エピローグ
「ぐぅぅぅおぉぉぉぉぉぉ…………っ」
トゥリエスの入り組んだ路地の中にある、とある医療院の一室で、白い頭がベッドの上で凄絶な表情で唸っていた。
平時から濁っている碧眼はいつも以上に疲れと痛みに濁り切り、死んだ魚の目はこんな感じではないかと思わせるほど。
事実、ベッドの脇の椅子に腰かけるカレンは、そんな感想を内心抱いていた。口には出さない優しさがそこにはある。
部屋に居るのは全部で四人。
ベッドで悶えるエドワードと、その様子を眺めるカレンにマイルズ、そして医療院の主であるザラだ。
ある者は心配げに、ある者は微妙な表情で、ある者は愉快そうに、ベッドの上で死にそうなエドワードを眺めていた。
「……大丈夫なの、コレ」
微妙な表情の少女が愉快そうな女医に思わず問う。それに対して、女医ザラは鼻を鳴らして「自業自得よ」と返した。
「確かにコイツは重傷よ。内蔵がいくつか破裂しかけてたし、肋骨も数本イっちゃってたわね。でも、どっちも治癒魔術で多少時間をかければ治る範疇よ。実際もう治ってるし。コイツが悶えてるのは、私が融通してあげた薬を飲みすぎたせい。副作用で中毒症状起こしてるから、時間をかけて薬を抜くしかないの。結果として、あと一週間は悶えてもらうことになるけどね」
馬鹿な男ね、とこぼして、ザラは心底愉快そうな笑みを浮かべた。
こうして国立の病院ではなく個人の医療院に居る理由も、彼が飲んだ薬の所為。有り体に言えば違法薬物の類であったため、その中毒症状をこさえたまま入院すればそのまま逮捕される流れが目に見えていたからだ。
無論、ザラはこうなるのを予期して薬を融通している。
ちなみに、この手の中毒症状を解毒する魔術があることを知っているザラだが、個人的趣向のためにあえて黙っている。口には出さない鬼畜がここには居る。
そんなえげつない彼女の笑みにそら寒いものを感じたのか、カレンは彼女から視線を外して心配そうなマイルズを見る。
彼は元々外傷だけだったので、治癒魔術で完治した次の日、つまりエドワードらが死闘を演じたその日に退院していた。故に、退院直後にエドワードの入院の一報を聞いて何事かとこうして駆けつけてくれたわけだ。
そこでカレンから事情を聞き、
「まったく、無茶してくれますね。かの伝説の竜人を相手にして、それだけで済んだのは奇跡としか言いようがありません」
「私の剣が当たりさえすれば終わる戦いだったから。もしそうじゃなかったら、今頃死んでいるのは私たちね」
呆れたようにマイルズが呟けば、カレンも同意するように首肯する。相手が魔術に縛られていたからこそ、竜人は積極的な攻勢に出れず、そしてカレンは全力で攻撃できていた。
もし伝説通りのままの竜人であったなら、カレンの剣は微塵も通じず、エドワードの魔術も耐えきられて終わりだっただろう。
様々な要因が重なったからこそつながった命だ、と改めてカレンが戦慄していると、なぜかそこでエドワードが恨めし気にカレンを睨んでいる。
「なによ」と小首をかしげると、悶えながらもエドワードはぽつりとつぶやいた。
「俺が内臓破裂しかかってたっていうのに、なんでお前はそんなに無傷なんだ。理不尽じゃないか……?」
彼が文句を言っているのは今現在のこの構図だ。同じ死闘を演じていたはずのカレンが全くの無傷、治癒魔術すら受けていないのである。
あんなに俺はボコボコにされたのに、とお門違いな恨みがましい視線を投げるエドワードだが、それに対してカレンは慎ましやかに見えて割と存在する胸部をそびやかし、自慢げに鼻を鳴らす。
「あら、これでも特殊部隊よ。あなたより切った張ったの死地はずっと経験済みだし、その辺の戦闘技術を一緒にしてもらっちゃ困るわ」
「くっそ……」
