02

 マイルズがここにいる理由、フェリックスと行動を共にしていること、そして襲ってきた狂人は何者なのか、などなど、聞きたいことが山ほどありそうな顔をしているエドワードをマイルズは物腰柔らかにやんわりとジェスチャーで押し留め、まず彼は倒れる狂人のもとへと足を向けた。

 少しだけ距離を開け、足を伸ばして僅かに小突けば、狂人はそれに押されて地面に倒れこむ。その拍子に、拘束していた黒い縄のようなものがぼろぼろと崩れ去った。

「……それは何なんだ?」

「魔術師拘束用に新たに開発されたロープです。拘束した者の魔力の表出を阻害する機能があるのですが、このように時間経過で酷い劣化を起こし、たった十秒しか保てません。試験運用に持たされていたものですが、役に立ってよかった」

 完全に狂人が意識を失っていることを確認したマイルズは、地面に散らばる黒い縄の欠片を手に取りながらエドワードの疑問に答えた。

 狂人の魔術の不発は魔力を表出できなくなって式を構成できなくなったためか、と理解し、同時にその縄の有用性と恐ろしさを理解する。たった十秒であれ、戦闘中に魔術が使えないのは魔術師にも魔術剣士にも脅威的で、その十秒でエドワードなら三発以上『爆裂エクスプロード』を発動できなくもないのだから。

 大した道具だ、とエドワードはマイルズが特に感慨もなく捨てた黒い欠片を見ていると、マイルズの視線に合わせてフェリックスが動く。

 後ろ腰から手錠を取り出し、狂人を後ろ手に拘束。そして肩に担ぎ上げると、「先に戻っておるからな」とマイルズに告げて行ってしまった。

 エドワードがその背中を見ていると、戦闘痕の残る現場をちらちら見ていたマイルズが周囲を見渡しながら話しかけてくる。

「カレンはどうしました? 一時間ほど前にした通信に反応がないので、てっきりあなたと探偵の仕事をしている最中か、または戦闘中なのかと思っていましたが」

「ああ、カレンなら風邪ひいて寝込んでいる。通信に出なかったのも、寝てるからじゃないか?」

「まったくあのは……なら、仕方ありませんか。とにかく、いろいろ事情を説明するのにもここではまずい。警察本部ですべて話させていただきますので、お疲れかと思いますが同行願います」

 妹の所在を答えると、マイルズは呆れたような表情を浮かべてから軽く首を振り、フェリックスの消えた方向を見ながらエドワードに頭を下げる。

 腰は低いが、言っていることは連行そのものだ。その意味に気づけないほどエドワードはバカではなく、同時に色々と理解してしまって顔面にはげんなりとした色が浮かんだ。

「それだけ問答無用な言い方をする、ってことは、つまり、なんだ。俺はもう巻き込まれてる、ということでよろしいな?」

「よろしいです。あの男と戦闘したこともそうですが、それ以前に、あなたは狙われている・・・・・・ので」

 その言葉に、エドワードは八か月も前の大事件を思い出す。

 そう、あれの始まりも、事務所でそんな言葉を聞いたからだったかな、と。









 マイルズと警察本部を訪れたエドワードは、肩の怪我を簡易的に治癒してもらった後、広い会議室に通された。そこは様々な機材や備品、果てには武器など置いてあり、物々しい様相を呈している。

 会議室だけではなく、そこへ至る警察本部の道中も、もう夜更けだというのに警官らが慌ただしく動いていた。中には、マイルズやカレンの着用する胸に刺繍の入った黒コート姿も居た。

 前者は連続殺人事件の対応に追われているのだとして、後者はどう考えても特殊殲滅部隊の関係者。こうもあからさまに官憲組織の手を借りようとしているとは、八か月前の事件の隠蔽行為はなんだったのだろうか。それとも、それを加味して尚、手を借りねばならない事態ということなのだろうか。

 疑問に首を傾げながら会議室に入り、そこに既に戻っていたフェリックスの姿を認める。あとは数人の黒コートと、青い制服の警官が何人かが居た。

 エドワードが入ったのを確認して、マイルズが会議室の扉の鍵を閉める。余計な人間を入れたくないようだった。

 そのまま警官に視線を走らせ、マイルズがフェリックスに「彼らでよろしいですか?」と問うと、「今呼べたのは、な。他にもおるが、そいつらには追って知らせよう」と巨漢は申し訳なさそうに答えた。

