう。魔力もスタミナ増強剤を喰らえば問題ない。

 立ち上がるエドワードに、人形の頭を放り捨てたマイルズが歩み寄る。

「行きますか。クリフォードが上で待機しています。また置いていったら、承知しませんよ」

「ああ、悪かった。十分反省したよ。今度は、一緒に、あのクソ女を消し炭にしよう」

 怒りに燃えるエドワードの言葉に、マイルズは苦笑しながら同意を示す。彼もまた、妹をさらわれているのだ。同様に焦り、怒りを感じていることがエドワードにもようやくわかってきた。

 そんな彼を伴い、瓦礫を利用して大穴から外に出れば、警察車両の運転席に座るクリフォードが笑みを浮かべて手を振っているのが見える。

 その隣のスクーターに向かいながら、エドワードは懐の羅針盤を取り出す。

 黄金の針は、ゆらゆらと動きながらも一つの方向を指していた。

 再びこの羅針盤は人形師のもとへ導いてくれるだろう。ならば、その時こそ、カレンを救って見せる。

 <ユグリー通り>から我武者羅に駆けだしたときとは違う。エドワードの心境は既に、自らがカレンの為に走り出す理由を見出していた。

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