03
翌日の朝、エドワードは窓から差し込む光で目を覚ました。
瞼を上げれば、見知らぬ部屋の風景が視界に飛び込んできた。いつもの事務所の寝室ではないことに少し驚き、そしてすぐにここが警察本部の休憩室であることを思い出す。
昨夜は夜遅くということで、エドワードは警察本部に泊まらせてもらうことを勧められたのだ。また事務所に戻る道中で襲われてもかなわない、ということでエドワードもそれに甘えることにした。
起き上がり、朝食をどうするか、と考えながら休憩室を出ると、ちょうどよくそこに黒コートの男が通りかかる。彼にマイルズの場所を聞けば、どうやらまた会議室に居るようだった。
欠伸をしながら会議室に入れば、そこには数名の警官とクリフォードという黒コート、そして話し込むフェリックスとマイルズが居た。二人の立ち位置が、昨晩会議室を後にしたときとあまり変わっていない。よもや一晩中話し込んでいたのだろうか。
たまたま同じところで話しているだけだろうな、とかぶりを振って馬鹿げた予想を否定しつつ、「おはよう」と声をかける。
それでようやくエドワードの入室に気づき、マイルズは顔を上げて笑みを浮かべた。
「おはようございます。つい先ほど、警邏の編成が終わったところですよ。エドワードさんにもそれに協力していただきますので、目を通しておいてください」
そう言って編成のプリントされた紙を手渡されるが、その際笑みを浮かべた目の下にある隈に気づく。そして視線を落とせば、実に細かい字で百数人はありそうな名前の数々が。
これを今朝方に捌いたとは思えない。まだ日が昇ってから二時間だ。
自分の名前を必死に探しながら、思わずエドワードの口から心配の言葉が漏れた。
「徹夜か? 少しでも寝た方がいいと思うが」
「ええ、このあと仮眠をとらせてもらいますよ。その前に、部隊の補充の連絡とヴァレンタインの尋問とトゥリエスで集めた情報の統合・分類と連続殺人事件の証拠集めの手伝いの人員と、あとは」
「も、もういい。半分はわしがやるから、少し休めっ」
「そうですか? すみません……」
段々目が虚ろになっていくマイルズを見かねたか、傍のフェリックスが宥めるように肩を叩いて言う。部隊の隊長であるマイルズの多忙さは想像を超えているようだ。
「まあ、頑張れよ」と手伝う気ゼロの一言を掛けて、エドワードは離れる。そのまま紙の上の自分の名前を探していると、クリフォードが寄ってきて言った。
「おはよう、エドワード。僕と君は同じ班だよ」
「そうなのか。二人だけか?」
「いや、彼も一緒さ」
エドワードの疑問に、クリフォードは部屋の隅の壁にもたれて腕を組む、大柄な男を指さして答えた。青い制服を纏っており、警官のようだ。
浅黒い肌のコロミア人のようで、刈り込んだ黒髪の下では鷹のように鋭い碧眼が、彼を指さすクリフォードを睨んでいる。そして自分が呼ばれていることを把握したのか、こちらへやってきた。
「何か用か」
「ああ、そうさ。こちらの彼が、外部協力者のエドワード。僕らと同じ班なのは知っているだろう?」
「お前がか」
重低音を思わせる低い声。ともすれば威圧しているようにもとれるぶっきらぼうなしゃべり方でクリフォードに話しかけ、彼の言葉で男はエドワードを見定めるように睨む。
高い位置からのギラギラした視線に少し気勢を削がれながらも、エドワードは「エドワードだ、よろしく」と一応の礼儀として右手を差し出した。
それをじっくりと見つつ、男は鼻を鳴らして答える。
「マシュー・サムソンだ。外部協力者なんぞ、必要な事態とは思えんが……まあ、精々足を引っ張らないことだ。そこの色男と一緒にな」
そのまま結局手を握らず、マシューは威圧するようにそう言って背中を向けた。
こいつも出会った頃のハーヴィーと同じ手合いか、と辟易しつつ、小さくため息を吐く。
自分も皮肉を刺されたというのに、クリフォードの方はあっけらかんと笑みを浮かべてぽんとエドワードの肩に手を置いた。
「ま、彼は気難しいようだね。短い間だが、それでも仲良くはしようじゃないか。彼だってすぐに思い知るよ、竜殺しと特殊部隊の実力ってやつをさ」
「お前もなかなか言う奴だな……」
