04

 フェリックスが全力でトラックを唸らせて走らせるも、それでも速度においては魔物のほうが上だった。

 荷台に立つエドワードの視線の先で、魔物はついに魔術師部隊の上空に到達したのか、大きく旋回してその翼に十二の魔術式を展開。そして、真下に向けて一斉に撃ち放った。

 直後、それに対して垂直に『障壁シールド』の半透明のサークルがいくつか展開されるが、数十名は居る筈の魔術師全員による『障壁シールド』の展開が間に合わなかったのか、怒涛の魔術爆撃を前にものの数秒で全てが打ち砕かれた。

 そして、着弾。巻き上がる砂塵に紛れて悲鳴が上がるのが遠くからでもわかり、かなりの被害が出たのが容易に想像できる。その事実にエドワードは歯噛みし、走る荷台の上からでも魔術式を展開、そして発動。

 更なる爆撃を行おうとする魔物に向けて、光速の光弾を撃ち放ち、それに気づいた魔物が回避運動した。そうしてギリギリのところで爆撃を妨害する。

 しかし、こちらの存在を知った魔物が、今度は十二門の魔術式を走るトラックに差し向けた。一際強く輝いた燐光が消え失せ、再び多種多様な魔術の雨が五人に一斉に降り注ぐ。

 それに対し、フェリックスはトラックを蛇行運転させることで回避しようとするも、十二の魔術を避けきるには無理があった。そこでカレンがエドワードを押しのけて前に出て、前方に向けその大剣を掲げる。

 『魔術殺しマジックキラー』がその力を発揮し、トラックへ直撃コースの魔術の一切合切を無効、魔力へ還す。被害がないことに気づいたフェリックスが「いいぞ!」と叫び、蛇行運転をやめて全速力で直進した。

 降りかかる魔術が全く効果を為さないことに気付いたのか、かなりトラックが接近した時点で魔物は爆撃を停止。

 十二門の魔術を一度真下に叩き付けると、身を翻してトゥリエスの街へと飛んで行ってしまった。

 思わずハーヴィーが舌打ちを漏らし、助手席の窓から『雷槍ライトニングジャベリン』を魔物に向けて発射。雷速で迫るソレをバレルロールで嘲るように容易く回避し、魔物は大きく羽ばたいてトゥリエス上空に入り込んでしまう。

 それを急いで追いかけるトラック。途中で魔術師部隊がいた場所を通り過ぎるが、そこは目も当てられない死屍累々の有様だった。

 千切れとんだ腕があり、足があり、そして欠損した四肢を抑えて呻く警官たちの姿がある。微塵も動かない人もいて、死者が多く出ているようだった。

 その光景を見てフェリックスは悔しげに顔を歪め、しかし何もできない自分にいら立ってハンドルに拳を強く叩き付ける。

 今は、魔物を追いかけるしかないのだ。幸いにも、大量発生スタンピードの魔物はほとんど居なくなっており、魔物を駆逐した警官らが今にも救援に駆けつけるだろう。

 それを信じ、アクセルを強く踏み、全速力で喋る魔物を追いかけていった。


 街中に入った五人は、間もなく天高く伸びる建物ビルの合間を縫って低空飛行する魔物を視界にとらえる。障害物の多い街中では、本来の速度で飛ぶことはできないようで、エドワードらにとってそれは僥倖だった。

 しかし、トゥリエスの住民たちにとっては堪ったものではない。頭上を通り過ぎる影に気づき、そして次の瞬間にはおぞましい魔物であると悟って大騒ぎになっていた。

 その蜂の巣を突いた様な阿鼻叫喚の様に、魔物は魔術を用いてまで忌々しそうに呟く。

『このようなつまらん種が我らを? そして大地を支配しているだと? くだらん、全くもってくだらん!』

 怒りの感情すら取れる重苦しい言葉に、エドワードは一瞬違和感を覚えるも、今は関係ないと振り切って切っ先を向ける。式を展開し、そして再び光弾を撃ち放った。

 迫る光弾に一瞬視線を向ける魔物。そのまま、今度は回避もままならず直撃した――が、しかし、翼に当たった瞬間、光弾はあらぬ方向に弾かれて建物の表面を抉っていった。

 よく見れば、魔物の翼の表面が太陽光を反射してキラキラと光っている。それが強化魔術『硝子膜グラスシールド』の影響であると気づいたエドワードは、思わず舌打ちして新たな魔術式を構築し始めた。

