第269話玄敏僧都の話(完)鴨長明発心集
さて、その時のこの国は、大納言の某という人の拝領であった。
京都に到着し、その大納言の邸近くに至った時点で、
法師は
「これから人を訪ねるというのに、この私の風体ではいささかみすぼらしすぎます」
「出来ましたら衣と袈裟を捜して、私に貸していただけないでしょうか」
と郡司に願うと、郡司もすぐに借りてきて法師に着させた。
そして、着替えた法師と郡司はその大納言の邸に着いた。
すると、不思議なことに法師は郡司に「門の外でお待ちを」と言い残し、邸の中に入っていく。
中に入ると、
法師は大きな声で
「申し上げたいことがある」
と言うと、邸内に集まっていた多くの者たちが集まってきた。
そして法師の顔を見るなり驚いて庭に下り、膝をついて法師を敬うのである。
門の外から、それを見ていた郡司は驚く以外はない。
「いやはや、これは大変なことだ」
「恐れ多いことだ」
今までの雇い主であった郡司としても、格違いの御屋敷。
見ているだけで、何とも口出しも手出しもできないのである。
さて、様子を見ていた大納言も、かの有名な玄敏僧都とわかったようだ。
大急ぎで、ご面会になる。
そのうえ、接待も並々ならない丁寧さである。
大納言は
「これはこれは、御坊様、どこで何をなさっておられるのか、長年、随分心配しておりました」
「しかし探すに探せず、そのまま過ごしておりましたが、御坊様もお健やかでいらっしゃったようで」
と日頃の心配を何度もおっしゃられる。
法師は言葉が少なく
「そのようなことは、またいずれで結構です、静かな時にお話いたしましょう」
「今日は私の方から特別にお願いがあり、参りました」
「それというのも、伊賀の国で、私が長年身を寄せていた者が、思いがけなくお咎めを受けまして、国を追われることになりまして、本当に嘆き悲しんでおります」
「私も傍らで見ていてお気の毒でなりません」
「もし重大な過ちでなければ、この法師に免じてお許しをいただきたいのです」
とだけ、申し上げる。
大納言は頭を下げ、はなはだ恐縮となり
「いや、とやかくは申しません」
「あなた様のような立派なお方が、そこまでおっしゃられるのであれば、それはそれは信頼できる人物なのでしょう」
と言い、以前よりも良い条件で裁許の通達までお下しになった。
そして、法師はその裁許の通達を持ち、喜んで門を出てきたのである。
さて、門の外で待っていた伊賀国の郡司が、話を聞き、驚いてしまったことは、当然である。
郡司も、様々なことが、頭の中をかけめぐるけれど、あまりにも予想外であり、口を開くことも出来ない、
このうえは、宿に戻り、じっくりと法師と話をしようと思ったのである。
がしかし、宿に着き、ほんのしばらくの間に、法師の姿がまた見えなくなった。
衣と袈裟の上に、大納言様からの裁許の通達を置き、ふらっと出かけるような様子で、姿を消してしまったのである。
まさに玄敏僧都らしい身の引き方、ありがたいとしか、言いようがない。
(完)
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