「ははっ、聖人じゃないからね」
爽やかに笑いながら、横目にマシューの背中を見る目は鋭い。馬鹿にされて腹を立てないほど、見た目のように鷹揚すぎるわけではないようだ。
その方が人間くささがあるのでエドワードは好ましく思うが、その負けん気に己を巻き込むな、とも思う。馬鹿にされててもいい、無視されてもいい、その分自分の邪魔をしないということなのだから、むやみに張り合う意味もない。
面倒な相方ができたな、と大きくため息がまた出そうになるのを堪える。
そして、エドワードは警邏の時間を確認してから、警察本部の食堂に朝食を摂りに向かうのだった。
*
気づけば日は高く昇り、鳥肌の立つ寒さはいくらか緩和されていた。
路地裏を歩くのは、エドワードとクリフォード、マシューの三人組で、警邏を開始してからそろそろ三時間程度が経過している。
大通りではなく、路地裏を重点的に見て回っているのは、無論のことヴァレンタインの犯行や未だ犯人の目星もつかない他の連続殺人事件の現場が路地裏に集中していることもある。が、それ以前にトゥリエスの面積の比重が、蜘蛛の巣のように広がる路地裏に傾いているため、どうしたって路地裏を見て回る機会が増えるのだ。
時に日も射さないうじうじとした行き止まりをのぞき込み、時に幾重もの枝分かれが伸びる道を三人で三方を警戒しながら歩き、時に大通りに出て様子を確認したり。
会話は交わされないながらも、三人は最低限の連携を保って警邏を続けていた。
三人の担当するのは、<ユグリー通り>の東の<ブリンク通り>との間にある、主に住宅街が広がる地域だ。
人の目が多い地域ではあるが、昼であったとして最近の物騒な街事情を鑑みてか、人通りはないに等しく公園で遊ぶ子供の姿もない。結果として閑静な住宅街と化していて、何かあればすぐにでもわかりそうだった。
何度か依頼を受けたこともある家庭の住居を見つけ、そこのカーテンが閉め切られている様子に少しの不安と同情を覚えつつ、エドワードは油断せずに警戒したまま歩き続ける。
常とは違う街の様子に、マシューも何か感じることがあるのか、子供のない公園を見る顔には苦い色があった。警官として、この光景を見るのは辛いものなのだろうか。
そうして歩くこと、さらに一時間。
太陽は冬らしく天頂に上ることはないものの、一番高い位置にあり、昼時の様相を呈していた。
そろそろ交代の時間が迫っている。エドワードは力を抜き、無言を貫いていた二人に声をかけた。
「そろそろ交代だな。警察本部に戻ろう」
「そうしようか。何事もなくて結構だが、退屈なのは辛かったねぇ」
「ハッ。騒動を期待してるっていうのか? 誰か殺されてればよかったと? 所詮外様だな、トゥリエスの住民がどうなってても、犯人さえ捕まえればいいみてえだな」
「誰もそこまで言ってないだろうに。想像力豊かで結構だね」
クリフォードが思わず漏らした言葉に、マシューが唾でも吐き捨てるように噛みつけば、言われた優男もやれやれと肩を竦めて皮肉る。
それに、自分から言っておいて煽られるのに耐性がないのか、マシューは額に青筋を浮かべて「あ?」と威嚇する。
フェリックスほどではないものの、大柄な男の発する怒気は大の男でも竦み上がる威力だが、それを向けられる優男はどこ吹く風。「昼ご飯はなにかな」などと呟いてさらに煽るあたり、マシューの言い分にクリフォードも相当腹に据えかねているらしい。
それをみるエドワードの心中は呆れ一色。どいつもこいつも互いを認める気はゼロのようで、間に挟まれる者としてはたまったものじゃない。
諫めようと口を開いたところで、懐に振動を感じる。通信魔具のものではない。
今にも殴りかかりそうなマシューを気にしつつ、懐を探って振動しているものを取り出せば、それはまたも黄金の羅針盤だった。
高速回転する針が、円盤全体を震わせている。今まで微塵も動かなかった羅針盤のこの現象は、つい昨日にも見た。
まさか、と思う視線の先で、針が停止。すぐ傍の建物の方向を向いていた。
即座に脳内で地図を展開。針の向く建物の裏に狭い路地があったことを思い出すのと同時、微かな声が鼓膜を叩いた。
「――や、やめ……っ」
