06

 エドワードが駆けつけた現場では、既に激しい応酬が繰り広げられていた。

 アーサーの繰り出す高速の斬撃を構えた長剣で受け、紅い男は左手に持った髑髏のステッキを掲げる。同時、ステッキに迸る無数の幾何学模様が魔術を構成し、視認不可の風の砲弾がアーサーに向けて放たれた。

 それを煩わしそうに回避した彼の前で、紅い男は大きく後方に向けて跳躍。男のいた場所を一対の光の砲弾が通り抜けた。リックの援護だ。

 そこでさらにステッキを掲げて風の砲弾をリックに向けて射撃。魔術師を牽制しつつ、アーサーの剣を辛うじて受ける。

 続けて放たれる拳を体をひねって回避するも、連綿と重ねて薙ぎ払われた斬撃が男の脇腹を掠めた。スーツを切り裂いて肉を断ち、決して浅くはない傷が男の表情を歪める。

 このままリックとアーサーの二人で倒してしまいそうな勢いだが、相手は謎の部隊の一人。油断はできないし、何よりこの手で手傷を負わせてやらねば気が済まない。

 攻防を繰り広げる戦場に怒りを湛えたエドワードが到着し、その姿を見て男は若干驚いた様子を見せる。同時に男は数的な不利、多勢に無勢を理解し、表情を苦いものに変えた。

 しかし、だからといって逃走を許す三人ではない。

 エドワードは『灼熱刃ヒートブレード』を展開しつつ肉薄する。アーサーが右からブロードソードを振るうのに合わせて、左から襲撃。

 左右からの挟撃に、紅い男はステッキと長剣で同時に受けて防御。直後にアーサーの剣を受けるステッキが光り輝き、不可視の砲弾が発射されてアーサーを再び急襲する。

 それを首を捻って回避するアーサーを横目にとらえながら、エドワードは至近距離でさらに魔術式を発動。『炎槍フレイムジャベリン』の紅蓮の穂先が、咄嗟に頭を下げた男のシルクハットを貫き焼き尽くす。

 しかし、同時に式に集中を削がれたエドワードの隙をついて、男の放った前蹴りが彼の腹を直撃した。

 胴体の芯を捉える一撃に、後方へと勢いよく後退させられながらも、再び式を紡いでいたエドワードは左手を差し向ける。ほとんど同時に機を窺っていたリックも、構築していた魔術式を発動。

 リックの杖から光線が撃ち放たれるのと同時に、男の手袋に刻まれた幾何学模様が発光。『障壁シールド』が起動し、光線を弾き飛ばした。

 しかし、別方向からはエドワードの魔術。手袋が生み出す半透明のサークルのぎりぎり外側を狙って、『爆裂エクスプロード』が発動される。

 これにはさしもの男でも回避しきれないのか、咄嗟にもう片方の手袋に刻まれた式を起動させようとするも、遅し。爆発が巻き起こり、男は爆風に煽られて吹き飛んで人通りのある大通りの真ん中まで転がっていく。

 それを追いかけ、追撃の魔術を叩き込まんとしたところで、起き上がった男の両手の指に挟まる八本の黒塗りの短剣を確認。同時にこちらにむけてニヤケ面を浮かべて投擲してくる。

 しかし八本同時投擲という荒技の所為か、どれもあらぬ方向に投げられ、一本だけが前に出ているエドワードに飛来。余裕を持って剣でたたき落とした。

 そのまま吶喊せんと脚に力を込めたところで、リックの鋭い声が鼓膜に突き刺さる。

「周りを見ろッ!」

 停止し、周囲を見ようとしたところで横合いから衝撃。それなりの質量のものがぶつかったような、重たい衝撃に思わずエドワードはバランスを崩して倒れこんだ。

 そのまま腰に何かが取りつき、起こすまいと押さえつけられる。何事か、と視線を下ろし、思わず絶句した。

 腰に取り付くのは、明らかに買い物後とみられる袋を持った一般人の女性。しかし、その頚部には真横から深々と黒塗りの短剣が突き刺さり、骨にまで達しているだろう。しかし、無表情のまま、瞳には混乱の色を宿して、途轍もない力でエドワードを抑え込んでいる。

