第二章 大量発生

プロローグ

 発展都市『トゥリエス』。

 あいも変わらず発展を続けるこの都市は、たとえ大事件が起きたとしてもその様相を変えることはなく、今日も賑やかしい雰囲気を湛えている。

 『ベースボール会場大量殺人事件』と称される大事件から三か月経った現在において、今も人々の語り草に上り、何かと悪い事があればコレが原因なのでは、と因果扱いされるようになっていた。逆に言えば、そうして笑い話にできるほどには人々の心にも余裕が出てきたともいえるだろう。


 そんなトゥリエスで、この三か月の間に大きく変化を遂げた探偵事務所がある。

 エドワード・デフトが所長を務める『デフト探偵事務所』だ。

 事務所職員が一人増えたことに始まり、それから三か月の間に数十もの依頼が舞い込むようになっていたのだ。

 これは前年度依頼者数八人、という過去の成果から見れば、快挙とも言える。無論、そういった依頼のきっかけを作ったのは新たな職員であるカレン・ブリストルだ。

 紆余曲折を経て、探偵事務所職員となった彼女だが、過去の依頼者数を見て愕然とした。開業から五年、総依頼者数は二十もいくかどうかだったのだ。その所長のあまりの仕事する気のなさに、持ち前の真面目さが炸裂して大激怒。

 二日に及ぶ喧嘩――エドワード曰く、説教――の後、その行動的な性格を如何なく発揮し、チラシ作りや新聞の端の一面、ラジオの数秒の一枠の購入など、精力的な活動で探偵業を宣伝した。その上でこのトゥリエスに新居を構えたカレンが近所で事務所の宣伝をすれば、おのずと客ものぞいてみようと気になるものだ。

 この広くて複雑なトゥリエスに、悩みを持つ者などそれこそたくさん居る。まして探偵事務所など片手の指で数えるほどしかないのだから、多少の繁盛が為されるのも当然の話だった。宣伝も何もしなかった時代と比べれば雲泥の差である。

 「ペット探しから護衛、傭兵業までなんでも請け負います」という宣伝文句の通り、実に雑多な依頼が主だ。

 散歩中に行方不明になったペット探しから、待ち合わせの時間を超過してもやってこない友人の捜索、そしてトゥリエスにやってきた外来者に対する街の案内などなど。とにかく、トゥリエスの迷子になりやすい特性をこれでもかと商売道具にできているのである。

 ちゃんと宣伝さえすればこうも違うものか、と所長がふんぞりかえる所員と書類の山を前に呆然としたのは言うまでもない。

 こうして様々な人々から多様な依頼を受けるようになったデフト探偵事務所だが、それとは別にコンスタントに受ける仕事がある。この三か月での数十の依頼の中の一割にも及び、一番稼ぎのいい依頼だ。

 発端はカレンの宣伝行為ではなく、三か月前の大事件を解決したことによるもの。

 その依頼とは、依頼者が警察で、内容が『街の脅威の排除』、というものである。









「待てーっ!」

「誰が待つかよこのボンクラども! ギャハハハッ!」

 追う者と追われる者、トゥリエスのとある路地裏で、制止の声と哄笑が乱舞する。

 逃げるのは長剣を抜き身のまま握る巨漢と、魔力伝達速度を向上させる杖を持つ痩躯の男。前衛の剣士と後衛の魔術師の二人組だった。

 対して、追いかけるのは青い制服に身を包んだ五人の男女――警察だ。つまり、これは大捕り物、犯罪者を追いかける官憲という構図になる。

 実際、逃げる二人はこの街で貴金属店を襲い、店員を皆殺しにするという強盗殺人を三件も犯した凶悪犯。指名手配もされており、賞金までかけられた筋金入りの犯罪者である。

 それがこうしてついに捕捉され、路地裏のひそかな大捕り物となっていた。それでも逃げる側に余裕が見られるのは、警官たちを舐めているのか逃げ切る自信があるのか。

 逃げる最中、痩躯の男が振り返り、杖を差し向けて凶悪な笑みを浮かべる。杖の先端に描かれたるは、『力ある記号』を式の如く配置させた魔術式。燐光を消失させ、魔術が発動される。

 式から撃ち出されたのは水の砲弾、『水弾ウォーターバレット』。超高密度に圧縮された、拳大の水の塊が亜音速で警官たちに迫る。

 それに対し、魔術の対抗レジストでは間に合わないと判断した警官たちは路地裏の壁に張り付くことでどうにか回避するも、結果として足を止めることとなる。

 当然、その間に二人組は全力疾走。警官たちを撒かんと曲がり角を曲がろうとして――そこから突き出された斧槍ハルバードに進路を阻まれる。

 思わず立ち止まった二人組に、追撃とばかりに薙ぎ払われる斧槍。それを巨漢が長剣で受け、弾き返せば、曲がり角から犯罪者の巨漢に負けず劣らずの巨躯を誇る大男がぬっと姿を現す。