本来なら聞こえないような微かな声だが、この閑静な住宅街では耳に届く。互いに向き合っていた優男と大男も、流石に聞こえたのか、どこからの声だと首を巡らせていた。
エドワードも音源は察知できないが、明らかな異常が針の向く先にあることを直感的に理解する。
抜剣しつつ、エドワードは声を張り上げた。
「こっちだ、いくぞっ!」
後ろで慌てて二人が追従してくるのを感じながら疾走。建物の裏へ回り込むように路地裏に突入し、二度曲がった先で異常を目視する。
五、六人の男たちが、何かを囲んで立っていた。その方向に、手の中の羅針盤は針を向けている。
追いついたマシューがそれを見て、声を張り上げた。
「警察だ! そこで何をしているっ!」
その名乗りに反応し、ようやく男たちはこちらを向く。表情は虚ろで、手には血に塗れた凶器の数々。
そして男たちが動いた拍子に、人間の壁の向こう側にある真の異常をエドワードらは目にした。
行き止まりの壁に、幾本もの鉄パイプで貫かれ、磔にされた女性。腹を引き裂かれ、胃と腸と子宮をだらりとこぼし、己の中身を信じられないように見つめながら瞳の光を失った、死体を。
その手から、丁寧に爪を引き剥がす濃緑のローブを頭から被った男らしき人物も、そこでようやく、絶句する三人に振り返る。
そして、ローブの奥の灰色の瞳が、エドワードの手の中の黄金を見て取った。
「へえ、君が
「っ、
感心したような若々しい声に、ようやく再起動したエドワードが言葉の真意を探れないながらも、濃緑ローブの正体を直感で把握する。
その言葉に、ローブの男はまるで肯定するように少年のような耳障りな笑い声をあげた。
「キャハハハッ、せっかく会ったんだ。ちょっと遊んでやろうじゃないか、なぁ?」
そう周囲に呼びかけるように言えば、虚ろな目をした男たちが手の武器を構える。交戦意志を確認し、マシューもクリフォードも己の得物を手にした。
エドワードも魔術式を構築し始めた直後、ローブ姿の男は既に手の上に魔術式を顕していた。しかし、発動には至らず、もう片方の手をローブの中に突っ込んで粉の入った小瓶を取り出す。
それを式の上に載せた直後、その小瓶の中身が粒子となり、小瓶を突き抜けて魔術式の中に消えた。
その現象をよく知るエドワードは驚愕のままに叫ぶ。
「古代魔術だとっ!?」
直後、式は発光して消失。男の手の上に『
予想外の魔術に面食らいながらも、エドワードは二つ紡いでいた式のうちの一つ、『
たった一発の火球が、『
それに対し、エドワードが何かする前に、脇を巨漢が通り抜ける。そして、手にした長柄の
大人の頭ほどもある槌が男の胸に激突。何かがひしゃげ、砕ける音を響かせながら男は後方に吹っ飛び、狭い路地裏を迫ってきていた男たちの群れを薙ぎ倒して停止した。
そこへ、同様にエドワードの脇を通り抜けたクリフォードが、抜いた
細剣を横一閃に振れば、その切っ先の軌道に合わせて
『
とっさに二人とも『
防御には成功したが、眼前の視界は爆炎で塞がれ、吹き荒れる爆風に動きを止めてしまった。
直後、荒れる爆風をさらに突き破る豪風が、二人に直撃。車同士の衝突音を思わせる重い音を響かせて、今度はしゃがみこんだエドワードの真上を二人が吹き飛ばされていく。
豪風によって晴れた視界の先で、一歩も動かずにこちらに魔術式の浮かぶ手を向ける濃緑色のローブを纏った男。もう片方の手の小瓶の中の粉末が粒子となり、式へと吸収され、直後に魔術式が発動された。
再び、狭い路地を突き抜ける豪風。『
後方に勢いよく吹き飛ばされ、回転する視界の中でもどうにか豪風の威力に耐えながらエドワードは体を丸めて衝撃に備えた。直後、地面に背中から叩きつけられながらも、同時に勢いのまま転がって衝撃を殺す。
そのまま立ち上がり、周囲を確認すればそこは住宅街の比較的大きな通りに出ていた。路地裏から叩き出されたのだ。
前方には同じく立ち上がるマシューとクリフォードがおり、路地裏の奥で群れる男たちを油断なく見つめていた。
それを見ながら、エドワードは敵を分析する。
最も警戒すべきは、奥のローブ姿の男。古代魔術を行使し、それはどう考えても現代魔術のいずれよりも威力が高い。これは古代魔術の特徴ともいえる。これを使いこなすということは、彼は古代魔術師なのだろう。彼の魔術に対して下手な
