01

 トゥリエスの北部、<アンプル通り>の北端に陣取るトゥリエス警察本部。

 日光を受けて白く輝く様はまさに正義の体現であり、見るだけでそれとなく安心感を覚えることだろう。

 このトゥリエスにおいて三番目に大きなその建物は、特に広く人通りの多い<アンプル通り>に犯罪は許さぬとその威容でにらみを利かせている。

 そんな、限られた人々が出入りする本部の数ある休憩室の一室で、エドワードとカレンは大男フェリックスと机越しに相対していた。無論、剣呑な雰囲気はないが、お互いに真逆の空気を醸し出している。

 エドワードは実に面倒くさそうに、フェリックスは実に嬉しそうな笑みを浮かべて、益もない会話を交わしていた。

「いや、本当に助かったぞ、エドワード。あのまま逃げられていれば大変なことになっていた。君たちは実に運がいい」

「何回礼を言えば気が済むんだあんたは。もういいって言ってるだろ。それに、絶対運はよくない、悪いっていうんだこういう場合は」

 白髪の混じる短い黒髪をかき回しながら朗らかに言うフェリックスに、エドワードは心底うんざりしたように言い返す。それどころか若干機嫌が悪いのは、ここ数か月の運の悪さを改めて自覚させられたからであろうか。

 その運の悪さとは、ペット探しをすれば通り魔に出会い、待ち合わせに来ないという人物を探せば誘拐犯を発見、道案内の依頼をされれば目的地が強盗に襲われているという、あんまりと言えばあんまりな犯罪遭遇率のことだ。

 入り組んだトゥリエスはその特性上、犯罪が発生すると犯罪者は逃げやすく警察は捕らえづらい傾向にある。だからといって治安が異常に悪いわけではないのだが、王都やほかの街に比べれば格段に悪いだろう。

 それでも、ここ数か月のエドワードの運は、遭遇率は、異常だ。三か月前の事件からその酷さは悪化していると言える。よもや何か悪いものにでも憑かれたのでは、と本気で考える彼だが、呪いの類は色々な理論で否定されている現実では気休め以上の何物でもないだろう。

 結果として、行く先々で犯罪者を撃退する羽目になるエドワードは、こうして警察フェリックスの覚えもめでたく、三か月前の活躍もあって正式に探偵事務所に依頼される流れとなっている。

 指名手配犯なら賞金がもらえるし、そうでない犯罪者を捕らえた場合も一定以上の額の報酬が支払われるため、悪い仕事ではない。むしろこの運の悪さを存分に活用すれば、この三か月の稼ぎを一月で稼げるほどだ。

 が、そこはエドワード、平凡な日常を好む彼には苦痛以外の何物でもない。何を好んで危険に飛び込むような真似をせねばならないのか。

 今回だって、日用品の買い物に連れ出されたら、コレである。あんまりではないか、とエドワードは頭を抱えて嘆いている。

 そんな内心も知らず、変なものを見るように横目で彼を見るカレンだが、「それで」と話題を変えるように切り出す。

「わざわざ警察本部にまで呼び出して、何の用なの? こっちは買い物の途中なのよ」

 こちらは単純に、用事を邪魔されている現状に若干機嫌が悪く、棘のある口調で問う。

 そんな彼女の様子にフェリックスは「おお、すまんすまん」と気を取り直すように居住まいを正した。

「いや、実はな。ここ数週間の捜査が一気に進んで、ようやく麻薬組織の本元の居場所を発見したのだ。それで、これから総攻撃を仕掛けようと思っている」

「へえ、それはよかったじゃない」

 フェリックスの言葉に、眉を吊り上げて驚いたようにカレンが言うのも無理はない。

 この街の麻薬組織は、それこそカレンが来る前、エドワードが事務所を構える前から、トゥリエスに蔓延る犯罪の温床だった。実に五年以上もの間、警察の捜査を回避し続け、これまでちっとも尻尾を掴めずにいたのだ。

 高い犯罪発生率故に、いやでも精鋭揃いになるトゥリエス警察を相手にして、それだけ長い間逃げ続けた組織をついに捉えたのは快挙としか言いようがない。

 そのへんの事情を知っているからこそ、カレンも「おめでとう」と顔をほころばせて言う。が、対するフェリックスの顔は冴えない。祝福されたくてこの話をしたわけではないようだ、とエドワードもなんとなく嫌な予感がしつつフェリックスの顔を見て続きを促した。

