第三章 トゥリエスの日々

01

 大量発生スタンピードから、およそ一か月の時間が過ぎた。季節は夏に移り変わり、天頂を太陽が蒸し暑い光を放って通り過ぎていく。

 その光からわずかでも逃れようとカレンが身を捩れば、キッチンカーのひさしの影にちょうどその小柄な体がすっぽり収まった。

 近くで油のはねる音がして暑さを感じることこの上ないが、所詮は体感だと念じて無視することにする。お気に入りの薄手の杏色のカーディガンに飛んでこないかが心配だった。

 今日は探偵業もお休みのオフの日である。防御能力の高い――が馬鹿みたいに暑い――黒コートと鎧、大剣は家に置いてきて、太陽光にまばゆい白い半袖にカーディガン、薄桃のスカートという年頃らしい格好で彼女は出歩いていた。

 その傍らには、いつも通りの浅葱色のジャケットと灰色のTシャツを汗で濡らす、白髪頭のエドワードが日の下でうなだれている。隣の彼女と比べて服装のセンスは季節的にも人間的にもお世辞にもよくはない。そもそもオフなのにそれでも帯剣している彼はおかしいのだ。

 そんな二人の頭上で、キッチンカーに設置されたラジオがノイズ混じりにコメンテーターの台詞を流し始めている。

『それにしても、今年はトゥリエスで恐ろしい大事件が連続して起きていますね』

『ええ。四か月前のベースボール会場大量殺人事件では百四名の方が亡くなられ、一か月前の大量発生(スタンピード)では二百名以上の死者に加え、今も行方不明者が見つかっていないそうです』

『このような事件が起きるとは、実に痛ましいことですね。住民にも不安が広がっているようで、ここ数か月の引越者数は前年の数倍だとか』

『みんな、誰しも事件に巻き込まれたくないですからね。トゥリエスでの事件検挙数も、前年の二倍にも増加しているそうで、治安にも影響が出ているようです』

『一か月前のとは別の行方不明者数も増えているようですし、路地裏惨殺事件なんかも起こっているそうです。その路地裏からは不穏な唸り声のようなものも聞こえてくる、という話もあるそうですし、トゥリエスはこれからどうなるんでしょうか――』

 と、二人の暮らすトゥリエスに関して論じているラジオに、ぬっ、と黒く焼けた腕が伸び、チャンネルを変えて音楽番組に変更される。

 カレンが腕の伸びてきたキッチンカー内部に目を転じれば、仏頂面の店主ティムが「けっ」と舌打ちして文句を垂れた。

「相も変わらず我らがトゥリエスは物騒だことで。困ったもんだ。……おう、出来たぜ。出来立てほやほや、うちの目玉商品『ガロン揚げ』だ!」

 ぶつぶつと言っていた大男だが、最後には笑みを浮かべて紙袋を二人に差し出す。それをようやくか、とほっとしたエドワードが受け取り、中から茶色い衣に包まれた芋を取り出して早速頬張った。

 二人が身を預けていたのは「ティムのガロン揚屋」の屋号を掲げる移動販売車。オフの日にようやく外に出る気になったエドワードが、案内をねだるカレンを連れて始めにやってきたのがこの店である。

 炎天下を五分も待たされたカレンが、油で揚げた如何にも熱そうな芋揚げを見て、今の時期食べるものじゃないんじゃないか、と疑いの視線で見つめていた。そんな彼女に、いいから食え、と言わんばかりに紙袋を押し付ければ、渋々と一個取り出して猫のように匂いをかぐ。

 はちみつ入りの乳溶き片栗粉で包んで揚げた芋は、甘いクッキーのような香りをしていて、おやつ時の今には丁度食欲をそそられる。

 じんわり伝わってくる熱に少し躊躇いを覚えながらも噛り付けば、舌に広がる衣の甘さと芋の甘さにカレンは思わず目を見開いた。砂糖も使っていないのに何かのデザートのようにとても甘く、それでいて下茹でされた芋の少しの塩気が本来の甘さを引き立てているのだ。

