04

「あー、くっそ、雑な仕事したなアイツ……」

 痛む脇腹に、思わず顔をしかめたエドワードは仕方ないとは思いつつも愚痴を漏らさずには居られなかった。

 そんな彼に、心配そうな表情を浮かべたカレンが言葉をかける。

「大丈夫? もう一度治療に行った方がいいんじゃ……」

「ああ、いや。もう傷は塞いじまったからな。行ったって痛み止めしか貰えない」

 行っても仕方ない、と首を振るエドワードは、「大丈夫だ」と手を振ってカレンにジェスチャーを送りながら部屋の様子を見やる。

 部屋にいるのはエドワードら含めて五人。王女と従者、そしてその護衛の三人だ。部屋の外ではアーサーが見張りをしており、中にいるのはリックである。

 廃教会での戦いの後、意識を失ったエドワードを連れてカレンが最初に訪れたのは、女医ザラの営む医療院だった。一刻も早く解毒せねばならない状況で、色々と隠さねばならない事情がある中で治療を頼めるのは彼女しか居なかったからだ。

 大怪我ばかりするエドワードはザラにとっても上客であるようで、深く事情は聞かず、医療時間外でも対応してくれたのは確かに助かることだった。治療費を多少ぼったくった上、脇腹の傷に対して欠伸しながら適当な手つきで治療したのを考慮しなければだが。

 その後、カレンの通信魔具にアーサーから連絡が入り、二時間ほどで意識を取り戻したエドワードを伴って王女の護衛に復帰したのである。

 早速手痛い出費をさせてくれたな、と脳内で陰湿な笑みを浮かべる女医に爆裂魔術を叩き込むストレス発散をしているエドワードに、リックが冷たい視線を投げかけながら問う。

「それで、奴を取り逃がした、ということか」

「ああ。……仕方ないだろう、あのいつでも逃げられてどこにでも出られる能力は厄介にすぎる」

 思考を切り替え、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、エドワードは思い出す。廃教会で戦ったあの暗殺者の力は、恐ろしいほど暗殺向きだ。

 今この瞬間にも、現れる可能性があるというのだ。常に緊張を強いられる現状に、話を聞いて黙りこくる王女の顔は心なしか青い。

 どう対応すべきか、と頭を悩ませるエドワードに、同様に何かを悩む様子のリックが口を開く。

「確かに、聞いた限りでは恐ろしいことこの上ないが……そうだな、まずは暗殺者の能力がどういったものかを考えてみるか。まず魔術による事象として考えてみよう。特異体質や帝国の新たな新技術など、考えてもどうしようもないもののことはいったん忘れろ」

「分析だな。しかし、魔術だとすると……おかしい・・・・ってことになるぞ」

 リックの提案に、打開策のほしいエドワードは乗って考え始めるものの、すぐに首を捻って結論を述べた。

 正面のリックも頷き、話を続ける。

「ああ。聞く限り、見た限りでは明らかに転移系の魔術ということになるが……転移系の魔術は治癒系のものと同じく、古代魔術にしか存在しない。そして同時に、転移系の古代魔術には莫大な希少物質と魔力、そして膨大な式が必要だ。仮に刺青を、刻み込んだ魔術式として膨大な式の代用にしたとしても、それほど頻繁かつ正確に転移できるはずがない。転移魔術の式は毎回書き換えなければ、同じ場所にいつも移動してしまうだけのはずだからな」

「ああ。式に現在位置と転移先の位置を魔術記号でどうにか入力しなければ、転移は成功しない。しかし奴は毎回魔術式を展開していた様子はなかった、と見れば、奴の魔術は転移魔術ではない、或いは」

「式に入力する手間や、膨大な魔力、希少物質などを省く魔術記号を代入している、ということになるな」

 宮廷魔術師の知識と日頃から魔術研究を欠かさないエドワードの知識が、仮定だらけとはいえ暗殺者の能力の輪郭を少しずつ明らかにしていく。

 その様子を興味深げに見ながら、王女は従者のジェイミィに飲み物を用意するよう言付けた。恐らく議論は長引いて喉が渇くであろう、と王女が気を利かしたのだ。

 しかし、そんな王女の気遣いにも気づかず、二人は分析の世界に没頭する。

「では、何を代入しているか、となるが……奴の転移に何かの規則性はなかったか?」

「そうだな……常に地面に吸い込まれるように消えていたから、ただの転移ではないはず。通常の転移は即座にその場から消えるらしいし」

「よく知っているな。……ふむ、すると、地面の上ならどこにでも、か?」

「いや、天井から移動したり、壁に消えたりしていた。それに教会の床は全てが大理石のタイルであったし、地面ではあり得ない。かといって木造の上なら転移できる、というわけでもなさそうだな。」

