07

 崩壊の羅針盤コラプスゲートの幹部たちとの戦闘から、何事もなく二日が経過していた。

 あの後、遅れて到着したフェリックスら警官に救助された四人だったが、誰もが瀕死に陥るほどの重傷を負っていた。およそ一刻の猶予もないほどに。

 いくら国立病院でもこの怪我では、とフェリックスが顔を歪めたところに助け船を出したのは、意外にも最も怪我の具合の酷いエドワードだった。無理やり引きちぎられた左腕は、もはや繫げることなど不可能なほど破壊されているというのに、それでも顔を真っ青にしながら大丈夫だと言い張ったのだ。

 そうして苦労しながら懐から取り出したのは、恐らく国立病院でもお目にかかれないほど精密かつ高度な技術を用いて描かれた魔術式を刻んだ布。そこへ自ら傷口を抉るようにして噴き出させた血液をかけ、その上に千切れた左腕と共に寝転がれば、目も眩む閃光の後に肉体の再生が始まったのだ。

 欠損した左腕は離れ離れになった上腕から下を魔力の糸で繋ぎ、そのまま肉を盛り上がらせ神経を伸ばして完全に再生させた。粉砕された右肩も、飛び散った骨を魔力の糸が元の位置に戻して再生させたのだ。

 この、恐ろしく高度な再生魔術はエドワードが自ら開発したもの――ではない。三か月前の仕事の報酬として貰った、王族の血にしか作用しない再生魔術を改良したものだ。

 治療を受ける者の血であればだれにでも使えるようにどうにか改良できたのだが、いくらかダウングレードせざるを得なかったところも多くある。

 古代魔術としてまず必要な条件である血だが、およそ貧血に陥るほどの大量の血液量でなければならない。そして再生力も低下し、消失した足を完全再生させるほどの能力はもうない。せいぜい千切れた手足を完璧に元に戻せるくらいだ。それでも、国立病院の能力を十分超えているのだが。

 この再生魔術を用いて、内臓が今にも零れそうになっていたクリフォード、胸郭が砕かれ呼吸もままならなくなっていたマシュー、そして体中に穴を開けた上内臓を貫かれていたマイルズを、どうにかこうにか治療できたのだ。四人分の大量の血液を浴びた魔術式はそこで使い物にならなくなったが、全員を治療できたので問題はなかった。

 とはいえ、必要とした大量の血液まで補填してくれるほど便利な魔術ではなく、立つこともままならない四人はそのまま警察病院で二日間体力回復に努めることになった。

 その間に、当然この再生魔術の出所を聞かれたエドワードだが、そこは三か月前のことを引き合いに出してフェリックスを黙らせた。今でも、あの件は一部の人間しか知ってはならない事柄なのだから。

 尤も、それ以上に崩壊の羅針盤コラプスゲートの幹部らしきドレス姿の女の言葉の意味を探ることの方が、今の警察にとっては大事だったので探るような真似はすぐになくなったのだが。


 ドレスの女が残した言葉。

 このトゥリエスで、『前夜祭』を開催するのだという。何の祭りか見当もつかないが、エドワードの頭にはどこかひっかかるところがあった。

 貧血で回らない頭を使って一日かけ、そしてようやく思い出したのは、黄金の羅針盤に同封されていた紙片に書かれていた文言だ。

 『復活前夜祭へ招待しよう』、という言葉。そして黄金の羅針盤を、幹部であるヴァレンタインも持っていたことから、それらが崩壊の羅針盤コラプスゲートと関連があるのは明らかだった。

 何故、エドワードにそんな言葉と羅針盤を送り付けたのか。

 何が、復活するのか。

 何を、この『祭り』で行うというのか。

 謎は深まるばかりであり、虚言と切り捨てるには組織としての危険性が高すぎる。では何が起きるのかと、崩壊の羅針盤コラプスゲート合同対策室の面々は二日の間、緊張の糸を張り詰めて過ごすことになった。

 結果としては、これまでの連続殺人事件の騒ぎが嘘のように何も起こらず、神経をすり減らすだけに終わったのだが、それが尚組織の不気味さを克明にしたのだった。

 後手に回るしかない組織への対応と何もできない現状。対策本部室となった警察署のとある会議室を、体力の回復した四人が訪れたのは、そんな時だった。

 フェリックス含め、誰もがピリピリとしている。いつ起こるともわからない事件に神経がささくれだっているのがよくわかる。病室のベッドで寝ているだけしかできなかったエドワード達でさえ心を消耗していたのだから、行動力を持て余していた彼らの方が辛いところがあっただろう。