 黒塗りの短剣には淡い燐光を放つ幾何学模様が刻み込まれており、明らかに何らかの効果を及ぼしているのは明白だった。

 先ほどの投擲はこれが目的か、と理解し、同時に怖気。周囲を見れば、こちらへとよろよろとした動きで向かって来ようとしている男性や女性、老人の姿がある。

「ひひ、あはははははっ! どうかな? 気に入ってくれたかな、私の『支配刃ルールブレード』は! さあ、私の尖兵となった者どもと存分に戦ってみてくれたまえ。まあ、できるものならな!」

「くそ、お前……!」

 状況が一変。哄笑する男に、エドワードは表情を歪ませた。

 これが彼女ジェイミィを操った方法であることを理解し、同時にその卑劣さに怒りが沸いてくる。

 操られているとはいえ、相手は何の罪もない一般人。瞳には明らかに本人のものと思われる意思が残っているし、首に深々と刺さる短剣で死んでいるわけではない。死者だからと攻撃できるわけでもないのだ。

 無理やり振り払おうとするも、女性のものとは思えない力で抑えつけられており、これをどうにかするには、それこそ暴力に頼るしかない。しかし、それをしてしまっていいものか。

 迷いがエドワードの動きを止め、その隙に操られた一般人の男性がエドワードの両手を抑え込んだ。

 見れば、アーサーとリックのほうにも、幽鬼のような足取りの一般人たちが向かっており、それをどうするか、と迷う二人はただ後退することしかできていない。

 完全な手詰まり。先ほどまでの優位は完全に失せ、紅い男の独壇場となってしまった。

 それを同じく理解したのだろう。油断なくステッキと長剣を構えていた男は、剣を納めてステッキをつき、優雅に紳士ぶって一礼する。その隣には、首に短剣の刺さった少女が恐怖の眼差しで立ち尽くしており、明らかに魔術を撃たせないように配置していた。

「さてさて、場が落ち着いたところで、遅ればせながら自己紹介でもしようか。私の名は嗜虐者サド。もちろん本名ではないし、今回の任務のためのあだ名コードネームといったところ。覚える必要はないさ、ええ、これから死んでしまうんだからっ!」

 アーサーのソレがかわいく見えるほどの腹立たしいニヤケ面を見せつけながら、サドと名乗った男は腰から一本の短剣を引き抜く。

 それを指の上で踊らながら、サドは舐るような視線をエドワードに向けた。

「さてさて、この状況、どうしたものかな? 警察は別件で動けなくしているし、邪魔が入ることはなさそうだ。もう一人いたらしいが、まあ、王女の護衛で来やしないだろう。と、くれば……」

 ぐちゃり、と口の端を裂けるように開いて笑みを浮かべ、サドは喜悦の極みと言わんばかりにくつくつと笑い出す。

 そして、ゆったりとした足取りでもがくエドワードの傍までやってくると、短剣を逆手に構えてしゃがみこんだ。

「私はねえ、名前の通り、ちょっとした嗜虐趣味があるのだよ。こうして短剣で人間を操り、愛し合う人間同士で殺し合わせたり、今の状況のように攻撃できない懊悩を抱えるさまを見るのもなかなかにたかぶるものがあるのだがねぇ」

 謳うように自らの残虐さを吐露しながら、サドは刃をゆっくり、見せつけるようにエドワードの右腕に近づけていく。

 そして、一旦皮膚に触れる手前で止めると、サドはその顔を残酷な笑みでさらに引き裂いた。

「やっぱりさぁ、自分の手で肉に刃を突き立てる感触を得ながら、激痛に悶え苦しむ様を見るのがいっちばん気持ちいい・・・・・よねぇっ!」

 言うが早いか、勢いをつけた短剣がエドワードの右腕を貫いた。

 瞬間――

「――――があああぁぁアァァァあああアアああッッッ!!!」

 視界が白熱し、痛みが爆発し、脳髄を抉り刻むような感覚がエドワードを絶叫させた。

 激痛どころの話ではない。右足を失った痛みよりも、遥かにおぞましい・・・・・

 右腕が内側から無数の棘に貫かれ、その上で指先から数ミリ単位で念入りに刻まれているのかのような、そんな痛感がエドワードの脳を嬲っているのだ。

 その様をみて、サドは自らの顔面に掴みかかって笑いを抑えようとし、それでも抑えきれずに爆笑を周囲にまき散らした。その股座はおぞましくもいきり立ち、スーツのズボンを変形させている。

