09
リックが、あまりにも惨く、そして不可解に死んだ。
その事実に、エドワードら二人が動揺するのも無理はなく、その隙を見逃すほど刺客は手緩い人物ではなかった。
魔術師の亡骸を抱えて放心する王女に向けて素早く疾駆。あっという間に王女に肉薄し、エドワードらが反応した時には既にマーシーは標的を間合いに捉えていた。
王女に迫る魔手。刺青が発光し、明らかに何かをしようとしているその貫手を防ぐには、もはや苦肉の策しかなかった。
「くそっ!」
エドワードは悪態を吐き捨てながら魔術式を高速展開、発動。王女ごとマーシーを『
吹き飛んだ王女に向けて即座にカレンが近づいて助け起こしながら、大剣をマーシーに向けて構えて後退る。
その前に立ちながら、エドワードは謝罪を口にした。
「申し訳ありません、殿下」
「…………」
しかし、返答はない。カレンがちら、と王女の顔を見やれば、彼女の視線は打ち捨てられたように転がるリックの骸に固定されていた。やはり、それが動くことはない。
リックは幼少の
カレン自身も魔術師の死を苦しく思いながらも、今は王女の安全が最優先だ、と気持ちを切り替えて後方へ下がる。
その前で、エドワードが牽制するように魔術式を展開して見せつけ、油断なく構えていた。
彼が最も警戒しているのは、当然男の手に入った刺青、つまりは刻印された魔術式だ。あの光る手が何をもたらすのか、少なくともあの手が原因でリックは命を落としたのは確定だろう。それを阻んだつもりだったのだが、既に首をつかまれた時点でアウトだったのかもしれない。
となれば、掴まれることは最も避けねばなるまい。接触も警戒すべき、もしかしたら服の上から触られるのも怪しいか。
推測を重ね、対応策をひとまず立てるエドワード。絶対に、近づけてはならない。かなり厳しいが、それでもやらねば、次の死者は己だ。
その内心の決意を透かし見たか、痺れを切らしたか。
「それじゃあ、行かせてもらおうか」
マーシーは口元に笑みを浮かべると、ぐっ、と屈みこみ、その低い姿勢のまま力強く大地を蹴った。
踏み出した次の一歩で最高速に達し、それに対する反射でエドワードが放った『
そのまま肉薄せんとするマーシーに、当然対策を立てていたエドワードの魔術が発動。進路上に屹立する鋼の壁がマーシーの足を強引に緩める。
回り込もうと踏み込んだところで、マーシーの顔に緊張が走る。直後、鋼の壁を貫いて迫る『
そのステップした先に、うねって迫る電撃の鞭。回避する間もなく腕に絡みつき、通電。マーシーの体が電撃に痺れ――ない。
まるで意に介さない挙動で鞭を振り払うと、そのまま走り出してエドワードに肉薄する。コートか防具が
耐電装備だったか、と舌打ちしながら、咄嗟に放った『
爆裂に吞まれ、姿が一瞬消え――次の瞬間、爆裂を真正面から突き破って姿を現した。体の前で交差させた両腕と強靭な脚力で、爆裂の勢いと威力を耐え抜いたのだ。
もはやマーシーはエドワードの目と鼻の先。愉悦に揺らめく浅葱色の瞳がよく見える。
予想以上の身体能力に、立てていた対策を悉く破られてしまった。咄嗟に高速展開した『
長剣を無拍子で突き出す。が、それを男はダッキング。それによって懐に一瞬で潜り込み、拳を跳ね上げて鋭いアッパーカットを放った。
それをエドワードは首を振って避けながら、大地を強引に蹴り飛ばしつつ後ろに転がって退避。
しかし、ひっつくように追いすがるマーシーを引き離すことはできずに、後転を終えて這いつくばるエドワードの顔面に向けて前蹴りが放たれた。それも首を捻じって顔面は避けたが、肩口に直撃。威力を前にそのままひっくり返されて、背中から地面に叩きつけられる。
