第294話春麗物語(完)
一週間後の朝、雅と春麗は、お屋敷のご主人の前に並んで立ちました。
雅は、その顔を厳しく、ご主人に申し上げます。
「ご主人様、今までのご厚情、心より感謝いたします」
「しかし、私の気持を無視し、勝手に縁談を進め、強要するなど、客人に対する無礼は甚だしい」
「そもそも私は和国の人間、お世話を受けたとは言え、あなたの子供でも家来でもありません」
「今日、このお屋敷を去らせていただきます」
見たこともない雅の厳しい表情と、語調の厳しさと正当さに、ご主人も驚き、何も言い返すことができません。
雅は、言葉を続けます。
「そして、お屋敷を去るのは、この私と春麗」
「それから、最後にお渡しするものがございます」
雅が春麗に目配せをすると、春麗は小さな包みをご主人に渡します。
ご主人は、包みを手にし、顔がまず赤く、そして青くなります。
「これは・・・もしや・・・」
そして、包みを手にしたまま、うずくまってしまいました。
雅は再び、ご主人に声をかけます。
「その包みも中身も、ご主人も立派な商家、とすればおわかりでしょう」
「あなたは伝えられている名声とは、別の声が聞こえてくるようですね」
「私は接客の仕事をこなしながら、本当に怪しい話をお聞きしたのです」
雅の言葉に、ご主人は、ますます震え上がります。
もはや、声の出せない様子になりました。
雅は、そんな主人に深く頭を下げ、春麗と、長く暮らしたお屋敷を出ていきました。
お屋敷の前には、豪華絢爛たる車。
立派な役人に頭を下げられ、雅は驚く春麗と一緒に車に乗り込みます。
車の中で、雅は春麗に語りかけます。
「春麗、不思議かい?」
春麗は、雅と一緒にお屋敷を出られたのはうれしいけれど、やはり理由がわからない様子。
「雅様、どうしてご主人があのような」
その春麗も震えています。
雅は、ようやく、その顔を和らげ
「うん、我が叔父、和国の名前では、阿部仲麻呂様が天子に口を聞いてくれたのさ」
「この私と春麗の愛を認めてほしいとね」
春麗は驚いて声も出ません。
「天子様・・・え・・・」
ますます震え上がります。
雅は、そんな春麗を固く抱きしめ
「春麗のご両親も、天子様がお救いになるようだ」
「春麗が良ければ・・・」
雅は、そこで言葉を止めた。
春麗は雅に聞き返します。
「私が良ければとは?」
さっぱりわからない様子。
雅は、春麗をさらに固く抱きしめます。
「私と春麗と一緒に、ご両親も和の国へ」
雅の顔は、本当に柔らかくなりました。
「ご両親は既に納得されているらしいけれど」
春麗には、これで本当の春に巡り会えました。
ご両親ともども和国に移り、雅と正式に結婚、幸せに暮らしたとか。
雅は、表向きは「お屋敷の客人」、実態は「阿倍仲麻呂を叔父に持つとともに、天子の密偵、脱税調査人」だった。
雅が春麗に手渡した包みは、天子しか使えない包み。
その包みの中には、天子の印が押印された脱税調査開始の文字が、書き連ねられていた。
金と権力をカサに、親から略奪まがいに美女を貪り求める。
徴税の役人に賄賂を渡し、破格の脱税を行う。
そういう商家が多かったようだ。
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