第208話逢坂越えぬ中納言(5)堤中納言物語

六月になりました。

夏の強烈な日差しで、土も割れて照るような日でも、中納言は恋の病にかかり袖を涙で濡らし乾く時がないほど、悩んでいます。

中旬の月明かりが隅々まで照らす夜になり、中納言はもはや気持ちを抑えられません。

とうとう、姫宮の御屋敷に本当に慎重にお立ち寄りになるのです。

あふれる想いに心を濡らしながら、女房の宰相の君に姫宮へのお取次をお願いします。


宰相の君は

「中納言様は、こちらが気後れするほど、ご立派なお方なのです」

「お目にかかってお話するなど、とてもとても・・・」

いつもの、つれないご返事なのですが、宰相の君も複雑な立場があったのでしょう。

「そうは言いましても」

「ここまでお逢いしないのは、あまりにも常識を越えているのかも」

と言って、妻戸を押し開けて、中納言とお会いになります。


中納言の焚きしめたその艶やかな香りは、少し離れて座る宰相の君にも、ほんのりと移っていくようです。

そのうえ、中納言が心を尽くし姫宮様への恋心を申し上げる言葉は、ものの情趣など理解がない陸奥の恵比寿でも、必ず心をときめかすほど優美なのです。

中納言が

「いつものように無駄となるかもわかりませんが」

「せめて、この月の美しい夜、この拙い私の想いを、『お聞きしました』との言葉だけでも、いただきたいのです」

もう、必死に宰相の君にお願いをするので、宰相の君もため息をつきます。

「どうなることか、わかりませんが・・・」

宰相の君は立ち上がり、奥の姫宮のいるお部屋に歩き出しました。

・・・しかし・・・中納言にとっては、またとない機会と思ったのでしょう。

宰相の君からは、少し離れて、そっと奥に入っていきます。



宰相の君は、横になってお休みになっておられる姫宮に近寄り

「時折は、縁のお近くのほうでお休みになられては」

「あまり、奥にこもられているのも」

と心配の言葉をかけながら

「中納言様がお見えになりまして、いつものように、ご無理なことばかり」

「ただ、今宵は本当に思い詰めていらっしゃいます、少しお気の毒なほど」

「『ただ、一言、私の想いをお知らせしたい。こんな日々が続くと、野にも山にも隠れてしまいたくなるのです』と、悩ましいことばかりをおっしゃられるのです」

「本当に、困ったお方でございます」

と申し上げます。


しかし、どういうわけか、今日は姫宮様のご返事が違います。

「私もよくわかりませんが、いつものようにお断りする気分にはなれないの」

とおっしゃられます。


宰相の君は

「それでは、どのようなご返事を?」

と姫宮にお聞きになるのですが

姫宮は

「いつもなら、あなたが、男君には軽々しい態度で返事などはいけませんと、教えてくれるのに」

そういいながらも、どうにも、ご自分の気持ちが固まらない様子。


宰相の君は

「まあ、しかたがありません、このありのままを申し上げます」

と、再び「中納言のいるはずの所」へと、戻っていきます。


中納言は、宰相の君と姫宮がお話をしている場所を、いつのまにか探し当て、そっと聞いておりました。

そして宰相の君が、いなくなったのを見計らい、姫宮のお部屋に、すっと入り込みます。


姫宮が、あまりのことに、驚いてしまい、何も出来ない様子が、お気の毒なのか

中納言は

「確かに身の程知らずで、ご無礼だと思われるようなことは、決していたしません」

「ただ、姫宮様の、お言葉一つ、この私にかけていただきたいのです」

そう言い切らないうちに、想いがあふれたのか、ハラハラと泣き出してしまいました。

そして、その姿は比べようもないほど、美しさにもあふれているのです。

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