03

 必要なことは全て話し終えた、とばかりにマイルズは「それではあとはよろしくお願いします」と妹に告げ、さっさと事務所から去ってしまった。通信魔具を弄っていたことから、さっそく仕事にとりかかるつもりなのだろう。

 優しそうな表情と物腰の癖に、実はこの場に居た誰よりもしたたかだったのでは、と思い至るエドワードだが、もう遅い。彼は行ってしまった。

 後に残ったのは、どうにも扱いに困る年下の少女だ。

 兄が去ってからというもの、ぶっすりと黙って机のシミを数えているようだった。

 本当にこんな少女が護れるのか、とも思ったが、コートの襟から飛び出ている大剣と思しき黄金色の柄に、使い込んだ形跡がある。何より、特殊殲滅部隊などという大層な肩書があるのだから強いのだろう、とそのあたりに関してエドワードは考えないようにした。

 とりあえず、ふと浮かんできた疑問を目の前の少女にぶつけてみることにする。沈黙に耐えられなかった、とも言う。

「単純な疑問なんだが、なぜ俺を隔離しない? 護るにしろ、俺が自由に動けるようだと色々と面倒だろう?」

 エドワードの言葉に、机から目を離して、薔薇色の視線を彼に向ける。「ああ、それね」と相槌しつつ、カレンは簡潔に口を開いた。

「ひとつはさっきも言ったように撒き……囮の意味もあるわ。でも、もう一つはあなたの能力に期待しているのよ」

「俺の?」

 思わぬ言葉に、エドワードは眉をひそめる。自分の力などたかが知れている、と思っている彼にとってこの情報は何を藪から棒に、といった気持ちであった。

 そんな彼に、カレンは不服そうな面持ちのまま続ける。

「ずいぶん自分を過小評価してるみたいだけど、崩壊の羅針盤コラプスゲートの戦闘力はそこらのテロリストと比べるべくもなく強力よ。そんな奴らに囲まれた状態で生き残ったあなたには、十分自衛できるだけの能力が備わっている、と兄さんは考えているわ。現場に残った痕跡から、あなたが魔術を使えることもわかってるしね」

 と、彼女の視線が横へとずれる。その先には、所長机に立てかけられたエドワードの長剣があった。

「まさか、魔術剣士とは思わなかったけど。でも、これで納得がいったわ。ただの魔術師なら生き残れるはずもないし。彼らは前衛と相対すると途端に非力になるものね」

 しれっと毒を吐きながらも驚く彼女だが、それは事実として正しい。

 世界における戦う者の立ち位置は三つにわかれており、前衛の戦士と後衛の魔術師、そしてそのどちらもをこなす魔術剣士だ。

 魔術師はその才能の如何によって存在自体を左右されるため、戦士に比べてはるかに数が少ないが、同時に得物を操る魔術剣士はさらに数が少ない。

 その理由は、魔術の行使による体力、スタミナの浪費にある。

 魔術に必要なものは、魔術式、魔力であるが、この魔力がネックなのである。

 無から有は生まれない世界の大原則は魔力とて同じであり、魔力を生み出す――練るには相応のエネルギーが必要だ。そのエネルギーとは前述の体力、スタミナであり、これが魔術剣士の少ない理由となる。

 剣を振るう体力と、魔術を行使する体力。その両方を必要とするからには相応の体力がなければならない。

 まして、魔術式を暗記するために人生の半分程度を魔術書と共に屋内で過ごすような魔術師に、そんな余裕はない。接敵されると弱い理由の一端でもある。

 だからこそ、カレンも先日の黒尽くめもエドワードの戦闘スタイルに驚いたのである。

 感心するような視線をもらうエドワードだが、彼にとってはそれほど驚かれるような理由でもない。護衛の依頼を貰うためには、剣を振るうことも必要と考えた上で、戦い方を変えざるを得なかっただけなのだから。

 若干居心地悪くなったエドワードだが、まだ疑問はあるためカレンと目を合わせて問う。

「コラプスゲート、ってのは、いったいなんなんだ? そいつらを潰すためだけに大臣が部隊を設立するなんざ、よっぽどだと思えるんだが」

「実際、よほどの連中なのよ」

 カレンは薔薇色の瞳に、燃えるような怒りを湛えて答える。ぐっ、と唇を引き結び、嫌悪にしかめられた眉には深い谷が生まれていた。

「奴らが表舞台に出て活動を始めたのは五年前のことよ。目的も規模も不明。ただ、危険なことだけはわかってる。それが、彼らが表に現れて最初にしたこと――いえ、それをしたせいで表舞台に出ることになった、と言った方がいいかしら」