 何のことかわからないエドワードは、とりあえず黙っていると、黒コートの一人が彼に話しかけてくる。

「やあ、君がエドワード・デフトで間違いないかな?」

「……そうだが、あんたは?」

「名乗りが遅れたね、失礼。僕の名前はクリフォード・ティッチマーシュ。マイルズ隊長と同じアカシャ特殊殲滅部隊の一人さ。で、聞きたいんだけど、麗しのカレン嬢はどこかな?」

 萌黄色の瞳で周囲をきょろきょろと見まわしてマイルズと同じようなことを聞いてきたのは、肩まで伸びる長い金髪を揺らす端正な顔立ちの男。そんな見た目で腰には細剣レイピアと、あまりにも貴公子然とした今時見ない男だ。

 カレンの同僚か、と理解しつつ、マイルズに答えたことと同じように答えれば「それは残念。時間があればお見舞いに行こう」と露骨に肩を落としていた。

 が、気を取り直したのか、今度はエドワード自身に笑顔を向ける。

「それで、竜を討伐したのは本当かい? 凄いね、君。歳もそう変わらないだろうに、ドラゴンスレイヤーとはずいぶん――」

「クリフォード、無駄話は後です。彼には、今は説明が先です」

 尊敬の眼差しでペラペラ喋り出そうとするのを、マイルズの冷たい声が遮った。フェリックスとの会話というより何かの確認も終えたようで、クリフォードがピタリとお喋りをやめて下がるのを見ながらエドワードに向き直る。

「では、私がこのトゥリエスにやってきた理由、あなたがまだ狙われている理由などをお話ししましょう」

「ああ、頼む」

 エドワードが頷きを返すと、マイルズも頷き、警官にも聞かせるように少し声を張り上げた。

「我々アカシャ特殊殲滅部隊が、テロ組織――崩壊の羅針盤コラプスゲートを追っているのは知っていますね? そして、その我々がこのトゥリエスに来たのはもちろん、その組織がこの街にやってくる情報を掴んだからです」

 だろうな、とエドワードは半ば予想していた内容をそのまま聞いて小さく呟いた。

 真面目一徹のマイルズが、妹に会いたいというだけでトゥリエスに来るわけもなく、ましてあれほど深刻そうにエドワードに同行を求めていたのである。十中八九、崩壊の羅針盤コラプスゲート絡みなのだろうと思っていた。

 エドワードの納得した様子を見ながら、マイルズは続ける。

「皆さんも、先月のコロミア帝国の帝都滅亡はご存じでしょうが、そこに崩壊の羅針盤コラプスゲートの活動の痕跡が見られ、そこで、ここトゥリエスに幹部全員と百名単位の構成員の投入計画が発見されたのです。ここでなにをやらかすかまでは掴めませんでしたが、そこには、エドワード、あなたに関する資料が数多くありました」

「俺を調べていた、と? だから、俺にかかわってくる可能性があるという言いたいのか?」

「その通りです」

 実にいやそうな顔を浮かべるエドワードに、マイルズは容赦なく首肯する。

 帝国滅亡の原因にトゥリエスのテロ組織が関わっていることなど、実に大きな事実なのだが、小市民のエドワードには身の回りの危険にしか興味がないようだった。

 実に人間くさいエドワードにマイルズも苦笑を湛えながら、話を続ける。

「実行はちょうど今月の半ば、今頃ですね。帝都で手に入れた情報にダミーがあったせいでここに駆け付けるのが遅れましたが、ちょうど今夜に到着できてよかった」

「うむ。いきなり打ち上げの最中に協力要請をもらったときは驚いたがな」

 マイルズの言葉に、フェリックスは人のいい笑みを浮かべながら飲み会を抜け出した真実を告げた。

「ええ、緊急でしたので。それで、エドワードにも遅れて連絡したのですが、反応がなく。しかも同時に<ユグリー通り>で争う音が聞こえるという通報があれば、トラブル体質のエドワードのことだから既に巻き込まれているのではないか、とフェリックスが言いましてね。急いで駆けつけて、間に合った次第です」

