04

 今日もまた、トゥリエスに差すカンカン照りの太陽光。一週間続く猛烈な炎天下は、トゥリエスの住民たちに体力の消耗を強いていた。

 例年にない三十五度越えの気温。空はいっそ気持ちいいほど澄み渡り、雲の姿はもはや彼方の影となっていた。この一週間、その姿を見た覚えがない。

 そんな日差しの下を、カレンは生ぬるい汗を気持ち悪げに拭いながら歩いている。

 今日の彼女の恰好は、日差しを遮る麦わら帽子に肩を出した白藍色のワンピース、肩には水玉模様のショルダーバッグだ。仕事のないオフの日の出で立ちである。

 その傍らに、エドワードの姿はない。今日は別行動を取っていた。

 理由は大したものではなく、そろそろ家の周りのお店や通りを行くぐらいなら迷わなくなったのと、一人でショッピングにでも洒落込もうかと思ったからだ。いつまでも、男性を外に待たせながらランジェリーショップに入ったりするのはどうかと思われることだという思いもあった。

 そんなわけで、オフの日でもだいたい一緒に街を歩いていた相棒の姿はなしに、カレンはバッグと小包片手に建物の影を探すようにしながら歩く。

 帽子の影の下でも肌をねぶられるような暑さを感じる今日という日に、本気で我が家へ帰ることを検討し始めるカレン。まだ外出して間もないし……、というどこか感じる惜しさに負けて、ちょうど影の中に発見したベンチにそそくさと座る。

 そこで、さっそくとばかりに小包を開封した。中には、数個のガロン揚げと何かを包んで膨らんだ黄色い三角形のものが一つ。

 とりあえずは、とガロン揚げを手にし、先ほどまでの気だるさとは一転した鼻歌でも奏でそうな上機嫌さで、小さな口を開けて頬張る。

 揚げたてのそれはまだ余熱で中身は熱く、舌の上でほくほくの芋が崩れて甘味を感じさせる。この炎天下で食べるにはちょっと躊躇する出来立てっぷりだが、それでも構わないほど、カレンはこの食べ物を気に入っていた。王都では食べたことのない類の代物に、彼女は少しばかりハマっていたのだ。

 そのまま、昼時からしばらく経っていたおかげで空きっ腹になっていた胃袋に残りのガロン揚げ数個をすべて放り込むと、彼女は満足げに笑みを浮かべて行儀が悪いと思いつつ指の油を舐めとる。

 ショルダーバッグから取り出したハンカチで指を拭いながら、しかし彼女はこれで終わりではない、とばかりに小包を再び開く。メインディッシュはこれからだ、とグルメな脳内カレンが囁いた。

 膨らんだ黄色い三角形のもの。その黄色の正体は、薄く広げて焼いた乳溶き小麦粉だ。カレンはそっと中身がこぼれないように持ち上げ、そして三角形の底辺へと勢いよくかぶりつく。

 乳溶き小麦粉の素朴な味が一瞬広がり、次の瞬間には脳がとろけるような濃厚な甘さが口内を蹂躙した。恍惚としながら自身がかじった跡を見てみれば、白いクリームと一緒にペースト状のカレンの髪と同じ色のものがみっちり詰まっている。よく見れば、その色の中には豆のような形が僅かに残っていた。

 これは、男爵芋と同じくガロンツァール王国特産の小豆だ。カレンの髪の色を表す元となったものである。

 よーく煮詰めたそれとクリームを、絶妙な熱加減で焼いた乳溶き小麦粉の生地で包んだもの――その名はクレープである。ここ最近、トゥリエスで流行し始めた新たな甘味だ。

 先ほど、歩いていて偶然見つけたソレを試しに買ってみたカレンが、あまりの美味しさにもう一つ買ってしまったものでもある。

 その体験したことのない甘さに、カレンは女性として体重など色々と気になりつつも、それでも夢中になってペロリと一個平らげてしまった。

 食べるのが下手なのか、指先と頬についてしまったクリームと小豆を舐めとりつつ、カレンはなんとはなしに帽子の下から俯きがちになっていた視線をあげる。このうだるような暑さの中でも、外を歩く人々の姿が見えた。

 皆、一様に暑さにやられて気怠そうだが、そんな中で意外にも子供というのは本当に元気だ。

 ぐったりする大人の手を引っ張って、あそこへ行きたい、早く行こう、などと騒いでいる。それにつられる形で親たちも笑みを浮かべて、「ちょっと待って」と歩調を速めるのだ。

 その様子を見ながら、カレンは不思議と笑みを浮かべる。実に、平和な光景。それは、カレンが追い求めるものの片鱗だった。

 カレンだけではない。彼女の所属する部隊にとっても、この光景を守り、維持することは至上命題であり、そのために必死で働いてきた。

 だから、こうして暇を甘受している現状に憂いがないわけではない。少しばかりの罪悪感を覚えるが、しかしエドワードを守るためだから仕方ない、と一つため息をこぼす。この妹は未だ兄の嘘を見破れていなかった。