「ひぃーっっっひっひっひっひ!!! アッハハハッハッハッハハハハハッッ!! ぎ、ぎもぢいいぃぃ……」

 裂けた口の端から涎を垂れ零し、白目を剥いて笑い続ける様は、明らかに狂っていた。

 しかし、そんな敵の様子に気を配るほどエドワードには余裕がない。今も右腕を貫いて地面に縫い付ける短剣は、明らかに見た目以上の激痛で脳髄を犯しており、ショックで体中を痙攣させているのだ。

 何もできないエドワードを前に、笑い続ける男は僅かに落ち着いたのか、顎を伝う透明な液体を拭うと、エドワードにこれでもかと顔を近づけて嗤う。

「ひひひ、痛いか? 痛いよなぁ? 私の持つナイフは、私自身に刻まれた『重痛刃ペインブレード』によって、傷つけた相手の痛覚を万倍に錯覚させる効果があるのだよ。そう! お前は、今、死ぬよりも辛い痛みを味わっているのさ!」

 わざわざ解説をのたまう男を無視して、エドワードはどうにか意識の手綱を取り戻し、魔術式を紡がんと集中する。

 しかし、それを見越したのか否か。

 サドは、乱雑な動きでエドワードの右腕に突き刺さる短剣を思い切り、踏みにじった。

「――――ぎ、い、いいぃィぃイイいぃイイ……ッッッ!」

「ひぃーっはっはっはっはっはっ! いいぞぉ、エドワード・デフトォ! お前の悲鳴は最高だァ!」

 白目を剝かんばかりのエドワードの有様に、心底腹を抱えて笑うサド。

 目じりに涙さえ浮かべて笑い転げる男は、「ああ」と思い出したように呟いた。

「あの女も、お前ほどじゃないがイイ悲鳴を上げてくれてたなぁ、えぇ? その割には、最期は呆気なく死んでしまってつまらないものだったがな。ククッ、『たすけて』、だとさ! どうせなら壮絶に悲鳴を上げればよかったのになあ!」

 一瞬、誰のことを言っているのかわからなかった。

 否、理解したくなかった。だが、それでも、エドワードの明晰な頭は、サドが誰を指して言っているのか理解してしまった。

 奴は、ジェイミィを操って自爆させたのに飽き足らず、この激痛の刃で嬲ったというのだ。

 怒りが、再び、沸騰する。

 あんなに小さな肩を震わせていた少女を。カレンと歳の違わない、たった十九年しか生きていない少女を。

 この男は殺したのだ。

 あの少女の死に、相棒カレンの「もしもの死」を投影したつもりはない。しかし、それでも、二人はあまりにもいろんな意味で似通っていて、一歩間違えば誰が死んでいたかわからなかった。

 だからこそ、許せない。エドワードの怒りが、烈火のごとく燃え盛る。

 痛みなど思慮の外へ。乗り越えねば次に死ぬのは自分であり、それをこの紅い男くそやろうに許すほど懐は広くない。

 長剣の切っ先に魔術式を展開する。

 それに気づいたサドが驚きに目を見開くも、遅い。

、ね、グゾ野郎ッ」

 嗄れた喉で吐き捨てて、発動。

 エドワードの上にのしかかる二人の一般人を巻き込んで、『爆裂エクスプロード』の爆風がその場にいた全員を吹き飛ばした。

「がっ、ぐっ……な、にぃ!?」

 爆風に吹き飛ばされ、街灯に背中から叩きつけられたサドが信じられないとでも言いたげに目を見開く。

 その前で、拘束から逃れたエドワードはよろよろと起き上がる。歯を食いしばって右腕に突き刺さる短剣を引き抜き、放り捨てる。

「お前、一般人を巻き込んだなッ? ハハッ、王女様の護衛のためなら多少の犠牲もやむなし、というわけかぁ? 大したご身分――」

「うるせえ」

「あ?」

 嘲弄し、大仰な動きで刃を突きつけるサドの言葉を切り捨てる。

 左手で長剣を構えなおし、エドワードは言い切った。

「これは、極めて個人的な復讐だ。護衛だなんだとどうでもいい。一般人だって、ちょっと骨折させるくらいに留めることができる。お前の攻撃だって傷さえ受けなければ痛くはない。もう、お前の手は通じないぞ」

