エピローグ

 暗殺部隊を全滅せしめた、その数日後。

 エドワードら二人の姿は、<ブリンク通り>の外にあった。クレーターの生まれた街道は、今も魔術などによる土木技術によって舗装作業が敢行されている。

 それを脇に見ながら、エドワードの正面には豪奢な車が停まっていた。扉は開かれ、その中には高級革のシートに深く腰掛ける銀の姫の姿があった。その隣には、何故か一介の傭兵に過ぎないアーサーが、シートの感触を楽しむように落ち着きなく尻を動かしている。

 数日が経ち、襲撃のショックや生命の危機への絶望、そしてジェイミィとリックの死にも心の中で整理がついたのだろう。今は伏し目がちながらも落ち着いた表情を見せ、そして会釈するように二人に向けて軽く頭を下げた。

「二人とも。この度の護衛の任、ご苦労でした。私自身としても、深くお礼を申し上げます」

「当然のことをしたまでです。これより先お守りできない私の力の至らなさをお許しください。殿下も、これからご壮健であられますよう」

 王女の言葉に、カレンは深く頭を下げて礼する。それに倣って頭を下げながら、エドワードはちらりと、王族専用の車の後ろに並ぶ、質素な車を見やった。

 それには、二つの棺が載っている。リックの骸とジェイミィのわずかばかりの肉片、骨が入った棺が。

 王女たっての希望で保存されていた二つの骸は、これから彼女とともに王都に帰るのだ。

 その視線に気づいたのだろう。王女もわずかに身をよじってそちらを眺め、思わずといった様子で呟く。

「ジェイミィは、平民出身の身でありながら、私の世話係として右に出る者は居ないくらい、仕事に真面目で熱心な娘でした。それに、気弱なくせに、私の言葉に臆することなく真正面から応えてくれる珍しい娘でもありましたね」

「王女、殿下」

 回顧し、懐かしむように目を細める王女に、カレンはいたましげな声を出して、顔を伏せた。責任を感じているのだろう。目を離さなければ、と。

 それに、王女は軽く首を振る。気にするな、と言いたいようだった。

 そして、視線の先は隣の棺に移る。

「リックは、口うるさくて、頭の固くて、冗談の通じない男でしたが。やはり、私にはどこか甘かった。頼み事には文句を言いながらも必ず応えてくれました。私に魔術の才があれば、彼の魔術を、遺せていたかもしれません」

「…………」

 悔恨するように呟く王女。その様子を見ながら、エドワードは、それが別れの儀式だとなんとなく理解した。

 これで、もうお別れなのだと。

 彼女の中で特別だった二人は、これからは彼女の中で、彼女の為に死んだ百余人のうちの二人に変わるのだ。

 もう、この二人のために心を動かすことはないだろう。

 それは、ひどく、恐ろしいことのようにエドワードは思えた。

 その感覚は、一生理解できない。エドワードの中で、エドワードの為に死んだ親友ロイドのことを一般化などできはしないし、思い出せばいつでも胸に苦いものと温かいものが同時に広がってくる。

 ジェイミィの死も、エドワードの中で棘となって突き刺さっている。助けられなかった一人として、終生忘れられないだろう。

 死者への認識を変えてしまう必要があるのが、王族というものなのだろうか。人の上に立つ者としての義務なのだろうか。

 護衛の最中に感じていた違和を、ようやく理解した。王族と平民の違い、認識の齟齬、一生理解できない意識の差が、この銀の姫と距離を感じさせている。

 向こうも、それをわかっていたのだろうか。エドワードから話しかける以外で、彼個人に言葉をかけることは一度か二度しかなかったように思える。唯一意識が通じたのは、ジェイミィのかたき討ちくらいだろうか。