「うむ。調査を続けるうちに、やつら、傭兵団を雇っていたことが分かってな。それが、悪い意味で有名どころのやつでなぁ。大規模すぎて、わしらだけで逃がさず捕まえられるかどうか、わからんのだよ」

 と、困ったように顎をかくフェリックスに、エドワードは思わず大きなため息を吐いた。嫌な予感が的中したことを悟ったのだ。

「で、なんだ。その総攻撃に、俺たちも参加しろ、と?」

「おお、流石エドワード。話が早くて助かる、そういうことだ」

「絶対に嫌だ!」

 尚も朗らかな調子で言い放ったフェリックスに、エドワードは悲鳴をあげるように拒否した。

 彼の生涯の目標は『平凡な毎日』、ただでさえこのところ受動的にも非日常を味わう羽目になっているのに、わざわざ自分から、能動的にそちらへと首を突っ込みたくはないのだ。

 だが。

「いまさら拒否しても無駄よ、エド」

「な、なに?」

 横のカレンがため息を吐いて、ゆっくりと首を横に振る。

 不意に味方から否定されたエドワードが、驚きつつも理由を問えば、それには実に残念な答えが待っていた。

「わたしたち、とっくの昔にこの依頼を受けてるもの」

「は? いや、そんな依頼受けた覚えなんて……あ」

「思い出した? 『街の脅威の排除』って依頼。……麻薬組織も立派な『脅威』でしょ?」

「………お、おぉぉぉう」

 彼の運の悪さは、彼の意図するところよりもはるか前からエドワードを捕らえていたのだ。

 それをまざまざと思い知らされ、思わず崩れ落ちるエドワード。いまさら依頼を反故にすることはできない、そういう契約を結んでいる。

 よもや、ここまで見越してこの依頼を出したのでは、とフェリックスを睨むが、彼が依頼を出したわけではないので八つ当たりと言うものだ。

 あんまりにも嫌そうなエドワードに苦笑いするフェリックス。「これが終わったら一杯おごってやるさ」と元気づけているが、今のエドワードには何の慰めにもならなかった。

 そんな平和なやり取りをする一同だが、その休憩室の扉が不意に開かれる。

「おーい、オヤっさーん。もうすぐ会議ッスよー、って……げっ」

 入ってきたのは、赤銅色の髪を軽く後ろに撫でつけた、若い青年。エドワードよりは若く、カレンよりは年上と言ったところだろうか。

 そんな青年はフェリックスを見つけて顔をほころばせたが、次いでエドワードとカレンの姿を確認して露骨に表情を曇らせた。

「んだよ、あんたら。警官の真似事の次は、本部にまで入り浸る気か? 一般人が調子乗ってんじゃねえよ」

 青年がつばでも吐きそうな勢いで悪態を吐けば、さしものカレンもカチンと来たのか、まなじりを吊り上げて「なによ」と食って掛かる。

 エドワードもその言い草に思わず舌打ちしそうになったが、目の前の大男の渋面を見て舌先まで出かかったそれを引っ込めた。喧嘩を売ってもこの男がいる限りは意味がないと察したのだ。

「ハーヴィー、やめろ。この人たちはわしが招き入れたんだ。守るべき市民に敵意を向けるようなさもしい真似をするのが、我々警官のすべきことか?」

「うっ……」

 カレンがさらに言い募る前に、フェリックスが鋭い眼光と共にぴしゃりと注意すれば、ハーヴィーという青年も思わず肩を揺らして目を泳がせる。よほどフェリックスを敬愛しているらしく、彼に強く言われると弱いらしい。

 見るからに気落ちした様子のハーヴィーにカレンも留飲を下げたのか、浮かしかけていた腰を下ろして「ふん」と鼻を鳴らすに留まった。

 その様子を見て安堵したフェリックスは、厳めしい表情のまま言葉を続ける。

「それに、だ。この人たちは例の件にも協力いただくことになっている。貴重な戦力だ、多少は仲良くせんか」

「例の件、って……はぁっ!?」

 フェリックスの言葉を咀嚼したハーヴィーが、大きな声をあげて愕然とする。その声には反発の意思がありありとみられ、エドワードは「余計なこと言ったな」とフェリックスを恨めし気に睨んだ。

 思わず、といった様子でエドワードらを指さし、ハーヴィーは捲し立てるように叫ぶ。

「そんな、オヤっさん、こいつら一般人ッスよ!? こんな、ちょっと二、三人犯罪者捕まえたくらいでいい気になってるようなやつらいなくたって、俺たち警察だけで充分だ!」

「何を言っているんだ、彼らだって素晴らしい戦力だ。この本部内に、彼らに匹敵するような人材はどれほどいることか……」

「んなもん信じられねえッスよ! ただの零細探偵事務所の人間のどこにそんな能力があるっていうんスか! 根拠は一体なんなんスか!?」

 フェリックスの言葉に、ハーヴィーが叫ぶように問いかければ、痛いところを突かれたとばかりに初老を超えた大男はだまりこむ。

 答えられない理由があるのだ、と引き結んだ唇と態度でそうやって示せば、ますます納得いかない、とハーヴィーは眉を顰めた。しかし、これ以上問い詰めても答えないのは、これまでの付き合いでハーヴィーには分かっている。

 納得いかないことの理由を聞けなくて尚のこと納得がいかない、そんな思いを如実に表した複雑な表情でフェリックスを見つめるが、それでも答えないとわかると、「くそっ!」と吐き捨てて部屋を飛び出していった。

 それを苦虫を噛み潰したような表情で見送るフェリックス。そんな彼に、エドワードは問いかける。

「あいつ、知らないのか」

 主語を飛ばした言葉だが、それだけでフェリックスに伝わったのだろう、重く頷いて答える。

「ああ……三か月前の事件の真相は、一部の警官にしか伝えられていない。ハーヴィーは優秀だが、あんな風にまだ若くてな」

 フェリックスは困ったように髭を触って呟いた。

 彼の言う通り、三か月前の事件――『ベースボール会場大量殺人事件』は、表向きは警察が鎮圧、解決したことになっている。だが、真相はエドワードとカレンが崩壊の羅針盤コラプスゲートというテロリストグループを打ち倒した、というもので、それは警察ではごく一部の人間にのみ知らされている極秘事項だ。

 理由は、崩壊の羅針盤コラプスゲートが世に秘匿された国家犯罪者で、その認知の広まりを国が嫌ったというのがある。

 そんな集団がいること自体が王国の威信にかかわるし、そういった弱点を他国に突かれたくなかったからだ。それに合わせ、エドワードと共に戦った特殊部隊カレンの存在も隠したかったため、警察が介入したことになっている。

 それを知らないハーヴィーには、エドワードとカレンは何の業績も為していないただの探偵に見え、そんな奴らが警察のやることに参入するのが納得できないのだろう。

 彼の気持ちがよくわかるからこそ、フェリックスも実に苦悩している。

 あんなに噛みつかれるなら教えてしまえ、とも思うエドワードだが、国の意思ゆえにそうもいかない。

 フェリックスは大きくため息をつき、「ままならんな」とつぶやいて立ち上がる。

「あんな奴だが、仲良くしてやってくれ。あれでも正義感は人一倍でな、君たちを排除したがるのも、一般人は守られるもの、という認識があるからだ。警官であることに、強い誇りを持っているんだよ」

「仲良く、っていっても、あの調子じゃあね」

「はは、そう言わずに、な? それでは、総攻撃の作戦会議の時にもまた来てもらうから、そのつもりでな」

 そう言って、フェリックスは部屋を出て行った。会議とやらに行ったのだろう。

 彼の背中を見届けて、しばらくぼんやりしていた二人だが、やがて顔を合わせると、これからの展望にどうしようもない面倒くささを感じて溜息を吐く。

 そして、またああして難癖をつけられても面倒だ、と早々に本部を後にするのだった。









 数日後、エドワードとカレンの姿はトゥリエスの北の郊外にあった。マンションの空き部屋の一室にて、二人の視線は窓の外を向いている。

 視線の先は、郊外に打ち棄てられた廃工場の群れ。それらはトゥリエスを支えていた魔術工業の名残で、現在そのほとんどは<ミル通り>に移設している。

 中身は空っぽで、故に麻薬組織に目をつけられ、その地下に組織の本元を隠されてきたのだ。

 それをじっと見つめる二人だが、何も麻薬組織への警戒だけが理由ではない。そもそも、二人は襲撃組で、合図を待って動けばいいだけなのだ。

 窓の外を見る理由は一つ。部屋の空気が最悪だった。

 部屋の中には四人。エドワードとカレンのほかに、二人いる。

 一人は女性。肩までの明るい茶髪をふんわりと揺らしながら、空色の瞳をくりくりと輝かせてなぜかエドワードを注視している。当の本人は、当然ながら面識もないのに異様に見つめられる現状に居心地の悪さを感じている。

 そして、もう一人は、まさかのハーヴィーだ。目を外に向けてそらし続ける二人をギロリと睨んで、不機嫌そうな様子を隠さない。両腰に据えた二本の剣の柄を苛立たしげに指先で叩いている。

 こんな、妙に張り詰めた空気になっている原因は、先日の強襲作戦の会議にエドワードら二人が出席できなかったことに始まる。

 またしても、本部に向かう最中に強盗事件に出会い、その対応に追われたのだ。その結果、会議の内容を知ることができず、作戦当日の集合場所、および合図の確認しかできなかったのである。

 異様に敵視してくるハーヴィーと同じ作戦開始場所になるとは、フェリックスは気を利かせてくれなかったのか、と恨めしく思うエドワード。一方、むしろこれが気を利かせた結果なのでは、とカレンは若干疑っていた。

 そんな困った空気の中、突然茶髪の女性が立ち上がる。思わずそちらへと視線を向ければ、意外にもカレンとそれほど目の高さは変わらなかった。それでもカレンのような少女らしさがないのは、そのグラマラスな容姿か、それとも妙に艶やかな所作ゆえか。

 女性はゆっくりと歩き、エドワードの傍に立って、じっと彼の顔を見上げて見つめる。近い顔に思わず「なんだ」と問えば、「ふふっ」と艶やかな笑みが返ってきた。

「あなたが『協力者』のエドワードさん? もっと凄いのを想像してたけど……思ったより男前ね」

「そりゃ、どうも」

 会議でエドワードらの存在を聞いていたのだろう、そんな感想を漏らすと、女性は少し離れてまた笑みを浮かべる。

 離れていく芳香に少しだけ視線を持っていかれると、なぜか目の前のカレンが不機嫌そうに眉を若干顰めている。どうした、と目で問えば、何でもないと首を振られた。

 そんな二人の無言のやり取りに、何がおかしかったのか、クスクスと笑いを漏らすと女性は口を開く。

「初めまして、お二人さん。わたしの名前はイレイン・オロークよ。よろしくね。期待してるわ、頑張ってね」

 そう言って笑みを浮かべ、イレインは視線をハーヴィーに向ける。次はあなたの番よ、と言いたげな視線に、しばらく無視を決め込んでいた青年だが、やがて無言の圧力に負けて「けっ」と呟いて二人に向き直る。

「ハーヴィー・ワイルドだ。どうぞよろしくしなくていいし、今回は後ろで控えてりゃそれでいい。期待も何もしてないんで、頑張らなくていいぜ」

 開口一番、剛速球で喧嘩を売ってくる若手警官に思わず頬を引くつかせるエドワードだが、ぐっと抑えて口を開く。

「エドワード・デフト。しがない探偵だ。今回は警察からの依頼ということで協力させてもらう。こっちとしては、きっちり、仕事しなきゃ信用に関わるんで、頑張らせてもらおう」

 抑えたつもりが割と喧嘩を買っているエドワードの言葉に、横のカレンが思わずため息をついて続けて口を開く。

「カレン・ブリストルよ。まあ、その……仲良くしときましょうね」

 苦笑いとともに言えば、ハーヴィーはフイと顔をそらして無視をする。まるで駄々を捏ねる子どものようだ、とげんなりしながらカレンはそんな感想を抱いた。


 こんな仕事早く終わらないかな、と早くも疲れ始めたカレンが再び窓の外に視線を投じれば、先ほどとは少し違う風景を目にする。

 それは、廃工場の奥から天へと高く上っていく蛇のような煙。花火のようにヒョロヒョロと伸びていくソレは、エドワードらの居るマンションの三階ほどの高さまで上り――炸裂。直後、全方位に赤い閃光を撒き散らした。

 それは異常ではなく、攻撃開始の合図。それを見た四人は即座に空気を切り替え、各々武器に手を添えて目の前の窓を開ける。

 窓の縁に、ベランダの柵に、それぞれ全員が足をかけ、そして躊躇なく蹴り出し、宙へと身を躍らせた。

 当然ながら重力に身を引かれ、落下。しかし、即座に建物の屋根に着地し、疾走を開始する。マンションのすぐ隣には背の低い建物が廃工場群まで狭い間隔で続いており、故にマンションの空き部屋が待機場所となっていたのだ。

 あっという間に屋根を端から端まで駆け、そこで跳び上がって次の建物の屋根へ飛び移る。

 そうして、高い身体能力を誇る四人の健脚によってすぐに廃工場を目前とする建物まで迫った。

 目の前にはエドワードら四人が担当する廃工場。走る勢いを緩めず、エドワードは抜剣した長剣の切っ先と左手に魔術式を展開する。その横でハーヴィーも負けじと、両腰から抜き放った双剣の二つの切っ先にそれぞれ魔術式を紡いで燐光を迸らせた。

 それを横目で見て、エドワードは「へえ」と小さく感嘆を漏らす。

 彼が驚くのも無理はない。まず、魔力を表出できるかどうかに才能の有無が必要だが、そこからさらに、どれだけ同時に表出できるかというのにも才能が必要だ。ゆえに、二つの魔術式を展開できる二人は稀有な存在といえるだろう。

 おまけに魔術剣士であるのだから、フェリックスがハーヴィーに期待しているというのも頷ける。

 一瞬、過去のことに思いを馳せる。かつて戦った『化け物』も複数の魔術を使っていたが、アレは魔術を使える人間を複数取り込んでいたせいだろうから、あれは『化け物』の才能とは言えまい。

 ではイレインはどうかと視線を転じれば、彼女もまた、背中から取り出した短槍の穂先に一つの魔術式を紡いでいた。

 彼女まで魔術槍士か、と驚愕を隠せないエドワードだが、それ以上味方を観察する余裕はない。もう眼前には工場の窓があり、既に脚は屋根を蹴って跳び上がっていた。

 両腕を交差させ、身を守りながら窓を破る。ガラス片が割れ散るのを視界の端に留めながら、即座に工場内を見渡した。

 着地した足場は侵入した窓のすぐ傍にあった機械類のようで、上から工場内を一望できた。中には地下への扉らしきものを囲む見張りの四人の男たちが、茫然としてエドワードらを見上げている。

 その隙を突き、切っ先の魔術式を発動。『爆裂エクスプロード』の魔術が男たち――ではなく、その足元を扉ごと吹き飛ばした。

 崩落に巻き込まれて落ちていく見張りたち。三か月前にもやった、侵入口を確保しつつ地下の敵も無力化するという、一石二鳥の崩落戦法である。

 が、隣のハーヴィーには不評のようで、眉間の谷を深くしながら抗議の声を上げる。

「おい何やってんだ! 俺の魔術が外れちまっただろうが!」

「知らないっての。ほら、いくぞ!」

「あっ、くそっ!」

 確かに直前に青白い光を見た気がするが、そんなことはどうでもいいエドワードはサラッと無視して機械から降り立ち、穴へと吶喊する。それを舌打ちしながら追いかけるハーヴィー。

 案外この二人は仲がいいのでは、と思いながら、カレンも大剣を携えてクスクスと笑うイレインとともに穴に降りる。

 穴をあけた部屋はたまたま小部屋だったようで、崩落に巻き込まれたのは数人程度。両脇にある二つの扉が両方とも開けっ放しになっているのは、先に侵入した二人が別々に突っ込んだからだろう。

 その様子を見たイレインが「あらら」と困ったように呟いて、片方の扉に視線を向ける。

「ハーヴィーは……こっちみたいね。エドワードさんのほうをよろしくお願いするわ」

 と、一方的に告げてイレインも短槍を構えて突っ込んでいった。

 なぜわかるのか、とかいろいろ聞きたいこともあったが、あっという間に行ってしまう。

 彼女も問題児なのだろうか、と若干疑いを持ちつつも、カレンは反対側の扉へと体を滑り込ませた。

 今度は大部屋のようで、砕けたテーブルのそばに、トランプをしていたらしいカードが散乱している。人間もそこら中に散乱して倒れていて、エドワードの手加減した『爆裂エクスプロード』が叩き込まれたらしい形跡が見て取れた。

 彼の姿はもうなく、続く扉が開けっ放しになっている。

 エドにしては珍しくやる気になってるのね、とカレンが感想を抱きつつ急いでその扉をくぐって次の部屋へ入れば、そこは廊下。走る彼の背中と、その肩越しに追いかけられている男が見えた。

