03

 今日もトゥリエスは物騒だった。特に、事件を数字で見ることのできる警官にとっては。

 一か月前の大量発生スタンピードから今日に至るまで、比例曲線を見るかのように事件数はうなぎ登りであり、体感としても警官の出動回数は明らかに増えていた。

 その背景には続けて起きる大事件による、街の治安への不安や平和への疑問があるだろう。特に強盗や傷害、強姦未遂などは特に多く、逮捕された者たちは口を揃えて「やっても大丈夫と思った」などとふざけた言葉を口にしている。

 住民の、警官たちへの信頼が目に見えて下がっているのは明らかだった。警官が通報を受けて現場へ急行したところ、通りがかった白髪の一般人が先に犯人を捕縛していた、なんてこともあり、本当に警官は仕事しているのか、などという噂まであるからだ。それが犯罪の一助となっているのだろう。

 それでも尚、警官たちは腐ることなく、増加の一途を辿る犯罪率の抑制のため、今日も彼らは奮起している。


 警官であるハーヴィーとイレインも、その例に漏れず事件の捜査に乗り出していた。

 彼らの姿は街のとある路地裏にあり、イレインの手にはその捜査資料がある。数枚綴りのそれの一番上にある紙には『路地裏惨殺事件調査録』という文字が題されており、それが彼らの担当案件だった。

 それは現在トゥリエスを騒がせる事件の一つ。数週間ほど前から、路地裏にて見るも無惨なおぞましい死体が次々と発見されており、しかもこれまで全く証拠に繋がるものが見つかっていなかった案件だ。

 しかし、先日の同様の手口での殺人事件において、綿密な調査の結果、実に僅かながら魔術が使われた痕跡を発見。ただの凄惨な殺人事件ではなく、魔術を用いた魔術犯罪の可能性が浮かび上がった。

 故に、魔術犯罪課所属のハーヴィーとイレインにお鉢が回ってきたというわけだ。

 そういうわけで、とりあえずは、と痕跡の見つかった現地に赴いてきた二人である。

 ハーヴィーの足下には黒い円形の痕が残っており、それはかつて被害者が沈んでいた血溜まりの残り香だった。それを何ともいえない表情で見つめながら、ハーヴィーはイレインに問う。

「それで、めぼしい情報は?」

 暗に、いらない情報を言わずに有用なものだけリストアップしろ、と言っているハーヴィーに特に文句も言わず、イレインは捜査資料を何度かめくりながら「そうねぇ」と口を開く。

「事件発生時刻の前後で、周囲の路地において不審人物の目撃情報はなし。もともとこういう路地は学生とかが通学によく使ってたみたいだし、何ともいえないかも。被害者も学生だったみたいだし」

「学生、ね。確か、このあたりには北トゥリエス大学があるんだったか?」

「ええ。それで、被害者なんだけど、どれも酷い殺され方してる。鋭利な何かで後頭部とうなじを一撃ずつ。倒れ込んだところを両手足を砕いて動けなくしてから、凄い力で脇腹を引きちぎって……うわ、内臓を引っ張り出して、そのまま所在不明だって。持ち帰ったのかしら」

「こわいこと言ってんじゃねえよ」

 黒い痕に触れようとしていた手を引っ込めて、ハーヴィーは非難するようにイレインを見る。

 その視線に肩をすくめて答えると、イレインはそのまま資料の情報の精査を続ける。

「どの被害者にも共通することは、内臓がないこと、両手足を砕かれていること、そして……食害の痕のようなものがあること」

「食害、か。犯人は獣か何かだって言いたいのか?」

「ええ、まあ、その可能性も書かれてるわね。獣にしては、身を隠すのが上手すぎると思うけど」

 そう言いながら、周囲を見回すイレイン。彼女の背後には路地裏の出口、つまり人通りが広がっており、よほど知恵の回る獣でなければ見つかって今頃騒ぎになっているはずだ。

 食害、つまり、歯を突き立てて喰われた痕跡があるということは、犯人は獣、または獣を連れた人間ということになる。前者の可能性はあまり考えられないが、後者は魔術があれば可能だ。