「誰がトラブル体質だ、誰が」

「お前さんが巻き込まれ、そして解決した事件の数を教えてやろうか?」

「結構だ」

 あの場面に介入できた理由を告げると、エドワードは異議ありと言わんばかりに顔を歪めた。が、フェリックスが笑いながら数字を言おうとするのを聞いて、諦めたように首を横に振る。下手な警官より実績があるのは既に自覚できているのだ。

 警官数名の同情的な視線と、先ほどのクリフォードが口元を抑えて笑いを堪えている様子に腹を立てつつ、エドワードは先を促す。それに応えて、マイルズは続けた。

「奴らがここで何をするのか、それはわかりませんが、この街にやってきているのは確実です。先ほど捕らえた男も、崩壊の羅針盤コラプスゲートの幹部の一人の情報と合致しましたので、断言できます。十数件の殺人事件の犯人でしょうし、ほかの連続殺人事件に、同じく幹部らが関わっている可能性が高い。ですので、狙われている可能性が高いエドワード、並びにこの街を護るトゥリエス警察の皆様には、協力を要請したいのです」

「この街を荒らす畜生を狩るのに異議はないさ。署長には既に話を通し、許可をもらっておるからな」

 頭を下げるマイルズに、フェリックスは鷹揚に笑いながら協力を約束した。それに顔を上げて笑みを浮かべながら、エドワードにも視線を向ける。

 それに、やれやれ、と頭を振りながら答えた。

「関わりたくないところだが、狙われてるというなら協力に否も何もない。微力ながら手を貸させてもらうさ」

「ありがとうございます。頼りにしてますよ」

 素直に承諾しないエドワードに、マイルズは思わず苦笑を浮かべながら礼を述べる。

 そして「それでは、こちらの知る情報を共有しましょう」と早速とばかりに動き出し、部屋の中央に歩いていって、投影機と思しき機材に触れて魔力を通した。

 白い壁に投影機から魔術式が顕れ、その式から魔力の光が発射。淡い水色の光が壁に当たり、マイルズの意思を反映して人間の輪郭を形作り、やがてそれはエドワードと交戦した狂人の姿になった。

「彼の名はヴァレンタイン・フォーブス。かつてガロンツァール国境付近の田舎村の住民すべてを皆殺しにし、通報を受けてやってきた国境兵団の精鋭十一名を切り殺し、そこまで犠牲を払ってようやく捕らえられました。取り調べの調書によれば、言動は支離滅裂。とにかく人を殺すことに意義を覚え、快感を感じる精神異常者シリアルキラーであることがわかっています。その後、看守を絞殺した後脱走。何度か拘束と脱走を繰り返し、そして一年前に完全に行方不明となっていました。おそらく、その時に崩壊の羅針盤コラプスゲートに拾われたのでしょう。実際、帝都で手に入れた情報の一つに、幹部である彼を示唆するものも含まれていました」

 男の遍歴を語り、「ここで早急に捕らえられたのは僥倖でした」と被害拡大を未然に防げてホッとしたようにマイルズは息を吐く。シリアルキラーだというなら、放っておけば今後もどんどん被害者は増えていただろうからだ。

 続いて、長身痩躯の男が映し出された。黒色と思われる長い髪を伸ばしっぱなしにし、切れ長の瞳は鷹のように鋭くも、濃い隈と落ち窪んだ形が不健康そうにしている。その顔は妙に平たく、ガロンツァール人やコロミア人に見られるような彫りの深さがない。

 妙、といえばその格好も妙で、まるで一枚の大きな布を衣服に仕立て上げたかのような、そんな見た目。右肩だけをむき出しにして、右の袖が腰に垂れている。腰に巻かれた一枚の黒帯には、長刀が佩かれていた。

 エドワードは、その恰好がガロンツァール東の海を越えた先にある島国出身の人間が好んで着用する、キモノ、という代物であることを記憶の片隅から辛うじて引っ張り出した。ということは、極東人か。