 戦闘の状況をできるだけ思い出そうと、エドワードは首を捻るもこれといった共通項は導き出せなかった。そもそも、夜中の屋内の戦闘で明かりのない状況。仮に暗殺者が何かしらの仕掛けをしていたとしても視界に映ることすらなかったかもしれない。

 しかし、思い出すことは無駄ではなかった。戦闘中のふとした違和感を思い出し、口に出す。

「そういえば、奴が転移をしなかった瞬間があったな」

「というと?」

「空中から地面に叩きつけられたあと、そこへカレンが追撃したときだ。そのまま地面に潜って転移すればいいものを、わざわざ起き上がって回避していたんだ」

「奴も咄嗟の転移というのはできない、ということか? 確かに、転移魔術は式をきちんと調整しなければ、悲惨な『事故』が待っている。奴の対応能力を超える飽和攻撃を行えば、逃がすことなく討てる、か」

「そういうことになる、のか。或いは、地面に潜ったところにカレンの『魔術殺しマジックキラー』を突き立てられると、魔術が散らされてどうなるかわかったものじゃなかったからかもしれないな。だが、それは奴の転移を破るには対症療法的だ」

「うむ……もう一度、最初から思い出してみるか」

 部屋から出たジェイミィとアーサーが二、三言葉を交わす声にも気づかず、二人は分析を進めていく。

 そして、カレンとアーサーが見張りを交代し、彼が部屋の中に入ってきたのにも声をかけられてようやく気づいたほどだった。

「おっ、お二人さんやってるねェ。どう? なんかわかった?」

「やかましいぞアーサー。今思い出しているところだ。黙っていろ」

「今いいところなんだ、茶化さないでくれ」

「わ、悪かったヨ……」

 非難の集中砲火を浴び、軽薄な男も流石にふざけていられないのか、消沈して部屋の隅っこに引っ込んだ。

 それを見もせず、襲撃直後を思いだした二人は首を傾げる。

「そもそも、何故、奴は俺の足下から襲撃を? 天井にでもジェイミィの傍でも、もっと襲撃に適した場所はあったはずだ」

 第一の疑問は、暗殺者の最初の出現位置だ。度肝は抜かれたが、しかし、暗殺に最適であったかと思えばそうではない。もっといい位置から出てきてもよかったはずということになる。それこそ、王女の足下など。

 エドワードの言葉に、リックも同意を示して頷く。

「確かに、な。貴様を最初に無力化したかったのならもっといい一撃を見舞っていたはずだ。そうでもなく、飽くまで王女を狙っていた。そのための努力を怠るとは、随分生ぬるいことだ」

「あんな爆発まで使った奴が、暗殺に本気じゃなかったとは思えない。だとするなら、わざわざ俺の足下から出たんじゃなく、俺の足下からじゃなければ出られなかった、というのが正しいんだろうな」

 疑問に一つの結論を見出す。

 あの狭い応接間で、エドワードの足下でなければならなかった理由とは。

 思わず視線を落として足下を睨むエドワードだが、いつも通り、くたびれたブーツとその足裏にまとわりつく影しかない。

 首を傾げるエドワードに、リックはぽつりと呟く。

「そういえば、開いていたな」

「ん? 何がだ?」

「扉だ、応接室のな。ジェイミィが入ってきた後、建て付けが悪かったのか勝手に開いていた」

「……そこから、奴がのぞいてたりとかは?」

「人影など見なかったが……いや、貴様らの座るソファが邪魔でよく見えなかった、が」

 まさかな、と苦笑いを浮かべるリックだが、エドワードの表情は真剣だ。

「奴が、お前たちに見えないようにしゃがみ込んでドアの下の方からのぞき込んでいた、としたら?」

 そういうエドワードの言葉を、想像してみればいかにも滑稽である。しかし、エドワードは本気で言っていて、リックも考察の余地ありと思ったのか表情を正した。

「そうすると、だ。見えるのはソファの下から見える、俺とカレンの足になる。カレンは武装していて、脚甲をつけていたのも見えただろう。すると、比較的軽装の俺のほうを選んで転移した、と考えれば、まあ、自然な方だ」