 そして、この現場では魔力感知器が反応し、魔術が使われた痕跡があると判明している。後者と見て問題はないだろう。

 だが。

 そうとは限らないかもしれない。

 二人は、ある一つの可能性を知っている。

 魔術が使えて、牙でもって食害を及ぼすことができ、知恵の回る生物――そう、一ヶ月前に戦った、喋る魔物だ。

 アレのような魔物が発生し、気づかぬ内にこのトゥリエスに潜んでいる可能性すらあるのだ。

 故に、その可能性に行き着いた二人は自然と厳しい表情となる。

 今現在、上司であるフェリックスには頼れない。彼は今、一ヶ月前の本来の目的だった、麻薬組織の完全な壊滅のために動いている。大本のほとんどを逮捕したものの、それでも末端が未だに活動しているため、その逮捕に奔走しているのだ。

 だからこそ今回の件は、自分たちでどうにかすべきだ。いつまでも頼ってはいられない。

 その思いを改めて強くすると、ハーヴィーはイレインに「そろそろ頼む」と合図を送る。

 イレインは一つ頷きを返し、差し出した手の平の上に魔術式を展開。式から淡い緑色のリングが飛び出し、次の瞬間には四散。細かい粒子となって路地裏を縦横無尽に駆けめぐる。

 探知魔術『風探ウィンドサーチ』の粒子が路地裏の情報をイレインに与え、不審物がないか調べているのだ。

 脳髄へと魔術式越しに叩き込まれる大量の情報に、端正な眉を歪ませながらそれらを取捨選択していく。その特性故、使い手の少ない魔術だからこそ、こういった目に見えないところまで調べられるコレは有用だった。

 しばらく粒子が駆けめぐっていたが、やがて魔力の供給を切られて停止。霧散していく。

 そして情報量にくらくらしていたイレインも、少し時間をおいて落ち着きを取り戻すと、ハーヴィーに目で合図しながら歩き出す。何か見つけたのだ。

 背中の短槍を抜き放つと、路地裏の入り組んだ先にある行き止まりへと足を進める。そこにある下水道へ続く側溝にたまる泥の中に、少し穂先を迷わせながらもイレインは一息に突き込んだ。

 ガチッ、という硬質な音を響かせて、槍が停止。底に突き立ったようでもないのに妙な音をさせたことにハーヴィーが眉根を寄せて疑問に思っていると、イレインが手応えを確かめながらそっと槍を引き戻す。

 泥の中から穂先に貫かれて顔を出したのは、手の平ほどの大きさの菱形の代物。泥に汚れて判別しがたいが、灰色っぽい色をしているようにも思える。

 それを、指先で摘まんで穂先から引き抜くと、イレインはハンカチで泥を拭う。そして改めてよく見てみれば、それは鱗のようにも見えた。

「……んだこりゃ」

 ハーヴィーが困ったように呟くのも無理はない。

 それは魚類のものと言うよりは、爬虫類のものか。とにかく生き物の鱗にしては随分と大きいのである。まるで、魔物サイズのようだ。

 しかし、色は灰色にも見えるくすんだ青。光の加減か否か、よくわからないが魔物の物とは断言しがたい。

 そうすると、人間よりも大きな爬虫類というわけになるのだが、そんな大きさの爬虫類は二人も知らない。新種だろうか。

 ともあれ、明らかに怪しい代物がこうして見つかったわけだ。

 事件と関係あるかは今のところ不明だが、大型の獣、あるいは魔物が事件に関与していると踏んでいる二人にとっては重要な証拠に等しい。ひとまずはこれを起点に調査を開始すべきだ、と二人は目を合わせて頷きあった。









 そして場所は移り変わり、二人の姿は北トゥリエス大学にあった。

 目的は無論、謎の鱗の調査のためであり、何故ここに来たかと言えば、この大学と警察は技術提携を結んでいるからだ。

 大学の技術を警察の事件調査に利用させてもらう代わりに、警察独自の魔術研究を一部提供する。そういう取引が結ばれているので、二人はそれをしっかり利用させてもらおうと訪ねたのである。