急いで起き上がりながら魔術式を展開しようとするエドワードだが、それを遮るように、マーシーの足がエドワードの腹部に突き刺さった。内臓を踏みつぶされる激痛に悲鳴を上げて集中が途切れ、左手の中で式になり切れなかった魔力が散る。
そのままぐりぐりと腹を踏みにじったマーシーは、エドワードの顔面を掴もうと右手を伸ばし――即座に腕を引っ込めて真横に跳ねとんだ。
彼の居た場所を、黄金の大剣の刺突が通過。大剣が引き戻され、王女を置いて助太刀に入ったカレンは得物を構えなおした。そしてエドワードを飛び越えて、更に追いすがりながら大上段から振り下ろす。それを身を翻しながら回避し、彼女に拳を叩き込まんとしたところで、急停止。素早く後方に退避すれば、頭のあった場所を『
腹を押さえながら立ち上がったエドワードは、そのまま痛みを無視して前進。カレンがマーシーに向けて切り結ぶ剣戟に介入せんと長剣を握りなおす。
カレンが振り下ろした大剣を回避し、貫手を放とうとしたマーシーにエドワードの長剣が突き迫った。それを身を引いて躱し、次いで跳ね上がったカレンの一撃もまた体をひねって回避。
斬撃、回避、斬撃、回避、斬撃、回避。
二人の振るう刃を、マーシーはまるで舞でも踊るかのように次々とひらりひらりと回避していく。時折混ざる魔術の弾丸も、ただ斬撃が増えただけだといわんばかりに容易く回避するのだ。
攻撃させる暇を与えないが、しかしこちらの攻撃も当たらない。それほどまでに、凄まじい身のこなしだった。
手を止めれば即座に反撃の貫手が放たれるだろう。どちらかのスタミナが途切れるまでの千日手であることは明らかだが、それでも二人は手を止められずに連携の刃を放っていった。
対するアーサーとフールの戦況も、動き続ける膠着に陥っていた。
剣を捨てたフールによる肉弾戦と、それに反撃しようとしてできないアーサー。フールの拳は爆裂を引き起こすため、大振りに回避しなければならず、そうすると反撃する猶予を持てない。
もし奇跡的に反撃できたとして、その瞬間にフールは肩口の刺青から爆裂を引き起こし、自分の体勢を無理やり崩して強引に回避してくるのだ。実際、それを二度やられてブロードソードは空を切っている。
しかも、だ。それ以外にもアーサーの攻撃を阻む手段を持っているのだ。
フールの右ストレートを大きく横に飛び退いて回避し、爆発の範囲外にどうにか逃れたアーサーは、その腕に向けて剣を振り下ろした。しかし、その瞬間、その腕全体の刺青が発光。小規模な爆発が巻き起こり、爆風に巻き上げられて剣の軌道が跳ね上がる。
結果として刃は届かず、その上崩れた体勢のアーサーに向けて拳を叩き込んでくるのだ。
それを爆風に流されるように後方に転がって退避して避けるも、拳に付属する爆発が、今度はアーサーの足裏に一瞬直撃。さらに体勢を崩されて、地面に這いつくばることになる。
跳ね起きて飛びのけば、落雷のように打ち落とされた野太い足がアスファルトに罅を生んだ。
それを見て構えなおしながら、アーサーの顔には不可解の色が浮かんでいた。本来なら、さっきの後転で爆発に巻き込まれることなどありえない。それだけ爆発範囲を見切っていたのだが、何度かその範囲を超えたり狭まったりしているのだ。
魔術による爆発の規模に、誤差などありえない。それだって式の魔術記号で決められているからだ。まして、フールは記号を変えることのできない刻印式の魔術式を利用しているのである。
爆発に大小があるのには、何かタネがあるはずだ。相手は騎士団を壊滅させた超爆発を使った男なのだから、今現在ドカドカ放つ爆裂が無関係なわけがない。
そう思考し、攻撃を避け続けるアーサーだが、不意にフールが動きを止めて距離をとる。
そして脇を締めて両腕を溜めるようにコンパクトに構えると、唇を笑みの形に引き裂いた。