 そうしてアンニュイな気分で街並みを眺めていれば、ふと、四人家族が歩く様子が目に留まる。

 柔らかく波打つ亜麻色の髪の女性と短く刈り上げた黒髪の男性。その二人の間で手を繋いで楽しそうに歩く小豆色の髪の女の子と、その一歩前で急かすように呼びかけながら歩く黒髪の男の子。背の高さから、男の子が兄だろうか。

 その光景に、強烈な既視感を覚えるカレン。いっそ頭痛とさえ捉えていい強烈な感覚に、思わず頭を押さえながら原因を探った。

 頭が、脳髄が、記憶が、思い出せと訴えかけている。その強い主張は間もなくカレンに既視感の意味を悟らせ、そしてその胸へと静かに虚無感を去来させたのだった。

 それは、かつての家族の姿。

 自分の前を兄が歩き、そして自分は両親に挟まれ、手を繋いで歩いている。

 まだ、両親が生きていた頃の記憶そのままの形が、目の前にあったのだ。

 思い出したからなんだという。今現在、家族がいる幸せを甘受する彼らに、この虚しさをぶつけろとでもいうのか。

 あまりにもくだらない発想に、カレンは乾いた笑みを浮かべながら、辛い気持ちを押し込めるように空を仰いだ。

 どこまでも澄み渡る青い空。

 あの日も、そんな腹立たしいほどの快晴だった。









 十年前、王都ツァール。

 千年以上もの歴史を孕むこの都は、それと比例して増加した人間の存在をその内側に抱き、当時、飽和した人口に頭を悩ませていた。

 当時は最寄りの街であるトゥリエスも魔術工業を主軸に発展し始めたばかりであり、そこへ出稼ぎに出るにはまだ不安な時期。それなら王都で働いた方がまだ金銭的にも利が出るというのが、当時の人々の判断だった。後に、大規模に発展したトゥリエスに人口の五分の一が流れるという恐ろしくも助かる事態が起きたわけだが、ここでは割愛する。

 中心から同心円状に王城、貴族街、庶民街、そしてスラムと広がり、外側にいくにつれて人の姿は恐ろしいほどに増えていた。それに比例するようにして犯罪係数も増加し、衛兵の巡回もほとんど意味を為さなくなっていたのだ。

 それが祟ったのか、単に運が悪かったのか。

 庶民街の端、スラムとの境界に居を構えていたカレンの一家は、ある日前触れもなく崩壊した。両親の死という形によって。

 晴れ渡る蒼穹の下、呆然とするしかなかったあの日を、一生忘れることはない。

 事件を聞きつけてやってきた衛兵は、スラムの住民の強盗の仕業であると断定し、兄にそれを告げて気分が悪そうに『後始末』をしていた。乱雑に扱われて墓に納められる両親のむくろを、子供でしかなかった兄妹は目を見開いてただ見ているしかなかった。

 親戚の存在を知らず、祖父母も既にこの世にいない。そんな彼らに差し伸べられる手はなく、衛兵に紹介された孤児院では増加の一途を辿る孤児のすべての面倒はみれないと、門前払い。

 だからといって、両親のいない、どこか空気の変わった家に居ることも恐怖だった。いつか自分たちの下にも、両親を殺した奴が来るのではないか、と子供ながらの想像力が二人の足を無意味に外へと運ばせたのだった。

 二人で決して離れないように手を繋いで、精一杯の勇気を振り絞っていたであろう兄が先導して、毎日無意味に庶民街を歩く日々。

 無味乾燥な庶民街の風景が通り過ぎていき、何の興味も抱かれない無遠慮な視線だけが与えられる。父母が死んだというのに、庶民街の景色は腹立たしいほどに、以前と変わっていなかったのが記憶に強く残っていた。

 住み込みで働くことも考えた兄が様々な場所を訪ねて頭を下げたが、まだ二桁にもならないカレンの同居を提案すれば、どこに行っても首を横に振られた。そこまで余裕はない、娼館にでも預けてはどうだ、などと無遠慮にかけられる言葉に、兄は無言で彼女の手を引いてその場を去っていた。

 当時のカレンにもマイルズにも理解できようはずはなかったが、突然親が死んで天涯孤独となる子供など、珍しくもなかった。

 突発的に襲い来る魔物やスラムの犯罪者、付近の山に潜む山賊など、ツァールには事故的な死はおぞましいほどに存在していたからだ。

 そんな彼らをいちいち憐れんでいられるほど、余裕のある生活をしている人間は当時の未発達な王都、庶民街には居なかったのが、二人の不幸であり――ある意味、幸運だったのかもしれない。


 比較的安全な衛兵の詰め所の近くの路地裏で寝泊まりしながら、無意味に街を歩いていたある日のことだ。

 気がつけば二人は貴族街の中に入っていた。やけに煌びやかな風景だな、とよく働かない頭でぼんやりと考えていたのを何となく思い出す。しかし、兄は考え事でもしていたのかそれには気づいていない様子で、カレンの手を引っ張って機械的に前へと歩いていた。