 端的に言って、想像以上においしかったのである。

 たまにエドワードが飯の代わりに買ってきて一人で全部食べてしまうのもよくわかるというものだ。

 思わず、小さな口で拳より大きなソレをはぐはぐと食べ進めていく様子を、エドワードはティムと一緒に微笑ましく見守る。特にティムは自慢の商品を実においしそうに食べてくれる客に、物騒な面を緩めていかんともしがたい表情になっていた。

 妙な一体感を醸し出す二人だが、不意にティムが口を開く。

「で? だれだあの別嬪ちゃんは。どこから攫ってきたんだこの野郎」

「攫ってないっつの、うちの新しい職員だよ。人を犯罪者にするなこの顔面凶器」

「あ?」

「お?」

 売り言葉に買い言葉でにらみ合う二人。

 しばし剣呑な視線を向けあっていた二人だが、最終的には暑さに負けて、馬鹿らしい、と言わんばかりに互いに視線を外した。

「それで、新しい職員だって? 給料払えるのかよ」

「これでも、そこそこ依頼が来るようになっててな。もう四か月前とは違うんだよ、これが」

「へえ。じゃあ、まともに探偵業やってるってのか」

「…………まあな」

「なんでそこでちょっと間があるんだよ……」

 ティムの言葉に思わず視線を外すエドワード。まともな探偵業とは言い難いのは事実である。

 浮気調査をすれば刃傷沙汰になりかけの修羅場を止める羽目になり、人探しをすれば誘拐事件に遭遇する、という凡(おおよ)そ普通の探偵らしくない物騒な仕事をこなしてきているのだ。答えづらいのも無理はない。

 とはいえ、それでも依頼が増えて、いくつかはきちんと探偵らしいことをしているのも事実だ。

 エドワードの答えに「そうか……」と顎に手を当ててティムは何事かを考え始める。

 これはもしや、と少しばかりエドワードが嫌な予感がし始めたころ、ティムが口を開く。

「なあ、探偵なら人探しもやってくれんだろ? ちょっと依頼したいことがあるんだが」

「……嫌だといいたいが――」

「お受けしましょう」

 実に嫌そうな顔のエドワードの言葉を、横からカレンが言葉を重ねて黙らせた。口の端に芋の欠片がくっついているのが実に滑稽だが、彼女は真剣な表情でティムに言葉をかける。

「お困りなんでしょう? それなら、私たちデフト探偵事務所にお任せよ。仕事はあんまり選ばないことで有名なの」

「有名じゃないっての……」

 このように、エドワードが面倒臭がったりして受けない依頼を無理やりにでも受けさせるのがカレンの仕事である。多少の虚偽は宣伝のためだ。

 その言葉にティムも安心したのか、「それなら」と言ってエプロンのポケットから写真を一枚取り出す。

 二人に見せたのは、十代半ばに見える一見普通の少女だ。

「この娘は俺の妹の子供、要は姪なんだがよ、一週間前から家に帰ってねえそうなんだ。もう十五になるし、いろいろ多感なのはわかる、これまでも何度か家出してたしな。それでも一週間、ってのは長えだろ? 妹も随分心配しちまって、見てらんなくてよ」

「ようは、家出して行方不明、ってことだろ? 最初に相談すべきは警察じゃないか?」

 状況を説明するティムに、エドワードは正論の水を差す。それを言われたティムも顔をしかめて「そうなんだがよ」と言葉を続ける。

「一応、相談はしたらしいんだが……日頃の非行っつーか、やんちゃっつうか、そういうのを聞いた途端、態度が変わっちまったらしくてな。ちゃんと探してくれるか不安なんだと。それに、最近何かと物騒な事件が多いだろ? それで、心配しすぎて妹も一気に老け込んじまってなぁ」