 研究棟の一室を訪ね、そして鱗を渡して簡易的な調査結果を待つこと一時間ほど。

 夕暮れが窓の外に見え始めた頃、研究者が二人の待つ休憩室にやってきた。

 初老らしい男性は調査結果をまとめたらしい数枚の紙束を渡しながら、簡単に説明を始める。

「お渡しなさったあの鱗ですがね、どうやら南の国のナイルバロンに生息するデザートリザードの物のようです」

「へえ。ということは、魔物の物ではない、ってことか?」

「ええ。魔力で構成されていませんし、色も灰色には見えますが、蒼灰色ですね」

 現物を光に当てながら、研究者はそう言う。確かに、磨かれたソレは魔物の灰色とは言えないだろう。

 横で話を聞いていたイレインも、疑問を口にする。

「大きさは? どうなの?」

「標準的な個体より少しサイズは小さいようですね。成体になりかけの幼体でしょうか」

「ええ……」

 想像の斜め上の研究者の回答に、イレインはハーヴィーともども表情をひきつらせる。どうみても、鱗からして全長は成人男性の身長を凌駕しているだろうに、それでも小さいのだという。

 世の中には不可思議な生き物も居るものだ、と頬をひくつかせていれば、研究者は困ったように問うた。

「それにしても、どこでこんなものを? デザートリザードといえば、ナイルバロンでは密猟禁止生物で、しかも貿易禁止類になります。国内で見られることはまずないはずなんですがね」

「そうか……ということは、そのデカい蜥蜴を連れ歩いている奴は相当の札付きってことになるな。他国の法を犯しながら、こっちじゃ殺人か。だが、何のためだ?」

 研究者の言葉に、ハーヴィーは眉根を寄せて考え込む。

 どうやらその蜥蜴を操って、人間が殺人を犯しているのはハーヴィーの中では確定していた。よもや蜥蜴が単独で出歩いて、人を襲っているというのなら、とっくに見つかっていてもおかしくはない。少なくとも三週間以上、恐ろしく人の目の多いこのトゥリエスで隠れ続けられるとは思えないのだ。

 ならば、誰か蜥蜴を操る人物が居て、巧妙な手で隠し通していると考える方がまだ有り得る。

 そうすると、なぜそんなことをするのか、という考えに至る。

 被害者に恨みを持つのかとも考えたが、彼らに共通点は一切なく、全くの赤の他人同士。年齢性別職業もバラバラ、無差別と考えた方がいい。

 蜥蜴の餌のためか、とも思ったが、だとするとよほど狂っている。適当な店で肉なり野菜なり買い与えるよりも、人を喰わせた方がいいと言っているようなものだ。正気ではない。

 犯人が狂人であることを考えるときりがないのでそこで思考を区切り、ハーヴィーは立ち上がる。そして研究者へ軽く頭を下げる。

「捜査へのご協力ありがとう。俺たちはこのまま構内で聞き込みをしてみよう」

「あら、ここでするの?」

「ああ。事件現場は学生の通行が多かったんだろ? 何かしらの情報はあるかと思うんだがな」

 イレインの疑問に答えつつ、二人は部屋を出て構内に移動する。

 夕暮れ時、これから帰る学生もいるのか、それなりに人通りは多い。

 その中から適当な学生を捕まえようとして、ふと視界の端を猛スピードで駆け抜けていく学生を捉える。

 何をそんなに急ぐのか、と振り返ってみてみれば、その学生の後ろを小豆色の髪をした女が追いかけ、さらにそれを白髪の男が追っているではないか。

 やたら見覚えのある二人はそのまま、魔術まで発動して走る学生を追いかけてあっという間に構内から消えてしまう。声をかける暇すらなかった。

 ぽかんとしている間に消えた二人の方向を見ながら、イレインがぽつりと呟く。

「また厄介ごとにでも巻き込まれてるのかしらね、あの二人」

「……さあな」

 特に法を犯しているわけでもない連中をわざわざ相手にする必要はない。そう言うかのようにそっけなく答えたハーヴィーは、さっそくとばかりに通りかかる男子学生を捕まえて話を聞くのだった。



 そして、聞き込みを始めて小一時間ほど。

 二人は全くの収穫なく、学生の「知りません」の言葉を数十回聞くことになっていた。

 そろそろ諦めるべきか、と完全に沈みかけている夕日を見上げながら二人して考えていると、不意にハーヴィーの肩を誰かの手が呼ぶように叩いた。

 振り返れば、黒髪の眼鏡をかけた気弱そうな女学生が、ハーヴィーの視線に身体を縮めながら「あの」と声を発していた。こんな暑い時期だというのに長袖と長ズボンの服を着ているのは、日焼け対策だろうか。