 そんな注意散漫な二人の背後には、気がつけば豪奢な衣服を纏う大柄な男が立っていたのだ。

 貴族街に入ること自体は特に制限はない。ただ、そこで貴族に何をされようと文句は言えないだけ。それに恐怖し、いやがった人々は滅多に貴族街になど入らなかった。

 それを知る二人は、振り返ると同時に当然ながら驚き、恐怖して青ざめただろう。貴族には逆らえないというのが王都における絶対の掟。目の前の明らかに貴族である大柄な男が何をしようと、兄妹は拒否できないのだ。拒否は即ち、処刑――死を意味するからである。

 互いの手を強く握り、固唾を呑んで貴族の動向を見守る二人。逃げるには既に近すぎた。

 男は厳めしい表情のまま、ただ二人に尋ねる。

「こんなところで何をしている、親はどうした」

 その問いに、兄のマイルズが強ばった表情のまま答えるのを、カレンは今でも何となく覚えていた。

「道に迷っていつの間にかここに来てしまった、親は死んでしまった」

 淡々と、不敬にならない程度の言葉遣いで答えるマイルズに、男はどこか遠いところを見るような目をしながらさらに問う。

 いつ死んだのだ、という問いに、マイルズは七日前、と答えていた。兄に連れられるだけで、時間の感覚がおかしくなっていたカレンはまだ一週間しか経っていないことに驚いていた。

 それは貴族の男も同じのようで、どこか目を見開きながら二人を静かに見つめていた。

 そうして見つめ合うこと、数分か数秒か。短くも長い時間は、貴族の男が不意に踵を返したことにより終わる。そのまま去るかと思いきや、またも唐突に足を止めて二人に振り返る貴族。何事か、と身を固める二人に、不思議そうに言った。

「どうした、ついてこい」

 それが、兄妹にとっての救いの言葉であり、運命の始まりでもある。

 訳も分からぬまま、貴族に逆らってはいけないという掟通りについていけば、二人は貴族街の館でなぜか手厚く迎えられ、食事を与えられ、疲れ切った身体をなだめるようにベッドに寝かしつけられた。

 そうして、二人は、本人らの自覚も承諾もないままに、『貴族の養子』に迎えられていたのだ。

 つまり、ついてこい、という言葉だけで、その男――ブリストル伯爵は二人を養子に迎えたということ。あまりにも言葉足らずが過ぎるが、そういう男だと知るのは、新しい生活が始まった二人にとって間もなくのことである。

 妙な流れであるが、図らずも二人は幸運にも貴族となり。

 もう一度『家族』を手に入れて――そして、『ブリストル家』の一員となったのだった。

 その日、空は気持ちのいいほど澄み渡っていた。









 離れていく子供の声に、不意に意識が引き戻された。

 顔を上げれば、先ほどの家族は遠い豆粒になっている。気づけば、それなりの時間が経過していたようだ。

 最悪の過去を想起することにはなったが、同時に幸福とも言える記憶も思い出せた。

(私は誇り高き『ブリストル伯爵家』の人間。今はもう、それでいいじゃない)

 そう思うだけでも大いに気持ちが楽になる。自分にとっての第二の家族は紛れもなく彼らであり、一生その感謝を忘れることはない。

 肉親の姓を名乗ることはもうないが、それも仕方ない、父も母も、それくらいは許してくれる。

 カレンは口元にさっぱりとした笑みを浮かべて帽子のつばを上げ、立ち上がった。

 そうして歩き出そうとして――視線を感じ、立ち止まる。

 視線の主に振り返れば、そこにははす向かいのベンチに座る黒髪の男性。鬱陶しそうな前髪に目元は遮られ、唯一見える口元には胡散臭い笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がりカレンの方へと歩いてくる。

 警戒するカレンを尻目に、正面に立つと大仰に両手を広げて「よかったよかった」と口を開いた。

「こんな美女が物憂げな表情をして俯いてるもんだから、どう慰めようかと思っていたけど、自己解決したようで何より何より! 俺の出番がなくなっちまったのは残念だが、そんなくだらないものより美女の笑顔の方が価値があるからネ」

「はあ……?」

 いきなり大仰な両手のアクションとともに語り出した男の言葉に、思わず小首を傾げるカレン。

 見ず知らずの男の道化じみた動きに警戒心が見る見る上がっていくわけだが、そんなこと知ったことではないとばかりに男は言葉を続ける。

「ここで会ったのも何かの縁、お嬢さん、俺と一緒にカフェにでも行ってみません?」

「いえ、お断りします」

「迷いのない拒否! だよねェーッ!」

 距離が近いのにいまだ見えない目元をオーバーリアクションで手で覆い、天を仰ぐ男。

 不審者レベルが跳ね上がるテンションに、先ほどまでの幸福感をどこかに追いやられたカレンは全力で距離をとりつつ、「用事がありますので」と定型句を口にして去ろうとする。

 そんな彼女の背中に、男は笑いをかみ殺したような声色で言葉を投げかける。

「元気でネ、お嬢さん。ドラゴンスレイヤー・・・・・・・・・の彼によろしく!」

 え? と思わずカレンが振り返ったときには、そこに黒髪の男の姿は消えていた。

 鋭く右へ左へ視線を動かしてもどこにもいない。

 どこか、不穏な響きを残して、男は完全に姿を消していたのだった。

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