「……なにをやらかしたんだ? そいつらは」

「それは、第一級禁止魔術の行使よ」

「第一級禁止魔術だとッ」

 エドワードが思わず目を剥いて呻く。それほどまでのことを、崩壊の羅針盤コラプスゲートはやってのけたのだ。

 禁止魔術とは、魔術発展の黎明期に開発、発見された古代魔術の数々のことだ。現代魔術と違い、古代魔術は発動に必要なものが、魔術式と魔力以外にも存在する。それは蛇の抜け殻であるとか、獣の死骸であるとか、実に多岐にわたる。

 効果のほどは、現代魔術と比べて一長一短の部分はあるが、総じて強力となるものが多い。

 そんな古代魔術の中でも、効果が、或は必要なものがあまりに危険なものを禁止魔術に指定されている。

 その禁止魔術には第一級、二級、三級とあり、中でも行使すれば最悪処刑すらあり得るのが第一級禁止魔術だ。

 そんなものを実行したなど、予想以上に危険な組織だ、と改めて危険度を認識しながら、エドワードは話の続きを促す。

「第一級禁止魔術『死霊結界デス・コーラス』……やつらは辺境の村でこれを実行したわ」

 よりにもよってそれか、とエドワードはうめき声すら上げられずに瞠目する。目の前のカレンは怒りと憎しみの両方がない交ぜになった、壮絶な表情を浮かべていた。

 『死霊結界デス・コーラス』は、複雑怪奇な魔術式とわずかな魔力、そして人間十数人・・・・・の死骸・・・を条件として発動する、第一級禁止魔術の中でも最悪の部類に入る代物。

 効果は、魔術式を起点とした半径十数メートルの範囲内の生物を死霊に――簡潔に言えば、生きた屍に変えること。生きた屍リビングデッドはもはや人の形をした魔物と同義であり、人を自らと同じ存在に変えようと襲ってくるのだ。

 魔術師ならだれもが名前を知る禁止魔術を本気で行使するなど、誰が想像できようか。

 なんにせよ、倫理観が崩壊している。人間の死体を利用することもさることながら、それを何の罪もない村で実行するなど、頭がおかしいとしか思えない。

 はたして、リビングデッドが蔓延る村で、如何な惨劇が起きたか、想像に難くない。

 思わず同じ表情になるエドワードを見つめながら、カレンは言葉を続ける。

「その顔を見る限り、何が起きたかわかってるわけね……話が早いわ。たまたま巡回していた国境兵団によって事態は収束できたけど、術者――すでに死んでいたわ、いい気味――の遺していた手記から崩壊の羅針盤コラプスゲートの存在が明るみに出たの。どうみても大規模な組織であることは明らかだったわ。だから、それに対抗するために私たち『アカシャ特殊殲滅部隊』が結成されたの」

「なるほどな……思っていたより相当危険でイカれた連中ってのはよくわかったよ。そんな奴らの存在を公にしないのは、何をするかわからない、からか?」

「ええ。手記には、他にもいくつかの第一級禁止魔術の研究が仄めかされていたわ。だから、できるだけ迅速に対処すべくこれまで動いていたのだけれど……奴らは本当にかくれんぼが上手よ。五年間、王国が本気を出して捜査しているのに、尻尾しかつかめない。掴んでもすぐに切って逃げるトカゲなんだから、なおのことよ」

 お茶を手に取り、そこに映る自分を見て一息つくカレン。そのころには怒りの感情も消えたのか、歪んでいた顔は可憐な顔立ちに戻っている。

 対して、エドワードは尚のこと気分を沈めていた。高揚という言葉をミル川の底に忘れてきたかのようである。無論、そんな危険組織に狙われている、という自覚からだ。

「そんな阿呆どもに、俺は狙われている、ってことか……」

「安心してよ。私が居るからには、襲ってくるやつらなんて返り討ちにしてあげるんだから」

「そりゃ、頼もしいことで……」

 はぁ、と大きく嘆息し、エドワードはソファに沈みこむ。ぞんざいな返事にむっとした顔になるカレンだが、食って掛かるほどじゃない、と同じようにため息を吐いて窓の外を眺めはじめる。


 微妙に両者にとって居心地の悪い空気の中、結局その日は、太陽が落ちて時計の長短の針が揃っても何か起きることもなく、一日が終わった。









 エドワードのもとに特殊部隊を名乗る兄妹がやってきてから、あっという間に五日の時間が経過した。

 最初の一日の夜に、寝る場所をどうするかなどという議論が甚だしく勃発したが、年頃の少女の勢いに負ける形でエドワードが寝室を譲る形となり、彼は応接室のソファと夜を共にすることとなっている。寝室の鍵までもっていかれて。

