05

「ふぅ――――」

 大きく息を吐き、エドワードは剣を下ろす。背後のカレンも倣って大剣を下ろし、垂れた前髪を鬱陶しげにかきあげた。

 二人の周囲には焦げ付いた臭いや血の鉄臭さが充満していて、その発生源が死屍累々と転がっている。気絶している者もいるだろうが、ほとんどは死人。二人はテロリストに一切の容赦を持たなかった。

 エドワードとカレンが居るのは街の下、下水道にできた奇妙に広さのある空間。街の発展の過程でできたデッドスペースであるが、それを連中コラプスゲートが目をつけて利用していたのだ。

 これで、二人が潰した拠点は六つ目。カレンの部下による電撃戦も併せれば、ようやく全ての拠点を潰したことになる。

 二つ目と四つ目はダミーであったため、事実上は四つ潰したことになるのだろう。疲労を色濃く顔色に出しながら、エドワードは天を仰ぐ。

 『爆裂エクスプロード』の奇襲戦法によって大穴を開けられた天井――というより道路から、朝日の淡い光が漏れてきている。とっくの昔に日付は変わり、お天道様が顔を覗かせる時間になっているようだ。

 魔術剣士として体力の消耗の速いエドワードは、カレンよりも明らかに疲れた様子で近くの瓦礫に腰を下ろす。もはやへたりこむといった様相の彼だが、カレンにもそれを突っ込む余裕はない。

 体裁を整えるつもりで大剣を背中に戻し、そこでようやく彼女も近場にあった椅子に座り込んだ。いくら魔術を使わないとはいえ、そこは少女。大剣を振り回し、命のやりとりをして、平気でいられるほど体力バカではない。

 二人して情けない様子だが、それも仕方がない。なんといっても、この街の崩壊の羅針盤コラプスゲートを掃討してしまったのだから。少数戦力の中で、なかなかの偉業と言えよう。

 息の詰まるような焦燥からの解放感と、成し遂げた達成感に、エドワードは思わず笑みを浮かべて瓦礫の上に倒れ込む。

「ああ、終わった!」

「おつかれさま。やったわね……!」

 初めて見る、はしゃいでいるようにも見えるエドワードの姿にカレンは思わず微笑む。

 彼は魔術を駆使して本当に上手く戦っていたため、戦果で言えば特殊部隊の力に勝るとも劣らない。実際、彼が居なければこの電撃戦は成功しなかったに違いない。そうカレンが評するほどには、エドワードの能力は高かった。

 しかし、対するカレンが劣っていたというには、彼女の為した働きは、それこそなくてはならなかっただろう。

 飛んでくる爆発を、雷撃を、氷の礫を、岩の槍を、如何なる妙技か、大剣の一振りで魔力に還し、防御の『障壁シールド』すら無に帰していたのだ。二人が比較的無傷で居られたのは、彼女の働きのおかげだ。

 解放感に浸っていたエドワードだが、そこで今まで保留にしていたその疑問をカレンにぶつける。緊張が解け、敵も全て居なくなったのだから、雑談に浸る余裕もあるのだ。

「なあ、アレはいったいなんだ? 魔術を魔力に還すなんて、普通じゃないぞ」

 カレンの黄金の大剣に向けた言葉に、「ああ」と思い出したようにカレンは語る。

「そういえば、言ってなかったわね。銘は『魔術殺しマジックキラー』。触れた魔術の魔術式を一切合切砕いて無にする剣なの。すごいでしょ?」

 自慢するように体をひねって剣を見せ、鼻を鳴らすカレン。対するエドワードは開いた口が塞がらない。

 魔術は魔術式を基として存在している。魔術式は、魔術の性質、方向、形状など全てを形作っているのだ。その魔術式に干渉する攻撃など、ボードゲームで対戦相手を直接殴りつけるようなもの。反則レベルの能力だ。