「どうした?」

 元来の鋭いハーヴィーの目つきに、見るからに怯えている様子に若干傷つきながらも彼はなるべく優しい声色で話しかける。

 それが意味を為したかどうかは定かではないが、少女はもじもじとしながらもゆっくりと口を開く。

「あの、大きな蜥蜴を探してる、警官さん、ですよね?」

「ええ、そうよ。目撃情報を探してるの」

 どこから聞いたのか、ハーヴィー達の目的を知っているらしい。

 何かしらの用があるのか、と二人して少女を見つめれば、さらに小さい身体を小さくしながらも言葉を続ける。

「あの、その、わたし、大きい蜥蜴、みたこと、あるん、です……」

「本当かっ!」

「ひ」

 ぽつりぽつりと述べられた言葉に、思わずハーヴィーが大きな声を出して喜べば、少女は近くに落雷でもあったかのように縮み上がってしまう。

 その様子を見てイレインが間髪入れずにハーヴィーの頭をはたきながら、「ごめんね、詳しい話を聞かせてくれない?」と優しく声をかけた。

 どうにかすぐに落ち着いた少女も、二人とは目を合わせずに地面を見つめたまま、ぽそぽそと話し始める。

「その、友達から、警官さんが大きな蜥蜴を捜してる、って聞いて、それで、思い出したんですけど、その、前に<ミル通り>で迷子になったとき、たしか、廃工場のあたりで、見ました……と、思います」

 いまいち要領を得ない話し方にイライラするハーヴィーだが、しかし、なにが言いたいのかはよくわかった。

 事件現場とは少し離れているが、<ミル通り>において目撃情報が上がったということだ。

 もう少し詳しいことを聞くべく、ハーヴィーはできるだけ自分を落ち着けながら、優しく問う。

「そうか、ありがとう。それで、いつ見たとか、見た場所で他にどんなものを見たとか、そういうことも教えてくれないか?」

 突っ込まれて聞かれたことに驚いたのか、またも身を縮ませてしまう少女。それでも、顔を真っ赤にしながらも答えを返す。

「えっと、そのっ、三日前でっ、さ、酒瓶のイラストが、ありましたっ!」

 恥ずかしそうに叫ぶと、少女はくるりと身体を反転。驚くハーヴィーらを尻目に、思ったよりも凄まじい健脚で走り去ってしまった。

 いきなりの逃走にぽかん、とする二人だが、その間に少女は建物の中に消えてしまう。

 追いかけようか、とも思ったが、必要そうな情報は既に手に入っていた。また、あれほどの人見知りの少女をわざわざまた捕まえるのも至難の業だろう、と思い、そのまま見送ることにする。

 それよりも、大事なのは蜥蜴の居所らしき場所がわかったということだ。

 日が沈むまであと少しだが、時間はある。ならばすべきことは一つだけ。

「とりあえず、行ってみるか」

「ええ」









 夕日のほとんどが建物の陰に隠れ、もう街灯の明かりが頼りになり始めた頃。

 二人の乗る青色の警察車両は<ミル通り>を走っていた。工場群のある<ミル通り>だが、その一画には廃工場となっている箇所もある。少女の言によれば、そこに蜥蜴の痕跡なりがあるはずだ。

 廃工場が左右に広がる狭い通りを行きながら、二人は酒瓶のイラストとやらをとりあえずの目印に探していた。

 見つからなければ虱潰しの廃工場ツアーとなるところだったが、幸先のいいことに車をゆっくり走らせて五分ほどで、酒瓶のイラスト――看板がつり下げられた、少しばかり大きな工場を見つける。どうやら醸造業を営む工場だったようだ。

 その前に停車し、ハーヴィーはイレインに目配せを送る。それに応え、イレインは再び魔術『風探ウィンドサーチ』を発動。

 淡い緑の粒子が弾け、工場の周囲を覆う。そのまま、しばらくの沈黙を要していたイレインだが、不意に顔をしかめ、視覚情報制限のために閉じていた目を見開く。同時に魔術式が霧散し、粒子が溶けて消えた。

 突然の変化を見せたイレインに、ハーヴィーが問う。

「どうした」

「……工場の中を探ろうとしたら、魔術を弾かれたわ。なんだか、結界が張られてるみたいね」

 困ったように眉をひそめながらイレインは工場を見上げる。

 一見何の変哲もない廃工場だが、探知魔術を弾く結界が敷かれているのは間違いない。許可なく探知魔術を弾くような高位の結界を敷くことは違法である。つまり、何者かがこの中に後ろめたい物を隠しているということだ。