「それは……大変ね」

 先ほどトゥリエスの近況を報じていたラジオを見ながら、ティムは困ったように眉根を寄せてため息をついた。

 同情するカレンに「だろ?」と同意しつつ、口を開く。

「俺も仕事がてら写真見せたりして探しちゃいるが、所詮片手間だからな。本格的に探そうにも、俺にも家庭があるし、そっちをほっぽりだすわけにもいかねえのさ。そういうわけで、お前さんらに頼みたいんだが……」

「……わかったよ、受けよう。家出娘を探し出せばいいんだろう?」

 ティムとカレンの両方から視線を受けて、仕方ない、といったように肩をガクリと下げて受諾する。そもそも、ティムの妹とやらに同情しないわけでもないのだ。自分の子供が非行に走っていた挙句、一週間も帰ってこないなど、泣きたくもなるだろう。

 いつの間にか、紙袋の中身をすべて食べきっていたカレンが庇から出て言う。

「それじゃ決まりね。早速行きましょう。ティムさん、妹さんの家はどこかしら」

「お、おう。今メモに書いてやっからちょっとまってな」

 あっという間に行動を開始しようとするカレンに目を白黒させながらも、ティムはごそごそとキッチンカーの中を探し始める。

 そんなやり取りを見ながら、エドワードは背筋を走る嫌な予感をびりびりと感じていた。今回もただでは済まなさそうだ、と。









 <ユグリー通り>から東に入ったところにある住宅街の一画、きわめて普通の一軒家がティムの妹の一家が暮らす住まいらしい。

 ツァール式建築らしく、隣り合う家同士とぴったりくっつきあうように、そして同じような窓や玄関の配置になるように設計された面長の家のため、どれが目的の家かわからなくなったりしたものだが、表札からどうにか割り出してチャイムを鳴らす。

 しばらくして奥からパタパタと走る音が聞こえてきて、少しだけ開いた玄関から亜麻色の髪のショートカットの女性がそっと顔を出した。彼女がティムの妹だろうか、あんまり兄とは似ていないようだ。

「どちらさまですか……?」

 そう言いながらとても警戒したように二人を見るのも無理はない。二人とも腰に長剣、背中に大剣、と一般人らしからぬ武装をしているからだ。カレンも万が一を考えて、一旦<ユグリー通り>にある自分の住む部屋のあるアパートに戻り、大剣だけ回収してきたのだ。

 見るからに不審者を見る視線に、若干傷つきながらもカレンは「こちらを見ていただいたほうが早いと思います」と、ティムに書いてもらった紹介状を手渡す。

 それを細い腕で恐る恐る受け取り、その場で開いて読み始める夫人。しばらく沈黙していたが、やがて眼を見開いて二人の顔を見るように頭をあげ、そして再び手紙に視線を落とす。

 そのうち全て読んだのか、そっと手紙を折り畳んでエドワードらに視線を向けた。

「あの、娘を、エリナを探していただけるんですよね?」

「もちろん。そういう依頼を受けましたから。全力で娘さんを探させていただきます」

 不安そうな母の視線に、カレンは胸を張って肯定を返す。妙に張り切っているな、と隣のエドワードが彼女の態度にいつもと違う何かを感じつつ、一緒に首肯すれば、夫人がほっとしたように胸をなでおろした。

「ああ、兄さん、本当にうれしいわ。物騒な事件も多いし、警察もきちんと探してくれているか、不安で不安で……」

「ご安心ください! 私たちが探すからには、絶対数日中には見つけ出して御覧にいれますよ」

 やはりカレンが妙に張り切って言葉を返せば、夫人は柔らかい笑みを浮かべて「どうかよろしくお願いします」と小さく頭を下げる。

 それに、カレンは真剣な表情で「ええ」と返し、夫人の案内で家のリビングのソファに座るとさっそく本題に入る。

「それでは、まず娘さん、エリナちゃんが家出する前の具体的な行動を知りたいのですが……」

「そう、ですね……あの娘、日ごろから深夜まで帰ってこなかったり、私に何も言わずに勝手にお友達の家に泊まったりしてて、よくないことばかりしていたんです。最初は今回もまた勝手に泊まってるのかな、と思っていたんですが、三日も一度も帰ってこないのはおかしいな、と思って、エリナの友達の家を訪ねても誰も知らないって……。それでようやく、家出して行方知れずになってしまったことに気付きました」