 『硝子膜グラスシールド』は表面に分厚い硝子の膜を展開して、光を屈折、反射する魔術。恐らく硝子の密度を高め、光弾に対して大きく角度をつけて直撃させたために弾かれたのだろう。完璧に対応されたのだ。

 そのまま新たな魔術を放とうとするエドワードだが、そこで急にガクンと曲がる車の慣性に引っ張られて体勢を崩す。間一髪のところで魔術を放たずに済んだが、体勢を立て直しながらエドワードは文句を垂れた。

「なにしてるフェリックス!」

「すまん! だが道だって空いているわけじゃないぞ!」

 叫び返すフェリックスの目の前には、走る車の群れがある。今は昼時、どの通りにも必ず人通りがあり、それは見事に追跡の妨げになっていた。

 それに気づいたハーヴィーは思わず舌打ちをして、思い出したように車の機器を弄る。すると、車からけたたましい独特のサイレンが響きはじめ、同時にハーヴィーは拡声機を口に当てて外聞もへったくれもなく叫んだ。

『警察だ! 脇によけて道を開けろ! 邪魔だ!』

 丁寧に注意喚起している場合でもなく、罵声の如き警告に、車の群れも一斉に道を開けていく。目の前にきれいな一本道が出来て、フェリックスが「でかしたぞハーヴィー!」と喜びの声をあげてフルスロットルでトラックを飛ばした。

 一気に縮まる両者の距離。

 だが、ここでついに魔物が観察をやめたのか、その翼に十一門の魔術式を展開する。一つ減ったのは強化魔術に割かれているせいだろうが、それでも恐ろしい数の式には変わりない。

 その内六つの式がエドワードらの乗るトラックに向けられ、そして残る五つが――街へと向けられる。

「やめろッ!」

 フェリックスが叫ぶも、止まるはずもなく魔術が撃ち放たれる。

 街に、車に、人に向かって飛来する五つの炎の砲弾。何の備えもない一般人に当たれば、致命傷は免れない。

 そんな紅蓮の凶弾が、腰を抜かして倒れ込む通行人たちに飛来し――爆発した。

 通行人たちの、上空で。

 その爆発は砲弾によるものではなく、別に誰かによるもの。そう、エドワードが発動した二つの『爆裂エクスプロード』が、ギリギリのところで炎の砲弾を打ち砕いたのだ。

 なんとか一般人への被害を防いだが、当然トラックへ向かう魔術に対しては何の対応もしていない。

 飛来する六の炎の砲弾に、カレンが大剣を突き出して打ち払うが、しかし、それを想定していたのだろう。五発目までをその技巧で無効化した直後、五発目の影に隠れるようにして六発目が飛来していた。

 直前で気づいたカレンが無理矢理大剣を手繰って撃ち落とそうとするが、長大な得物故に旋回が間に合わず、砲弾はするりと彼女の脇を通り過ぎる。

 彼女の背後にはエドワードが。ギリギリで感知した彼もなんとか身を捩って回避しようとするが、間に合わない。

 あわや直撃か――という瞬間、彼の横合いから突き出された短槍の穂先が、砲弾と激突。同時にその穂先に展開する魔術式『風砲ウィンドシェル』が発動し、炎の砲弾とゼロ距離でぶつかって相殺した。

 危ないところでエドワードを守ったイレインは、細く息を吐きだして安堵の表情を浮かべる。

「危なかったわね」

「あ、ああ。助かった……」

 危うく死ぬところだったエドワードは、本気で安心したように息を吐いた。

 気が付けば、脂汗がじっとりと額と背中を濡らしている。死の危険に慣れることは今後も絶対にないだろう、と改めて恐ろしさを実感しつつ、前を飛行する魔物に視線を戻した。

 またしても無傷のトラックに業を煮やしたのか、今度はこちらに八の魔術式を差し向ける。今度は流石にカレン一人では捌ききれないと察して、穂先に魔術式を展開したイレインが彼女の背後に回った。

 カレンもまずいと感じ、無理を承知で運転席の屋根に立つ。そして思い切り両足を振り下ろし、屋根をべっこりと凹ませて両足を埋め、身体を無理矢理固定した。真下で男二人の悲鳴が聞こえるも、無視。