 そんな空気を良くないと見たか、マイルズがわざと大きく明るい声を出して注目を集める。

「皆さん、ヴァレンタインの持っていた黄金の羅針盤に関する調査結果が、つい先刻届きましたよ!」

 分厚い資料を片手に、笑みを浮かべて言う。会議室に入る前に手渡されていたので、本当につい先ほど調査が終わったのだろう。

 部屋中央に投影機を引っぱり出し、マイルズは以前説明を行ったときと同じように白い壁に青い光を投影する。

 映し出されたのは、拡大された羅針盤だ。投影された羅針盤の針が、ゆっくりと動き出す。

「こちらの羅針盤ですが、どうやら内部に刻まれた魔術式に従ってのみ、動くようです。その式を読み解いたところによれば、特定の人物、或は物にのみ反応し、そちらの方向を指すようですね。反応距離に関しては測れなかったのですが、どうやらその特定の人物、物が魔力を発露した場合に強く反応しやすいようです」

 資料を見ながら投影機の映像を操作し、マイルズは解説する。映像の針がゆっくりとエドワードの方を向き、それを見てなんとなくエドワードが懐から取り出した羅針盤は、なんと針が動いていた。方向は、マイルズの居る方向。

 思わず目を見開く彼に、マイルズは懐から同じものを取り出して見せる。その羅針盤も、エドワードの方向を針で指していた。

 「こういうことです」と言って、言葉を続ける。

「どうやら、同じ羅針盤同士で反応しあうようですね。これまでエドワードの羅針盤が崩壊の羅針盤コラプスゲートの幹部に反応していたのは、彼らが羅針盤を持っていたからか、それとも幹部本人に反応していたからか、ということになります。そんなものを何故エドワードに送ってきたのかは、まあ、不明ですが……」

 言葉尻を濁して困ったように言うマイルズに、フェリックスが気にするなとでも言いたげに笑みを浮かべる。そもそも皆が頭を悩ませてきたことなので、誰もわかっていないことを突っ込むことはなかった。

 やや生暖かい視線になったのに気づいたのか、マイルズは咳払いして続ける。

「ともかく、これがあれば幹部連中の所在を突き止めるのに役立つでしょう。一つは、連中の思惑を確かめるために、引き続きエドワードに持ってもらうとして、もう一つのこれはフェリックスさんに持っていて貰いましょうか」

「む? お前さんでなくていいのか? これまでずっと連中を追ってきたのだろう?」

「このトゥリエスに詳しい人が持っていた方が、色々と役に立つかと思います。それに、これから私はエドワードと行動を共にするつもりなので、せっかくの探知機・・・を集中させる意味はないでしょう」

 フェリックスの疑問に、マイルズは肩を竦めて言う。行動を共にするという初耳の言葉にエドワードは少々驚くも、特に異論を唱える意味もないので頷いて応えた。

 続けて、マイルズは投影機を操作して、羅針盤の上部を透過。空洞の中身が映し出され、内面にびっしりと刻まれている魔術式が露わになった。

「さて、ではこれの内部ですが、先ほど言ったとおりの効果を示す魔術式のほかに、もう一つ刻まれています。というより、こちらが八割を占めているようですね。例の、ヴァレンタインがこの羅針盤から得た膨大な魔力のもとと言えるでしょう。羅針盤内部に留め置いた魔力を所有者に分け与える魔術のようですが、残念ながら発動方法まではわかりませんでした。我々には使えない、と思っておいた方がいいでしょう」

 マイルズの言葉は、転じて、幹部連中はこれを利用してくる可能性がある、ということだ。ヴァレンタインのあの数の猛威を知る警官たちは少し顔色に緊張を滲ませ、重く頷く。

 「わかったことはこれで以上ですね」と投影機の機能を切って、マイルズは一息ついた。

 黄金の羅針盤の機能はよくわかったが、先のマイルズの言葉通り、なぜこれがエドワードのもとにあるのかがわからない。もしや住所でも間違えたのか、なんて下らないことを考えながらエドワードは手の中の羅針盤を眺める。

 相変わらず、マイルズの方を指してい――ない。

 エドワードの方向を、指していた。身を捩って身体を動かしてみると、それにあわせて針は動き、会議室の窓の外を指す。方角はおそらく南東、<ユグリー通り>や<ブリンク通り>のある方向だ。