 また不安が頭をもたげたのか、俯いてしまうティムの妹。「安心してください」と慌ててカレンが慰めようとしている横で、エドワードは困ったように眉根を寄せる。

 今の話から、わかったことは特にない。というより、姪とやらが家出するタイミング、きっかけは特になかったことがわかったという程度。いつでも彼女は家出できたし、その理由も特には見当たらないのだ。

 手掛かりがないな、と困ったように顎に手を当て、仕方なく一つの提案をする。

「奥さん、娘さんの部屋を見せていただけませんか?」

「部屋、ですか?」

 突然のエドワードからの言葉に、首を傾げる夫人。若干横からのカレンの視線が厳しいことに気づきつつ、無視して続ける。やましい思いは流石にないのだ。

「ええ。もしかしたら、彼女の部屋に何かしらの、家出するきっかけ、或いは目的のような手掛かりがあるかもしれません」

「そういうものでしょうか……わかりました。ご案内します」

 目をしっかりと見て言えば、真剣な思いが伝わったのか、夫人は立ち上がってエドワードらを連れて二階へと上がっていく。

 何部屋かあるうちの一つの扉の前に立つと、夫人は「ここです」と扉を開けた。

 扉の先には、非行に走る子供の印象とは逆に、実に少女らしい印象を受ける部屋があった。薄桃色のカーテンに、可愛らしいハートの額縁に収められた、友人と思しき子との写真。淡色のベッドは綺麗に整えられていて、部屋の主が実際にいないことをもの悲しげに語っている。壁際の大きな本棚と学習机には漫画本や恋愛小説が散っていたり収められていたりと、少女の趣味が伺えた。

 思っていたより少女らしい内装に、少し妙な気分になりながらも、まあ年頃ならそんなものだろう、と納得して検分に入る。

 学習机に据え付けられた棚の細々としたインテリアを見ながら、夫人に問う。

「娘さんは、何か日記を付けていたりとかは?」

「いえ、そういうのはあんまり好きな子じゃなかったので、ないと思います」

 「そうですか」と少し落胆を覚えつつ、エドワードは若干の申し訳なさを感じながら机の引き出しの中を確認し始めた。日記の類があれば、本人の考えや家出のきっかけなどが簡単にわかったのだが。

 引き出しの中も至って普通で、問題はない。隣の本棚に移動しながら、視線でカレンに合図して、デリケートな部分のあるタンスを調べるように指示。こういった本格的な探偵業では要領が掴めず割と手持ち無沙汰になる彼女も、役割を与えられてようやく動き出す。

 後ろでガサゴソしているのを感じつつ、エドワードは本棚を見て回れば、不意に違和感を覚えてよくよく見直してみた。

 収められているのは恋愛小説に、最近流行りだした漫画本、そして、教科書に――魔術教本入門書。

 それを手に取りながら、エドワードは夫人に問うた。

「あの、娘さんって、魔術師志望ですか?」

「いいえ? うちの娘は適性がありませんでしたから、魔術工業系に進むと本人も言ってましたが……」

 適性がない、とは、魔力を表出する才能がないことを意味する。それはそのまま魔術師にはなれないということであり、そんな娘が入門書を持つ意味はない。

 意味はなくとも買ってしまうのが人の性ではあるが――それが五、六冊とあれば、少々興味の範疇を越え始めるのではなかろうか。

 魔術教本入門書の他に、古代魔術読本、古代魔術解体書、古代魔術入門書などなど、古代魔術に関するものが随分と多い。その他には大学クラスの生物魔術学や魔物学など、おおよそ女子高生の所持物ではないだろう。