「待て!」

「くそっ、なんなんだお前らっ!?」

 やけに豪奢な格好の幹部らしき男は悲鳴を上げながら廊下の端の扉にたどりつき、次の部屋に滑り込んで金属製の扉を鍵で固く閉じる。

 それを『爆裂エクスプロード』で吹き飛ばそうとしたエドワードも、流石に自分にまで被害が出ると判断したのか急停止。現在の魔術式を破棄し、新たな式を構築する。

 式を紡ぎ終えたころにはカレンも追いつき、そこでエドワードは天高く剣を構えていた。

 魔術はすでに発動されている。赤熱する刀身がその証。

 『灼熱刃ヒートブレード』の魔術が剣を強化し、その表面温度を二千度以上にまで高めていた。

 その刃で以てして、扉に向けて振り下ろせば、バターのように容易く金属を両断する。真っ二つになった扉を蹴り飛ばして中に侵入すると、そこにはちょうど別の扉から入ってきたハーヴィーとイレイン、そして上へと伸びる階段があった。

 向こうもエドワードらの姿を認め、眉をしかめて叫ぶ。

「あ!? 何でここにいるんだあんたら!」

「こっちのセリフだ! 誰かとすれ違ったか?」

「そっちこそすれ違ってねえよな!?」

 どうやら二人して取り逃した敵がいるらしい、とこの短いやり取りで察した。

 思わず同時に苦い顔になりながら、二人は上へと続く階段を慌てて駆け上がった。

 頭上をふさぐ木製の扉を二人の拳で吹き飛ばしながら一番上まで上がると、どうやらそこは地上の小屋の中。当然ながら、麻薬組織の男たちの姿はない。

 さらに小屋の入り口を蹴飛ばして外に出れば、遠くに逃げる背中が二つある。どうやら郊外のさらに外側に出たらしく、逃げる二人は街から離れる方向に走っていた。

 トゥリエスの外は、一歩出れば荒涼とした大地だ。王都ツァールへと通ずる方向は流石に整備されているものの、逆に言えばそうでない方向は荒涼たるむき出しの地面と深い森しかない。

 男二人はどうやらツァールではない方向に逃げようとしているらしく、焦っている様がまざまざと見て取れた。

 そのまま放置しても、すぐにでも野垂れ死ぬのは目に見えていたが、警察が目指すのは可能な限りの捕縛。それに、見限ったせいで死なれても後味が悪い、とエドワードとハーヴィーが魔術を放って昏倒させようとした――次の瞬間だった。

 ぐしゃり、と逃げる男たちの周囲の風景が、潰れる・・・。否、そうとしか見えないほどに、陽炎のごとく歪んだのだ。

 それは温度差のせいではない。それを見守る二人は肌で感じていた。

 これは、魔力のせいだ、と。

 逃げる二人も周囲の変化に気づいたのだろう、思わず立ち止まって怯えたように周りを見ている。

 この現象にすぐさま見当がついたエドワードが「逃げろ!」と叫ぶももう遅い。

 歪む風景の中心が、唐突に波紋を打ち始め、その中心から――『魔物』が現れる。

 現れたのは、灰色の体色で大の大人ほどもある大きさの螳螂かまきりの体。しかし、その頭部はなぜか獰猛な虎の頭で、低いうなり声をあげていた。

 そんな、アンバランスな異形こそが『魔物』の最大の特徴。二種以上の生き物の特徴を兼ね備え、かつとてつもなく嫌悪感を覚える形状をしているのだ。

 それが、何が起こっているのかわかっていない麻薬組織の二人の傍に出現した。獣同然の本能を持つ魔物が次に何をするのか、想像するまでもない。

 振るわれる螳螂の鎌。一人の首がそれだけで刎ね飛ばされ、もう一人はその魔物の巨大な虎の顎に頭を丸ごとかみ砕かれた。

 一瞬にして二人の命が奪われたが、それを気にする余裕はエドワードとハーヴィーの二人にはなかった。

 虎頭の蟷螂の魔物が現れた時と同じ波紋が、数十数百――否、それどころでは済まない数が視界いっぱいに展開されていたのだ。

 このすべてが、魔物の発生現象。一つ二つの現象なら二人も見たことがあるが、これほどの、無数の波紋が展開されているのは異常だった。

 しかし、この現象はあり得ないわけではない。過去にも存在する事例だった。

 それは、数十年に一度発生する最悪の自然現象。地震や津波以上に忌み嫌われるソレの名は――

「――大量発生スタンピード……」

 呆然とつぶやいたエドワードの目の前で、無数の波紋から無数の魔物が出現していく。

 そして、一分もせぬうちに、魔物の大群がトゥリエスの目と鼻の先に生み出されていた。

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