エピローグ
地竜を打ち倒し、ついに
様々な衝撃的事実が明らかになった今回の事件。街に及んだ被害は、三か月前の大事件に劣らず大規模なもので、百人単位で死傷者が出てしまったという。特に地竜による被害は大きなもので、西側の地区は今後長期間の復興が必要となるだろう。
ここぞとばかりに新聞やラジオは、三か月前の事件と合わせて警察の治安維持能力の低さを大いに叩いていたが、今回のは
むしろ、地竜出現などという最悪の事態に対し、街の半分がなくならなかっただけで僥倖といえるため、バッシングはあっという間に鎮火していた。
警察にも少ないとは言えない被害も出ていたため、これは大いに助かったことだろう。
とはいえ、その辺の事情は一介の協力者であったエドワードらには関係なく。
やはり摂取しすぎたスタミナ増強剤の副作用に一週間苦しんで、ようやくエドワードはフェリックスらと顔を合わせることができた。
向こうは外傷のみであったため、とっくの昔に治癒魔術で完治し、官憲業務に勤しんでいる。
そんな彼らに会わないのはどうかという一応の義務感から、カレンとともに警察本部に出向いたエドワードは、書類を読んでいるらしいハーヴィーの嫌そうな顔に出迎えられた。
「……何の用だよ、あんたら。仕事はねえぞ」
「別に仕事をせびりにきたわけじゃない。一応顔だけでも見せるべきかと思ってな」
前よりは険のとれたハーヴィーの言葉にどこか違和感を覚えつつ、エドワードは首を巡らせてフェリックスを探す。
あの巨漢がそう何人もいるわけはなく、目立つ大男はすぐにでも見つかった。向こうもこちらの姿を認めたようで、快活な笑みを浮かべて手を振ってくる。
「おお! 二人とも、元気そうで何よりだ!」
「あなたも問題なさそうね、フェリックス」
カレンも元気そうな彼の姿を見て、安心したように柔らかい笑みを浮かべる。
いくら治癒魔術で治るとはいえ、肺に穴をあけたまま長時間の全力行動をしていたのである。何かしらの後遺症があってもおかしくはないが、見たところ健康そのもので心配は必要なさそうだった。
「あれくらいでくたばるような柔な鍛え方していないからな」などと抜かしているが、普通人は胸を貫かれても頑張れる体の構造をしていない。エドワードは少しだけ真剣に、ゴリラとの混血を疑っていた。
そんな不埒な考えをしていれば、不意に茶髪の女――イレインがハーヴィーの後ろからひょっこりと顔を出した。そして二人を見つけると、相変わらず艶やかな笑みを浮かべる。
「あら、お二人とも。こんにちは。元気そうね」
「ああ。腕は大丈夫か?」
「綺麗にくっついたから問題ないわ。……ところでハーヴィー、なにみてるのー?」
腕をぷらぷらと振って無事を伝えたイレインが、不意にハーヴィーの手元の紙をのぞき込む。何を慌てるのか、急いでその紙を隠そうとするハーヴィーだが、イレインのほうが一手上手だった。
ハーヴィーの頭を胸に抱え込むような形で両腕を巡らせて、素早く紙に手を伸ばす。いろんな意味でびっくりしたハーヴィーからあっという間に紙を抜き取り、抱え込んだまま、まじまじと紙を眺める。
「大胆……」などと真っ赤になっている初心な
それだけなら、魔術剣士たるハーヴィーが見る分には不思議ではないのだが、描かれている魔術の種類が首を傾げるものだった。
彼は雷撃を専門とする魔術剣士だが、紙にあるのは爆裂系や毒系といった、別系統の魔術。思わずイレインと一緒にエドワードがハーヴィーを見れば、実に嫌そうな顔をして口を開く。
「……別に、アンタがどうってわけじゃねえが、複数の魔術系統を覚えておくのは悪いことじゃない、ってのが今回のことでよーくわかったからな。だから、ちょっとでも手札を――って、いつまでくっついてんだ離れろっ!」
エドワードの戦い方と、喋る魔物の多彩な攻撃に思うところがあったのだろう。彼なりに努力しようとしているようだ。
と、言ったところで、がーっ! といつまでも胸を押し付けるイレインに真っ赤になって振り払うハーヴィー。冷静に話していたが、美女の胸に頭を預けながら語る姿は滑稽そのものだった。