「そう……か? 確かに、そう考えると見えるのは貴様らの足下だけ。そして、転移したのは貴様の足下。この二つを併せて考えるなら……奴は『視界内にしか転移できない』ということか?」

 リックが首を捻りながら出した結論に、エドワードは首肯する。

 エドワードの考えが正しいのなら、そういうことになる。色々と仮定や想像が多いので、思いこみの範囲を出ないのも確かだが。

 リックは、カーテンで締め切った窓と僅かにも開いていない扉を見やりながら頷く。

「そう考えるなら、奴が王女の背後に転移しなかったのも、今この瞬間に転移してこないのもわからんでもない。視界内に限定するなら、魔術式の簡略化も、可能と言えば可能かもしれないな。なるほど、ひとまずはそう考えておくか」

「ああ。扉の開閉と周囲の人間の存在に気をつけさえすれば、奴に関してはそれほど警戒しなくてもいいかもしれないな」

 そう結論づけ、肩の力を抜いたエドワードはいつの間にか運ばれてきていたカップに気づく。ジェイミィを見れば恐縮したようにお辞儀しており、その横でベッドに腰掛ける王女が微笑んでいた。

「議論は終わり? なら、一服して落ち着くのもいいでしょう」

「む、お気遣い痛み入ります、殿下」

 王女の言葉に、慌てて頭を下げるリック。それに倣って頭を下げつつ、エドワードは意識を失う直前の記憶を思い出していた。

「そういえば、殿下。奴は自分のことを『死神部隊デッドマンズ』と名乗っておりました。何かご存知ですか?」

「デッドマンズ……そうですね、噂程度なら、帝国むこうで聞いた覚えがあります。なんでも、構成員が誰であるか、何人居るのかも、帝国内では皇帝自身しか知らないとされる秘密部隊だとか。その存在だけが帝国中に知らしめられているようで、反逆者に対する抑止として働いている部隊である、という程度しか聞き及んでいません」

「なるほど……ありがとうございます」

 つまりは皇帝お抱えの特殊部隊か、と把握し、厄介な相手が来た事実を前に表情がわずかに苦くなる。

 それを見たのか、それとも先ほどの話から思い出したのか、王女が言葉を続ける。

「コロミア帝国は、古代文明の遺跡の出土が他国より遥かに多い関係から、古代魔術に関する研究が盛んだと聞きます。例の死神部隊も、皇帝直属となれば、それらの研究の成果を武器にしているのかもしれませんね」

「と、いうことは、アレレベルの未知の魔術を操る輩がまだまだ襲ってくる、と。なんと、まあ」

 王女の話に実に気が重くなるエドワード。目に見えてげんなりする護衛に、王女は笑みを浮かべて「期待していますよ」と激励の言葉を賜る。

 それに応えぬわけにもいかず、これから確実に待っているであろう激戦を予期したエドワードは乾いた笑みを浮かべて「全力を尽くしますとも」と返すしかなかったのだった。









 エドワードらが暗殺者の能力について論じていたのと同時刻。

 トゥリエスのどこかの廃ビルの一フロアに集まる、三つの影があった。

 その内の一つ。窓際に立ち、星々の明かりに照らされた男の全身には刺青が這い回っていた。まさに議論の対象である暗殺者その人である。

 その向かいで、ゴミ捨て場から拾ってきたような使い古した椅子に優雅に腰掛けるのは、浅葱色の瞳を爛々と輝かせ、執拗に刺青まみれの両手をこすり合わせる男。どこかで警官二人を殺した犯人であった。

