05

 牢屋で厳重に拘束されているはずの男が目の前にいる。

 その事実に混乱するエドワードの頭の片隅で、現状への分析が冷静に進められていた。

 相手は崩壊の羅針盤コラプスゲートの幹部の一人、これまで幾度も脱走してきたことから同様にどうにかして脱走したのだろう。そしてその戦闘能力は、分身を作って一対一を多対一に変える反則技であり、その使用タイミングはいつでもどこでも可能ということ。

 つまり――

「――こういうことか!」

 結論に達したエドワードは、振り返りながら刃を薙ぎ払う。同時、肉を引き裂き骨を砕く感触を手に覚え、遅れて視覚情報に顔面を真横に切り裂かれた二人目のヴァレンタインの姿が飛び込んでくる。

 切れ味鋭い長剣に頭を真っ二つに切り裂かれ、ずるりと頭の上部がずれ落ちるのと同時にその手から剣が落ち、全身が淡い魔力の光になって消えていった。

 二段構えの奇襲を見事見抜いたエドワードだが、それを喜ぶ暇はない。

 もう一度振り返って元の方向に向き直れば、こちらへ駆け馳せるオリジナルの姿。既に分身の生成を果たし、三人となって迫っていた。

 対し、エドワードは一歩後退し、落ちていた長剣の柄を蹴るように踏み抜いて立ち上がらせる。そのまま踏んだ足で長剣を蹴りあげれば、丁度よく体のすぐ横に剣が跳ね上がった。そんな曲芸めいた動きをしながら左手で長剣をつかみ取ると、間髪入れずに真ん中のヴァレンタインに向けて投げ放つ。

 三人のヴァレンタインのうち、左右の二人は膨らむ軌道を描くように左右に分かれ、真ん中の一人は回転しながら迫る長剣に立ち向かうように直進してきた。

 そして、迫る回転刃をヴァレンタインが右手の長剣で弾いたその瞬間、胸を光の弾丸に貫かれて風穴を開け、魔力になって消え去った。

 間髪入れない魔術攻撃によって一人を殺しつつ、左右から迫るヴァレンタイン達を見極める。左から迫るヴァレンタインが全身に剣を背負っている、つまり、きっとオリジナルだ。

 そちらへ向けて二つの『爆裂エクスプロード』を連続発動。咄嗟に右へ転がって一発目を避けたヴァレンタインを、回避先を予測していた二発目の爆発が吹き飛ばした。しかし、直撃ではなく、驚異的な運動能力で後方に跳び退ることで回避され、爆風に吹き飛ばされただけだ。

 追撃を加えたいところだが、それよりも早く右のヴァレンタインがエドワードへの肉薄に成功する。

 振り下ろされる長剣を、エドワードは右足を引いて半身になることで回避。即座にカウンターで長剣を突き出せば、ヴァレンタインの腕を掠めるだけに留まる。横に転がることで回避されていた。

 立ち上がると同時に放たれるヴァレンタインの刺突を、剣を跳ね上げることで弾いて阻み、左手を突き出してそこに浮かぶ魔術式を発動。『雷槍ライトニングジャベリン』の青白い電撃の槍が射出され、ほぼ至近距離のヴァレンタインの胸に着弾する。

 電熱が肉を破り骨を溶かし、背中へ突き抜けて絶命せしめた。魔力になって消えていく死体をすぐに視界から外しながら、オリジナルのほうに振り返れば、そこにはまたしても四人に増えたヴァレンタインが陰湿な笑みを浮かべて立っていた。

 きりがない、と表情を歪めるエドワードに、オリジナルのヴァレンタインが舌を出して笑いかけた。

 それにおぞましさを感じる一方、どこか違和感を覚える。なぜすぐに向かってこない? 殺意ばかりが漲っているくせに、狂人にしては理性的だ。

 疑問を覚えつつも、一か所に固まっている今がチャンスだ、と魔術式を紡ぎ始めたところで――鋭い警告の声が耳に刺さった。

「――エドワードさん、後ろですッ!」

 誰の言葉か、などと判じている暇はないと判断。ほとんど反射的に振り返って縦に掲げた刃に、首を狙って薙ぎ払われた白刃が喰らいついた。

 ギチギチと硬質な金属音を鳴らして喰らいあう刃の向こう側に、狂気の笑みを浮かべたヴァレンタインの顔。三度目の奇襲が、そこにはあった。

 まだ手札を隠していたか! 苛立ちながら剣を弾き飛ばせば、目の前の狂人の体の陰からもう一人のヴァレンタインが飛び出し、強襲。振り上げられる逆袈裟切りを払い、返す刃で紡いでいた魔術式を発動した。

