第四章 銀姫の盾

プロローグ

 ジリジリとした暑さの根強かった夏が過ぎ、そしてさらに残暑も失せ始め、トゥリエスにはいつの間にか秋の口が訪れていた。

 かの大事件たる大量発生スタンピードから二ヶ月が過ぎ、現れた魔物に荒らされたトゥリエスの一画も、復興が一段落した頃である。

 人語を解す魔物が飛び回ったことで被害を受けたストリートも今や人通りは復活し、むしろ被害の創痕を珍しがって訪れる人間の数は増えていたりしていた。人の図太さとはそんなものである。

 一方で、竜の一撃をもろに受けた西の一画は、行方不明者の割り出しと捜索が完了した時点で、ほとんどの人の姿は消えていた。

 最低限、建物が倒壊しないように措置が施された後は、誰もが恐ろしがって人は去り、放置。またしてもあの暴力の化身が現れるのではないかと不安がった人々は、ほとんど寄りつかなくなってしまった。

 しかし、それも時間が解決することだろう。


 そんなトゥリエスで、今日も今日とて、デフト探偵事務所の全職員たる二人は本日分の依頼を午前の内にどうにか片付け、涼しくなった事務室内で何をするわけでもなく沈黙のまま時間を過ごしていた。

 ラジオの抑揚のない、天気予報を伝える音声だけが室内を通り過ぎていく。

 休み以外で、午後に仕事のない日はこの二ヶ月では二人にとってもう珍しかった。なぜかといえば、連日予定表が埋まるほど、次々と依頼がもたらされていたからである。

 その理由はというなら、当然ながらに二ヶ月前の大事件がそうだろう。街中をトラックで駆け回り、その果てに魔物を見事討伐。そしてその上、さらに現れたドラゴンをその極光の魔術で打ち倒したという功績があるのである。

 戦いの現場にほとんど人は残っていなかったが、それでもわずかな人々の証言と警察フェリックスの「事態の早急な解決は協力者の尽力によるもの」という言葉によって自ずとエドワードの存在が明るみになったのだ。

 その結果、彼の開く探偵事務所には数多くの依頼や取材が舞い込むことになり、かつてない恐ろしいほどの忙しさにエドワードは悲鳴をあげていた。

 しかも、どれもが彼の武力を期待しての物騒な依頼が大半であったことから、どうしても身体を動かす羽目になり、疲労から一時期は目から光が消えて死んだ魚の目のようになっていたほどだ。

 基礎体力の違うカレンはそれほどではなかったが、どうにも彼のおまけ扱いする依頼者にご立腹していたのは余談である。

 そんなわけで、せっかく生まれた余暇を満喫すべく、会話する忙しさからすら逃げて机に突っ伏すエドワード。そんな彼を見て、あきれた顔をしてからカレンは読書の世界に潜り込んでいた。

 窓の外の雑踏の騒がしさと流れるラジオのニュースだけが、沈黙の空間をかろうじて音のある世界に彩っている。

『コロミア帝国との和平に向けて使節団が出発してから五か月が経ちましたが、未だ条約の締結は成っていないとのことです。和平使節団代表の使者第三王女は現在も帝国領土内で奮闘中とのことで、王女殿下の政治手腕が試されています――』

『五か月前に事件に巻き込まれ、一時は解散の憂き目にあったベースボール団のトゥリエスレッドですが、先日復活試合を行い、なんと華々しい勝利を遂げました。外国からスカウトしたというジーモン選手による二回の満塁ホームランが大打撃となったようで――』

『本日の特集は、二か月前の大量発生スタンピードにおける警察の活躍についてです。ゲストとして、魔術犯罪課のフェリックス・ウィルキンズ氏に来ていただいております! フェリックスさん、あの災害において大活躍なされたそうですが、あれほど迅速に事態に対処できた理由を改めて伺ってもよろしいでしょうか』

『ええ、もちろんです。あの時は偶然、別の案件でトゥリエス北部で捜査を行っていた幸運がありましたので、あれほど素早く対応ができました。しかし、誠に残念ながら、我々だけでは対処しきれなかった部分があったのも事実。そこを補填してくれたのが、外部協力者の――』

 聞き覚えのある声が妙なことを言い始めたあたりで、エドワードは手を伸ばしてラジオを切る。

 不快げに眉根を寄せながらエドワードはため息と共に吐き捨てた。

「あのオッサン、まだ言うか。感謝、感謝、と言いながら、実は俺たちに嫌がらせしたいだけじゃないのか?」

「考え過ぎよ。彼のおかげで仕事が増えておいしいご飯が食べられるんだから、そこは感謝しなさいよ」

 あまりの多忙さにその元凶へと文句を垂れるエドワードに、それは贅沢な怒りだ、とカレンは窘める。

 実際、仕事が増えた分だけ収入も増えており、毎晩外食しても多少は大丈夫なほどにはデフト探偵事務所の懐は潤っていた。忙しければ忙しいほど収入が増えるのだが、あまりの忙しさに散財する暇もない現状はエドワードにとって実に忸怩たる思いを抱かずにはいられないようだ。