 そんなえげつない代物だったのか、と魔術使いとして畏れを抱くエドワードだが、そんな彼を見てカレンはケラケラと笑う。彼女も心の余裕ができてきたようだった。

「そんなに怖がらなくっても、あなたに向ける日は来ないわ、もう」

「いや、わからんぞ? 俺が突然裏切ったりしたら、な」

「大丈夫よ、絶対」

 エドワードがいつもの調子で混ぜっ返せば、意外にも真摯な言葉が返ってくる。見れば、カレンの表情は真剣だった。

 そんな真剣な調子に思わず気恥ずかしくなって、エドワードは視線をついとそらす。そんな彼をまたくすくすとカレンが笑った。

 何度も笑われて若干ぶーたれるエドワードだが、不意に首をかしげる。

「どうしたの?」

「いや、あの壁……」

 視線の先には、下水道の壁。カビの生えた小汚い壁面であるが、一画だけ妙に白くて小奇麗に見える。

 思わず立ち上がって近づき、拳で叩いてみれば、エドワードの耳に空洞音が届いた。この壁の向こうに、空間がある。

 先ほどの弛緩した空気から一変、迷わず剣を構えて姿勢を低くする。その様子を見たカレンも大剣に手をかけつつ、彼の背後に回る。

 まだ、敵が残っているのかもしれない。

 剣を持たない左手で、ぐ、と壁に力を加える。エドワードに思ったよりも軽い反発を与えて、その白い壁はぐらりとバランスを崩した。そのまま、押された方向へとバタンと倒れる。

 開いた向こうには、短い回廊と人影のないこじんまりとした小部屋。罠がないかと二人して視線を滑らせるが、それらしき仕掛けも式の刻印も存在しない。

 大丈夫かな、と一歩踏み出し――何も起きない。問題ないと判断し、二人で小部屋へと入り込む。

 そこは、机と椅子、そして何も乗っていない台のみがある寂しい小部屋だった。何を目的とした部屋なのか、さっぱりわからない様相に、二人は内心首をかしげながらも机に近づく。

 そこには一冊の古めかしいメモ帳と、何かを書きなぐられている数多の羊皮紙。

 今時羊皮紙なんてものを使うやつがいたのか、と驚きながらもカレンに後方の警戒を頼み、一枚手に取ってみれば、それはエドワードにはよくわかる内容に関して書かれていた。

 円の中に、ある種の法則性を持つ数多の幾何学模様、意味のある記号の群れ――これは魔術式だ。

 それは失敗なのか、大きなバツが記されていたが、一目見ただけでもわかる。明らかに、複雑で膨大。大規模な魔術を発動するであろう式だった。

 羊皮紙に関してはいったん保留とし、手のひらサイズのメモ帳を手に取る。市販、にしては金縁など随分凝った装丁で、どこか時代の違いを感じさせるものだ。題名はない。しかし、所有者は名前だけは記していたようだ。

「……ヴァレント?」

 声に出して呟けば、遅れて驚きがやってくる。奪われていた、かの魔導王の研究書がこんなにも無造作に置かれていたのだ。

 背後でカレンが振り返る気配を感じつつ、構わずその中身をちらりと見やる。魔術師として、興味をそそられないわけがなかった。

 軽く見ただけでもわかる、敷き詰められた文字の群れと膨大な情報量。現代魔術から古代魔術まで、数々の魔術の雛形が見てとれた。

 流石だな、と感心しつつページを進めていれば、何度も開かれたのか、癖になったページが勝手に開かれる。

 そこには魔術式と研究内容。見るだけでめまいのする情報量だが、どこかで覚える既視感にエドワードは首を傾げ――すぐに思い出した。つい先ほど見たのだ。

 先ほど見た羊皮紙を手に取れば、その魔術式がヴァレントの研究書のソレと酷似していた。どうやら、このページの内容に関して考察を重ねていたようだ。

 いまさら知ったところで、拠点のすべてを潰した現在、彼らの目論見も潰えたも同然なのだが、魔術師としての血が騒いでエドワードは羊皮紙の内容を確認しにかかる。どうやら一つの魔術だけに集中していたようで、他の素晴らしい魔術の数々には見向きもしていない。そんな、異様な熱意もエドワードが興味を持つ要因の一つだった。

 一枚、二枚と素早く目を通していき、その内容を把握していく。

 最初の数枚はただ自分の考えを書き殴っているようで、具体的なことは何一つとして書かれていない。果たしてこの魔術でいいのか、本当に効果は表れるのか、などと、書いた本人は甚だしく懐疑的な人物のようだ。

 後の羊皮紙の中身は覚悟を決めたのか、魔術式の研究、並びに改良の過程が描かれている。大量の羊皮紙を消費して書かれていた内容は、天才的としか言いようがなく、魔導王の完成された魔術式がさらに簡略化されていっている。

 また、記号の配置変えやそもそもの添削を重ね、最終的な一枚には複雑なように見えて、最初と比べれば明らかにシンプルな魔術式が完成されていた。元の魔術式がどのような効果をもたらすかは不明だが、それより別の効果がもたらされるのは明らかだった。

