第319話怖ろしい受付嬢(完)

結局、彼女とパブに入った。

彼女の最寄りの駅は、同じ私鉄で駅も二駅違うだけ。

結局、我がアパートの近くにある馴染みの英国風パブにした。


「すみません、少し無理矢理で」

彼女は、頭を下げてくるけれど


「ああ、いいよ、時間外だし、仕事とは考えていない」と答えると、彼女はニッコリと笑う。

そう言えば、彼女のこんな笑顔は初めてのような気がする。


話のついでに

「このギネスの同じビールでもね、味が違うと自慢するアイルランドのおっさんがいてね、イギリスで飲むよりアイルランドで飲むほうが上手いっていうのさ」

と始めると、彼女はその目を丸くする。

「え?同じビールで?」


あまりの「丸い目」で、笑ってしまったけれど

「うん、そのアイルランドのおっさんがね、アイルランドでもここはイギリスのビール工場にすごく近い」

「イギリスでも、工場から遠い場合があるだろうってね」


彼女は、まだ意味がわからないようす。

目が「まん丸」になっている。


「うん、だからね、ビールの輸送距離と時間を言っているのさ」

「長旅で揺れ続けたビールよりも、出来たての方が美味しいって」

「半分以上は、地域自慢もあると思うけれど」

と、半分冗談のような解説をした。


彼女は

「わあ!面白いです!」

「まん丸」の目がパッと輝いた。

その表情も、すごく輝いた。

そして

「私、飲みたくなりました」となって、大ジョッキを二杯ほど。


そこまでは良かった。

問題は、彼女がお酒に、それほど強くなかったこと。

身体が、すぐにフラフラしてきた。


「送っていくよ」

と声をかけると

「タクシーじゃ嫌です」

と、涙顔になる。

案外、絡み酒なのか。


パブから彼女の家が近いこともある。

二つ、三つの公園で時々、休憩をしながら彼女の家へと歩く。


彼女は途中で酔いがさめたようだ。

そして、

「もうひとつお願いしていいですか」

と言ってきたので、黙って次の言葉を待つ。


「あの・・・手を握ってください」


「え?」

と思ったけれど、酔いがさめたばかりだろうし「揺れる身体を支えるための手ぐらい」ならと思って、そっと握った。


すると


「もっと強く」

ぎゅっと握られてしまった。


「ありがとうございます」

「こんな私の手を握ってくれて、うれしいです」

少し涙ぐむ。


「ああ、いつまでも気にしないこと」

「誰でも、思いもよらないミスはある」

「君のことが信じられるから、あの仕事をお願いした」

「最高のパートナーに育っているよ」

と、少し強く握った。

「最高のパートナー」は、少し言い過ぎと思ったけれど、言ってしまっても何も後悔がない、それが自分でも不思議だった。


すると、彼女は顔を真っ赤にした。

「あの・・・もう一つ、お願いです」

そして涙ながらに見つめてきた。

その身体も、震えている。


無粋な自分ではあるけれど、彼女の心はわかった。


「泣かなくていい」と言うと

彼女は

「ずっと・・・ずっと・・・教えてください」

と泣きじゃくる。


彼女の涙と思いを、胸と心に受け止めた。



半年後、大学側と企業側、お互いの家族の祝福を得て、教会で挙式をあげた。

そして今は、新婚旅行を兼ねて、英国視察の飛行機の中にいる。


「あそこで君に叱られて、本当に怖ろしかった」


「ごめんなさい」


「でも、あれがあったから、こんな素敵な人と」


「・・・恥ずかしい」

ギュッと指を握ってきた。



                               (完)









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