年下の少女より重傷な自分があんまりにも情けなくて、それしか言えずにエドワードはがくりとベッドに沈み込む。またしてもザラがケラケラ笑い、出ていったが、そちらを見る気も起きなかった。
単純にあの大剣があるかないかの差だと思うマイルズは、とりあえずカレンの頭を拳で叩いておいた。
「な、なんでよ兄さん!」と抗議する妹を無視し、前に出たマイルズはエドワードに改めて頭を下げる。
「この度は、ご協力のほど、誠にありがとうございます。あなたが居なければ、これほど早くに奴らを駆逐することも、被害を最小限に抑えることもできなかったでしょう」
「……そう何度も頭を下げないでくれ。マイルズには命を助けてもらったし、何より俺がやりたかっただけなんだ」
「たとえそうだとしても、私はあなたへの感謝を忘れることはないでしょう。本当に、ありがとう」
やめてくれ、と手を振るエドワードに、それでもマイルズは柔和な笑みを浮かべて感謝を口にする。そう何度も感謝されては、それほどできた人間でないこと自覚しているエドワードにはなかなか気恥ずかしいものがある。
困ったように頬をかくエドワードに、マイルズは「さて」と居住まいを正す。なんだ、と視線を再度向ければ、彼は困ったように口を開いた。
「本当に残念なことですが、我々の部隊はもう行かなければなりません。この街に来ていた
「それはまた、大変だな」
あれほどの大惨事を引き起こしたものでも、まだ氷山の一角。それをまだまだ追わねばならない二人にエドワードは、思わず同情の視線を向ける。
特殊部隊でないエドワードは、もはや危険な連中を追う理由はない。この街の
それを少し申し訳なく思うエドワードだが、マイルズはそれでいいと笑みを浮かべる。本来交わるはずのない両者の道は、一度交わったものの、また離れていく運命にあるのだから。
だが、完全に離れるとは限らない。
その証拠に、なぜか、カレンは驚いた表情をしていた。
「え、兄さん。私、聞いてないんだけど……」
「ん?」
同じ特殊部隊のカレンは、この街を離れることを聞いていないのだという。情報が行き渡らないほど火急の用なのか、エドワードが疑問符を浮かべれば、マイルズはなぜか悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
あまりにもらしくない表情に、二人してぽかんとした表情になる。
「ええ、言わないように指示しましたからね」
「な、なんで?」
「あなたの任務はまだ終わっていませんよ」
「私の、任務?」
何を言っているの、と怪訝な表情を浮かべれば、マイルズはエドワードをチラリとみて、「ゴホン」とわざとらしく咳払いする。
「先日私が襲撃した奴らの拠点には、エドワードの顔写真を構成員全員が見るようにせよ、という指示書がありました。そして、その指示書はトゥリエスだけでなく、周辺の街に潜んでいる構成員にも行き渡るように書かれていました。時間はあったようですから、おそらくその指示は完遂されたことでしょう。……この意味が、わかりますね?」
「……つまり、まだエドワードは狙われるかもしれない、ってこと?」
「……えっ」
マイルズが告げた残酷な現実に、エドワードは思わず呆ける。せっかく、この街の連中を駆逐して安心したというのに、それだけではまだ足りなかった、というのだ。
そして、まだエドワードが狙われるということはつまり。
「護衛の任はまだ続けてもらいますよ、カレン。上司命令です、従いなさい」
「そ、そんな、うそでしょっ!?」
ベッドの上のエドワードと同じく、崩れ落ちるカレン。
二人して驚愕に苛まれている中、マイルズの朗らかな声が妙に響く。
「そうですね、ただ護衛するのもなんですし、彼の事務所の助手になっておきましょう。彼もただ付きまとわられるのもいやでしょうし」
「に、にいさん……」