 爆裂が巻き起こり、目の前の二人を吹き飛ばす。とにかく距離を、と後退しようと思ったところで、後ろには四人のヴァレンタインが残っていることを思い出した。

 そちらへ振り返ろうと思ったところで、爆風をものともせずに突き抜けて飛び出したのは、またもヴァレンタイン。無傷の様子から、新たな三人目であろうが、それを判じる余裕はエドワードにはない。

 突き出される長剣を危ないところで受け止め、前蹴りを直撃させている間に、煤けた様子ながらも動きに不足のない二人のヴァレンタインが前方の左右から迫る。それを見ている間にも、エドワードの後ろから迫る気配の数々。

 左右から放たれる薙ぎ払いをしゃがみこんで避けながら、どうすればいい、と迷う。前に対応していれば後ろから刺され、かといって前を無視するわけにもいかない。援護を期待しようにも、ちらりと見えた限りではマシューとクリフォードは下部組織の連中と古代魔術師に手古摺っているようで、あれはどちらかというと足止めされているようにも思えた。

 一人で戦うことのなんと辛いことか。カレンさえいれば何もかもが解決する問題の数々に、思わず顔に苦汁を滲ませながら左手から『障壁シールド』を展開。前方からの攻撃をとにかく遮断し、決死の覚悟で後ろに振り返る。

 結果、目にしたのは八つの刃。八対の黒曜石の瞳が半円状にエドワードを囲んでおり、その手に握る八本の剣を彼に向けて突き出さんとしていた。

「くそがァ――――ッ!?」

 増えている、などと思考する暇もない。放っておけばどんどん数を増やす、まるで単細胞生物のような有様の敵に、思わず絶叫して剣を振り回すも、それで弾けるほど刃の包囲網は甘くない。一閃で数本を弾くも、二閃目を切り返して放つ間に残りの切っ先がエドワードを貫くだろう。

 死の予感を前に、引き伸ばされるエドワードの体感時間。ゆっくりと迫ってくる刃の数々を見る目が恐怖にひきつる最中、ぼこりと僅かに隆起する大地の姿を捉えた。

 次の瞬間、雷速もかくやという速度で、大地からエドワードを中心とする円筒状の土壁が隆起。一瞬にして土壁に囲まれ、視界を茶色一色に染められたエドワードの耳に、剣が壁に弾かれる硬質な音が聞こえてくる。

 当然これはエドワードの仕業ではなく、では誰の魔術か、と土壁から感じる魔力に疑問を感じていれば、その魔力が急に膨れ上がる。

 反射的に『障壁シールド』を展開しようとしたエドワードの前で、円筒状の土壁が外側へ向けて爆散。吹き飛ぶ破片が無数の飛礫となって土壁を囲んでいたヴァレンタインたちを打ち据え、当たり所の悪かった数人の狂人が魔力になって消える。

 そんな中、足に飛礫が直撃して倒れこんだ一人のヴァレンタインに、飛び掛かる影が一つ。何事かとそちらへ視線を巡らせるエドワードの前で、小剣ショートソードに首を搔き切られた分身が消失する。

 そのショートソードを握りなおすのは、額から汗を滴り落とすマイルズだった。その姿を認めてようやく、エドワードは先ほどの警告が彼のものだったことを理解した。同時に、先ほどの土壁も彼のものであったことも。

 闖入者を警戒したのか、はたまた気まぐれか、ヴァレンタインたちが距離をとるのを見ながら、エドワードは肩を並べるマイルズに礼を述べる。

「助かった。だが、なぜここに? こいつらがここにいるのもだ」

「それは、まったくもって我々の落ち度としか言えません。本当に申し訳ない」

 エドワードの疑問に、マイルズは息を整えながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。悔恨の極み、と言いたそうな口ぶりに、エドワードが視線をちらりと向けて先を促せば、ショートソードの切っ先に式を構築しつつ答える。