 直後、八つの魔術式が放たれた。再び『炎砲フレイムシェル』の炎の砲弾が、一斉に襲い来る。

 魔物の残る三つの魔術式も発動し、街へ向けて放たれるが、それはエドワードの『爆裂エクスプロード』が今度は余裕をもって打ち砕いた。

 そして、飛来する八つの砲弾に対して運転席の真上に立つカレンがその大剣を振るって無効化を図る。

 突き、薙ぎ払い、振り上げ、振り下ろす。そして大剣を旋回させ、柄すら突き出して炎の砲弾にぶち当てれば、六発の砲弾が掻き消えた。

 残る二発の砲弾が足元に着弾しようとするも、それをイレインの『風砲ウィンドシェル』が一発を相殺。残る一発は、イレインの鋭い切り上げが、なんと真っ二つに切り捨ててしまった。

 恐るべき技の冴えにより、二つに分かたれた砲弾はあらぬ方向に飛んでいき、左右の建物に着弾して炎上する。

 前方では魔物が再び十一の魔術式を展開し、またも八門をトラックに向けていた。

 また来るか、と全員が身構え、そして八門の魔術式が放たれ――八条の光線がトラックを貫く。同時、三門の式から放たれた光線が、エドワードが対応する間もなく街と人々を貫いていた。

 今度は応じる暇もない光速の魔術。同じような魔術を使うと思いこんでいたが故に、五人はしてやられてしまったのだ。

 カレンに向かって飛んできた光線は偶然か否か、大剣によって無効化されたものの、それ以外のところに直撃した光線に被害は甚大であった。

 まず、ハーヴィーはギリギリで反応して顔を振ったが故に、光線に頬を深く抉られただけで済んでいたが、彼の反射神経が優れていなければ顔面に大穴をあけていただろう。

 その真後ろにいたイレインは同じ光線に太股を深く切り裂かれ、エドワードは左腕を貫かれてしまっている。

 三人とも光の熱によって傷口を焼かれたために出血は少ないが、それでも行動に支障がでる程度には大怪我だった。

 そして、誰よりも被害が大きいのが、

「お、オヤっさん!」

「ぐ、う、問、題ないッ!」

 フェリックスだった。彼に至っては右胸を貫かれており、焼かれた傷口から血が滔々と細く流れている。

 肺をやられて血の混じった咳をこぼしながらも、魔物を追いかけるハンドルをしっかりと握り、緩めることなくアクセルを踏んでいた。

 幸いにもトラック自体には致命的な被害はなかったものの、それを運転するフェリックスの怪我は甚大。それでも意識を保って運転を続ける彼のタフネスは恐るべき物だろう。

『チッ、しつこい奴らだ』

 未だ止まらぬ追跡者たちに、魔物も大きな舌打ちを残して魔術式を再び展開。

 しかし、目の前に現れたT字路とそびえ立つ背の高い建物に、旋回を余儀なくされて右折する。

 そのまま展開した十一の魔術を地面と複数の建物に叩きつけ、窓ガラスを砕き街灯を吹き飛ばした。今度もエドワードらに防ぐ余地はなく、またも悲鳴があがって道の脇に倒れる人の姿が増えてしまう。

 通り過ぎる街の様子に焦り、ハーヴィーと共にエドワードは雷速を誇る雷撃魔術を発動。稲妻の槍が刹那の間に飛来するが、またしても直前で感知され、円弧を描くバレルロールで回避されてしまう。

 どういう感知能力をしているんだ、と悪態を吐きたくなるが、そんな場合ではない。撃墜するには避けられない速度の攻撃か、避けられないような飽和攻撃をするしかないのだが、光の魔術に関しては対策されてしまっている。飽和攻撃とて、防御に回られてしまうと十一の魔術の前にはエドワードらは無力だ。

 ここで手詰まり。否、攻撃を一方的に受ける分、詰んだといって差し支えない。

 どうすればいい、とエドワードは必死に頭を働かせる。雷撃は避けられるし、それより速い光速の魔術は対策済み。雷撃より速い魔術もないことはないが当たるかどうか、有効かどうかもわからない。

 考えに考え、そして不意に視線を上げれば、あるモノ・・・・が目に入る。それを見て、ある考えが頭に浮かんだ。

 熟考している時間はない、今はこれをやるしかない。

「ハーヴィー!」

「あァッ!? なんだ!」

「デカいのを二発用意しろ! 当てさせてやる、よく見ていろ!」

「……チッ、わぁったよ、やってみやがれッ!」

 言うが早いか、二人とも魔術式を展開。エドワードは種類の異なる二つを同時に発動、撃ち放つ。

 魔物に飛来するのは紅蓮の砲弾と雷撃の槍。僅かに角度をつけて放たれたそれらを、魔物はやはり驚異的な感知能力で察知し、空中機動でたやすく避ける。雷撃を大きく下降、そして炎の砲弾をロールして回避した。

 また無意味だったじゃないか、とハーヴィーが舌打ちをした次の瞬間――飛行する魔物の真横の建物が、唐突に魔物に向けて崩れ落ちる。

 否、それは建設中の建物の骨組みと足場。わずかに角度をつけて放たれた二つの魔術が、固定具が意味をなさない程度に吹き飛ばしていたのだ。

 そして、意識外の方向からの崩落を避けられるほど、魔物の空中機動能力は高くなかった。

 頭上から降り注ぐ鉄柱や鉄筋に気付いた時には既に遅く、金属の雨に打たれて体勢を崩す。今にも墜落するかと思いきや、巨大な猛禽の翼はそれでも大気を掴んで空中に身体を維持した。

 しかし、そこまでが限界。

 背後から撃ち放たれた二本の雷撃の槍を避けるには、余力がなさ過ぎた。

「喰らえクソ野郎ッ!」

 ハーヴィーの叫びと同時、時間をかけて紡いでいた二つの魔術式を発動。巨大な稲妻の槍――『天雷槍ライトニングジャベリン・マキシマム』が雷速で飛来、今度は回避させる間もなくその両翼を貫いた。

 同時、その全身に電撃が迸り、筋肉を麻痺させて今度こそ完璧に墜落させる。

 勢いそのまま道路に叩き付けられる魔物。

 その恐るべき頑丈な肉体で、早くも麻痺から復帰して立ち上がろうとするが、その隙を逃さないフェリックスではない。

「全員掴まっとれよ!」

「オヤっさん!?」

 何をするか把握したハーヴィーが悲鳴を上げるももう遅い。

 五人の乗るトラックが、立ち上がろうとする魔物に全速力で激突した。

 ドッゴォッ! という聞いたこともないような重低音が街に響き渡り、荷台の三人が勢いよく空中に吹き飛ばされる。同時にトラックが半弧を描いて回転し、二回三回と転がって横転した。

 宙に投げ出された三人は、危ないところで姿勢を立て直して受け身を取り、地面をゴロゴロと転がって素早く立ち上がる。トラックの二人が気になるが、今は魔物がどうなったかが先決だ。

 剣を構えて魔物が撥ね飛ばされた方向を見れば、そこはいつの間にか街の西端。その一番向こう側で、灰色の体がゆっくりと立ち上がっているところだった。

 その両翼は中央を貫かれて力なく垂れ、トラックと真正面からぶつかったであろう左腕はあらぬ方向に捻じれてぶらりと垂れ下がっている。

 それでも猛禽の瞳は三人を、憎しみをこれでもかと込めて眼光鋭く睨んでいた。

『キッサマらァ……』

 魔物が発声魔術で忌々しそうにつぶやけば、エドワードが剣を構えて宣告する。

「ここで終わりだ、魔物。おとなしく終わりを受け入れたらどうだ?」

 その言葉に、魔物は猛禽の目を細めて『ハッ』と鼻を鳴らすように言葉を発した。

『やはり傲慢だな、人間。我を封じるに飽き足らず、命の沙汰まで握ろうとするか』

「なに……?」

 封じる、とはどういうことか。眉を顰めて視線で問うエドワードだが、当然それに応えるわけもなく。

 否、返答は一応返された。高速で描かれた『光閃レディエイトレイ』の光線という形で。

 それを、先に描いていた『障壁シールド』を発動することで防御。光線が完全に遮断され、同時、カレンとイレインが駆け出し、魔物に一気に肉薄する。

 魔物の左右から薙ぎ払う挟撃。それに対し、魔物は大剣を避けるようにがくりと体を傾かせる。結果、イレインの刃は吸い込まれるようにして魔物の喉元へと駆けた。

 過たず直撃した刃が――しかし、硬質な金属音を響かせて、イレインの短槍が停止する。穂先はたがうことなく首元に当たっていたが、切り裂くことなく止まっていた。

 原因は、魔物の背中に展開する魔術式が発動している強化魔術『金剛皮ダイヤモンドスキン』。肉体の皮膚を部分的に金剛石に比肩する硬度にする魔術だ。

 そんな魔術まで行使するのか、と驚く間に、魔物は短槍をつかみ、そしてイレインごと持ち上げて天高く投げ飛ばした。

 飲食店の看板に叩きつけられるイレインを視界の端にとどめながら、エドワードも前進。如何な硬度を誇る身体であっても、炎や雷撃に耐えられるわけではない。ましてゼロ距離ならどうあっても痛かろう。

 そして、何よりも、魔術で強化された体は魔術を殺す剣には無力だ。

 エドワードの前方で、外れた斬撃の勢いのままカレンは一回転して再び大剣を薙ぎ払う。それを受けるような真似はせず、魔物は後退して回避。そのまま十一の『炎弾フレイムバレット』の魔術式を展開し、一斉にカレンへと叩き付ける。

 それを身を捩り、打ち払いながら何とか回避したカレン。その横を駆け抜け、魔術式を展開したエドワードが接近、剣を振るう。

 何の強化も施されていないことを見切った魔物が剣をそのまま受けた直後、エドワードは式を発動した。

 しかし、何も起きない。不審に思いつつも、魔物が反撃の拳を薙ぎ払う。それをエドワードが後方に転がって避け、その隙に魔物が十一の魔術を展開。撃ち放つ――その寸前、異変が起きた。

 突然、ガクン、と落ちるように膝をつく魔物。何が起こったのか、一瞬目を白黒とさせるも、すぐに思い至って叫ぶ。

『……ッ! 毒かっ!?』

「ご名答っ!」

 『毒霧ポイズンミスト』による麻痺毒であると察し、そんな麻痺した体でも無理やり動かして後退しようとする魔物。毒の影響か、背後に展開していた強化魔術を含む全ての式がぐちゃりと歪んで消えた。

 それを逃すわけもなく、エドワードの袈裟の一閃が魔物の胸を切り裂く。しかし、浅い。後退されたせいでわずかに間合いを外されていた。

 反撃とばかりに、魔物が新たな魔術式を展開。麻痺しているせいか、三つと少ないがそれでも驚異的だ。

 式に浮かぶ記号が雷撃を示していること知り、回避が間に合わないと察した瞬間、魔術が発動される。

 推測通りの三本の雷撃の槍。まずい、と思った直後、横合いから黄金の大剣が突き出され、その三本を一瞬で魔力に還した。

 魔物が思わず舌打ちを漏らすほど見事な介入を果たしたカレンが、そのまま前進。

 重たい大剣の全力の振り下ろしが魔物に襲い掛かり、それを鈍い動きのまま魔物が後退して避ける。が、直後に横合いから復活したイレインの短槍が襲来。

 未だ防御魔術を展開する余裕のない魔物はそれをも避けようと身を捩り、しかし叶わずに右翼が真っ二つに切り裂かれた。

 直後、展開された魔術式が炎の砲弾を形成、近距離にいたイレインを狙って撃ち放たれる。ほとんど真横から放たれたそれに、イレインは全力で後退することでなんとか回避するが、距離が開いてしまった。

 追撃でカレンが前に出て横薙ぎの一閃を放つも、直前で展開した五つの魔術式から放たれる炎弾の弾幕を切り裂くのみ。

 弾幕で間合いを乱した魔物は、その炎に紛れて一気に前進。カレンの虚を突いてその懐に潜り込むと、無事な右腕で全力をもって薙ぎ払った。

 無防備な腹にその一撃を受けたカレンは、体をくの字に曲げて思い切り吹き飛ぶ。呉服店のガラスを砕いてショーウィンドウに突っ込み、そのまま頭を強く打ったのか動かなくなってしまった。

 そこで魔物はさらに後退し、そしてついに麻痺毒から抜けきったのか、一斉に魔術式を展開する。

 その数十二。魔物の背後に、絶望の象徴たる六対の魔術式が美しくも残酷にひろげられた。

 燐光放つ十二の式を背負い、荒い息を吐きながら魔物は呟く。

『よもや、我がここまで追い詰められようとはな、人間ども。だが、ここで終わりだ。棲み処と共に雷光に消えろ』

 直後、魔物の後頭部に展開されていた発声魔術式が消え、そして魔物の眼前に十三番目・・・・の魔術式が展開される。

 エドワードとイレインが驚く間もなく、背後の十二の魔術式が発光。直後に燐光が消え失せ、迸る紫電が発生した。その全てが前方の十三番目の魔術式に吸い込まれていき、それに付随してその式が燐光を強めていく。

 しかも、よく見れば紫電は、式の中に粒子となって消えていく。それが古代魔術の現象だと悟った瞬間、極大の悪寒がエドワードの背中を氷柱となって貫いた。

 やらせてはいけない、どうにかして防がねばならない。あれは確実に、第二級禁止魔術レベルの古代魔術だ。

 しかし、こちらが魔術式を紡いで放つ間に古代魔術は完成するだろう。頼みのカレンはダウンしている。どうすればいい?