 その男の説明をマイルズは始める。

「帝都で手に入れた情報によれば、この男の名はシノノメ。これまでに何度か殲滅部隊と交戦経験のある男で、一度も捕らえられずに、逃げられるどころかこちらの精鋭部隊がほとんど全滅させられています。基本は後に説明する男と二人一組で行動し、ほとんどが組織の撤退戦で殿しんがりを務めることで出てきていました。この男も幹部ですので、おそらくトゥリエスに来ているでしょう。戦闘手段は腰の刀一本のみ。己の剣術のみで、こちらの精鋭を殺して見せる本物の強者です」

 そう言うマイルズの顔は苦い。彼自身に交戦経験はないのだろうが、やられた同僚がいるのだろう。

 精鋭を全滅せしめる剣術など、想像もしたくないと思うエドワードの前で、映像が切り替わった。

 今度は褐色の肌を持つ、ぼさぼさの金髪の筋肉逞しい半裸の男だった。恐らく南の国のナイルバロン出身かと思われた。その凶悪な顔面から、乱暴な性格がうかがえる。

「こちらが、シノノメと一緒に行動するギディオンという男です。徒手空拳を得手とする男で、怪我を厭わない捨て身の攻撃と異常な破壊力の拳でやられた仲間も多く、何かしらの強化魔術を行使している可能性が高いようです。シノノメと行動を共にする以上、彼も来ているでしょう」

 続いて、映像が変化。今度は人物ではなく、名前だけが光で形作られる。

 ザカライア、イーゴリ、メレディス、そして、『先生』。

 それを見ながらマイルズは首を振って言う。

「こちらは、資料から名前しか抜き取れなかった幹部です。つまり、われわれの前に一度も姿を現していない者が四名居るということ。既にヴァレンタインは逮捕できたので気にせずともよいですが、前二人とこの謎の四名には十分ご注意ください。特に、この『先生』と呼称される謎の人物。組織の中核を為している可能性が高い。万が一発見した場合、この人物の捕縛、あるいは排除を最優先にお願いします」

 注意を呼びかけ、マイルズは「幹部の主要な情報は以上です」と締めくくった。

 そして、投影機の魔術を停止させると、エドワードに向き直る。

「それで、エドワードさん。ヴァレンタインに襲撃された際、何か気づいたことはありませんでしたか? 狙われている現状、あなたを幹部が攻撃したのは偶然とは思えないのですが……」

「いや。本当に、奴と遭遇してしまったのは偶然だな。奴の犯行現場にたまたま――いや、そうでもない、のか」

 思い出し、懐を探る。取り出したのは黄金色の羅針盤であり、今はどこを指すこともなく停止していた。

 それを見ながら、あの狂人も同じものを出していたことを思い出す。

「そのヴァレンタインってやつに会ったとき、これが動き出してそいつを指していた。そして、奴も、これと同じものを持っていたな」

「……それは本当ですか? 何か異様な量の魔力を放っていましたが……いえ、それ以前になぜそんなものをあなたが?」

「今朝郵便で送られてきて、送り主は不明だ。だが、もしこれがコラプスゲートの連中と関係があるっていうなら、何かの手掛かりになるだろう」

 そういって、エドワードが差し出そうとするのを、マイルズは遮った。

「いえ、それはあなたが。同じものをヴァレンタインが持っているようですし、調査はそちらで行います。それが何らかの目印だったとして……そうですね、以前と同じことをしましょう」

「以前、って……おい」

 以前が指すのは当然、八か月前の事件だけであり、その時エドワードは囮として利用されていた。今回もそうしよう、と言っているのだ。

 笑みを浮かべてそう言うマイルズの性格の悪さに思わず頬を引くつかせるエドワードだが、確かにどこのいるともしれない連中を釣りだすのに効果的ではある。

 有用性を考慮し、仕方ないか、と肩を落として了承するエドワードに、「頼りにしてるといったでしょう?」と悪戯っぽく笑いながらマイルズは言葉をかけた。何もうれしくないので、エドワードは睨むことで返事とする。

 そんな視線を他所に、マイルズは今晩から見回りの強化をするとして、人員の確認をフェリックスらと始めるのだった。

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