 そんな小さいいざこざを挟みながらも、二人の関係は概ね良くもなく悪くもなく、五日を過ごしていった。

 五日間に何かあったかといえば、前述の議論と退屈に負けたカレンの要望による街の案内ぐらい。

 危機感が足りないと言われればそれまでだが、実際そうなってしまうほど、エドワードの周辺は平和そのものだった。

 最初の二日は、視界の端を通る猫に過敏に反応するほどエドワードは警戒していたものだが、その後は拍子抜けするほどの何もなさに、彼もいつもの調子を取り戻していった。具体的には、昼間から居眠りを敢行する程度には。

 カレンもそんな彼に呆れつつも絆されたのか、仏頂面をやめて年頃の少女らしくよく喋るようになり、彼の居眠りを邪魔しては多少の喧嘩を起こすほどになっていた。

 彼女も、これまでの戦い続ける毎日、緊張の糸が途切れぬ追跡劇に疲れていたのかもしれない。


 つまり、二人して油断していた。

 一度の連絡もない――傍受の警戒をしているのだとか――マイルズが見れば、温和な表情のまま一喝するであろう平和ボケにどっぷりと浸っていたのである。

 だからこそ、彼の胸を、鋼の刃が貫いたのは、必然だった。









 五日目の昼、二人は<アンプル通り>を並んで歩いていた。ここは通りの左右に様々、雑多な店が立ち並んでおり、ウィンドウショッピングの中枢となっている。

 何故ここに来ているのかと問われれば、部屋に缶詰め状態なのを嫌ったカレンの我が儘、もとい発案である。街の案内をエドワードに頼み込み、しぶしぶ了承した彼による、三回目のガイドだ。

 「あれは安くていいものがある店だが、あっちのはぼったくりだ」という身も蓋もない説明をしつつ歩くエドワードは、なんとはなしにティムの店を探すも、今日はこの通りで営業していないらしく、キッチンカーの姿はなかった。

 今日はガロン揚げを食えないらしい、と残念に思っていれば、横のカレンから質問が飛ぶ。

「ねえ、この街に来て長いの? 道もずいぶん詳しいし、迷いもないし。出身ぽい人でも、結構地図片手に困ってる人見かけるわよ?」

 周囲をきょろきょろと見回しながら問うカレンの言う通り、通り過ぎる人の割合多くが地図を片手に首をひねっている。土着かどうかはともかく、それらと比べてエドワードの足に迷いは全くなかった。

 そんな質問に、エドワードは皮肉げな笑みを浮かべて「まあな」と答える。

「七年くらい、だったか。最初の二年は住む場所がなくて、路上生活をしていたせいもある。それに、探偵事務所やってるからには、街中を駆けずり回ることもあるから地図を頭に叩き込まざるを得なかったからな」

「路上生活、って……」

 想像したのか、本気で嫌そうな顔をする少女をエドワードは面白そうに見やる。ここ数日で、仏頂面がずいぶんと多彩な顔色を見せるようになった、と妙に感慨深く思っていると、視線に気づいたカレンが「なに」と首を傾げた。

 「別に」と視線を外し、横へとずらせば、たまたま魔力稼働製品のウィンドウが目に入る。探偵事務所にあるラジオと同じようなものがずらりと並んでいて、それら全てで一つのチャンネルを放送していた。

『先日の故グランクレスト氏の遺産である、ヴァレントの魔術研究書が護送途中に襲撃に遭い、盗難された事件の――』

 グランクレスト、とはどこかで聞いたような名前だが、ふと放送された内容が何かと合致していることに気付く。具体的には、こうして護衛される羽目になった事件だ。

 思わずカレンを見やれば、「あら、知らなかったの?」と逆にエドワードが不思議そうに見られてしまった。

 そのままラジオの内容に耳を傾けていれば、カレンが内容を補足してくれる。

「どうやら奴らの狙いは、トラックの中身だったみたいでね。詳しく話を聞いてみれば、あの資産家のグランクレストの遺産だっていうのよ。しかも、あのヴァレントの研究書よ」

「ヴァレント、っていえば、魔術黎明期の『魔導王』か。今まで数冊しか魔術書は見つかってなかったって話だが……」

 思わずエドワードが感心するような声を上げるのも無理はない。

 魔術師なら誰もが知る『魔導王』。数千数万の魔術を開発、発見したと云われ、現代魔術の祖とすら呼ばれている。しかし、言い伝えの割に、彼個人の遺した魔術書は五冊と少なく、今もどこか、誰かの本棚に眠っているのでは、とあいまいに語られているのだ。