 カレンに呆れ混じりに言われてしまい、エドワードはそれ以上紡ごうとした文句を引っ込める。ただでさえ疲れているのに、悪口垂れても自分にとっても精神衛生上よくなかろう、と己を納得させつつ、ちょうど話題に出たご飯について思考を巡らす。

 今は昼時、まだ昼食はとっておらず、確か依頼を片付ける片手間で摂る予定だったはずだ。それが午前であっさり片付いたので、とりあえず事務所に帰ってきて今に至る。

 今日も隣の飲食店で適当に食うかなぁ、などとぼんやり考えつつ、読書に勤しむカレンを眺めるエドワードだが、はたと思考が別の方向に流れていく。

 適当に投げていただけの視線に力がこもる。目を凝らすように眉間に皺が寄り、じ、とカレンを睨みつけた。

 流石に力のこもった視線を投げつけられて気づかない精鋭部隊の一員ではなく、カレンは強面になっているエドワードを見て多少たじろぎながら疑問を口にする。

「な、なに?」

「いや……その、なんだ」

 言いよどむエドワード。何かに気づいたようだが、何故か言うのをためらっている。

 ゴミでもついているのかと手鏡を取り出して確認するカレンだが、そういった物がついている様子もない。

 視線をエドワードに投げてみるも、ちらちらとこちらに視線を寄越してはふいとそらしている。どこか困惑したような、何かを躊躇している雰囲気に、いつもの彼らしさを感じなくて、カレンもまた思わず困惑していた。

 二つの事件と数多の事務所への依頼を経て、距離感の縮まった二人は、かなり気兼ねなく話し合える仲だとカレン自身自負している。それはとても嬉しいことだし、適当な話題の会話でも退屈しない。

 それだけの仲だというのに、言いづらいこと。はて、と全く検討もつかず、小首を傾げる。

 改めて「なに?」と語気を強めて問うと、極めて言いづらそうにしながら、しかし決意を固めたようにエドワードは目をしっかりと合わせて口を開いた。

「カレン、お前――」

 重大なことを告げるかのように、重苦しい雰囲気を醸し出しながら、エドワードは勿体ぶる。

 その沈痛な面持ちにただならぬ物を感じたのか、思わず居住まいを正すカレンに、エドワードは、そっと、目をそらして、言った。

「――太ったな」

 沈黙。

「……は?」

 彼女にとって実にイミフメイな言葉に、口からはその単音しか出なかった。

 女性にとって大問題であるその宣告に、知らず発揮される威圧感に気圧されつつも、エドワードは目をそらしたまま言葉を続ける。

「いや、その、横顔の顎のラインとか、二の腕とかが、な?」

「え、ちょ、その、や、え?」

 カレンは言葉にならない動揺を口にしながら、エドワードに指摘された部位に手をやる。人差し指と親指で挟めば、数ヶ月前にはなかった、ぐに、という感触が彼女の心胆を震え上がらせた。

 いや、そんなバカな!? と心の中で叫びながら、ここ最近の己の行動を振り返る。

 仕事、仕事、休暇=食べ歩き、仕事、食べ歩き食べ歩き。

 思い返せば、休日は碌なことをしていないではないか。しかも、ほとんどがスイーツ系。犯罪組織を追っていた頃にはできなかった行為に思い切りどハマりしていた。

 思わずがっくりとうなだれるカレンに、エドワードの追撃が迫る。

「晩飯の外食、よく食ってたもんな。昨日、三人前はいってなかったか?」

 日頃の食事にも全く気を配っていなかったこともここで露呈した。だっておいしいんだもの……!

 組織を追っていた頃、寝る間も惜しんでの行軍、聞き込み、そして質素な携帯食料を食む毎日。

 それと比べて、今のなんと自堕落な。好きなだけ食べて、好きなだけ寝て、好きなだけ趣味の読書に没頭する。全く、精鋭部隊が聞いて呆れる。

 何より、こんな醜態、兄に知れたらどうなることか。きっと、いつもの三倍凄みを増した笑顔で三時間は説教されるに違いない。

 がっくりとうなだれていた頭を持ち上げて、幽鬼のようなおどろおどろしい視線でエドワードを睨みつける。

 かの地竜に比肩せんが如き視線の圧力に、思わず喉の奥で「ひっ」と悲鳴を飲み込むエドワード。そんな彼に、カレンはぬらりと立ち上がってぽつりと呟く。

「……特訓よ」

「え?」

「特訓よ! 特訓! 入隊したときの地獄の特訓をするのよ! あれを、あれをやれば元の体型に戻れるわッ」

 現実を知った女性特有の凄みに、思わずエドワードが身を引きながら頬をひきつらせてそっと頷く。

「そ、そうか。が、頑張れよ」

「なに言ってるの。エドもやるのよ」

「何故!?」

 目を剥いて驚愕する彼に、またも幽鬼のようなおどろおどろしい笑みを浮かべてカレンが何故かにじり寄る。

「ふ、ふふ、ふふふ、女性の身体をじっくり眺めて、しかも太ったどうだと言っておいて、何にもないだなんて都合がいいと思わない? それに、ほら、特訓も誰かと一緒にやった方が捗るし」