 なぜか背筋を通る寒気に、思わず視線をそらしたエドワードを少しだけ不思議そうにマリア王女は見ると、思い出したように「あぁ」と声を上げた。

 そして靴を脱ぐと、その中の折りたたんだ紙を引っ張り出し、エドワードに差し出した。

「護衛の報酬はあとで送られると思いますが。これは私からの心ばかりのお礼です。あなたほどの、リックに追随できる魔術師なら、これをうまく利用できるでしょう」

「……ありがとう、ございます」

 思ったより高い評価に、少しだけ動揺しながら恭しくそれを受け取る。

 その受け取った手を、王女は何故か白い手で掴んだ。

 驚くエドワードを引き寄せて、彼の耳元で呟く。

「気をつけなさい。あなたには禍々しい星が輝いています。今年の間は、警戒を、努々怠ることのないように」

「は……?」

 離れていく銀髪に目を白黒していると、王女の横で落ち着いたアーサーがからからと笑う。

「王女サマの預言っつーか、予知はよーく当たるんだゼ? 心に刻んどきなヨ」

「……何を言われたの?」

 なんでそんなことを知っているのか、とさらに顔に不可解を浮かべるエドワードに、なぜか少し仏頂面のカレンが問う。

 肩を竦めるエドワードの前で王女は少しだけ口元に笑みを浮かべると、シートに座りなおして運転手に出発の合図を出した。離れる二人の前で扉が閉まり、王女の姿は見えなくなる。

 周囲を囲む騎士団の車にも合図が出され、そして一斉に車の群れが二人を避けながら出発した。

 王都に向けて、豪奢な車を囲む甲冑達が乗るトラックの群れが突き進んでいく。

 何も起きることのなかった道中で、数多くの犠牲を間近で見た王女は何を思っただろうか。

 エドワードらにそれを知る術はなく、また、知る必要もなかった。


 そして、帝国の裏切りを知った王国は、コロミア帝国に向けて宣戦布告。期日までに弁明があれば使者を寄越すべしと要求するも、帝国は一切の反応を見せなかった。

 裏切りの際に間者も失っていた王国は帝国の動きが読めなかったものの、それでも帝都に向けて進軍。

 国境どころか道中ですら一切の妨害がなく、しかも途中の町や村に人影一つないことを不気味に思いながらも、騎士団含む王国軍はついに帝都の手前にまで到着して。


 都の中央に大穴を開けたことで城と主を失い、当の昔に滅びた帝国の姿を見るのだった。









「はあ゛っ、はあ゛っ、くぞ、あの白髪野郎……っ!」

 ちょうど王女がトゥリエスを発ったころ、とある暗がりに、荒い息を吐く男の姿があった。

 そこは、まだ滅びていなかった帝国の首都、ミアニールの中央に存在する城の廊下。

 廊下一面に敷かれた紅色の絨毯に赤い血の滴を垂らしながら、その全身刺青の男――カワードは壁に寄りかかって大きく息を吐く。

 彼は緊急用の転移術式を起動することで、エドワードのトドメの一撃をギリギリのところで回避していたのだ。おかげで、魔力の足りる距離である国境あたりに逃げ延びることができた。しかし、本当にギリギリで、無傷とはいかなかった。

 寄りかかる壁にも血の線が引かれている原因は、彼の左肩。包帯に覆われ、その先の腕が存在していないのだ。咄嗟に爆裂の短剣で吹き飛ばしてエドワードの長剣の拘束から脱し、そしてようやく転移ができた。左腕を残したことで、エドワードもカワードの死を確信していただろう。

 そうしてどうにか逃げたカワードだが、取るものもとりあえず包帯を巻くだけ巻いて、数日かけて帝都に逃げ込んだのだった。

 しかし、今現在、彼の表情には懐疑の色。理由は、夜でさえ常に従者や給仕が動き回っているはずの城内が異様に静かだからだ。

 先ほど通ってきた帝都にも、人影がないのはおかしな話だった。真昼間だというのに通りを動く影はなく、立ち並ぶ建物の窓は閉め切られている。常に活気ある帝都にはありえない光景だった。