勢いよくイレインから離れる彼だが、エドワードらがむける生暖かい視線に「な、なんだよ」とたじろぎ、そこへカレンがぽつりと呟く。
「……意外とムッツリなのね」
「は、はぁっ!? 何を――って、あ?」
助平扱いに真っ赤になって否定しようとする彼だが、いつの間にか、エドワードら以外にも同僚らしい警官たちに生暖かい目で見られていることに気付く。
全方位から向けられる視線に、たじろいでついにはフェリックスに助けを求める視線を向けるハーヴィーだが、いつの間にか彼はどこかに消えていた。
味方はいない。それを悟ったハーヴィーは「ちくしょう!」と青春小説の一節のごとく叫ぶと本部の外へと飛び出して行ってしまった。
そのあんまりにも面白い様に、どっと湧く笑い。彼の助平扱いは今後しばらく続くだろうな、とエドワードは静かに黙祷をささげた。
と、そんなコメディをかましている間に消えていたフェリックスがひょっこりと隣の部屋から姿を現し、「何事だ?」と訝しげにしながらエドワードらに向かってくる。
「警官の団結力が再確認されただけだ、気にするな」
「そうか? ……まあいいか。エドワード、渡したいものがあってな」
適当に答えたエドワードに、不思議そうにしながらも納得したフェリックスは、そう言って封筒を渡した。
今更受け取るものなんてないはずだが、と不思議に思いながらも受け取って中身を見れば、ちょっと目を見開くほどの金額の札束が入っているではないか。今回の依頼の分の報酬はとっくにもらっている、どういつもりだ、と思わず顔をあげて視線で問えば、フェリックスは笑みを浮かべて髭を撫でた。
「いや、今回は非常事態があまりにも多く発生しただろう? その分の報酬も支払われたと思うがわしはそれでは足らぬと思ってな。まあ、補償とでもボーナスとでも思っておけ。治療費や整備費の足しにするといい」
「……そう言うんなら、本当に貰うぞ? 遠慮なんてしない人間だからな」
「おう、それがいい。男ならそうでなくてはな」
金に関してはそれがどんな代物であろうと貰えるのなら貰うエドワードだ、躊躇いもせずに懐に入れるのをカレンが咎めるように見るが、一方のフェリックスは快活に笑っていた。
そうして、挨拶もしたしもういいだろう、ということで早速踵を返して警察本部を出ようとするエドワードだが、「まあ待て」とフェリックスに呼び止められる。
今度は何だ、と振り返れば、真剣な色を黒い瞳に宿し、フェリックスが頭を下げていた。
「今回は本当に、世話になった。お前さんたちが居なければ、トゥリエスは今頃どうなっていたかわからない。だから、ありがとう」
誠実な態度で、真摯な言葉がエドワードに向けられる。思わずむず痒い気持ちになり、頬を軽く掻きながら困ったように視線を巡らせれば、カレンの薔薇色の瞳とかち合った。
素直になりなさいな、とでも言いたげな母性的視線にますます困った心持ちになりながらも、小さくため息を吐く。
まっすぐに感謝されるというのは、こんなにも面倒で――嬉しいことだとは。久しぶりに思い知らされたような気がする、などとごちゃごちゃ考えつつも、「あー、そうだな」と前置きして続ける。
「……警察は、これからもうちのお得意様になりそうだからな。どうぞ、これからもご贔屓に」
「素直じゃないわね」
「うるさいぞ」
言い捨てるように踵を返し、その背中を追いかけるカレンの言葉に舌打ちを返した。
さらに後ろから「ハハハハハ」とフェリックスの豪快な笑い声が追いかけてきて、エドワードは肩をすくめて逃げるように警察を去るのだった。
*
そんなことがあった日の夜。
エドワードの姿は、自分の事務所の寝室にあった。カレンはとっくの昔に、このトゥリエスに構えた新居に帰っていて、彼は今一人だった。
一週間ぶりの我が家に、ようやく人心地ついた、と言わんばかりに長い吐息を漏らす。