 エドワードの動きに気づいたか、それともマイルズも己の手の中の羅針盤の変化に気づいたか。同時に顔を跳ね上げて視線を合わせた両者の耳に、荒々しく開け放たれる会議室の扉の音が届いた。

 警官の一人だろうか、制服を身に着けた男性が、息急いきせききって叫んだ。

「<ユグリー通り>にて事件発生! 大量の猛獣が突如出現し、通行人に襲いかかっているとの通報が入っています! さらに、謎の魔術式も――」

 それだけ情報があれば十分だった。崩壊の羅針盤コラプスゲートの関与を疑うには十分すぎ、エドワードとマイルズが尚も言葉を続けようとする警官に向けて走り出す。

 仰天して道を譲る警官を無視し、走りながら装備を確認するマイルズが反応の遅れているクリフォードの肩をひっつかむ。

「クリフォード、ぼーっとしてないであなたも行きますよ! フェリックスさん! ここの指揮は任せます、増援の要請や更なる通報に備えてください!」

「お、おい!?」

 行動の早すぎるマイルズらにフェリックスが制止の言葉をかける前に、三人は会議室を飛び出していた。

 どこを掴むともしれずに伸びたフェリックスの右手が、扉の向こうから投げられた何かを偶然に掴んだ。それは、マイルズの持っていた黄金の羅針盤。それを見ながら、フェリックスは呆れ顔で呟いた。

「兄妹そっくりなことだな……」

 小さく嘆息する彼に、更なる別の事件の通報が届いたのは、間もなくのことだった。









 警察車両を使うより裏道を通った方が早い、というエドワードの言葉を信じ、三人は己の足で全力で駆け馳せ、僅か十分弱で<ユグリー通り>の北端に到着していた。

 眼前に伸びる、まっすぐな<ユグリー通り>。エドワードが飽きるほど目にした常の光景はそこになく、平和なはずの大通りは阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 暴れ回る大型の肉食獣達と、それに襲われ悲鳴を上げる一般人達。こんな町中に現れるはずのない大熊や巨大蜥蜴、虎に獅子が、悲鳴を上げて逃げ回る人々に興奮して我先にと襲いかかっているのだ。

 だが、何よりも三人が絶句せしめられたのは、そんな中に混じって暴れ回る――化け物・・・

 一見した姿は、そこらで暴れる大熊と変わりない。しかし、その胸や背中には、慟哭の涙を流し続ける人面が浮かび上がっていたのだ。

 それを見て、エドワードの記憶に閃光が爆ぜるような勢いで数ヶ月前のことが蘇る。

 家出娘の捜索、大学生の魔術研究サークル、熊と青年、不可解に発動した魔術式、そして――合成獣キメラ

 エドワードが慌てて長剣を抜き払いながら<ユグリー通り>の地面に視線を走らせれば、そこら中に精緻な魔術式が深く刻み込まれているではないか。

 どこか見覚えるのあるそれは、間違いなく四ヶ月ほど前の事件時に見た式だ。

 今も、視線の先で女と狼が式に乗った途端、式が光り輝き、粒子となって吸い込まれた両者は次の瞬間には一つの異形となって姿を現していた。

 あの時と全く同じ現象、魔力を流さなくとも勝手に発動している。

 その事実に焦り、全力で魔術式を紡ぎ上げながらエドワードは口早に叫ぶ。

「地面に刻まれているのは『合成生誕キメラバース』だ! あれは人と獣が乗った瞬間発動するように仕組まれているぞ、すぐに壊せ!」

「『合成生誕キメラバース』ですって!? ……やはり、崩壊の羅針盤コラプスゲートの仕業ですね。連中の常套手段です」

 式を紡ぎ上げ、発動した『爆裂エクスプロード』で間近の地面の式を爆破するエドワードの横で、マイルズが苦渋の色を顔に滲ませて呟いた。

 どういうことか、と視線を向けるエドワードに、クリフォードが代わって答える。

「連中、どうやら合成獣キメラの研究に熱心だったようでね。奴らのアジトを突き止めると、だいたい合成獣キメラが居たよ。だから、こんな真似できるのも奴らだけっていうことさ」

 レイピアを引き抜き、その先に魔術式を浮かべ始める彼の顔色もマイルズ同様に悪い。その意味を、すぐにショートソードを抜いたマイルズが答えた。

「……『合成生誕キメラバース』の最も性質の悪いところは、材料にされた人を、助けることができないというところです。合成獣キメラにされたが最後、彼らを救う手立ては、もはや殺してあげることしかないのです」

「――っ」

 告げられた事実に、エドワードは意味のある言葉を発することができなかった。それなら、自分たちが到着するまでに異形となってしまった人たちは、どうなるというんだ?