 言うが早いか、左手の長剣で切りかかる。

 難なく短剣で受けるサドの目の前で式を紡ぎ、発動。『凍結フリージング』が一気に短剣を凍結させ、慌てて柄から手を放すサドの腹部にエドワードの回し蹴りが炸裂。

 重い一撃に腹を抱えて思わず後退する男に、さらに唯一高速で紡げる『風衝ウィンドストライク』の猛烈な風圧によって、一撃で思い切り吹き飛ばした。

 トラックに体当たりでもされたかのような勢いで吹き飛ぶサドに、追撃の魔術を放とうとしたところで、その進路に集まる数人の男女。サドの手先となった人々が邪魔をせんとしていた。

 しかし、それを一瞥しただけで、エドワードは躊躇なく魔術を発動。

 『風衝ウィンドストライク』が人々を思い切り吹き飛ばし、その向こうで起き上がったサドが信じられないものを見るような表情を浮かべている。

「お、お前、それでも王女の護衛かッ?」

「なにを驚いてるんだ、犯罪者。やってることはお前と変わらないだろう?」

 目を見開くサドの眼前で、発動した『爆裂エクスプロード』が炸裂。サドはさらに爆風に吹き飛ばされる。

 それをのんびりした足取りで追いかけて、起き上がりざまにサドの投擲した短剣を弾いて叩き落した。

「ジェイミィの受けた痛みを、苦しみを、せいぜい味わわせてやるよ。お前の大好きな嗜虐で、嬲り殺してやる」

 冷たい碧眼で、エドワードはサドを見下ろし、宣告する。

 目を見開き、動きを止めたサドは、しかし有り得ないとでも言いたげにかぶりを振って長剣を引き抜いた。

「ふざけるな、ふざけるな! お前などに、お前などに私が恐怖を感じるものかっ! 今すぐ、私の目の前で、悶え苦しんで死ねェ!」

 立ち上がり、長剣をエドワードに向けて叩きつける。それを容易く受け止め、こちらを狙うステッキを蹴飛ばして照準を狂わせる。あらぬ方向に風の砲弾はとんでいき、その隙に式を構築。

 『灼熱刃ヒートブレード』を発動し、サドの剣と一合、二合と激しく剣戟を重ねる。

 薙ぎ払う剣を受け止め、力の限り弾き飛ばし、突き込んだ剣は間一髪のところでステッキに弾かれる。同時に放たれる風の砲弾に、穴の開いた右腕を無理やり振るって防御。

 自身の骨が折れ砕ける音を聞きながら、しかし無視。

 ギョッとして驚く男の隙を突き、灼熱の長剣を一閃。サドの胴を袈裟に切り裂き、同時に血肉の焼ける異音がする。

「ぐうううぅぅっ!?」

 己の肉の焼ける臭いに、思わず苦悶の声を漏らすサド。

 一撃は浅かったが故に致命傷にならず、しかしその故に激痛はより強く感じられる。

 それにより、目の前のエドワードは本気で嬲り殺そうとしているのだとようやく理解したサドは、その表情にありありと恐怖を浮かべ、「くそがぁ!」と距離を開けて懐に手を突っ込んだ。

 そして出した手に握られているのは、式の刻まれた拳大の石。それを大地に叩きつけようとして――一条の光線に、腕を貫かれた。

「があっ!?」

 思わず腕を抑えるサドの目に映ったのは、エドワードの後方で杖を構えるリックの姿。その後方では、光の縄にまとめて縛られたサドの手先達が転がっていた。無力化する方法をきちんと編み出していたのだ。

 それでも、と石を起動させようとするサドだが、次の瞬間には石を握る拳が宙を舞う。

 下手人は、アーサー。背後から静かに近づき、その一閃で腕を切り捨てたのだ。

 そのままブロードソードを旋回。手繰られた剣は勢いよく背中からサドを貫き、その腹部から刀身が飛び出る。

 悲鳴すら上げられずに口を大きく開いて停止するサドの頭に、そっと、エドワードの剣の切っ先がわずかに刺さる。

「死ね」

 同時、爆発。

 切っ先から爆破されたサドの頭部は呆気なくも吹き飛び、周囲に脳漿のうしょうと頭蓋の破片を散らして、完全に嗜虐者は絶命した。

 それを間近に浴びながら、エドワードは静かに表情を歪めて、首を緩く横に振った。

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