 値段も、バイトもしていない子供がお小遣いだけでどうにかなる額ではない。恐らく、誰かから買い与えられたか、借りたか、それとも万引きか。どれとも判別しがたいが、なにやらきな臭いのは事実だ。

 眉をひそめて思考していれば、不意にチャイムが鳴り響く。夫人が部屋の時計を見て「あら、もうこんな時間」と呟いたのを耳にして、カレンが尋ねた。

「誰かと何か約束でも?」

「ええ。その、娘の友達たちと。一緒に街を探してくれる、って集まってくれてるんです」

「それは好都合ね。エド、その子達にも話を聞きましょう」

「ああ」

 夫人の言葉に、手を打って妙案だとばかりに言うカレンに首肯を返し、二人は夫人に続いて玄関へと降りる。残念ながらこれ以上部屋を調べても何もなさそうだったからだ。

 夫人が玄関を開くと、四人の少年少女が元気に挨拶しようとして、後ろにいるエドワードら二人に気づいて目を白黒させる。

 「大丈夫よ、とりあえず中に入って」と言う夫人に言われるがままリビングに入った少年少女に、物腰柔らかなカレンが自己紹介する。

「初めまして、デフト探偵事務所の、こっちが所長のエドワード、私は職員のカレンよ。エリナちゃんの捜索の依頼を受けてここに居るの。みんなの話を聞かせてくれない?」

 そう言っていつの間にか作っていた名刺を取り出して四人に手渡し、柔らかい笑みを浮かべる。

 彼女の言葉に四人とも驚きの表情を浮かべ、「すげー、探偵だってよ」「エリナやばくない?」「てか、綺麗な人だな」「凄い頭白いんだけど大丈夫?」などとこそこそ漏れ聞こえる音量で内緒話をしていた。

 放っておけばそのままずっと続けそうな内緒話を区切るべく、エドワードが咳払いすると、四人とも居住まいを正して二人をみる。それに満足そうにカレンが笑みを浮かべると、早速とばかりに質問を始めた。

「それじゃあ、皆、エリナちゃんと最後にあったのはいつなの?」

「確か、一週間前の夕方だよな?」

「そうそう、みんなでショッピングして、遊んで、もう帰ろうってなった時だよね」

「エリナとはそこで別れたっきりなんだよな」

 と、口々に言う。どうやら、夫人よりは後に会っていたようだ。それから先の行き先は知らないか、とエドワードが問うも、四人とも「家に帰ったとばかり思ってた」とのこと。

「家出するきっかけとか、話したりしてないか? そういう時に頼る先とかも」

「いつもみたいな、その、おばさんの愚痴とかは話したりしてたけど、家出するほどのことは何にも。な?」

「うん。いつも通りだったかな」

「……なあ、アレ話してないよな?」

「あー……」

 エドワードの質問にはこれといった反応がなかったが、一人の少年が思いだしたように仲間に呟くと、残りの三人が困惑したように眉根を寄せてしまう。

 何か心当たりがありそうな反応に、「何か知ってるの?」とカレンが身を乗り出して聞けば、四人とも少し気まずげに話し出す。

「エリナのやつ、大学生のサークル連中とつるんでた時期があってさ」

「その大学生サークル、あんまりいい噂聞かなくて、俺らもつるむの止めろって話してて」

「もうしばらくその話もしてなかったし、とっくに縁切ったと思ってたんだけど……」

 このように、実に怪しいことこの上ない情報が出てきた。夫人は少し顔を青ざめさせていて、よもや、と言わんばかりの表情。

 しかし、今は貴重な情報の方が優先。エドワードがさらに突っ込んで尋ねる。

「どこの大学の連中だ? それと、噂って?」

「北トゥリエス大学の、生体魔術研究サークル、ってやつ。チンピラみたいな噂はないんだけど、なんか、怪しげな実験したり、魔術の違法研究してる、とか、そういう変な噂ばっかあるところ」