 捜査は大当たり、ということを確信し、ハーヴィーは腰の二本の剣を引き抜く。それに倣ってイレインも短槍を構え、二人はじりじりと工場の入り口に近づいていった。大蜥蜴がいるにせよ、それを操る人間がいるにせよ、攻撃してこないとは限らない。刃には刃を以てして返礼すべきだ。

 短槍を構えたイレインが音もなく廃工場の扉を開け、二人はするりと中に入る。

 入ったそこは、まずは小さな事務所部屋のようだが、何の怪しい影もないので無視。通り抜けて、奥の工場へと向かう。

 工場の中に入ると、そこは閉め切られた空間。天井付近の小さな窓から僅かな夕日と街灯の光が入るのみで、足下もおぼつかない暗さだ。

 しかし、二人は確かに感じていた。

 足音も何も聞こえないが、しかし、息をひそめて隠れる『何か』がいることに。二人の鋭敏な感覚は、その気配をしっかりと捉えていた。

 向こうも二人の存在を察知し、そして隠れることをやめたのか、奥のほうでもぞりと動く影がある。

 のそりのそりと二人の方向にやってくる異形の影は、やがて差し込む光に照らされてその全貌を現した。

 六対の瞳と居並ぶ歪な牙。二メートル弱の身長に、蜥蜴のような風貌。

 そこまでなら、まだ二人の予想の範疇だった。だが、その胸に浮かぶモノを見た瞬間、二人から一切の余裕が失われる。

 胸部にあったのは、複数の人面。嘆き、呻き、正気を失った人々の顔。

 それが、二人を茫洋と見つめていた。

 二人はそれを見たことがなかった。四か月前のベースボール会場大量殺人事件の処理に参加させてもらえなかったハーヴィーとイレインは、そこにあった死骸を見ることはなかったからだ。

 故に、瞠目し、硬直する。その化け物が、一匹目の後方からさらに二匹現れたのなら尚更だった。

 動揺を隠せない二人は静かに息を呑み、思わず武器を握りなおして目の前に注目する。それは紛れもなく歴戦の戦士における隙であり、後方・・の彼女にとって最大のチャンスだった。

「――っ!?」

 弾ける燐光。二人が振り返ったときには遅く、放たれた白光の鎖が二人の体を縛る。両腕をひとまとめに胴に縛り付けられ、余った光の鎖が大地に突き刺さって二人の移動すら封じていた。

 どうにか直前で振り返ることのできた二人は、その下手人の姿を見る。

「な、に……!?」

 ハーヴィーの喉から漏れる、驚愕の声。隣のイレインも思わず息を呑んで硬直している。

 それも無理はなく、彼らの目の前にいたのは――眼鏡をかけた、内気そうな女学生だったのだから。

 彼女は、つい先ほど見た姿のまま、俯きがちになって二人の方を眼鏡越しに上目遣いに見ている。

 しかし、その纏う雰囲気は圧倒的に違っていた。

 弱者の怯えきったようなおどおどしたものではなく、遙か上の位から下等生物の虫でも見るかのようなつまらなそうな気配。明らかに違うソレに、ハーヴィーは一瞬誰だかわからなかったほどだ。

 だが、目の前にいるのは紛れもなく、自分たちに情報をくれた少女である。叩きつけられる敵意もまた紛れもないもので、それが余計にハーヴィーを混乱の極致に陥れた。

 だが、その視線が彼女の左手に吸い寄せられる。握られているのは、魔力でできているらしい淡い燐光の鎖。それは『隷従スレイヴ』による魔力鎖であり、伸びている先は工場を大きく迂回しながらも、確かにハーヴィーらの背後の化け物どもに繋がっていた。

 そこまで見て、ようやくハーヴィーは彼女が敵であることを認識する。自分たちは罠にはめられたのだと、ようやく気がついた。

 思えば、おかしな話だ。数多ある廃工場の中でピンポイントにここを指す情報も、こんな閉め切った工場の中に居るであろう蜥蜴をみたという話も、出来過ぎといえば出来過ぎだったのだ。