追撃の如く重ねられた言葉に、カレンがまさに衝撃を受けた、という表情で後退りし、そしてそのまま「ばかーっ!」と叫んで部屋から出ていってしまった。
なんだこの小芝居は、と改めて呆然とするエドワードだが、すぐに我に返ってマイルズを睨む。
「……なんのつもりだ?」
「はて、なんでしょう?」
とぼけるマイルズだが、エドワードは大きくため息を吐いて首を振る。
そもそも、まだ彼が狙われているのなら、カレンではなく下部組織らしい人員に遠くから監視・保護させればいい。この街にはもう連中は居ないのだ、わざわざ特殊部隊のカレンをあてがう必要はない。まして主戦力であろう彼女を手放す意味などないのだ。
エドワードがそれをわかっていることに気付いたのか、マイルズも小さく嘆息して窓の外を眺めながら口を開く。
「カレンはあれで箱入りでして。私と離れて行動したことなど数えるほどしかないのですよ。そろそろ、兄離れでもさせようかと」
「それだけじゃないだろ?」
「…………」
冗談めかして語るマイルズに、エドワードは首を振って先を促す。
しばし沈黙したマイルズだが、「そうですね」と頷いてから再び語り出す。
「あの娘、若いでしょう? 特殊部隊入りしたのはあれよりもずっと若いころでしてね。年頃の子供らしいことしたのはもう何年前か……。ずっと戦い漬けの日々、神経を尖らせて剣を抱える姿が、痛々しくて仕方ない」
翡翠色の目を細め、窓から見える路地裏を茫洋として見つめる。或は、その向こうの雑踏を幻視しているのかもしれない。そこで歩く、カレンと同じ年頃の少女の姿を。
「私の前ではよく笑ってくれていましたが、それもかなり無理したものでした。ですが、あなたの護衛につかせたところ、ずいぶん自然に笑うようになったじゃありませんか。まあ、それで平和ボケしたのはいただけませんでしたが……」
と、刺された胸をさすりながら苦笑いするマイルズ。そこをつかれるとエドワード自身も何とも言えない表情になる。
それに気付いたのか、「おっと」と肩をすくめた。
「まあ、長々と語りましたが。彼女にはちょっとした余暇を与えたいだけです。あなたの傍で、ね。直接言い渡したんじゃ、絶対に聞かないだろうから、あんな面倒くさい言い方をさせていただきましたが」
「……なるほど、よーくわかったよ、妹さんが愛されてるのがな。シスコンに巻き込まれるこっちはたまったものじゃない」
ジト目で肩をすくめるエドワードに、マイルズは「すみませんね」と苦笑し、改めてエドワードに向き直る。
しかし、その表情は柔和な笑みでなく、真剣な眼差しを湛えていた。
「どうか、妹を、よろしく頼む。エドワード」
常の柔らかな物腰でなく、男らしい気迫に、思わず目を丸くするエドワード。
それにふっと笑みを浮かべると、マイルズはさっさと部屋を出ていってしまった。
あるいは、今の妹思いの姿こそが、彼の正体なのかもしれない。大したシスコンだ、と思わず入っていた力を抜くと、ちょうどそこでカレンがげっそりとした表情で戻ってきた。
部屋を見回して兄の姿がないのに気づくと、本当に置いていかれたことをようやく理解し、諦めたように肩を落とす。どうやら今しがた出ていった兄に出会わなかったようだ。
そこで、ふと、二人の視線が絡む。
なんとなく、マイルズの言葉が思い出され、エドワードは妙な気分になって「あー、その、なんだ」と言い淀む。
それを怪訝な表情で見守るカレン。やがて気を引き締めたエドワードは右手を差し出して笑みを浮かべた。
「よろしく、カレン」
突然の言葉に目を白黒させながらも、カレンも綺麗な顔に笑みを咲かせて右手に応える。
「ええ。よろしく、エド」
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