「これまでの脱走方法と同じく、どうやら外に置いておいた分身体に救出させたようです。襲撃をかけられまして、混乱している間にまんまと逃げられてしまいました」

「これまでの、って知っていたなら、なぜ何も対策していなかったんだ!?」

「していましたとも! ですが、まさか――」

 と、唐突にマイルズは口をつぐんだ。冷や汗が彼の額から頬に流れ落ち、その尋常ではない様子にエドワードも思わずその視線の先を辿る。

 視線の先、住宅街の北へと伸びる道の上に、ぞろぞろと列入り乱れて走って迫り来る人の群れがあった。

 下部組織の新手か、あるいは警察の増援か、と予想したエドワードは、即座にそのどちらもが間違いであることを知る。

 最前列、その後ろの列、さらにその後ろの列。全ての人間の群れの顔が、同一人物――ヴァレンタインの顔だった。

 手に握る武器は鉄パイプや包丁などバラバラだが、その数は五十を下らない。今現在暴れている下部組織の数が三十名程度だといえば、その恐ろしさは誰にでも十分に通じるだろう。

 恐ろしい数の分裂体に絶句するエドワードとマイルズに、二人を囲むヴァレンタインたちが静かに、しかしおぞましい声色で笑い出す。

 輪唱するような響きあう笑い声の中、マイルズが苦渋の表情で告げた。

「まさか、二百を超える分裂体が襲ってくるとは思いませんでね。とにかく、刑務所を襲う無数の分身はフェリックスさんを指揮官とした部隊に任せ、いつの間にか逃げた本体のヴァレンタインを追ってきましたが……どうやら、私も追われていたようです」

「冗談じゃない……何かないのか、あんな数で同時に襲われちゃたまらないぞ」

 喋っている間にもヴァレンタインの群れはどんどんと近づいており、二人を囲む十名弱のヴァレンタインもじりじりと包囲を狭めている。

 それに、背中合わせになって警戒しながら、マイルズは困ったように言った。

「分裂体も所詮は魔術で構成された存在なので、カレンの魔術殺しマジックキラーで散らせます。が、愚妹カレンはいないので意味はありませんね。そして何とか一部を解析できた奴の魔術ですが、どうやら古代魔術のようで、肉体を失うことを条件に発動していることまでは分かったのですが……」

「どこを失っているっていうんだ? 何も様子は変わってないぞ」

「そうなんですよね……参ったな」

 背中で苦笑いしているマイルズの気配を感じながら、エドワードも現状を笑い飛ばしたい気持ちでいっぱいだった。そして冗談であれと願うのだが、向かってくる群れと周囲の包囲網は消えたりはしない。

 数の圧力は何か月か前の大量発生スタンピードのほうが遥かに強烈だが、かといって数の暴力には変わりない。しかも獣ではなく理性があり技巧を駆使する人間である。脅威度は大量発生に比肩するだろう。

 とにかく、密集しているヴァレンタインの群れに爆裂魔術を叩き込みたいエドワードだが、それを許さないのが周囲を囲むヴァレンタインたちだ。意識をそらすような隙あらば、即座に襲い掛かってくることだろう。

 なにより、既に包囲網との距離はあと一足で間合いに入るほど。とても無視できず、それどころか目の前のヴァレンタインの息遣いも手に取るようにわかるくらいだ。ならば、それを利用するまで。

 息を吸い、吐き、吸い、吐き――その瞬間、呼吸を読んだエドワードの前触れなく放った刺突が正面のヴァレンタインに襲い掛かった。

 その狂人も咄嗟に剣を払って弾こうとするも、呼吸を外されて力の入らない打撃では軌道を若干ずらすに留まり、切っ先が肩口に突き刺さる。それに反応して周囲のヴァレンタイン達が動く前に、エドワードは突き刺した切っ先に紡いでいた魔術式を発動。

 『大爆裂エクスプロード・マキシマム』が切っ先から発動、強烈な衝撃波すら巻き起こすほどの莫大なエネルギーで引き起こされた爆発は、正面のヴァレンタインを粉微塵にしながら周囲の数人のヴァレンタインも巻き込んで吹き飛ばす。

 さらに発生した衝撃波によって、エドワード側に半円に囲んでいたヴァレンタイン達も吹き飛ばされ、地面に転がった。

 ある程度指向性を持たせていたため、エドワード自身に対して被害はなし。魔術一つでいとも容易く半壊させたことにすこし違和感を覚えつつ、即座に振り返ってマイルズに襲い掛かってくる残りのヴァレンタイン達に向き直る。