 そして、何よりも驚いたのは、その式は古代魔術だということ。魔力と式だけで発動できる現代魔術ではなく、わざわざ物などを用意しなくてはならない古代魔術である必要とはなんなのか。

 考察するまでもなく、それも羊皮紙に書かれていた。

「……『竜人の骨』? 『魂の降臨ソウルコーリング』?」

「竜人の骨がどうかした?」

 思わずつぶやけば、背後のカレンが反応する。

 言葉に反応したというよりはなにか心当たりがありそうな声色に、エドワードは「知っているのか?」と問う。

 その問いに、カレンは頷いて「前話したけど」と前置きする。

「王都で盗まれたのがその竜人の骨なのよ」

「なんだと? ……そもそも竜人っていうのは架空の生き物なんじゃないのか」

 エドワードが思わず眉をひそめて問うのも無理はない。

 ガロンツァールのおとぎ話に出てくるような生き物で、人と竜が交わった結果生まれたというのだ。建国に際して初代ガロン王がこの地を支配する邪悪な竜人を打倒した、など、様々に悪者にされて語られている。

 その竜人の骨など、流石に眉唾物だ、とエドワードは表情で語っていた。

 これにはカレンも首を傾げて、

「本物かどうかは知らないわよ。ただ、初代ガロン王が死の間際にそう語って後継に託した、ということだけは確かなんだから」

「初代が、ねぇ」

 尚も疑わしそうなエドワードだが、そんなことを論争していても仕方がない、と思ってひとまず置いておく。

 大事なのは『魂の降臨ソウルコーリング』なる古代魔術に、その『なんらかの骨』を要する、と書かれていることだ。そのなんらかの骨の主の魂を呼び出すという効果をもつ故に古代魔術である必要があるようだ。よもや本気で竜人の魂とやらを降臨させるつもりなのか。

 だが、まだ羊皮紙は続いている。もはやこのあたりで胡散臭さが頂天になっているのだが、エドワードは惰性で読み進めていく。

 どうやら『魂の降臨ソウルコーリング』は元となった魔導王の魔術で、改良を加えたものはまた別の効果を発揮するらしい。定着という言葉が散見されるが、書いた本人でないエドワードにはよくわからなかった。

 また別の古代魔術になっているのならば、必要とするものも少し変わってくるだろう。それはいったい何なのか、と胡散臭そうに読み進めていけば――思わず、瞠目して息を呑む。

「なに……?」

 そこには、常軌を逸した内容が淡々と書かれていて、知らず不安感を覚えながらもさらに読み進める。

 やがて最後の一枚には、とある計画が記されていた。

 拠点は全て潰したはずだ、大丈夫だろう――と慢心していたのが、仇となったか。

 その一枚の最後の一文に、戦慄する。

「『拠点を移す、これはごく一部の人間にのみ知らせる』、だと!?」

 そして短く住所が書かれており、それはエドワードの知る限り――拠点という意味で、まったく初めて見る住所だった。

 つまり、それは、まだ崩壊の羅針盤コラプスゲートを掃討できていないという意味で。

 この恐ろしい計画が、実行される可能性があるということ。

 決行は今日の十時。場所は人の多いところという、故意か否か情報が曖昧なもの。

 慌ててエドワードが時計を確認すれば、十時手前。それを見て、エドワードは青ざめた。

「ッ、しまった!」

「え? どうしたの?」

「説明は後だ、今は急ぐぞ!」

 羊皮紙を乱雑に叩きつけ、エドワードは身を翻して駆ける。そのあとを慌ててカレンが追いかけて問うも、それに答える余裕もないほどエドワードは焦っていた。

 元の空間に戻り瓦礫を上って道路へと駆け上がる。穴を囲んでいた野次馬を無視して停車していたスクーターに乗り、後ろにカレンが乗るのを確認して出発する。

 迷いない進行方向に、カレンは声を張り上げて尋ねる。

「どこに行くのよ!?」

 その声を聞きながら、エドワードは頭を必死に回転させる。

 人の多いところ、など、なんて曖昧な表現だ。だが、この計画を立てた人物にとってはそんなものでも構わないのだろう。

 なぜなら、苦労して完成させた古代魔術に必要なものが――百人の人間の命であるのだから。

「今日十時、人の多いところ、とくれば一つしかない――ベースボール会場だ!」









『さあやってまいりました、トゥリエスレッド対ツァールキングの試合です。先日通算二桁の敗北を喫したトゥリエスレッドと、万年予選敗退のツァールキング、これは色々な意味で気になる試合となりそうです――』