 その大きな身を包むのは青い制服。追いかける者たちと同じ警官で、回り込んでいたのだ。

 してやられたことに気付いて舌打ちする巨漢。斧槍を構えなおした無精髭の大男――フェリックス・ウィルキンズは、厳しい表情で声を張り上げる。

「さあ、ダニー・シーリー、ビリー・コーバン! もう逃げ場はないぞ! 大人しくお縄につくことだな!」

「うるせえこのクソ野郎! てめえをぶっ殺せば済む話だ!」

 負けじと叫んだ巨漢ダニーがフェリックスに図体に見合わぬ鋭い剣閃で打ちかかる。

 その攻撃を、この狭い路地裏で見事に斧槍を手繰って受け流して捌き、返す刃で石突の刺突をダニーの腹部に突きいれる。その鋭い一撃をたくましい腹筋だけで見事耐え抜いたダニーは、更なる反撃で剣閃を放とうとして――唐突に屈み込む。

 巨躯がしゃがむことで視界が開け、ダニーの背後に見えたのは、魔術式。魔術師ビリーの展開する式が、今まさに魔術を放とうとしていた。

「死ねェ!」

 二人の連携攻撃、奇襲にも似た突然の魔術に、しかしフェリックスは慌てない。むしろ、余裕の笑みすら湛えていた。

「こんなナリだが、インテリ派でな」

 呟いたその左手には、燐光を放つ魔術式。彼もまた魔術師、否、魔術斧槍士であったのだ。

 あらかじめ紡いでいたであろう式が効果を発揮。眼前で発動した『水弾ウォーターバレット』を、フェリックスの『炎弾フレイムバレット』が迎え撃つ。両者は見事空中で激突し、ほぼ同威力のそれらは互いに消滅した。

 見事に対抗レジストしたフェリックスだが、高熱の炎と水が激突した影響で視界を遮る水蒸気が発生していた。それでも迷わずフェリックスは水蒸気の中に斧槍を突き込むも、手ごたえはなし。

 訝しむと同時に、脇を駆け抜ける二つの気配を感じ取る。しまった、と思うももう遅い。水蒸気に紛れて二人はまんまとフェリックスの背後へと抜けていた。

 振り返り、逃げていく二人の背中を捉えるフェリックス。その先は<アンプル通り>であり、逃げ込まれるとあまりにも厄介だ。なにより、一般人に被害が出る可能性がある。

 なんとかしなくては――と急いで魔術式を構築するフェリックス。しかし、それが完成するよりも一歩早く、二人は通りへと出てしまう。

 そして、そんな凶悪犯二人の前には平和そうに歩く男女。真っ白な頭の不健康そうな男と、小豆色の豊かな長髪をもつ可愛らしい少女が何やら談笑している。

 それをただ避ける凶悪犯ではない。得物はものを構え、凶悪な笑みを浮かべて叫ぶ。

「オラァ! どきやがれ! ぶっ殺すぞ!」

 長剣を振り上げ、躊躇なく少女に向かって振り下ろす。

 やめろ、と叫びかけたフェリックスだが、そこで気づいた。

 その二人が、凶悪犯など歯牙にもかけぬ存在であることに。

 振り下ろされる凶刃。直前で気づいた少女がそちらへと視線を向け――瞬間、その姿が消えた。

 否、消えたのではない、あまりにも自然な、流れるような体捌きでダニーの懐へと滑り込んだのだ。結果、凶刃は空を切り、ダニーは何が起こったのかもわからず、少女の鋭い肘打ちを顎に受けてその意識を消失させた。

 可憐な少女の一撃で昏倒する巨漢。その様を真横でまざまざと見せられたビリーは、心底驚愕しながらも反射的に魔術式を紡いでいた。

「な、なんなんだテメエっ!?」

 彼の人生史上最速で紡がれる魔術式。人一人を殺すのに十分な威力を持つ『水弾ウォーターバレット』が――放たれない。

 その前に、白髪の男の前蹴りがビリーの水月に突き刺さっていた。激痛に集中が途切れ、魔術式が霧散する。

 思わずうずくまったところへ、さらなる追撃の回し蹴りがこめかみに炸裂。何もすることもできず、ビリーは相方と同じ運命を辿った。

 それを、もはや同情すら浮かんだ目で見ていたフェリックス。斧槍を背中に収め、気絶した凶悪犯を見下ろす男女の下へ向かっていく。

「……凶悪犯の逮捕へのご協力、ありがとう。エドワード、カレン」

 軽く頭を下げて言われた言葉に、思わず顔を見合わせる男女――エドワードとカレン。

 しばらく混乱していた二人だが、やがて図らずも警察の依頼を完遂したことを把握するのだった。

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