 マイルズの左、小剣を持つ手と反対側から襲い来るヴァレンタインの斬撃を長剣で防ぎ、片手で弾き返して前蹴りを一撃。後方に蹴っ飛ばしながら、続けて迫るヴァレンタインに刺突を見舞う。

 剣を立て、刀身の腹でエドワードの一撃を受け止めるヴァレンタインだが、次の瞬間、刺突の勢いに負けて足が止まるどころか浮き上がり、後方へと吹き飛ばされてしまった。

 無論、剣士として日頃の鍛錬を毎日適度に行っているエドワードだが、かといって自分とそう身長と体重の変わらないであろう大の男を片手の一撃で吹き飛ばすほどの筋力はない。

 何か違和感がある。横でマイルズが二人のヴァレンタインの攻勢を容易く捌き、足を切り裂いて転がしているのを見ながら、己の内側に生じた違和感の正体をつかもうとする。

 先ほどの爆裂も窓ガラスを割れるくらいの衝撃波とはいえ、踏ん張って耐えれば立っていられるだろうに、あっさりとヴァレンタインは転がされていた。

 これまでの戦いでもそうだ。多少なりとも鍛えられているであろうヴァレンタインの全体重を乗せた振り下ろしや、勢いのついた刺突を、エドワードの片手でしか握っていない長剣で容易く弾くことができていた。

 そして、そのことと、先ほどのマイルズの言葉。『肉体を失うことを条件とした古代魔術』。一見して何も失っていないということは、つまり見えないものが失われているのではないか。

 その考えに至った瞬間、電撃が奔ったようにエドワードの頭の中で、ある考えが閃いた。

 閃きを確かめるべく、爆裂に転がされていたヴァレンタインが立ち上がって低い姿勢で突撃してくるのに備える。そして、激突。

 放たれた刺突を、やはり容易く剣をぶち当てることで軌道をそらし、その直後にエドワードはしゃがみこんだ。そして、大地を蹴って体を回転させながら脚を薙ぎ払えば、ヴァレンタインの足に直撃。

 足を刈られ、狂人がバランスを崩して倒れこむところに、エドワードが長剣の切っ先を拳に見立ててアッパーカットのように突き上げれば、一瞬にして顎下から脳天に刃が突き抜けた。

 そのまま、魔力になって消える前に剣に突き刺さったヴァレンタインを天高く持ち上げる。だらりと四肢を投げ出してされるがまま持ち上がるヴァレンタインの、その、体の軽さ・・にエドワードは口の端を吊り上げた。

 剣を下ろし、魔力になって消える死体から視線を外してマイルズに向けて叫ぶ。

体重・・だ! こいつは、体重を条件に分裂体を生み出している! 脂肪、内臓、筋肉、骨――とにかく肉体を構成する全てから重さを少しずつ削ることで古代魔術を発動していやがる!」

「っ、なるほど。それなら見た目にはわからないし、攻撃の軽さも理解できます、がっ!」

 エドワードの言葉に、ヴァレンタインの攻撃を捌きながら応じるマイルズの顔には苦い色。

 体が軽いからといって、その弱点を突いてできることは非常に少ない。そしてその手札をもたないマイルズには、どう攻略すればいいか見当もつかない。

 だが、毎晩の魔術研究を欠かさないエドワードの脳内には、ヴァレンタインの魔術の真相を解き明かした時点で、ある魔術の式が浮かび上がっていた。

 エドワードがその魔術式を紡ぎ始めたところで、『大爆裂エクスプロード・マキシマム』によって吹き飛ばされていた一人に視線が止まる。起き上がろうとするその体中には剣が携えられており、そして額からは大量の魔力が放出されていた。

 オリジナルだ、と判断するのと同時に、背中を冷たい汗が流れ落ちる。ヴァレンタインの額から放たれる魔力量は、明らかに人間が持てる魔力量を超えている。比較的魔力の多いエドワードの全力に対し、その十倍はあろう。