 絶句する彼のの視線の先で、また一人、式の上に獣とともに転がり乗ってしまう。

 思わず声をあげそうになったその目の前で、その人は光と共に既に異形に変えられていた。

 獣の背中で、涙と鼻水を垂れ流して呻くその人と、視線があったような気がした。

 助けてくれ、と。

 言葉にされなくても何を訴えているのか、わかる。だが、その手立てが、ない。

 思わず爆裂魔術を放つエドワードだが、その矛先は異形に向かず、その真下の式を打ち砕いていた。爆風に吹き飛ばされる合成獣キメラに、追撃の手は、出ない。

 手の止まったエドワードの前に、マイルズが躍り出る。その手のショートソードの切っ先から放たれた魔術式は異形の足下に落ち、発光。エドワードが声を上げる間もなく、足下から突き出した槍に異形は貫かれ、声もなく絶命した。

 知らず、エドワードの握った長剣が震え出す。三ヶ月前の、サドの時とは違う。あの時も一般人に手を挙げたが、あれに殺す意志は乗っていなかったし、最終的に殺したのはサドの短剣だ。

 しかし、今回は、明確に人を殺さねばならない。他ならない、その人のために。

 合成獣キメラになったからといって、死んでいるとカウントするには、胸や背中に浮かぶ人面の苦悶の表情があまりにも悲痛すぎる。助けを求める視線があまりにも本物すぎるのだ。

 固まってしまったエドワードに、マイルズは背中越しに優しく言葉をかけた。

「……無理に殺す必要はありません。トドメは私とクリフォードがやりましょう。あなたは、式の破壊を優先してください」

「だが……っ」

「気負う必要はありませんよ。ただの役割分担です。後方支援に徹し、崩壊の羅針盤コラプスゲートの襲撃に備えてください。あなたのすべきことは、それだというだけのことです」

 少しだけ後ろのエドワードに向き直り、常の優しげな笑みを浮かべるマイルズ。それにエドワードが言葉を返せぬまま、彼はクリフォードを伴って前へと駆けだしてしまう。

 言われたとおり、式を構築し、地面の魔術式に照準を合わせ、放つ。砕ける音を聞きながら、エドワードの胸には激痛と燃え上がる炎が去来していた。

 かつてのトラウマに比肩する、心に突き刺さる痛み。人を殺すという罪の意識とそれを前方の二人に任せきってしまう自分の弱さが、痛みとなって胸を刺す。

 まともな人間なら、ここで心が折れてしまうだろう。なんて効果的な手法をとるのだろうか、崩壊の羅針盤コラプスゲートという連中は。

 だが、それと同時に、ちっぽけなプライドと連中への怒りが胸を内側から焦がしている。

 それでいいのか、お前は。

 そんなものじゃないだろう、お前は。

 焚きつけるように炎はエドワードに囁きかけ、その煽動に乗れないほど、エドワードは臆病者ではなかった。

 式を構築する。照準を合わせ、そして――合成獣キメラに向けて、魔術を放った。

 炎の槍が大気を灼きながら空を裂き、異形と化した大熊の頭部に突き刺さる。高熱が頭蓋とその内部を蹂躙し、確かにその命を絶命せしめた。

 同時に、痛みを共有しているのか、人面が絶叫。獣の胸にある双眸はエドワードをしっかりと睨みつけ、そしてすぐに光を失った。

 それを確かに受け止め、胸に突き刺さる痛みを感じながら、エドワードはさらに魔術を構築し、放つ。地面の式ごと合成獣を打ち砕き、今度も絶命させる。

 マイルズとクリフォードに続くように前へ進みながら、エドワードはそれを繰り返した。

 魔術を放つ度に胸が痛む。慣れることはないだろうが、それでいい。痛んだ数だけ人を殺したのだと確かに自覚しながら魔術を放ち続ける。

 時に人を助けながら、三人は式と合成獣を駆逐し続け、ついには<ユグリー通り>中ほどにあるエドワードの探偵事務所の前まで到着した。

 そこでついに、三人は事態の元凶と邂逅する。

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