部屋の電気は暗く設定され、ベッド脇の机上の魔具灯に魔術でそっと光が灯された。エドワードはその傍の本棚から一冊の本とノートを取り出し、机の前に座って広げる。
本には魔術式とその記号の解説が書かれており、昼にハーヴィーが見ていたような教本の類であるようだった。その内容を、ペンを手に取ってノートに所狭しと写し始める。
五年前、事務所を開業してからずっと続けている夜の作業。毎夜、魔術書を開いては式と記号を覚える日々。気が付くと朝になっていることはざらにあり、太陽が天辺に昇る頃に眠たくなるのはこれのせいだった。
最初は、現実逃避のためだった。
五年前の悔恨と七年前のトラウマから、ただただ、逃げたくて。魔術の記号の世界に没頭し、気が付けば別系統の魔術を数多く覚えていたものだ。
それは、ある種の執念じみた行動であったのかもしれない。絶対に眠らないために、夢にトラウマが鎌首をもたげてこないように。一夜で二つの魔術を覚えてしまうほど、その作業に躍起になっていた時期さえある。
しかし、今はそういう程のことでもなく、ただの習慣となっていた。記号を記憶し、式の配列を覚え、意味を知る。この作業を挟まねば、眠れなくなる程度には毎夜のルーティンとなっている。
そうしてしばし、魔術を写して覚える作業に入っていたエドワードだが、一段落つくと、今度は教本を閉じて机の引き出しを開ける。机の脇に無造作に置かれていた針金を曲げて、その引き出しの奥の底にある穴に差し込んで持ち上げれば、二重底となっていた底板が外れた。
その下にあるのは、メモ帳程度の大きさのノート。表紙には持ち主の名前だけが書かれていて、そこには「ヴァレント」と記されていた。
三か月前、カレンとこうして行動を共にすることになったきっかけの書。何の因果か、今はエドワードの手元にあり、それは誰にも知られていなかった。
単にネコババしただけとも言える。いつの間にか懐に入れていたところ、この書が
かの有名な魔導王ヴァレントの、魔術を研究したノート。同じ魔術師の端くれとして、気にならないわけがない。落とし物を懐に入れることに抵抗のない人間であるエドワードの手に渡ってしまったが故に、一生この書は世に出回ることはないだろう。
そんな書をわくわくする気持ちを抑えながら開き、魔術の研究を再開する。今度は、かのヴァレントが今では禁止魔術になっているものを現代魔術に変換し、コスト削減した魔術だ。
深く読み込み、暗号のようにすら見える文章を解読し、記号の配列を覚えていく。それはある意味至福の時であり、今までとはエドワードが明確に違うことを意味していた。
そうして、夜は更けていく。
あるいは、この書が彼の手に渡ったのは、運命の悪戯によるのかもしれない。
必要な人物のもとに、必要なものが渡ったのだから。
*
暗い暗い底の底。
無言で鎮座する
底の底でただ座すのみのソレは、外で起きた全てを観測していた。
閉じた瞳の向こうで、猛禽の頭を持つ男の姿をした魔物が崩れて粒子となり、大気の魔力に溶けていく。魔物の消滅現象だ。
しかし、ただ単に大気中に溶けるはずの魔力は、途中でその方向性を変えた。
天に上り、建物を越え、空を駆け。
やがて、巨大な魔物が出現した亀裂が見えてくる。魔力はその穴に滑り込むように落ち、その下の巨大な空間を抜けて、そこにある『式』に沈んでいった。
第一級禁止魔術など比較にならない、膨大かつ緻密な魔術式。しかし、一か所だけ削れて消えていた。
魔力が沈んだその瞬間、式が発光。頭上の亀裂が、突如として生長する植物のように両側から延びはじめ、数秒後には完全に閉じてしまう。
それを見届けて、ソレは嘆息した。ああ、まだということか、と。
時は未だ満ちぬ。
今はただ、座して待つのみ。
その時は、必ず来たる。
黄金の羅針盤を片手に、必ず。
故に、ソレは――待つのだ。
刻々と迫るその時に、ただ備えるために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます