03

「しゃべる、魔物、だと……?」

 沈黙するすべての人間の言葉を代弁するように、エドワードは呆然と呟く。誰もが全く予想しなかった事態であり、完全に思考が停止していた。

 故に、その魔物が発した言葉で体が無理やり動かされたのはどうしようもない事実である。

『さあ、殺せ、殺しつくせ、同志たちよッ!』

 号令のように呼びかけられた声に、停止していた魔物のすべてが賛同するように咆哮を上げて手近な人間へと襲い掛かったのだ。

 否が応にも対応することになる警官たち。一気に再び乱戦状態になり、誰もが状況を把握しきることなく刃を振るっていた。

 そんな中で、魔物に襲われることのない場所にいたエドワードとカレンは、気づく。

 巨大な魔物の背後――大地にあいた亀裂から、さらに二匹、巨大な魔物が現れたのを。頭部はそれぞれ獅子と狼という違いはあれど、事態の悪化がより深まったのは間違いなかった。

 エドワードの強化された視覚では、さらに、喋る魔物が背中から猛禽類の翼を広げ、肩から飛び立つのを目にする。そして、そっと指をこちらへと向けるのを見た。

 直後――

『――ガアアアァァァァッッッ!』

 三体の巨大な魔物による、大地を揺らす壮絶な咆哮が放たれた。もはや衝撃波と言って過言ではないソレは、人々の体勢を崩し、さらには背後のトゥリエスのビル群のガラスを次々と叩き割っていく。

 たったそれだけで、これまで街に被害を一切もたらさなかった警官たちの防衛を超えた巨大な魔物。しかし、その行動は、それだけに留まらなかった。

 即ち、叫びながらの全力疾走。四肢を使った猿の動きで、巨大な身体がトゥリエスへと一直線に向かってきたのだ。

 走るだけで響き渡る地響き。咆哮とあわせ、それに体勢を崩された警官たちを、魔物たちの凶暴な牙が、爪が襲い掛かる。そして、あちこちで上がる悲鳴。喉笛を食い破られ、心臓を貫かれ、ついに警官たちに死者が出始めていた。

 崩され行く防衛網。たった一つの不測の事態を前に完全に混乱する現場へと、さらなる混迷の権化たる巨大な魔物が迫る。

 どうする、どうすればいい、とエドワードとカレンも一歩離れた位置にいながら焦燥の極みにあり、呆然とそれらを見つめるしかなかった。

 だからこそ、戦場に響き渡ったのは、誰もが頼りにする大男の一喝だった。

「落ち着けェッ!!!」

 魔物の咆哮の中ですら鋭く響く声に、戦場のすべての人間が思わず顔をあげる。

 声の主――フェリックスは魔物の群れを薙ぎ払い、迫る巨大な魔物の前へと立ちふさがるように大きく前に飛び出していた。誰もがその逞しい背中を見て、意味もなく安心感を覚えていた。

 そして、不敵な表情をしているのがよくわかる声色で、再び叫ぶ。

「あのデカブツどもはわし達が抑えよう! お前たちは有象無象を早急に駆除せよ! 異論は聞かぬ、さっさとやれぃっ!」

 号令一喝。鬼神の如き怒号に警官たちの背筋が伸び、その動きが目に見えて洗練されたものに戻る。

 あまりにも無謀なことを言ったというのに、だれもが反論することなく、目の前の魔物を打倒せんと連携を取っていた。誰も彼も、フェリックスを信頼し、信用しているのだ。

 これが警察か、とエドワードはこの光景に思わず戦慄する。警察の本質とは、こうしてどんな状況下でも冷静に判断し、指令を出し、そして連携をとれるところにあるのだ。フェリックスは、まさに警察のすべてを体現したような男だろう。

 目の前の光景に驚いていれば、不意に懐の通信魔具が震える。誰からの通信だ、と出れば、聞こえてきたのは先ほどまで響き渡っていたフェリックスの声だった。

『こちらフェリックス、聞こえるか、エドワード?』

「どうした? 何か指令か?」

 あの一喝の後の通信だ、何かしらの特別な指令があるのだろう、と問うエドワードに、フェリックスは「流石、話が早いな」と通信の向こうで笑みを浮かべる。

『ああ、そうだ。お前とカレンの二人に、わしと一緒に戦ってほしい』

「…………なに?」

 しかし、思いがけないフェリックスの言葉に、一瞬思考が停止する。

 その間抜けな声にフェリックスは「ガハハ」と笑い声を響かせながら、しかし申し訳なさそうに続けた。

『いや、あんな啖呵切った手前、こうして言うのは心苦しいのだがな。最初から頼もうと決めておったのだよ』

「あのわし達、って、俺たちのことも含んでたのかよ……」

 呆れも込めてぼやけば、またもフェリックスは通信で豪快な笑い声を響かせる。

『ハハハ、安心せい、お前たちだけではない。まだ助っ人は居るでな』

「安心できるか、馬鹿野郎」

 思わず悪態を吐いて通信を切るも、エドワードの頬はつりあがっていた。

 これだけの信用を得る男から直々に共同戦線を申し込まれるということは、つまりそれだけ己の実力を評価されているということになるからだ。

 戦場にいることで多少ハイになっているのは否めないが、それでも嬉しいことには変わりない。

 横で通信を聞いていたのだろう、カレンも分かった顔で「仕方ないわね」と肩をすくめ、エドワードに頷いた。それにエドワードも笑みを返し、魔術式を展開してやる気を見せる。

 そうして覚悟を決めた二人は、意気軒昂に武器を構え、そして一気にフェリックスの下へと駆け抜けた。途中の魔物の群れなど蹴散らすが如く、一閃し、爆破し、無理やり道を切り開いてあっという間にフェリックスの隣に並び立つ。

 息も切らさずやってきた二人に、フェリックスは向かってくる巨大な魔物を見据えながら言葉をかける。

「おう、来たか! はやいな」

「ああ。それで? 助っ人ってのは?」

「まあ待て、すぐに来るさ」

 周囲に誰もいないことを不審に思ったエドワードが問うも、フェリックスは笑みを浮かべて首を横に振るのみ。

 サプライズ好きのおっさんか、と若干げんなりしつつ、後ろから来るだろうと振り返れば、猛烈な勢いでこちらにやってくる二人組がすぐに見えた。見覚えのある、赤銅と茶髪。ハーヴィーとイレインだ。

 通り道の魔物どもを鬼気迫る一閃で薙ぎ払っていくハーヴィー。途中でこちらに気付いたのか、嬉しそうだった表情が一変して鬼の形相に早変わりして速度をあげた。それについていくイレインは、突出したハーヴィーの後ろで楽になったといわんばかりに顔を緩めている。

 「大したタッグだ」とぼやいていれば、息を切らせたハーヴィーがフェリックスの隣に急制動をかけて停止した。そして息つく間もなくエドワードを指さして文句を垂れる。

「お、オヤッさん! 助っ人ってコイツらッスかぁ!? だからッ、なんでッ、一般人がッ!」

「ちょっと」

 言い募るハーヴィーに、カレンが横から口を挟んだ。

 それに「あァ!?」とハーヴィーが噛み付くと、極めて落ち着いた様子でカレンは小さくため息を吐いて見せる。

「今は非常時よ。一般人がどうだの、警察がどうだの、言ってる場合じゃないんじゃないかしら。目の前の魔物より、あなたのその拘りのほうが大事? 上司の言うことがそんなに気に食わない?」

 眉間に深い渓谷を生んで、立て続けに放たれる問い。綺麗な顔立ちをしているだけに、怖い顔して尋ねられれば中々に威圧感が凄い。

 ハーヴィーも「ぐ……」と圧に負けて押し黙れば、そこへ追いついたイレインが短槍の石突で彼の頭を強めに小突いた。

 後頭部を強打されて悶える彼に、イレインは呆れたように言い放つ。

「いい加減にしといてね、ハーヴィー。だいたい、戦場じゃフェリックスさんの言うことに間違いはない、ってうそぶいてたのは誰だったかしら。前言撤回?」

「う、ぐ……わ、わぁったよ! 今回だけだからな! この白髪頭!」

「俺かよ」

 女性陣二人からの厳しい言葉に、ついに彼の意地っ張りな性格も音を上げたのか、叫ぶようにエドワードに吐き捨てて前に向き直る。

 何も言っていないはずなのに面と向かって言われたエドワードはひたすらに困惑した。


 その様子を思わず口元を緩めながら横目で盗み見ていたフェリックスだが、一段落ついたと見ると前方に目を戻してその雰囲気をがらりと変える。

 好々爺めいた親爺のソレから、戦場の歴戦の戦士のモノへと。

 それを感じ取ったその場の全員が同じく前に向き直り、迫る三体の巨大な魔物に視線を合わせる。

 接敵までおよそ十数秒といったところ。細かいことを言っている暇はなく、故にフェリックスの言葉は手短なものになる。

「獅子頭はエドワードとカレン、狼はハーヴィーとイレインに任せる、虎はわし一人で抑えよう」

「……了解」

「応ッ!」

 一人で、というところに無茶を感じたエドワードだが、抗議する時間はない。自信があるのだろうと見切りをつけ、一方のハーヴィーは最初から疑いもせずに了承を叫んだ。

 いざ戦闘準備というところで、横並びになって迫る三体を見て、エドワードは妙案得たりと笑みを浮かべて切っ先に魔術式を紡ぐ。可能な限り高速で構築された式は、期待に違わず数秒をかけて接敵の直前に完成し、そして発動の予兆を見せた。

 ギョッとするハーヴィーらの反応をよそに、自らを鼓舞するために気合を入れて叫ぶ。

「まずはデカいの一発だ、デカブツ!」

 直後、中央の虎頭の鼻先で青い燐光が迸る。そして、大気をギュルリと巻き込んで――大地を揺らす、強烈な爆発が巻き起こった。

 先ほどの巨大な魔物三体による咆哮と同レベルの爆発音を響かせ、洒落にならない衝撃波を起こして戦場に一陣の烈風が巻き起こる。当然、鼻先に食らった虎頭はたまったものではなく、足を止め、絶叫のような悲鳴をあげて爆発の煙の中からひしゃげた顔面を晒した。

 左右にいた二体の巨大な魔物も無傷では済まず、爆発の余波と衝撃波を食らって足を止めている。

 それを見て、フェリックスは若干冷や汗を垂らしながら頬を引くつかせた。

「は、ハハハ……こりゃ、楽な仕事になったな」

「そう何発も撃てないやつだが、置き土産には十分だろ? さあ、行くぞ!」

 『爆裂エクスプロード』の上位魔術『大爆裂エクスプロード・マキシマム』を放ったエドワードは、上位魔術に相応しい程度に夥しく失った魔力にフラフラしながらも獅子頭の魔物へと駆けていく。

 驚いていたカレンも自分を取り戻すとすぐに追いかけ、同じく呆然としていたハーヴィーも対応心を燃やしてか、「くそっ!」と叫んでイレインと共に走り出した。

 その様子を後ろから見ていたフェリックスは、再び嬉しげな笑みを浮かべて斧槍を構える。

「わしも負けてられんなぁ。……さて、やるかっ!」

 各々がそれぞれの獲物に向けて刃を構え、迫る。

 戦端が開いたのは、直後のことだった。









 振り下ろされる剛腕を真横に跳ね飛ぶことで、エドワードは寸でのところで回避した。

 直後、エドワードの居たところを、明らかに彼よりも体積がありそうな拳が叩き潰し、大地が砕けて飛礫が舞う。見た目に違わぬ剛力の持ち主のようで、エドワードの背筋を冷汗が流れた。威圧感だけなら三か月前に戦った竜人に匹敵するだろう。

 お返しとばかりに式を構築、発動。『爆裂エクスプロード』が伸びきった腕に炸裂し、わずかに横方向へと吹き飛ばした。が、それだけ。至近距離から喰らっても、まったくダメージを受けていないのだ。

 かなり頑丈な剛皮なのかそれとも爆発が効きづらい皮質なのか、と落胆することなく分析しながら、即座に大地を蹴って後退。

 目と鼻の先を、もう一本の腕が薙ぎ払っていく。颶風ぐふうを纏って通り過ぎていくソレを見ながら、速さはそれほどでもないと分析。総合的に、見た目以上の脅威を持たないようだ。ならば大丈夫、とエドワードは判断した。

 エドワードの後ろから駆けてくるカレンに一瞬振り返って視線を合わせ、頷く。それが突撃の合図。

 飽くまで一般人の速度で走っていたカレンが、大剣を担ぎあげ、そして姿勢を低くする。全身の筋肉を絞り上げるように収縮させ――直後、放たれた矢の如く、爆発的な加速で一気にエドワードの横を通り過ぎ、巨大な魔物に肉薄した。

 迫るカレンに向けて巨大な腕が薙ぎ払われるが、彼女と比べれば牛歩の如く。大地を一際強く蹴って、更なる加速を得たカレンの頭上を虚しく通り過ぎていく。

 あっという間に懐に潜り込んだカレンは、担いだ剣を振り下ろして一閃。さらに逆袈裟に跳ね上げて二閃。魔物の巨木のような脚をV字に容易く切り裂いた。大剣はその性質だけでなく、切れ味もまた一級品だった。

 そして同時に、大地を蹴って前転しながら魔物の股の間を潜り抜ける。直後、彼女のいた場所を、切り裂かれた足が蹴り上げた。が、当然のごとく外れ。

 それどころか、軸足へと横薙ぎの三閃目が襲来。今度は深々と一文字に切り裂き、零れるように血が溢れ出る。

 このもてあそばれるような連続攻撃に、さしもの魔物も苛立つように天高く吠えた。大した痛痒は受けていないのか、痛がるそぶりも見せずにカレンに振り返ろうとしたところを――その横っ面に巨大な岩の砲弾が着弾した。

 思わぬ一撃にたたらを踏んでエドワードに向きなおれば、二つの魔術式を展開し、今にも発動しようとしている姿があった。

 直後、二つの魔術式から二発の『岩砲ロックシェル』が撃ち放たれる。がしかし、今度は反応した魔物が両腕で叩き落した。しかし、その隙に更なる魔術式を二つ展開、発動。今度は『炎槍フレイムジャベリン』の二連射が獅子頭を襲うも、焼き増しの如く叩き落される。炎にすら強い身体をしているようだ。

 そのままエドワードに意識を向け、彼に向かって突撃しようとするところで、その隙を縫ってカレンが再び襲撃。魔物の片足の膝裏に向けて全力の刺突を放つ。

「ハッ!」

 裂帛の声と共に筋肉の塊を刺し貫き、器用に骨を避けて大剣の切っ先が向こう側に突き出る。数々の筋肉を断裂させ、力が抜ける片足に引きずられて魔物の体勢が崩れた。

 そこへ更に、大剣から手を放したカレンの蹴り上げが太ももの裏に炸裂。可憐な見た目に似合わぬ剛撃に、剣が突き刺さったまま体勢がさらに崩れて前のめりに倒れていった。

 そうして両腕を地面につくも、すぐに無事な片足のバネを使って素早く逆立ち。からの腕力を用いて、腕だけで天高く跳躍する。

 太陽をその巨体で一瞬遮り、そしてエドワードの背後、カレンからもっとも離れたところに着地した。彼女を脅威と判断したか否か。そして片腕をエドワードへと薙ぎ払う。

 それをエドワードはどうにか全力で後退して回避。鼻先をかすめる剛腕を見送りながら、切っ先に魔術式を描いて今度は前へと出た。

 この魔物は、元々が猿の身体。手足を使って移動できる構造故に、一本使えなくなったところでバランスを崩すというほどのことでもない。

 しかし、二足歩行の時よりも腕による攻撃の脅威は減り――なによりも、片腕が必ず地面についている。それがエドワードの攻撃の要となり、魔物にとっての致命的な弱点にもなる。

 可能な限りの速度で肉薄し、刀身をぶつけるように魔物の体を支えるもう片方の腕へと接触させ、そして魔術『凍結フリージング』を発動。

 魔術式が触れた先から大気の水分が凝結。極めて範囲の広い氷結魔術が魔物の腕を覆い、拳ごと凍結させる。その範囲は拳に留まらず、接触している大地ごと凍っていた。

 反射で氷を砕こうと魔物は腕を動かすも、魔力とも結合した頑丈な氷はびくともせずに大地に縫い付けている。魔術で生まれた氷は見た目以上の硬度を誇っていた。

 予想外の事態に、氷に意識を集中させてしまった獅子頭は、一拍遅れて氷を足場に駆け上がるエドワードに気づく。

 肩まで伸びる氷を左手まで使って駆け上るエドワードを、蚊でも叩き潰すかのようにもう片方の手が迫った。が、その掌に対し、エドワードは冷静に切っ先を差し向けて『爆裂エクスプロード』を発動。

 傷つけることは叶わずとも、勢いで吹き飛ばすことができるのはわかっている。爆破で手が勢いよく下がった隙に、エドワードは肩まで一気に駆け上った。

 目と鼻の先にいるエドワードに向けて、もはや獅子頭が咄嗟に打てる手は一つ。その獰猛な顎で、最速の一撃たる嚙みつきをすることのみ。

 しかし、それこそがエドワードの待ち望んだ展開。ここまでの流れはエドワードの頭の中で構築されていて、故に三足歩行になった時点で獅子頭は完全に詰んでいた。

 目の前で大口を開けた獅子頭に向けて、駆け上る前から紡いでいた左手の魔術式を向ける。同時、発動。

 半透明の白いバスケットボールほどの球体が発生。その球体がポンと口の中に放り込まれ、それに合わせてエドワードは怪我も顧みずに肩から転がり落ちる。

 鋭い氷に肌を切り裂かれ、勢いよく落ちて激しく大地に叩き付けられるも、エドワードは一切気にせず素早く立ち上がって跳び退いた。

 そんな彼へ、球体を飲み込んだ獅子頭は――何もしない。否、できなかった。

 突然苦しげに喉を掻き毟り、目を血走らせて見開いている。変化はそれだけに留まらず、目尻には紫色の出来物がぶつぶつと盛り上がり、体毛の上からでもわかるほど全身の肌には紫色の斑点が浮かび上がっていた。

 大きく開いた口からは、紫に変色した涎が止めどなく零れ落ち、やがてそれは赤色の混じった液体に変わる。そして、か細く鳴いた次の瞬間、白目をむいて崩れ落ちた。

 明らかな中毒死。エドワードの『大爆裂エクスプロード・マキシマム』と同列の上位魔術『奇毒球ウィアードポイズン』を直接体内に取り込んだことにより、内部から身体を細胞単位で破壊されて死に至ったのだ。

 『奇毒球ウィアードポイズン』は発生した球体内部にあらゆる種類の毒素が液体として封じられている。それが何らかの手段で粘膜と触れることで、生物は如何に耐性をもっていようとも何かの毒を受けることとなり、行動の制限を強いる魔術だ。

 そんなものが体内に放り込まれてしまったなら、獅子頭のような末路を辿るのは必至だった。

 そうして絶命した巨大な魔物の隣で、エドワードは疲れたように座り込む。

 流石に目の前で剣のような牙の並ぶ口内を見たときは生きた心地がしなかった、と長いため息を吐いた。エドワードは魔術剣士ではあるが、それほどインファイトは得意ではないのだ。

 短期決戦のためにこの手を取ったが、同じことをもう一度やれ、と言われれば全力でお断りするだろう。

 そも、足止めが目的なのに何故こんな強引な手を取ったかといえば、ほかの三人へ援護をするため。若いハーヴィーとイレインがどこまでやれるのかわからないし、フェリックスなど手負いの相手をするとはいえ一人なのである。援護は必要と考えたのだ。

 要はエドワードのお節介なのだが、それを終始彼が認めることはないだろう。

 生来の性格からそうやって色々と考えてこうして短期決戦を仕掛けたエドワードだが、立ち上がり、残る二匹の巨大な魔物の方向を見れば、それらの心配が杞憂であったことを悟った。

 如何なる手管か、虎頭の魔物の頭部は今まさにフェリックスの剛撃で消し飛んだところであり、そして狼頭の頭部を巨大な雷の槍が貫いた瞬間であったのだから。









 狼頭の魔物の一撃を紙一重で避けながら、ハーヴィーは視界の隅で獅子頭が倒れるのを目にした。

 明らかに早い、と焦りを覚えて思わずそちらに視線をやれば、腕が凍りついた、明らかに中毒死している死骸が。

 凄惨たる有様だが、ハーヴィーが目を付けたのはその死に様ではない。

 氷と毒。魔物を殺すのに、少なくとも二種の魔術が用いられていることにハーヴィーは思わず歯噛みした。

 どうなってやがる、と口の中で呟きながら、襲い来る剛腕を再び回避。鼻先を通り過ぎていく巨大な腕に、お返しとばかりに両手に持つ双剣の斬撃をお見舞いする。

 それを食らった魔物は、浅い傷に頓着することはなく――と思いきや、びくん、と背筋を弓なりに反らせて動きが止まる。

 双剣を強化する魔術『帯電刃チャージブレード』の、刃を迸る高圧電流が狼頭に流れ込み、その筋肉を強引に収縮させたのだ。

 その隙を突いて、イレインが疾走。魔物の片足へと目にも止まらぬ五連閃が駆け巡り、五本の裂傷が深々と刻まれる。

 同時に、ハーヴィーは『雷槍ライトニングジャベリン』を展開、発動。青白い稲妻の槍が雷速で魔物の胸に着弾し、弾けた。全身を迸った雷に、さしもの巨躯もふらついて膝をつく。

 その様に、追撃の連撃と魔術を叩き込みながら、ハーヴィーはエドワードについて思考を巡らせていた。

 端的に言って、エドワードは魔術師としておかしいのだ。

 普通、魔術師は一つ、或いは二つの系統に絞って魔術を習得しようとする。ハーヴィーであれば『電撃』、イレインであれば『風』、そしてフェリックスなら『炎』だ。理由は単純で、覚える情報量を絞るためである。

 魔術式を構成するのは、数多の『力ある記号』。この記号はそれぞれの系統で共通性があり、逆に言えば異なる系統同士では全く違う。複数の系統を覚えようとすれば、それだけの数の系統の記号を覚えなければならず、結果として知識が広くて浅い、器用貧乏な魔術師になってしまう。

 魔術師に期待されるのは、圧倒的な火力。剣や斧ではまず出せない結果を容易に出すのが魔術であり、それを行使する魔術師はそれだけの結果を出さねばならない。それは魔術剣士とて同じで、はっきり言えば、魔術師と魔術剣士の違いは、相対する敵との距離だけなのである。

 だというのに、エドワードはハーヴィーの知る限り『爆発』、『炎』、『岩石』、『氷』、『毒』と、実に多種の魔術を行使している。この分であれば、他にもまだほかの系統を使える可能性が高い。

 しかも、これだけ複数の魔術に手を伸ばしておきながら『大爆裂エクスプロード・マキシマム』などの情報量が桁違いの上位魔術を行使できているのだ。はっきり言って、ハーヴィーは自分にはそこまでできるとは思えなかった。

 故に、苛立つ。あんな白髪頭に劣っているかもしれないという事実が、あんな白髪頭が容易く倒した魔物に手間取っている事実が。ハーヴィーの怒りをますます増幅させる。

 こんなことでは、あの人に、フェリックスに追いつけないではないか。認められないではないか。

 苛立ちは、怒りはそのままハーヴィーを突き動かすエネルギーとなり、それは魔力に練り上げられ、そして魔術式に昇華する。

 己の持ちうる最高の処理速度を以てして、上位魔術の式を一瞬で紡ぎあげた。

「クソッタレェェェ!」

 悔しさを言葉にして、魔術を発動。

 『天雷槍ライトニングジャベリン・マキシマム』の、人一人など容易に飲み込める巨大な雷撃の槍が狼頭へと雷速で飛来。度重なる雷撃に完全に身体を麻痺させていた狼頭に避ける余地などあるはずもなく、頭部を巨大な雷の槍が直撃する。

 迸る雷電、駆け巡る電流の電熱が脳を、筋肉を、神経を焼き尽くし、血液を沸騰させて黒煙を上げた。口からひときわ大きな黒煙を吹いて、ぐらりと傾く巨躯。

 しかし、沸騰して白濁した瞳に光が宿り、無事な片目がぐるりと回ってハーヴィーを睨み付ける。驚くべきことに狼頭の巨大な魔物は、その恐るべき生命力で未だ生きていた。

 一歩踏み出し、魔力を一気に失って意識を朦朧とさせているハーヴィーに攻撃せんとする魔物。ぶらぶらと揺れる腕を無理やり持ち上げ――次の瞬間、その腕が宙を舞った。

 下手人はイレイン。地面から跳躍し、その短槍を振るっただけ。それだけで、雷撃でボロボロになっていたとはいえ、あの強靭な剛皮を両断したのだ。

 強化魔術『旋風刃ウィンドブレード』が短槍の穂先を包み込んで伸び、一メートル弱の鋭い刃となっていたために、そんな曲芸じみた芸当が可能となっていた。

 そうして見事に両断したイレインは、着地と同時に再び跳躍。今度は魔物の膝を片足で蹴り抜いてさらに跳び、一息で魔物の眼前に躍り出る。 

 噛みつかせる間もなく鋭い刺突を放ち、白濁した片目に深々と短槍を突き立てた。同時、強化魔術を解除して新たな魔術式を展開、そして発動。

 穂先から『風砲ウィンドシェル』が撃ち放たれ、内側からその頭部を吹き飛ばし、完全にその命を絶った。

 はらり、と羽毛が落ちるがごとく、イレインはハーヴィーの隣に柔らかく着地する。その眼前で魔物が後方へと倒れこみ、地響きを鳴らして戦いの終わりを告げた。

「詰めが甘いのね、ハーヴィー」

「……うるせえよ」

 イレインが短槍を振るいながら困ったように首を振れば、ハーヴィーは拗ねたように顔をそらす。怒りのままに強引なことをしたのは否めないからだ。

 そらした視線の先には、既に虎頭の魔物を倒したフェリックスの姿があり、こちらに向けて親指を立てていた。よくやった、と唇がそう動いている。

 さすがオヤっさんだ、と頬を緩めて手を振り返せば、何故か突然険しい表情になってこちらを鋭く指さした。隣に立つイレインではなく、ハーヴィーを指さしているようにも見える。

 そういう時は、これまでの経験から大概が己の油断に原因があり――つまり、指さす先は自分ハーヴィーではなくその背後。

『確かに、詰めが甘いな』

 その背後から、声。

 条件反射で振り返ろうとした瞬間、ハーヴィーは背後ではなくイレインのいる方向から脚に衝撃を受けた。足を引っかけて刈り取る一撃に、抵抗する暇もなく転倒。

 回転する視界の中で、頭上を通り過ぎていく灰色の腕の貫手としゃがみこむイレインを目にする。貫手は間違いなくハーヴィーのいた場所を通り過ぎていて、あのまま振り返っていればそのまま貫かれていたのは必至だっただろう。

 その事実に肝を冷やしながらも、どうにか地面に背中から叩き付けられる前に受け身を取り、同時に転がってその場から離れる。

 立ち上がった隣にはステップでやってくるイレイン。どう考えてもハーヴィーの脚を刈ったのは彼女だが、ここは彼も素直に「助かった」と冷や汗を流しながら礼を口にする。

 「どういたしまして」と返答するイレインにも余裕はなく、短槍を構えて油断なく前方を見据えている。

 二人の前方に立つのは、例の喋る魔物。猛禽類の雄々しい目が二人をにらみつけ、大仰な舌打ちの音が響き渡る。

『いい反応だな、忌々しい。我らが同胞を葬ったことも加え、万死に値する』

 異様に響く男の声。魔物の発する声にしては何か違和感があり、原因は何かと視線を巡らせれば、喋る魔物の後頭部のあたりに浮かぶ魔術式を発見する。

 その式を見て、即座にハーヴィーは発声魔術であると看破した。喉や口腔が言葉を発するのに適した形ではないが故に、わざわざ魔術まで使って言葉を話しているのだ。

 その事実を前に、ハーヴィーは鼻を鳴らして挑発する。

「ハッ。わざわざ魔術まで使って意思疎通を図ろうとするたぁ、ご苦労なこったな。そんなにおしゃべりが好きか?」

『愚かだな、人間。つまらない言を弄するくらいなら、その手に持つ玩具を振ってみたらどうだ?』

 しかし、流石に言葉を解するほどの知能を持つ魔物、そんな安い挑発に乗るはずもなく、魔物は『ふん』と鼻を鳴らして二人を睥睨する。

 刹那、そこへ予兆なく二人が息を合わせて奇襲。そのまま仕留めんと、短槍が胸を、双剣が首を狙って突き込まれるも、直前に魔物が猛禽類の翼を広げて跳躍して空へと逃れた。刃は僅かに羽先を掠めるのみで、見事に回避される。

 ハーヴィーが舌打ちを漏らして上空へと視線を追えば、そこには、信じられない光景が広がっていた。

 翼を広げる魔物。その表面に浮かぶ――十二もの数の、魔術式。

 左右六対、それぞれ全く違う種類の記号が浮かぶ魔術式が燐光を放ち、今にも発動せんとしているのだ。

「な、ん――ッ!?」

 十二の魔術式などという常軌を逸した光景に誰もが絶句する中、魔物は感情の見えない瞳で睥睨し、呟く。

『さあ、死んでおけ』

 消え失せる燐光。

 炎が、雷が、風が、岩が、氷が、光が、その形を顕現させ、暴力的な存在と化して、十二の魔術が発動される。

 砲弾に形を変え、一斉に襲い来る魔術の群れ。二人が全力で紡ぎあげた三枚の『障壁シールド』がギリギリで発動し、速度に差をつけて着弾する十二の魔術を受け止めるも――ピシリ、と三枚すべてにヒビが入る。

 重ねて発動したわけではない故に、どうしたって全てを受け止め切れない。だが、一瞬の時間を稼ぐことはできた。

 二人はその一瞬をついて左右に身を投げ出し、魔術式の維持を放棄。直後、形の崩れた『障壁シールド』を貫き、光や雷撃に遅れて飛来した岩石や氷の礫が二人の居たところに着弾する。

 どうにか体勢を立て直して振り仰げば、またも十二の魔術式を展開する魔物の姿が。

 もう一度魔術の雨を食らえばただでは済まない、とハーヴィーが青ざめた瞬間、魔物は唐突に顔をあげ、トゥリエスのほうを見る。

 正確には、街の手前から飛来する数多の魔術を。警官の魔術師部隊からの援護だった。

 フェリックスの指示かそれとも独自の判断か、数十名からなる魔術師部隊による雨のような魔術は、喋る魔物一体に集中して降りかかる。

 それに対し、魔物は現在の式を全て破棄して新たな十二の魔術式を構築。その全てが同じ式であり、展開されたのは十二枚の『障壁シールド』。身を守るように重ねて展開されたそれは、降り注ぐ魔術の悉くを弾き、防ぎ、魔物に一切のダメージを与えない。

 しかし、魔術の嵐の中をじっと体を丸めて耐える魔物に、さらなる追撃の手が迫る。

 『障壁シールド』の傍で、ギュルリと一点に巻き込まれる大気。魔物の猛禽の瞳が驚きに見開かれた瞬間、それまで降り注いでいた魔術とは比較にならない威力の爆発が数枚の『障壁シールド』を打ち砕いた。

 いつの間にかハーヴィーの隣まで移動し、『大爆裂エクスプロード・マキシマム』を放ったエドワードは、肩で大きく息をしながら舌打ちをする。さすがの上位魔術でも十二枚の壁は厚かった。

 更なる魔術を放たんと魔術式を紡ぐエドワードと、それに倣って同じく式を展開するハーヴィー。

 その二人へとちらりと視線を向ける魔物だが、未だ留まる様子を見せない魔術師部隊の魔術の雨に舌打ちを漏らし、そちらへと視線を戻した。

 そして、展開していた『障壁シールド』を一枚を残してすべて破棄。降り注ぐ魔術に一瞬にして砕かれるも、その時には魔物は魔術の射線上から逃れていた。

 空を逃げる魔物をエドワードやハーヴィー含め、地上からの魔術が追いすがるも驚異的な空中機動を見せる魔物の後塵を撃ち抜くのみ。

 捉えること叶わず、魔術を避けて大きく旋回した魔物はそのまま、その驚異的な速度で以てして直進。

 向かう先は、トゥリエス。

 その手前に居る魔術師部隊を攻撃しに行ったことは明らかだった。

「くそっ、待てッ!」

 どうにか追いかけようとするエドワードらだが、人の足と猛禽の翼では、どちらが速いかなど自明の理。視線の先で次々と魔術を回避し、着々と肉薄する魔物に焦りが募る。

 魔術師部隊を攻撃したあと、魔物が何をするか。人間をどうこうするなどと言っていたことから、手近なトゥリエスにその魔の手を伸ばす可能性は決して否定できなかった。

 故に急いで走るエドワード達だったが、目の前からこちらへ向かって走ってくる警察の紋を掲げた貨物自動魔力車トラックを見て思わず足を止める。

 運転していたのは、いつの間にか姿を消していたフェリックス。エドワードら四人の前にドリフトして停車させると、後ろの荷台を指さして叫んだ。

「乗れ! 急いで追いかけるぞ!」

「さっすがオヤっさん!」

 ハーヴィーが歓喜の声をあげて助手席に滑り込み、その後ろの荷台に三人が乗り込んだのを確認すると、フェリックスはアクセルを踏み込んで急発進。飛行する魔物を全速力で追いかけていった。

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