「い、いやだからな、絶対にやらんぞ。だいたい、太ったお前が――」

「あ?」

「イエ、ナンデモ……。と、とにかく、やらないからな。やらないから、ほら、寄るな、来るな」

 理不尽を言葉に換えて言い寄るカレンに、余計なことを言い掛けたエドワードが沈黙させられる。

 そのまま、所長机を挟んで謎の攻防戦が開幕しようとしたその直後、カタン、と乾いた音が二人の間に響きわたった。

 ふと、冷静になって二人とも音源に首を巡らせる。探偵事務所の入り口、そこに据えられた透明な郵便受けに、一通の封筒が落とされていた。

 互いに目を合わせて、唐突に馬鹿らしくなった二人は同時にため息をつき、エドワードは席に座り直してカレンは郵便受けに足を向ける。

 そのまま、封筒を取り出して中身を検めるカレンを見やるエドワードだが、彼女は突如、彫像のように固まってしまった。

 疑問に思い、近づいてみれば、短い文言と何かの紋様が書かれた紙を見て固まっているのが見て取れた。

 改めて紙の内容を見てみれば、そこにはどこの脅迫状だ、と言いたくなるような文言でこう書かれていた。

『カレン・ブリストル、エドワード・デフトを連れ、西トゥリエス第三教会に来られたし』

 カレンへの呼び出し状のようだが、目的などは全く書かれておらず、本気で呼ぶ気があるのかという内容。

 なんだこれは、と眉根を寄せるエドワードだが、続く紋様を見て、カレンと同じく硬直することとなる。

 それは、盾と獅子を象った紋章。

 不意に思いだされる、五ヶ月前の記憶。この紋章を掲げた名も知らぬ男に助けを求められた直後、巻き込まれたテロ組織との戦い。

 そう、ガロンツァール王家の紋章だった。

 硬直していたカレンがエドワードの横で再起動を果たし、慌ててポケットからプレート――彼女の所属を示す、交差する剣を背にした大木の紋章が彫られている――をそっとその王家の紋章に近づけた。

 すると、なんと大木の紋章が淡く輝きだしたのだ。それを見て、ごくりと喉を鳴らしたカレンは呟く。

「この紋章、本物よ……私のプレートと反応する特殊な魔術がかけられてる。こんな真似ができるの、王宮魔術師だけだもの」

「ということは、つまり……」

「ええ。王家からの、呼び出しよ」

 二人して、思わず顔を見合わせ、お互い混乱していることを改めて理解したのだった。









 王家からの呼び出しを、まさか無視するわけにも行かず、二人はトゥリエス西部の教会にやってきていた。そこは奇しくも人の姿消えた例の地区であり、誰とも会うことなくここへとやってこれていた。

 時刻は、手紙の裏に記載され、指定された夕刻。

 茜色の空に、王国ではほとんど信仰されていない十字教のシンボルが佇んでいる。二ヶ月前の事件よりも前から、経営難から西トゥリエス第三教会は廃教会となっていて、故に王家はここに二人を呼んだのかもしれない。

 そんな予想をしつつ、逆光に黒ずむ十字を見上げるエドワード。念のため、武装してきたのだが、それでも心の不安は拭えなかった。

 異様に、嫌な予感がするのだ。

 思えば、五ヶ月前の最初の事件も、二ヶ月前の大量発生も、何でもない日常を送っているところにたたき込まれていたのである。

 大事件に規則性を見出すのもおかしな話だと自覚はしているが、それでもエドワードには妙なジンクスに思えて仕方なかった。

 そんな彼の不安を感じ取ったのか、それともこの呼び出しに不信感を覚えているのか、カレンも眉根に峡谷を刻んでいる。

 しかし、疑っても仕方ない、と思ったのか、背中の大剣を一撫でしてから疑念を振り払うように緩く首を振った。

 そして、エドワードに目配せする。開けて、という指示だと理解し、エドワードは両開きの巨大な扉に手をかけた。

 ぐ、と力を込め、ゆっくりと開いた――直後。


 紅蓮の火球が、何の前触れもなくエドワードに襲いかかった。

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