「ムハハハハハハハッ! やるではないか貴様っ。ならば、コイツも避けられるかなっ?」
そう言うが、すぐには動く真似をせずに停止。訝しむアーサーの前でたっぷり五秒姿勢を維持すると、ぐっ、と体を深く沈める。
そして力強く大地を蹴りだし、アーサーに向けて重い突撃を敢行した。
時間にして一瞬で距離がゼロになり、アーサーの前方でフールの右足がアスファルトを砕く勢いで踏み込んで鋭く両腕を突き出した。
その一撃は速く鋭いが、アーサーにとってみればこれまでとそうは変わらない一撃だ。当然余裕をもって大きく後方に跳躍し、爆裂の届かない距離まで下がったアーサーの眼前で、拳が今まで以上に輝く。
刹那、アーサーの視界が白に染まり、衝撃が全身を叩いた。その感覚が爆裂に巻き込まれたものと酷似していることに気づいた時には、アーサーの体は宙を舞い、次いで大地に叩きつけられて一回転二回転と転がされていたのだ。
身体の芯から指先に至るまで満遍なく叩きつけられた衝撃は、アーサーから根こそぎ体力を奪い取り、立ち上がる力すらもほとんど失われていた。
それでもどうにか体力を振り絞って立ち上がれば、視界に映るのは胸を反らしあげて笑う巨漢。そして、その前方、アーサーに向けて放射状に抉れたアスファルトの地面だ。その射程は明らかに今までの爆裂より伸びていて、フールが何かしたのは明らかだった。
「ムッハハハハ! どうだ、貴様でもこいつは避けられまいっ! 我が『
「……そうかい、わざわざご説明ドーモ。ついでに、うちのリックの旦那を殺りやがった黒髪の
自慢げに自らの手の内を晒す巨漢に、肩を竦めたアーサーは体力回復を図るべく適当なことを言って会話を続けんとする。
そんな適当すぎる質問に、巨漢もあきれ顔を浮かべて叫んだ。
「んんっ!? 馬鹿か貴様っ! 我らのリーダーであるマーシーの、『
「お、おう」
「
リーダーの名前どころか魔術名に効果、と大声で完全に解説した巨漢に、アーサーが思わずぽかんとするのと同時に彼の背後から件のマーシーの怒鳴り声が響いた。
愚か者の
それが、マーシーの見せた一瞬の隙をついて剣戟から離脱したエドワードとカレンだと把握すると、アーサーは困ったような声で話しかける。
「やれやれ、聞いての通りこっちの相手はバカだけど、魔術が厄介でたまらんネ。俺ってば剣術体術一筋でやってきたもんだから、ああいう手合いは苦手で苦手で」
「そいつは大変そうだ。手伝いに行きたいところだが、こっちは二人がかりでも倒せない凄まじい体術の使い手だよ。聞いたところ一撃必殺の使い手のようだし、気が抜けないったらない」
「二人とも、もう理解してるなら馬鹿な会話はやめて、さっさとやるわよ」
愚痴りあう二人にカレンがため息を吐き、呆れたように首を振る。
それでも互いの意図を完全に理解した三人は、武器を構えなおして再び戦端を開くべく前傾姿勢に。
そして、全員が足に力を込め――くるりと
同時、大地を蹴って吶喊。アーサーがマーシーに立ち向かい、エドワードとカレンがフールに走り出したのだ。
フールはキョトンとしながらファイティングポーズをとるも、対するマーシーの表情からは余裕が失われて焦ったように叫ぶ。
「ッ、フールッ! その女の剣は、」
「おっと、喋る暇あんのかナッ!」
それを遮るように、放たれるアーサーの鋭い刺突。カレンやエドワード以上の技量を感じさせる高速の一撃に口を閉じて回避せざるを得ず、マーシーは助言の機会を失った。
「ムハハハッ! 誰が相手だろうと我が爆裂で粉々にしてやろうっ」
対するフールはマーシーが何かを言いかけたことなど全く意に介さず、最速で向かってくるカレンに向けて重い右ストレートを放った。当然溜めに溜めた刺青は強く輝き、強大な爆裂を発動するが、しかし。
