05
それは、蛇と鷲と、そして
まず、単純にその体躯が普通の魔物より圧倒的に巨大なのである。その巨大な体に宿る膨大な質量は、そのまま頑健さや攻撃能力の凶悪さに繋がり、無尽蔵ともいえる体力を生み出す。
その体力は練り上げられる魔力の膨大さとなり、どの竜も例外なくその魔力を以てして上位魔術を容易く構築して行使するのだ。
これだけでも並みの魔物よりはるかに強力なのだが、竜の恐ろしさの真髄は別にある。
竜だけが持つ――しかし魔物の定義で言うなら
魔術ではない故に、威力と能力は魔力に依存せず、その驚異的な破壊力は第二級禁止魔術と同等かそれ以上。これがあるために、国一つが数頭の竜に滅ぼされてしまった、という話まである。
こんな超生物が魔物と同一視されるのは、魔力で肉体が構成されているため。また、生殖行動で数を増やした事例も確認されておらず、竜人の逸話はあくまで逸話としか認識されていないからだ。
故に、魔物。
その出現方法は、同じく魔力の異常集中によって発生するものであり、世界各地のどこにでも彼らが現れる可能性は、極めて低いが、あるのだ。
だが、だが。
運命というものがあるのなら、神がいるのなら、あまりにも
恐怖のあまり、干上がる喉を鳴らしてエドワードはそんな非現実の存在を呪っていた。
確かに、竜殺しが為されたことは、伝説の上でも実話の上でも存在する。ドラゴンスレイヤーは今も世界に何十人といるだろう。竜を倒すことは決して非現実なことではないが、しかし、実物を前にしてどうしてそのようなことを
圧倒的な存在感、肌で感じる生物としての格の違い。実際に睨まれているわけではないのに、その爬虫類の瞳を見るだけで射すくめられているかのような錯覚を覚える。戦意が、空気の抜ける風船のように萎んでいくようだった。
だというのに。
だというのに。
何故――フェリックスは、エドワードの前に出てその勇猛な背中を見せつけることができるのか。死骸から得物を抜き、猛然と竜に向けて構えることができるのか。
胸を貫かれ、今にも死にそうな身体で、どうしてそこまで奮い立つことができるというのか。
「フェリックス――」
「ようく、頑張ってくれたな。エドワード」
疑問を口にしようとして、しかし、突然のフェリックスの労いに遮られる。
思わず目を白黒させていれば、フェリックスは顔だけをこちらに向け、快活な笑みを浮かべて続けた。
「あれほど多様な魔術を使って、実に獅子奮迅の活躍をしてくれた。本当に、礼を言う。もう、体力も残っておらんだろう。ここはワシに任せて、応援を呼んできてくれんか」
「何を言って――ッ!」
叫びかけて、気づく。
フェリックスの笑みが、あまりにも、あまりにも――似ていた。死を覚悟した表情に、『ロイド』の最後の表情に。
確かに、ロイドは笑ってはいなかった。恐怖に青ざめ、震えていた。目の前のフェリックスの表情は場違いなほど朗らかで、ロイドの表情とは微塵も共通点はない。
しかし、それでも、エドワードは同じものを感じずにはいられなかった。濃厚なまでの、死の気配を。
そして、何故そんな表情をするのかも気づいてしまった。
震え、怯える己。竜との格の違いを思い知らされ、戦えば最後、自分の死のイメージしか思い浮かばない。
そんな
あまりにも、惨めだった。簡単に内心を見抜かれる己が、強大な敵を前に震える自身が――また同じ過ちを繰り返そうとしている自分が。
だからこそ、問わずにはいられなかった。親友にはもう投げかけられない疑問を、口にせずにはいられない。
「どうして、どうしてそこまでできる? 何があんたを動かしている? 何故――他人に命を賭けられるッ!?」
気が付けば、エドワードは絶叫していた。
それは、もう言葉を交わすことのできない親友に、この七年間聞きたくて仕方がなかった問い。
喉から思わず飛び出た叫びにフェリックスは目を丸くしながらも、今度は苦笑した。そして、「決まっているだろう」と言って、続ける。
「ワシが、警察だからだ。街の人間を守る盾であり、壁であるからだ。ワシら警察が守らねば、一体誰が守る? そう、誰かがやらねばならないなら、ワシは喜んで引き受けよう。ワシは全霊を以てして最後の砦になると、他でもない己に誓っておるのだ。だから、例え竜が相手になろうとも、ワシはその前に立ち塞がり、越えられぬ壁となろう」
時折咳き込みながらも、しかし決して弱々しくなく、悠然と答えた。己の言葉に絶対の自信を抱き、それは決して間違ってはいないのだと、そう感じさせるような自然さで。
それは、エドワードの求める答えではなかったかもしれない。親友はそうとは答えなかっただろう。