そして、その古代魔術師を守るように壁を作る男たち。彼らのうつろな目は気になるが、それでもやはり古代魔術師の親衛隊という位置づけで問題ないはずだ。事実、数人はこちらにこようとしていたが、残る全ては守るように壁を作っていた。武器はそこらで拾えるような近接武装、魔術は使えないと判断して構わないかもしれない。
ならば、どうするか。人間の壁も意味をなさないような、強力な魔術で吹き飛ばすのが一番だろう。相手は、女性を残虐な方法で殺し、死体を汚す屑だ、遠慮はいらない。なにより、殺らねば殺られるのはこちらだ。
結論を下し、即座に式を構築。発動せんとして、前方の敵の異常に気付く。
なぜか、守られるべき古代魔術師が前に出ている。魔術式を浮かべ、小瓶を片手で握っている。攻撃か、と防御魔術を急いで構築した瞬間、古代魔術が効果を発揮した。
すなわち、消失。
その場から忽然と、僅かな燐光を残して消えたのだ。古代魔術師だけでなく、その周囲の男たちまで。
それが明らかに転移魔術であることを即座に理解したエドワードは、してやられた、と表情を歪める。向こうは無理に戦闘しなくても、逃げられる手段を持っていたのだ。古代魔術を操る、という観点から、転移魔術の行使を想像すべきだった。少なくとも、三か月前に体感したばかりだったのに。
消えた敵を探して周囲を見回す前衛の二人に、「逃げられた」と苦渋の表情で転移魔術のことを告げる。多少の驚きの表情を浮かべて、マシューとクリフォードは納得できないまま油断はしないまでも武器を下ろした。
すぐに、向こうの組織に転移魔術を使う者がいる、と報告するべく、片手の羅針盤を懐に突っ込んで代わりに通信魔具を引っ張り出そうとするが。
その必要は、すぐになくなった。
――淡い燐光を迸らせ、次の瞬間には、三人の周囲を埋め尽くす勢いの大量の人間たちが転移してきたからだ。
「――っ!?」
驚愕しながらも即座に背中を合わせ、三人は臨戦体勢に入る。落ち着いて見ても、周囲を囲む人間の数は多い。誰も彼も、虚ろな目で三人だけを見つめ、手にはそこらで拾える武器から本物の刃物まで握り、構えている。
緊張する三人の耳に、どこからともなく先ほどの古代魔術師の声が聞こえてきた。
「尻尾巻いて逃げたかと思ったかい? ざぁんねん、遊んでやる、っていっただろう? ほうら、屈強な警官や特殊部隊、竜殺しならこれくらいの危機、余裕で切り抜けてみなよ! キャハハハ!」
耳障りな笑い声が響き渡り、声が残響して消えていった、次の瞬間。
一斉に、周囲の人間が襲い掛かってきた。
*
警察本部の隣、拘置や留置なども目的とした刑務所の、一室。
間もなく尋問に引っ張り出されるであろう男が一人、膝を抱えてぶつぶつと呟いていた。
昏い瞳を壁の一点に向けているのは、捕らえられたヴァレンタインだった。
「……ああ、ああああ、あああああああああ」
意味のない音が、静かな一室に響き渡る。防音のしっかりと為された部屋の外にそれが漏れ出ることはないが、しかし、反響し、響きあうその無意味な音は異様な協奏曲となって部屋の中を踊り狂っていた。
「ともだち、でてこない、ともだち、いない、ともだち、よべない、ともだち、ともだち、ともだち、ともだちともだちともだちともだちともだちともだち――」
ようやく意味のある言葉が出てくるも、それすら異様な曲となって跳ね回る。白目を剥き、ガタガタと震え、しかし何も起こらない。男が妙な真似ができないよう、魔力表出を封じる刺青を施されているからだ。
カタカタと震え十の指が順繰りに床を叩き、嚙み合わない歯がカチカチと鳴る。
異常な音の狂騒は段々酷くなっていき、もはや音を鳴らしている本人の耳も音を捉えられなくなってきた、そんな頃。
ピタリ、と。今までのうるささが嘘のように、すべての音が停止した。
うつむいていた顔が、ゆっくりとあげられる。そして、唇が三日月を描いた。
「――来た」
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