 北トゥリエス大学、といえば、トゥリエスにある二校の大学のうちの名門の方で、近くのトゥリエス警察と技術提携を結んでいることでも有名な大学だ。

 流石にサークルの方には聞き覚えはないが、そんなところが絡んでくるとは。しかも大学、エリナの部屋で見つけた本の出所にも関連が出てくる。

 思わぬところで情報が入った、とカレンと視線を合わせ、早速とばかりにエドワードは立ち上がる。

「それじゃあ、俺たちは大学の方を調べてきますので」

「あなたたちは、予定通り、エリナちゃんが行きそうなところを探してね。くれぐれも、危険なところとか、怪しい場所にはいかないように。そういうときは、名刺のところか警察まで連絡してくれればいいから」

 そう言って、二人はあっという間に家を出てスクーターに乗り込む。呆気にとられる夫人と少年少女を置いて、二人は颯爽と大学へと向かうのだった。









 夕暮れにさしかかるころ、二人は北トゥリエス大学に到着していた。

 流石の名門、夕方になっても大学生の姿は絶えることはなく、忙しそうに行き来する青年らが見える。卒業課題だろうか、魔術の練習をしている姿も見えた。

 それらを視界の端に流しつつ、門で確認した地図を頼りにサークル棟へとたどり着く。そこの地図を見て、三階の生体魔術研究サークルの部屋の前に到着し、扉をノックした。

 しかし、反応はない。電気がついていないことから想像はしていたが、やはり居ないようだ。

 そこで、通りがかった青年を捕まえてサークルについて尋ねてみる。

「ここのサークル、もしかしてここしばらく来てなかったりする?」

「え、ええ。一週間ばかり様子見てないっすけど……」

 適当にあたりをつけて聞いてみたが、どうやらビンゴのようだった。しかし、それは同時に悪いことを想像させる。

 少女が行方しれずになったのも一週間前。サークルがこなくなったのも一週間前から。合致する情報があると、関連づけてしまうのは仕方ない。

 青年に礼を言って解放すると、どうにかしてサークルの部屋に入るべきだ、と二人の意見が一致する。中を調べて、少女と何かしらの関係が繋がるようなものを探すべきだ。ないならない、でそれでいい。

 正道では、サークル棟の管理者に話を通して鍵を借りるなりすべきだが、怪しいので調べさせてください、では通らないだろう。エドワード達はただの探偵、謂わば一般人である。警察ならそれだけで捜査できるだろうが 一般人では言いがかりにしかならない。

 さてどうしようか、と考え込むカレンの横で、仕方なさげに懐を探し出すエドワード。それを見咎めて、カレンが首を傾げる。

「何してるの?」

「いや、昔とった杵柄というやつでな……」

 と、ようやく取り出したのは針金。なぜそんなものを、と聞こうとするカレンの前でしゃがみ込み、なんと針金を扉の鍵穴に差し込んで弄りだした。

 ぽかん、と思わず口を開けて呆然とするカレンの前でしばらくカチャカチャと弄っていると、やがてガチャン、という快音を響かせて扉が開いてしまった。

「よし、開いた」

「いや、それって犯罪――」

「細かいこと言うなよ、ほら、行くぞ」

「ちょ、ちょっと!」

 早速入ろうとするエドワードに言い募るカレンだが、さらりと流されて一緒に中に入ってしまう。思わず入ってしまった自分に「あぁ……」とがっくりと肩を下ろすカレンだが、もう仕方ない、と言わんばかりにずんずんと中を見回す。

 サークルにしては結構広い部屋で、奥の一面の壁には本棚が狭しと並べられ、中には本がぎゅうぎゅうに詰まっていた。

 その前には箱型の大きな机が三台並べられ、その上には怪しげな雰囲気を助長する魔術式が刻まれた大判の紙が敷かれている。

 エドワードが奥の本棚をちらりと見やれば、そこには古代魔術についての本がある他、生体魔術学や魔物生態学など、専門的な内容の本がぎっしりと入っていた。なんとなく、少女の部屋にあったものと内容が似ているような気がする。