 トゥリエスの南部にあるベースボール会場では、魔術で増幅された司会者の解説が大音声で鳴り響いていた。

 それに負けないくらい観客の歓声が天を衝き、それに見送られるようにプレイヤー達が入場していく。

 この街の地元のファンと、わざわざ王都ツァールからやってきたファンとで、会場は見事にごった返している。およそ千人は下らない数に、思わず人酔いを覚えることだろう。

 そんな観客席を、するするとぶつかりもせず通り抜けていく人影がある。

 鷹のような鋭い眼光に鳶色の瞳。刈り上げた銀髪と頬には古傷と思しき裂傷が迸っている。腰には直剣を佩いていて、黒っぽい服も相俟って守衛のようにも見えた。

 そんな男は、熱狂に浮かれる人波を眺めながら、酷く冷めた目をしていた。

「気楽なものだ」

 歩きながらも呟いた言葉は、騒々しい応援の声にかき消えていく。軽蔑を孕んだ声色は誰の気にも留められず、男は己の行動の虚しさを突き付けられたようで表情を歪めた。

 それでも足を止めることはなく、雑踏とすら言える群衆の中を突き進む。

 見知らぬ男が怒号を上げて囃し立て、見知らぬ女が甲高い声で応援し、見知らぬ子どもがキャンキャンと何かわけのわからないことを叫んでいる。

 それらすべてに平等に軽蔑の視線を向けて、男は大仰にため息を吐いた。

「世間というのは勝手なものだ。小さな声には、都合の悪い言葉には、一切耳を貸そうとしない。変革はいつでも声が大きくなってからで、最初に声をあげた者はいつの間にか消えてしまう」

 不意に、男は足を止めた。そこは観客席の中で最も高い場所だった。そして、中央の会場へと視線を向ける。

 選手の入場が終わり、これから試合が始まろうとしていた。誰もがこれからのぶつかり合いに期待していて、選手入場の扉が、開きっぱなしであることに誰もが気づかない。

 男だけが、そこに視線を向けている。

「ならば、最初から大きな声をあげればいいのだ。雑じり合わせ、絡み合わせ、結合させて、大きくしてから発すればいい。否が応にも反応せざるを得なかろう。なあ、ガロンツァールよ」

 呟きながら、鷹のような鋭い眼光が、すっと細められる。視線の先、入場扉の向こうには、無数の星が蠢いていた。

「雌伏の時は終わった」

 汗臭い会場のどこかから、鉄臭い臭気が不意に混じる。

「我らはこれより、この国の羅針盤となろう」

 応援の声の中に、僅かに、小さな悲鳴が混じる。

「崩壊の門へ、針を向け続けてやろう」

 すっ、とタバコでも吸うかのような自然さで直剣を抜き、大空へと掲げる。あまりの自然さに、周囲の誰もが気づかない。

 切っ先から燐光が漏れる。いつの間にか、燐光によって円が描かれ、その内側に数多の記号が刻まれていく。魔術式だった

 その魔術式は徐々に拡がりを見せ、どんどん、どんどん大きくなっていく。男は額に汗を浮かばせながらも式を大きくしていき、それは間もなく会場の上空を完全に覆った。

 頭上を覆う燐光に、誰が気づいたか、応援は小さくなり、動揺の声が聞こえはじめた。試合も止まり、誰もが何事かと天を仰ぐ。

 だからこそ、気づくのが遅れた。

 入場扉から飛び出した――『化け物』に。

 二足で走る蜥蜴めいた外見をもつ、成人男性を優に越える全長を持つ生き物。その胸には、おぞましいことに悲鳴をあげる複数の人間の顔がある。

 三対の瞳をギョロギョロと動かし、十体にも及ぶその化け物たちは――一斉に、場内の人々を襲った。

 犠牲になったのは、空を見上げて気づくのが遅れたプレイヤー達。音もなく近寄ってきた化け物どもに、頭から齧られ、喉笛を食い裂かれ、その命を失った。

 遅れて観客たちが目の前の惨劇に気付き、絹を裂くような甲高い悲鳴を上げた。

 あっという間に会場は阿鼻叫喚の嵐となり、あちこちで血が噴いて鉄臭さが濃くなっていく。

 その様を見ながら、男は嗜虐的な笑みを浮かべる。

「さあ、始めよう――『国殺し』を」

 鮮血が舞い、悲鳴が反響し、燐光が優しくも残酷に降り注ぐ。


 遅れて到着したエドワードとカレンが見たのは、そんな光景だった。

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