 そんな魔力を持つ理由、心当たりはあった。逮捕される寸前に、黄金の羅針盤から吸収した莫大な魔力だ。それを今の今まで保持し、そして今ここで利用しようとしている。

 止める間もなく、ヴァレンタインの唇が三日月を描き、額の魔力が式へと変化して発動してしまった。

 狂人の全身が、陽炎のように揺らぐ。その揺らぎは徐々に左右に大きくなり、次の瞬間、閃光を炸裂させた。

 咄嗟に腕で視界を覆った瞬間、何かが高速で真横を通り過ぎる。何事かとそれらを目で追った直後、思わず式を構築する意識が停止してしまった。

 エドワードは腕を下ろし、周囲を見渡す。マイルズもショートソードを構えたまま固まり、呆然とその光景を眺めていた。

 思わず背中を合わせて立ち竦む二人の周囲を囲む――無数の・・・ヴァレンタイン。

 うじゃうじゃと蠢き、嗤い、体を揺り動かして二人を見つめるのはおよそ三百を超える人間であり、すべて同じ顔というおぞましいものだった。しかもその全てには長剣が握られ、鈍色の輝きを真っ赤な舌で舐っている。

 その規模は、迫っていた五十のヴァレンタイン達と下部組織の連中を丸々飲み込むほど。住宅街を、びっしりとヴァレンタインが覆っていた。

「ひひ、ひひひひひひ。友達、いっぱい、ひひひひひ」

 周囲すべてに同じ顔があるという気持ち悪さと絶望感に全身が粟立つのを感じながら、エドワードはそれでも意識の手綱を取り直し、式を完成させる。

 それと同時、襲い掛からんと一斉に飛び掛かろうとするヴァレンタイン達に対し、エドワードは式を浮かべた切っ先を大地に突き刺した。

 直後、エドワードを中心として発生する暴力の回転。

 彼を目として台風が巻き起こり、咄嗟に屈みこんだマイルズ以外のすべて――二人を囲んでいたヴァレンタイン達が空へと巻き上げられた。

 それと同時に、魔力によって勢いを増した風が無形の刃となって巻き上げられた人型を次々と切り裂き、台風を血色に染め上げていく。

 上位風魔術『豪風嵐ウィンドストーム・マキシマム』による超局地的な台風が、二人の半径十メートル以内の全てのヴァレンタイン達を空へと放り上げ、そして風の刃で切り裂いたのだ。残る魔力すべてをつぎ込んで巨大化させた台風によって、一気に分身たちを減らしていく。

 本来、風の力だけで人間を巻き上げるほどの出力のない魔術なのだが、相手は分身すればするほど体重を減らす男。三百もの分身体を作ればそれだけ体重を減らすことにつながり、結果として突風に耐えられないほどに軽量化されていた。

 既に二百体は作っているということで十分に体重は軽いと判断し、この覚えたばかりの魔術を行使したのだが、作戦としては大成功。エドワードの魔力が切れて台風が消失したころには、周囲はくりぬかれたように無人になっている。

 巻き上げられたヴァレンタインは余さず死体となって魔力に還り、三百体分の剣すらも魔力で作っていたのか、刃も落ちてこない

 しかしそれでも、綺麗になった輪の中に、ぼとりと何かが落ちてくる。

 それは、全身を切り刻まれたヴァレンタイン。後頭部を、胸を、腹を、脚を、深く切り裂かれ、明らかに致命傷を負っているというのに魔力になって消えない。よくよくみれば、ぐちゃぐちゃになった体の各部には剣を携えていたと思しき痕跡が残っている。つまり、この死に体のヴァレンタインがオリジナルだということだ。

 シリアルキラーもここで運の尽きということか、偶然にも台風に巻き込まれた形でヴァレンタインは死のうとしている。

 散々に風の刃に痛めつけられた体を起こそうとして、しかし力が出ないのか腕を僅かに動かすに留まる。周囲の無数のヴァレンタイン達も、オリジナルが今にも死のうとしているのと関係があるのか、一斉に膝をつき――そして、現れたときと同じく唐突に消えた。

 それらを見て、狂気の色しか見せていなかったヴァレンタインの表情が、悲しげに歪む。

「あ、あああ、あ。とも、だ、ち……」

 まるで何かを求めるように右手を分身体が居た場所に伸ばして、そして、力なく地面に落ちた。

 トゥリエスを散々に騒がせたシリアルキラーの幕切れは、驚くほど呆気ないものだった。

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