 続いて机の上の魔術式を見て、その記号を検分する。どうにも記号配列がめちゃくちゃで、これでは魔力を通しても効果を発揮する並びではない。

 しかし、記号には『合体』だの『合成』だの、サークルのお題目にそぐわない妙なものがちりばめられている。何がしたいのかはよくわからないが、式が古代魔術式であるのはよくわかった。

 視線を机の下に転じてみれば、そこには丸められた紙がある。拾って広げてみれば、そこにも魔術式が刻まれていて、机の上のもの以上にぐちゃぐちゃの式だった。どうやら失敗を重ねているようだ、ということがわかるが、どれも少女とのつながりを示すものはない。

 一方でカレンは、箱型の机の脇に、妙な取っ手があることに気づく。それを引いてみれば、出てくる鍵付きの箱。持ち上げられる軽さから、大したものは入ってなさそうだが、とエドワードに視線を向ければ、彼も箱に気づいて針金を持ち出したところだった。

 それに頼るのも妙な話だが、仕方なし、と彼に渡して少し待てば、カチャリという音を立てて箱が開く。

 中にはどうやら数枚の写真が入っているようで、最初の一枚を見てみれば集合写真のようだった。男子大学生のみで構成されたサークルのようで、快活な青年もいれば、陰気な青年もいる、至って普通の大学サークルだ。

 続けて二枚目には、再び集合写真。今度は場所を変えているようだが――と、一人だけ女の子が混じっていることに気づく。それになんとなく見覚えがあるように思えて、やがてそれが件のエリナであることに気が付いた。

 やはり、このサークルと親交があったことは確かなようだ。

 仲がいいように見えるし、それほど大事になっていないといいのだが、とカレンは思いつつ次の写真を見て――驚きに、目を見開いた。

 蜥蜴のような全身のフォルム。

 三対の瞳、ずらりと並ぶ歪な牙の羅列。

 そして――胸部に浮かぶ、複数の人面。

 かつて、四ヶ月前に相見あいまみえた『化け物』が、そこには写っていた。

 写真の状況的に、どうみてもベースボール会場で撮られたもの。その次の写真も、別のアングルから撮られた化け物の写真、次の写真も化け物の写真。

 五枚に亘って、化け物の写真が写されていた。

 こんなことはあり得ない。ベースボール会場大量殺人事件に関しては、警察が徹底的に情報規制をかけ、化け物の死体も見せぬよう尽力していた。なにより、ベースボール会場に居た観客は、残念なことにほとんどが死亡。生き残った人の手荷物をあらためて、そういった撮影機器がないことは把握済みなのだ。

 故に、この化け物の情報が出回ることはあり得ない。まして、一大学のサークルに存在するなど、以ての外だ。

 どういうことだ、とカレンはエドワードと視線を合わせる。

 そこで、カレンはようやくエドワードが青い顔をしていることに気が付いた。

 彼は彼で、別の恐ろしい結論にたどり着いていたのだ。

 古代魔術式に存在する、『合成』『合体』の意味。それは、もしかして、魔術式上の二つのものを合成させるということではないだろうか? それなら、古代魔術であることにも納得がいく。古代魔術は物体などを発動条件に組み込めるからだ。

 また、彼らは生体魔術を研究している。生体を、生物を合体させる、という発想を、この写真から得てもおかしくはない。

 そして、それを、試そうと思ったのではないか?

 身近だが、しかし友人よりも他人に近い、少女を使って。

 まさかとは思うが、しかし、エドワードは最悪の想像をせずには居られなかった。

 元々いい噂のないサークルだ、あり得ないことはないのかもしれない。

 つまり、

「奴ら、もしかして、この化け物を作ろうとしてるんじゃないか……?」

「嘘、でしょ……」

 二人は、呆然と呟く。

 エドワードの嫌な予感が、びりびりと警告をかき鳴らしていた。

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