 一瞬の逡巡。迷いが時間を生み、それが結果として悪手になる。

 眼前で消え失せる燐光、つまり発動の兆候。もはや条件反射で『障壁シールド』の魔術を構築するが、一枚や二枚では防げないと本能が悟っている。

 死が体現されようとするその場面で、しかしそこで判断を誤らない人物がいた。

 刹那、エドワードの顔面すれすれを通り過ぎる何か。風を切り裂く亜音速のそれは、魔物が古代魔術を発動するその直前に紫電の海の中に突っ込み。

「ギィッ!?」

 直後、猛禽の悲鳴が響きわたり、式が霧散して魔力に還元される。

 散りゆく魔術式の中から崩れ落ちたのは、その胸に斧槍ハルバードを生やした魔物。

 何かしらの備えはしていたのであろう、胸に突き立つソレを信じられないように見つめ、そして、短い吐息を漏らして――あっさりと、動かなくなった。

 思わずエドワードが振り返れば、投擲の姿勢で荒い息をするフェリックスと、それを支えるハーヴィーの姿があった。フェリックスの背中には強化魔術が展開されていて、それによって強化された膂力で亜音速の斧槍を投げ放ったものと思われた。

 再び前方を確認すれば、微塵も動かない伏した魔物の姿がある。完全に、絶命している。

 それを見て、フェリックスを見て、そしてようやく、全てが終わったことをエドワードは悟った。

 思わず足から崩れ落ち、長くて大きいため息を吐く。

「お、終わった……」

 実感すると同時に、どっと溢れ出てきた疲労感に、エドワードは指一本動かせないような錯覚に陥る。

 振り返った視線の先には、同じように崩れ落ちるハーヴィーとフェリックスの姿があり、向こうはすぐにでも病院に連れ込まれるだろう。

 また視線を転じれば、イレインが気絶しているカレンを起こそうと試みている。カレンは朧気な返事を返しており、間もなく目を覚ますだろう。

 終わった、ようやく、終わった。

 昼過ぎから始まったこの騒動は、大量発生スタンピードという非常事態を乗り越え、そしてしゃべる魔物と巨大な魔物の出現という混乱も退けて、今この太陽の沈む夕刻に収束した。

 本当に長い一日だった、と心地よい疲労感に身を任せ、エドワードは沈みゆく太陽を眺める。

 丸みを帯びる地平線の向こうに消えていく太陽。その境界線が徐々に極光の向こうに滲んでいき、少しずつ歪んでいく。それは徐々に大きくなっていき、やがては一点に逆巻く渦巻きの歪みになった。

 そこまできて、意識を手放しかけていたエドワードは目を見開く。

 おかしい。地平線が、歪んでいるだと。そんなことはありえない、そんな現象、世界のどこにも――いや、あった。

 魔物の、発生現象。つい先刻みたソレであるが、しかし違っていた。明確にいえば、その規模がおかしかった。

 二メートルほどの魔物が出現するには、巨大すぎる。強いていうなら、あれはエドワードらが戦った巨大な魔物サイズの歪みだった。

 まさか、またあれが出てくるのか、とエドワードは思わず立ち上がって身構える。

 しかし、エドワードには想像もできていなかっただろう。できるはずもなかっただろう。

 その歪みから現れる絶望の権化を、世界最強の存在を。


 ズルリ、と歪みからこぼれ落ちるソレ。

 その高さは三階建てのマンションに匹敵し、見上げるほどに高かった。

 その頭は爬虫類のソレであり、大剣のような牙がおぞましいほど乱立していた。

 その全身を覆うのは岩石のような爬虫類の鱗であり、触れれば人肌など容易く切り裂けた。

 全身を支える四足と、大地に突き立つ四本の杭のような爪。ヒュルリと伸びる尾はその先端までおぞましい鱗に覆われ、大地を叩いて砂塵を噴かせる。

 その名は、地竜アースドラゴン

 世界において最強の名をほしいままにするドラゴンの一種であり、根源的には魔物と種を同一とする最悪の生き物。

 それが、今、トゥリエスの目と鼻の先に出現した。


 大量発生スタンピードは、まだ、終わってはいなかった。

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