 カレンもそれを知っているのか、頷いて言葉を続ける。

「本物らしいわよ。だからこそ、王都に運んで詳しく調べるつもりだったらしいのだけど……それを盗むなんて奴ら、どういうつもりなのかしら」

 かの有名な魔導王の魔術書なら、そういうよからぬことを考える輩が現れてもおかしくはない。

 だが、カレンには何かしらの疑念があるようで、首をひねっていた。その様子を見て、エドワードは問う。

「どういうつもり、っていうのは?」

「奴ら、これまでこんな派手な行動はしてこなかったわ。最初の禁止魔術の行使だけで、あとは本当に水面下で動いてばかりの奴らだった。なのに、この間も王都の美術館でもずいぶん強引な手段で盗んでいったわ」

「派手、か。それに、王都でだと? コラプスゲート、ってのは本当にわけのわからない連中だな……」

 本当に、何を目的にしているのかわからない。あまりにも漠然とした行動と全容に、さしものカレンも改めて不安を覚えたようで、表情を曇らせている。

 ともあれ、狙われているだけのエドワードには、少々不気味さを覚える程度だ。追いかけなければならないカレンとは認識が違うのだ。


 大変なことだな、と他人事に考えながら、「行くか」と声をかける。

 そうして二人して前に向き直って歩こうとして、急いでいる様子の誰かとぶつかりそうになった。慌てて回避して謝罪しようとすれば、相手は傍らの少女と同じ小豆色の髪の、翡翠の瞳を持つ男。マイルズだった。

 この広い街で偶然出会うなど珍しいこともあるものだ、と思いながらもエドワードが挨拶を口にしようとすれば、目の前のマイルズが随分焦った表情をしていることに気が付く。

 あの常に柔和な表情をしていた男のものとは思えない顔色に、思わず面食らって問う。

「なんだ? どうし――」

「――ッ、避けなさい!」

 絶叫するような鋭い警告。

 彼の視線はエドワードの後方、誰か・・を睨みながらも、言葉はエドワード自身に向けられていた。

 あまりの必死な声に、エドワードの身体がほとんど無意識に動く。

 自らの身体の位置を横へとずらすようにステップし、くるりと身体を反転させる。身に沁みついた回避運動をしながら振り返れば、脇を通り抜けていく短刀の刃・・・・。ギリギリで回避していた。

 凶器を握るのは見たことのない、しかしどこにでもいそうな格好の男。それが目の前で、殺意をむき出しにして確実に己を殺さんとしていた。

 明らかな害意に、平和ボケしていた脳内が全力のアラートをがなりたてる。

 喉が干上がり、硬直する身体の脇を、短刀が戻っていく。

 そして構えられる第二撃。

 横のカレンが気づいて大剣の柄に手をかけるも、それは悪手。抜き払うより短刀の刺突の方が速い。

 エドワードも剣を抜こうとしつつ、全力で大地を蹴って後退しようとして――右足に奔る、激痛。

 思わず見下ろせば、目の前の男の左足が、エドワードの足を思い切り踏みにじっていた。

 しまった、と思うも既に遅い。

 足を踏まれて移動を封じられたエドワードは、完全に短刀の間合いに居る。剣を抜くより、魔術を放つより、刃がエドワードの心臓を抉る方が速い。

 完全な手詰まり、死神がエドワードの耳元で笑っていた。

(死ん――――ッ!?)

 瞬間、視界が大きくブレる。

 背中・・に激痛が奔り、気が付けば青空を見上げていた。

「な、ん……あ?」

 地面に叩きつけられている、と気づき、慌てて立ち上がれば、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 ぽたり、ぽたり、と血が大地に滴り落ちる。

 短刀は紛れもなく突き出されており、紛れもなく突き刺さっていた。

 エドワードをかばった――マイルズに。

 声もなく、マイルズはごぶり、と血を吐き出す。更なる血液が大地に零れ落ち、カレンが絶叫した。

「あ、ああァァァ――――っ!」

 背中から大剣を抜き放ち、勢いそのままに下手人の男に叩きつける。

 回避する暇もなかった男は袈裟に切り捨てられ、一刀の下に血だまりに伏した。

「兄さ、兄さん! しっかりしてっ!」

 自らが殺した男に一瞥すらくれず、カレンは黄金の大剣を放り投げて倒れる兄に縋りつく。その狂乱の様に、エドワードは呆然としてそれを見ているしかなかった。

 またしても、古い記憶の底が刺激される。


 あいつも、『■■■』も、同じように――――。

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