 それでも、助けの必要なカワードは番兵すらいない城に入り、皇帝の姿を求めて歩いていた。

 やがて、廊下を歩く彼の足は止まる。

 皇帝のおわす執政の間の前だった。昼はそこで常に臣下とこの国の政治を執り行っているはずだ。

 右手だけで重い扉を開けば、そこは真っ暗だった。高い位置にある採光窓にはいつの間にかカーテンが引かれ、わずかに漏れる光だけで執政の間が浮かび上がっている。

 そこに、今まで存在していなかった人影はあった。

 立派な髭を蓄え、豪奢な衣服を身にまとった恰幅のいい老人。皇帝その人が上座に座っていることを確認すると、カワードは膝をついて言葉を吐き出す。

「で、死神部隊デッドマンズのカワード、ここに戻りまし、たぁ! 早急に助勢を――」

「あらあら、あら。生き残りがまだいたのかしら?」

 帝ではない、誰かの声。

 顔を跳ね上げれば、いつの間にか、上座以外の席に七人の男女が座っていることに気づく。

 あまりにも個性豊かな容姿に、明らかにコロミア人ではないことを悟ると、懐から最後の一本の短剣を引き抜いた。

「な、なんだぁ、貴様らぁ!」

「でっどまんず、とは、あれか。皇帝がガロンツァールの姫に差し向けた、暗殺者どものことであろうな」

「ああ、それが帰ってきたってことか。で、助勢が必要ってことは、失敗しておめおめ帰ってきたってかぁ? ハッ、ダッセェ」

 叫ぶカワードを無視して、長刀を腰に佩く右肩だけむきだしの妙な装束を着る男が呟き、隣の半裸の男が鼻を鳴らして馬鹿にした。

 その向かいで、紫色のローブを羽織る、先ほどの声をあげた女がくすくすと笑う。その隣の濃緑のローブを纏う男も押し殺すような笑い声をあげた。

 腰と背中にじゃらじゃらと剣を提げる男は興味なさそうに一本の剣を抜いて刀身の輝きを眺めているし、隣の黒ローブは目深に被ったまま沈黙している。

 誰もがカワードを虚仮こけにしていた。

 その状況に、怒りどころかいっそ恐怖を覚えるカワード。

 思わず一歩下がれば、前方に向けていた視線の先で皇帝が動く。否、動かされた。

 ごろり、と首が転がり落ちたのだ。血すら吹き出ない。当の昔に死んでいた。

 その落ちた首を、唯一上座の隣に立っていたドレス姿の女が拾い上げる。豊かなウェーブのかかった黒髪を腰まで伸ばし、黒い紅の引いた唇が弧月を描いた。

 刹那、カワードに向けて何か・・が放たれる。

 波動のようなそれは直撃すると同時に彼に膝をつかせ、呼吸すら許さない圧力を与える。

 それは、なんでもなかった。魔術でもない。何かの特異能力でもない。

 ただの『威圧』が、カワードからすべての行動の選択肢を奪っているのだ。

 ありえない、そんな馬鹿な。

 魔力の片鱗すら感じ取れないことで、それを理解したカワードは、全身から冷汗が流れ出るのを止められなかった。

 生物としての格の違いが、存在密度の差が、カワードを押しつぶさんとしている。

「た、たの、む。助け」

「去ね、塵芥ちりあくた

 命乞いをしようとしたカワードを、初めて言葉を発したドレスの女が遮った。

 直後、ゆったりと女の右腕が持ち上げられ、今度こそ魔力を伴った何かが放射された。

 見えない何かがカワードに直撃し、後方へ吹き飛ばす。扉をぶち破って廊下の壁に激突し、そのまま見えない壁に圧されるようにカワードの体がめり込んでいく。

 そして、女が開いた手を、指一本ずつ閉じていき、握った拳を作った次の瞬間。

 カワードの体から血液が噴出。至る所から間欠泉のように噴き出しながら、全身の骨を折って球体の形に圧縮されてしまったのだ。

 完全に死んだことを確認すると、女は腕を下す。放射されていた魔力も失せ、ごろりと球体の骸が転がった。

 そんなものなど初めからなかったとでもいいたげに、冷たい視線でほかの六人を見やると、口を開く。

「ここには我らの望むはおらなんだ。もう用はなかろう。次へ行く」

「りょーかい。それじゃ、後始末・・・はよろしくお願いします」

 女の言葉に、濃緑のローブの男が返答すると、懐から小瓶を取り出す。その中身を掌に落とすと、何かの粉末が山を作った。

 その上に魔術式が展開され、粉が光る粒子となって式に消える。直後、発光したかと思えば、ドレスの女以外の姿は露と消えていた。

 それを見届け、持っていた首を放り捨てると、女は小さく息を吐いた。


 そしてその数秒後、帝都の中央にあった城は失せ、その下に大穴を穿ったのだった。

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