 残る一人は、フロアの端っこで蹲って丸い形を維持したまま微塵も動きを見せない。

 そいつを気にした風もなく、椅子に座る男は鮮やかな水色の視線を窓際の男に投げかけた。

「それで、どうだった? カワード」

 卑怯者カワード、と呼ばれた男は、その呼称に特に気にした風もなく、「あいつらねぇ」と粘っこい声で返事する。

「なかなかヤる感じだったぜぇ? この街の有名人ってだけはある、って感じ。でもま、次は俺様の勝ちだなぁ。無敵の俺様の魔術は破れねえよぉ」

「油断はしないことだな。小心者のお前は予想外のことには弱いと常々言ってあるはずだ」

「おぉおぉ、そうでしたぁ。マーシーさんの言うことは正しいもんねぇ」

 マーシーと呼ばれた男がカワードを窘めるが、対する彼はどこ吹く風で小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。

 それを受けて、浅葱色の瞳が僅かに細まり、こすり合わせる手がぴたりと止まった。カワードも星空に投げていた視線を下してマーシーに向ける。

 ピリリ、と空気が突然張り詰め、マーシーが好戦的な笑みを口元に浮かべた。

「この慈悲深い俺を挑発するのは、あまり賢くないな」

「ハッ。自分で自分に慈悲深き者マーシーなんて名付けてちゃ世話ねえよなぁ。この世で誰よりも無慈悲なを持ってるくせによぉ」

 双方とも笑みを湛えたまま、空気だけが張り詰めていく。

 沈黙し、緊張を孕んだ空気が最高潮に達しようとし――突如として響き渡った大音声が全てを引き裂いた。

「ムハ! ムハハハ! よぅく寝たゾォ!」

 音源は、これまで沈黙していた丸い影。ぐぐ、と丸めていた体を伸びをするように引き伸ばし、起き上がった姿は二メートルを超える半裸の巨漢だった。その両腕には、同じく刺青が施されている。

 そんな傍迷惑にうるさい巨漢の銅鑼声に、思わず視線を向けた二人は同時にため息を吐いた。緊張した空気は当の昔に弛緩し、カワードは再び星空へと視線を投げる。

 マーシーはあきれたようにもう一度嘆息し、巨漢へと声を投げかけた。

「ようやくお目覚めか、愚か者フール。三日ぶりか?」

「んん? おお! 久しぶりだなリーダー! カワードも相変わらず不健康そうな顔面をしている!」

「うるせぇ。一々叫ばなきゃ気が済まねぇのかこの馬鹿がよぉ」

 夜だというのに周囲のことを一切考慮しない大声に、カワードが星空を眺めたまま悪態を垂れる。

 そんな彼の言葉にも頓着せず、何が面白いのか「ムハハハハハ!」と笑い続けるフールを無視してマーシーはカワードに尋ねる。

「それで、あと一人は、嗜虐者サドの野郎はどうした」

「さぁ? 遊び・・に行くっつったきり戻ってこねぇな。相当お楽しみ・・・・なんじゃねぇ?」

「どいつもこいつも……」

 ため息を吐き、マーシーはやれやれと頭を振る。この一団のリーダーらしいこの男は、苦労性のようだった。

 眉間を揉みこみ、頭痛を振り払うように言葉をこぼす。

「本国も何を考えているんだろうな。国内での活動にのみ絞っていた俺たちを差し向けるなど……」

「そんだけ焦ってて、そんで俺様たちがユーシューってことだろぉ?」

「馬鹿が。それだけで使われるほど、俺たちは安くない・・・・

「ふぅん。ま、俺様にはどうでもいいけどなぁ」

 すぐに議論に興味を失って空を眺める作業に戻るカワードに、何度目かわからないため息をこぼしながらマーシーは首を振る。

「何かがおかしい。が、確かめる暇はない。結局のところ、俺たちは皇帝陛下の刃を務めるしかない、か」

「そういうことだぁ。さ、準備しようぜぇ。王都から援軍が来るのは二日後だって話だからな」

「ムハハハ! なんだ、出番かっ!」

 結論を出し、結局のところ思考を放棄したマーシーに、カワードはひらひらと手を振って肯定する。そのまま、カワードは並び立つ二人の手を取った。

 同時に、先ほどまで見上げていた星空が曇りだし、廃ビルのそのフロアを照らしていた光源が失われる。

 沈黙。

 しばらくしたのち、そこにあったはずの人影は、いつの間にか完全に姿を消したのであった。

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