 工場内に侵入した時点で多少なりともその情報のちぐはぐさに気づくべきだったのだろう。自らの間抜けっぷりにハーヴィーは思わず舌打ちを漏らした。

 その様子を見て、沈黙していた女学生もその口元に嘲るような笑みを浮かべる。

「警察、っていうのも、存外間抜けな組織ね。トゥリエスの官憲組織は優秀だ、って聞いてたけど、実情はそうでもないのかも」

「あんだと?」

 同じ女学生から発せられているとは思えない、以前とは違う陶然とした声に若干の違和感を覚えながらも、ハーヴィーは苛立ちの声をあげる。

 その様にまたもくすくすと笑いを漏らしながら、彼女は左手の鎖を軽く引っ張った。

 二人の背後で動く気配。近づいてくるそれに、思わず顔をしかめながらもイレインは問う。

「路地裏での殺人事件はあなたの仕業、ということでいいのかしら。この化け物を使って殺させた、ということでね」

「あらあら。やっぱりそこまでわかってたのね。でも、二つ違うわ。こいつらは化け物、なんて陳腐な呼び名じゃなくて、合成獣キメラっていうの。そして、今からすることも、この前までしてたことも、殺人じゃないの」

 イレインの問いに、わざわざ化け物――合成獣キメラを止めてまで陶然とした様子で答える。

 そして、またもくすくすと笑いを漏らしながら、おかしそうに言い放った。

「私がしてたのは、『餌やり』よ、『餌やり』。こいつらを生かすのにもなかなか手間が必要なの。だったら、面倒くさいから人を食べさせてやった方がよくない? 証拠隠滅が少しだけ面倒だったけど、それ以外は何の問題もなかったもの」

 口元を抑え、本当におかしそうに笑う女学生。

 よもや己の切り捨てた予想がそのまま当たっているとは思わず、ハーヴィーは呆然とした後、「狂人かよ、くそったれ」と舌打ちを漏らす。

 ひとしきり笑った女学生は、ずれた眼鏡を直そうともせず、俯き気味だった顔をようやくあげて二人を直視する。

 瞳の奥には妖しい光。正気でないことは、こうして目をしっかりと合わせれば実によくわかった。

 彼女はそのまま、左手を持ち上げて再び鎖を引く。背後で合成獣キメラが喜びの叫声をあげて近づいてくるのがわかり、ハーヴィーは犬歯をむき出しにして叫ぶ。

「どこでこんな気持ち悪い奴らを手に入れやがった!」

「この期に及んでそんなこと聞くの? 変な警官ね。……まあいいわ。この間・・・の生き残りを拾っただけよ。上手く生き延びてたから、製作者・・・としては世話しなくちゃ、と思っただけ」

 首を傾げながら、しかし情報がこれ以上出て行くこともないと思ったのだろう、すらすらと答える女学生。

 その言葉に、ハーヴィーは眉根を寄せる。

「この間、だと? なんのことだ。それに、製作者だ?」

「あら、警官が鎮圧したんじゃなかったの? 四ヶ月前の、アレ」

 二人の疑問が交錯する。何か情報の行き違いがあるようで、しかし女学生の呟きがハーヴィーには一つのこと指しているように思えた。

「ベースボール会場の事件? あれは、ただのテロじゃなかったの?」

「あら、警官のくせに知らない、のね。合成獣キメラにもそんなに見覚えないみたいだし……ちょっと、詳しく調べてみようかしら」

 イレインの疑問に答えず、女学生はぶつぶつと何かを呟く。上手く聞き取れないソレにハーヴィーが苛立ちを募らせた直後、彼女は再び顔を上げて「まあいいわ」と笑みを浮かべた。

「あなたたちはそれ以上知る必要も意味もないわ。だって、これから食べられちゃうんですもの」

 そう言い放ち、鎖を三度手繰り寄せる。

 再び動き出す気配に、しかし二人は余裕の笑みを浮かべた。

 間近に迫る死に対する表情ではない。何故、と首を傾げる女学生にイレインは笑みを返して言う。

「警官が捕縛魔術に捕らわれちゃ本末転倒なのよね。だから、そういう時のために、警察独自の魔術っていうのが存在するの――それが、コレ」

 言うが早いか、イレインの足の裏から広がる魔術式。見つからないよう巧妙に隠していた式は既に完成しており、発動。次の瞬間には、白光の鎖が無数の破片に砕け散る。

 ハーヴィーの足の裏からも同じ魔術が発動され、二人の自由になった両腕には何の傷もない。強引に破る方法はあれど、全くの被害なく捕縛魔術を破る術を知らない女学生は、驚愕も露わに目を見開く。