だが、それでも、エドワードの胸にストンと落ちる何かがあった。
きっとロイドも、フェリックスと同じで何か譲れないものがあったから、あの時あの瞬間、エドワードのために命を捨てる覚悟ができたのだと、そう思えた。
そう思えばこそ、震える体が静まっていく。情けなく震えていた心に活力が
気づけば、フェリックスの両脇にはハーヴィーとイレインが満身創痍ながらも並び立っていた。両者ともにフェリックスと同じ決死の覚悟の表情をしていて、その戦意は鈍ることなく竜へと叩きつけられている。
「帰ってもいいんだぜ、エドワードさんよ。もともとが俺らの仕事だ、今更依頼とやらを反故にしたってなーんも構いやしねえよ」
「ハーヴィーの言い方にはちょっと賛同できかねるけど、そうね……無理に戦う必要はないわ。だって、あなたたちは一般人だもの」
二人とも背を向けたままそう言い放ち、武器を構えて竜へと足を向ける。
気が付けば、自分は蚊帳の外。エドワードはいつの間にか守られる側になっていて、そして自分はそれに甘んじそうになっている。
おかしな話だ。
思わず、笑みがこぼれる。
「おい待てよ。勝手に人をチキン野郎にするんじゃない」
ここまで戦ってきておいて、散々命の危機に晒されておいて、何を今更挑むことに躊躇いがあるのか。三ヶ月前に、そんな恐怖は体験済みだろうに。
震えていた足を叱咤して、前を向く。隣にはいつの間にかカレンがいて、力強い薔薇色の瞳でエドワードを見ていた。
それだけなのに、不思議と鼓舞されているような気持ちになる。「あなたなら大丈夫」と言ってくれているかのようだった。やはり彼女には、どうあっても助けられる関係らしい。
「行くぞ、カレン」
「ええ、もちろんよ」
言葉を口に出して気力を
ふと見れば、フェリックスがやはり笑みを浮かべてこちらを見ていた。
今度は決死のソレではなく、「待っていたぞ」と言わんばかりに嬉しそうなソレ。やはり彼も、カレンと同じくエドワードの奮起を信じていたようだ。
癖のあるおっさんだ、と苦笑いを浮かべながら、剣を握りしめ、三人の横に並び立った。
横目でソレを確認したフェリックスは、肺に穴が開いているというのに、それでも響きわたる銅鑼声で喝した。
「行くぞ、お前たち! トゥリエスを守るのは、ワシ達だッ!」
『応ッ!』
号令一喝。
五つの影が、トゥリエスに向かう地竜に吶喊した。
*
地竜に対する距離は充分以上、接敵には数秒かかる。ならばとばかりに、走る五人の手と手甲から燐光が弾け、七つの魔術式が展開された。
同時、発動。紅蓮の弾丸、雷撃の槍、風の砲弾が一斉に空へと放たれ、弧を描いて地竜に迫る。
それらを爬虫類の瞳に映した竜は、しかし何もしない。否、何もする必要はなかった。
七つの魔術が地竜の鱗に激突し、そして掠り傷一つつけることができずに弾けて消える。
これが地竜の恐ろしさ。その鉱物のような凄まじい硬度をもつ鱗で何もかもを弾いてしまう。
それでも、全身を迸った電流が一瞬、その動きを止める。次の瞬間には何事もなかったかのように歩き出すが、効果があるのは判明した。
あんな化け物でも生き物だということが目に見えてわかったならば、勝機はある。あとはひたすら攻めるのみ。
それを見て取ったエドワードは、スタミナ増強剤を三錠一気にかみ砕きつつ、現在の式を放棄。切っ先で
その横をカレンとイレイン、ハーヴィーが全力疾走。
一気に地竜に肉薄しながら、亀のような体格故に突き出ている頭を無視。その巨木のような脚へと全力の一閃をたたき込む。
しかしカレンの大剣でも浅い掠り傷しか与えられず、跳ね返ってきた硬すぎる感触に彼女も思わず苦渋の表情を浮かべて一旦後方へと跳び退った。
一方で、『
よって、そこにハーヴィーの連撃が叩き込まれる。『
直後、低いうなり声をあげて停止する地竜。ついに痛痒を与え、その進軍を停止させたのだ。
しかし、足下の小うるさい者共を鬱陶しく感じたのか、地竜は斬られた前足を大きく振り上げて蹴散らそうとする。
それをイレインとハーヴィーは大きく飛び退いて回避しながら、一斉に式を紡ぎ始める。
ほぼ同時、地竜の脚に展開される二つの魔術式。燐光が消え失せ、発射された『
その間に、エドワードは『
弾ける電流に一瞬動きが止まり、その瞬間、今の今まで力をためていた男が動き出す。
「オオオォォォッ!」
フェリックスが怪我を感じさせない裂帛の叫びを放ち、肉薄。
この期に及んで分泌される脳内麻薬が彼に痛みの全てを忘れさせ、そして彼から全力を引き出す。
大地を蹴った一足で、爆発的な加速を得たフェリックスが次の瞬間には地竜の眼前に躍り出る。
同時に彼の背中で燐光が回転。今まで時間をかけて描いていた強化魔術『