カレンが
「ぬおおおっ!?」
噴き出る鮮血と脳髄に叩き込まれる激痛に動揺したフールが悲鳴を上げながら、それでも戦士としての勘で左肩の魔術式を発動。発生した爆裂がフールの巨躯を真横に吹き飛ばし、彼の頭があった場所を炎の槍が貫いていった。
無理やり体勢を崩すことでエドワードの魔術を回避したフールだが、それは二人を相手にする上、前衛がいる状況では悪手中の悪手。
更なる回避ができない体勢のまま、カレンの鋭い刺突を避けられる道理はない。それでも、と更に肩口を爆発させて体勢の崩壊を加速させて避けようとするが、刺突が貫くほうが早かった。
次の瞬間、黄金の切っ先が巨漢の胸板に直撃。肉を割いて肋骨を砕き、肺を貫きながら背中に抜けて鮮血を滴らせる。
カレンに串刺しにされる形となったフール。その激痛に唸り声を発する前に、エドワードの放った光の弾丸が彼の頭部を消し飛ばした。
その直前、アーサーとマーシーの戦いも一瞬で決着が着こうとしていた。
刺突を避け、続く薙ぎ払いを屈みこんで避けたマーシーの顎が、次の瞬間跳ね上がる。アーサーの蹴り上げが直撃して、後方に転がっていくマーシーに追撃の振り下ろしを放った。
それを余計に転がることで回避しながら、マーシーは一拍停止することでアーサーの呼吸を
剣があらぬ方向に振られ、その隙に懐に潜りこんだマーシーの左の貫手がアーサーの首に迫った。
が、次の瞬間停止。驚くマーシーの眼前で、剣を持たないアーサーの左手がマーシーの手首を握りしめていた。
刹那、素早く引き戻されたブロードソードが閃き、鮮血を噴きながらマーシーの左手が宙を舞った。しかし、それに動揺せず、それどころかさらに右手を伸ばして顔面にアイアンクローを放つマーシーに、対するアーサーも然る者。
一歩引いて袈裟に跳ね上げた刃が、マーシーの右手の手のひらを裂いた。しかし、それだけに留まらない。
噴き出る鮮血をくぐるように、見事な足捌きでアーサーは屈みこみながらマーシーの懐へ。
あまりに淀みなく素早い動きだが、マーシーもどうにか反応して、後方へ退避しようとする。しかし、それよりも早く、突き上がる烈火の刀身が男の心臓を貫いた。
しかし、暗殺者にも暗殺者の矜持がある。
心臓を貫かれてもなお、意識を確固として保った男の右手が閃き、懐のアーサーのうなじを鷲掴んだ。その手の刺青は既に、輝いている。
ニヤリ、とほくそ笑むマーシー。最期にせめて道連れを、と行った足搔きだった。
効力を発揮するまで時間差がある魔術故に、アーサーは右手を振り払いながら剣を引き抜いてマーシーを蹴り飛ばす。
大地に伏して血だまりを広げていくマーシーを見下ろすアーサーの目は、これからまさに死せんとする者のものとは思えないほど凪いでいた。
そして、不意に口の端を吊り上げると、うなじから
「悪いネ。以前不意打ちされて死にかけたときに、うなじだけは警戒してんだ。残念だったナ」
そう呟くアーサーだが、既にマーシーは聞いていない。空を見上げる浅葱色の瞳は、当の昔に何も見てはいなかった。
*
こうして、暗殺者二人を見事打倒した三人。
カレンが誘導した呉服店の前で座り込む王女の無事を確認したところで、不意にサイレンの向かってくる音が耳に入る。
ようやく警察が動き、やってきた彼らに王女含む四人はついに事情聴取という名の保護を受けることになる。
事情を話し、信じた
ついに、王女護送部隊が新たに到着し、護衛の任は彼らとアーサーに引き継がれることになった。
その間に一切の手出し、襲撃がなかったことから、恐らく
そうして、ついに、第三王女護衛という戦いは、終わりを迎えたのだった。
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