「な、んですって――ッ」

「警察が作った対捕縛魔術よ。油断したわね」

 そう言うイレインの姿は、もう既に女学生の眼前にある。ハーヴィーは身を反転させて合成獣キメラの方向に肉薄していた。

 眼前にいるイレインに向けて、驚愕を胸に収めた女学生の鋭い貫手。

 しかし、インファイトだけで言うならイレインは警官たちの中ではフェリックスを超える技量の持ち主である。ただ鋭いだけの一撃など、イレインには通用しない。

 髪に掠らせることもせずに、顔を横に振って回避。

 短槍を回転させ、貫手で伸びきった女学生の右腕を穂先の腹で打ちのめす。

 何かが砕ける鈍い音。女学生の顔が苦悶に歪み、次の瞬間にはその腹にイレインの膝蹴りが深く埋まっていた。

 クリーンヒットだが、しかし、イレインはその手応えに眉をひそめた。

 人間の腹を打った感触じゃない、と困惑していれば、女学生が痛みに曲げていた背筋をいきなりぐいと伸ばす。

 まるで糸で上から引っ張ったかのような挙動に思わず距離をとれば、イレインには少女の顔がよく見れた。

 眼鏡が落ちた顔は意外と端整な顔立ちをしているが、問題はそこではない。妖しい光が宿る目には、文字通り妖しい光が存在していた。

 それは、よく見れば魔術式。極小サイズのそれは今も回転していて、少女の瞳の中で紫色の燐光を輝かせている。

 見たこともないそれに、思わず息を呑むイレイン。その隙を逃さず、砕けたはずの右腕を女学生は思いきり振り回してきた。

 咄嗟に短槍で受けるイレインだが、思った以上の重たい衝撃に思わず腰を落として踏みとどまる。

 その隙に握っていた鎖を手放して、女学生は左手で拳を作り、そして砲弾のような勢いでイレインの顔面に放った。

 膝から力を抜き、体ごと落ちることで間一髪イレインはそれを避ける。

 そして短槍を回転。石突きを向け、全力で女学生の顎を狙ってかちあげた。

 思っていたより軽い感触がイレインの手の中に残り、困惑した次の瞬間にはイレインは「えっ!?」と驚愕の声を上げていた。

 目の前には、首の消えた・・・・・女学生の身体。

 頭を失った身体はふらふらと揺れ、そしてガシャン、と硬質な音を立てて倒れた。

 そして、直後、その身体の脇にぼとりと首が落ちてくる。ごろりと転がったソレは、未だ魔術式の燐光を宿しながら、気持ちの悪い笑みを浮かべてイレインを見ていた。

 「え、えっ!?」と困惑する彼女だが、頭ではなんとなく理解する。

 これは人間ではなく、人形だった、ということに。

 見れば、首にははめ込むための突起が伸びているし、めくれた長袖の肘には球体関節があった。道理で腹を蹴った感触がおかしいわけだ、と納得する。

 生首状態となった人形は、笑みを浮かべて言う。

「あらあら、やられちゃった。警官も、噂通り優秀だったのね。困ったわ」

 余裕の笑みを浮かべながら嘆息する生首。やられてしまったのにも関わらず、こうも余裕があるのは、もしかしたらこの人形はただの操り人形だからかもしれない、とイレインは沈黙のまま考察する。

 答えない彼女に、残念、と言いたげに目を閉じると、生首は呟いた。

「今回の遊びはここまでね。それじゃあ、また会いましょう、警官さん。一年以内に、またお会いすると思うわ。じゃあね」

 そう言い残すと、人形は薄く目を開く。その中にはもう妖しい光はなく、人形はもはや感情豊かに顔を動かすことなく完全に停止していた。

 あの魔術式によって操作していたのか、と納得しながら、イレインは嫌な気分を隠せないでいた。

 背後では、既に争いの気配は消えている。やってくる足音は一つ、信頼しているハーヴィーだ。どうやら、素早く三体を処理したらしい。

 今回の事件、この人形を操る何者か一人に、弄ばれた形となる。たった一人に、だ。

 その不穏さに、イレインは不安を隠しきれない。しかも、相手は宣戦布告までしてきていた。

 このトゥリエスに、またも『何か』が起きようとしているのは、明らかで。

 イレインは、思わずため息を吐いて差し込む斜陽を見つめるのだった。

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