そして、全身の筋肉を躍動させ、大地に突き刺さる踏み込み。そこから
パァン! という空気の層を貫く炸裂音が響きわたり、亜音速の斧槍が反応しきれていない地竜の横っ面に全力で叩きつけられる。
瞬間、張り手を喰らったかのように大きく顔をのけぞらせる地竜。その顔面には深く深く斧槍が突き刺さり、その堅い鱗に蜘蛛の巣のようなヒビを生じさせていた。
根本まで深く突き立った得物を、抜くことを諦めあっさりと手放して後方へと転がるように退避するフェリックス。彼の頭があった場所を、怒り狂う地竜の牙がギロチンのように閉じた。
それでも仕留められないとみるや、今度は顔面に二つの魔術式を展開。『
そのまま後方へ下がっていくフェリックスに、業を煮やした地竜が大きく口を開いた。
瞬間、それを見ていた五人に
魔術が発動し、同時にクリスタルが燦然と輝き始めた。
発動された魔術が『
「カレン! フェリックス!」
避けろ、と舌先まででかかった瞬間、霧散する竜の魔術。
刹那――閃光が爆ぜた。
目も眩む光が竜の口から漏れたかと思えば、次の瞬間には柱と見紛うばかりの巨大な光線が発射される。
エドワードが叫ぶよりも前に、直感で回避行動に移っていた二人の間を光速で通り過ぎ――その背後の街に着弾。
一瞬にして建物を次々と貫き、街を一直線に貫いた。斜め下のフェリックスを狙っていたが為に街を完全に貫くことはなく、途中で地面を斜めに貫いていったものの、それでも一瞬にして街の一画が大ダメージを受けてしまう。
これが、
しかも、それが、第二撃目が、放たれようとしている。
展開される二つの魔術式。『
所要時間はほんの数秒、『
見ているだけなど以ての外、エドワードとハーヴィーが既に描いていた三発の『
それを顔を振ることで体内に着弾させるのを阻む竜だが、それでも電撃が脳髄に迸って思考も動きも停止する。
その隙にイレインと共に顔面へと肉薄するハーヴィー。開かれている口に得物を突き込んでクリスタルを砕かんとするが、想像以上の硬度に二人とも刃を弾かれてたたらを踏む。
しかし、同時にハーヴィーが発動した『
それでも、二人にできるのはそこまでが限界。電撃の麻痺を膨大な体力で振り切った地竜が、口元にいる二人を頭を振って弾き飛ばした。大質量に殴り飛ばされた二人は、直前で得物による防御が間に合ったものの、それでも腕をへし折られて弾けるように飛ばされる。
直後、フェリックスを貫くべく、地竜は
だが、この場面でようやく、エドワードが切っ先に全力で紡いでいた
フェリックスの前に素早く躍り出て、切っ先を地竜に向けた。エドワードが持つ、竜を殺せる唯一の手札、第三級禁止魔術級の威力を誇る一撃だ。
「く、ら、ええええぇぇぇっ!」
根こそぎ魔力を持って行かれる感覚に死にそうになりながらも、全力で叫んで発動。
太陽を間近に落としたかのような目映い閃光が弾け、地竜の
同時、地竜もまた
極太の二本の光線が同時に射出、次の瞬間には激突し、接触点で爆発するような閃光を放って拮抗する。
否、拮抗していない。僅かずつだが、エドワードの『
そこへ、竜がさらなる魔術を発動。二つの魔術式が『
「お、お、オオオォォォッ!!」
エドワードも全力で魔力を練り上げて魔術に注ぎ込むも、趨勢は変わらず徐々に押されていく。
数秒もすれば死に至る、いや、それより先に魔術を保てなくなって死ぬ。どうする、どうすれば、と迫り来る死に思考を巡らせ――気づいた。
左手で、絞り
それを竜の顔面へと差し向け、叫ぶ。
「ハァァァヴィィィィィッ!!!」
同時、『
直後、迸る電流が斧槍を伝い、その斧身を通り、そして、突き立つ鱗の内部に迸った。
しかし、絞り滓のような魔力で作った電流では、膨大な体力を前に何の効果ももたらさない。
故に、ここで、叫びの意味に気づいた
目の前の斧槍で弾ける白雷に続けと言わんばかりに、全力で式を構築。そのエドワードを超える優秀な処理速度で一瞬にして上位魔術を紡ぎあげ、ハーヴィーは腹の底から叫びを魔術とともに叩き付けた。
「オラァァァッッッ!!」
瞬間、『
万を超える高圧電流が斧槍を伝って鱗の内側に流れ込み、竜の目玉と脳髄が白熱。激痛と電流に、竜が思わず口を閉じて仰け反った。
光が遮断され、
天井知らずの温度を誇る超光熱を前にしては、如何に頑健な鎧の鱗を持っていたとして関係ない。竜人のような強烈な再生能力も持たない地竜では、究極の現代魔術には耐えられない。
故に、地竜が断末魔をあげて。
神の怒りたる光が、竜を貫いた。
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