第157話なびかない男(4)(完)

翼に完全にフラれたと思った明日香は、ほぼ呆然、足取りも危なく自分の席に戻った。

すぐさま、同僚女子が寄ってくる。

今さら、仕方がない。

どうせ「聞き耳」を立てていただろうから、そのまま報告する。


「お食事デートはキャンセル・・・」

「午後5時以降は、用事があるって」

「珈琲も紅茶もお菓子もキャンセル」

「話しかけは、仕事に限定してほしい」

明日香は、とうとう涙ぐんでいる。


「しょうがないよ、翼君だけが男じゃないしさ」

「それは、5時以降は強制もできないしさ」

「翼君、仕事は出来るからさ、仕事の話を通じて少しずつ攻略したら?」

・・・・・

いろいろ言ってくるが、明日香の心の動揺はおさまらない。


それでも、いろいろ考えた。

「もし、彼女がいたにしても、毎日5時以降にデートすることはありえない」

「となると、別のところでバイト?それもないなあ。財産家のご子息らしいし、バイトの必要がない」

「・・・となると・・・何だ?」

「あくまでも私的な用事って言っていたけれど」

明日香がぼんやりとして、翼を見ていると、その翼がスマホで誰かと話をしている。

明日香は必死に聞き耳を立てた。


「え?はい!わかりました!」

「意識が?集中治療室から?移ったんですね!」

「はい、5時には会社を出ます!」

「ありがとうございます!」

翼にしては、珍しく大きな声だ。

どうやら「聞き耳」を立てる必要もなかった。


他の同僚も、聞き取っていたらしい。


「ねえ、翼君、何かあったの?」

「集中治療室とか何とか!」

「すぐに行ったほうがいいよ、仕事は私たちにまかせて!」

同僚たちも、ただならない状況をわかったらしい。

「そうだよ、すぐに行ってあげなさい」

上司からも声がかかった。



「あ・・・すみません・・・何も言っていなくて」

翼は、ようやく事情を話すことが出来るようだ。


「あの・・・3月末に、高校2年の妹がトラックにはねられて全身打撲で・・・意識不明になって・・・御茶ノ水の病院に入っていて・・・」

「僕が集中治療室に入って僕が手をにぎる時だけ、意識が少し戻るんです」

「でも・・・仕事していても、心配で・・・死んじゃったらどうしようとか」

「たった一人の妹なので」

いつもの、さわやか翼ではない、少し涙ぐんでいる。


その、さわやか翼の涙を見て涙ぐむ同僚社員も増えてきた。


「よかったーーー」

「そうだったのか・・・」

「言えばいいのにーーーー」


「もーーー心配だったものーーー」

中でも、明日香は顔をおおって泣いている。

案外、感激するタイプかもしれない。


「ほら!早く行ってあげて!」

「お兄さんを一番待っていると思うよ!」

「ねえ、さっさと!」

いろいろ声がかかるが、翼は少し戸惑い気味。


そんな翼にたまりかねた上司が一言。

「御茶ノ水神保町の取材の下見があったな」

「翼君、下見は5分でいいぞ」

「そのまま、帰宅してもかまわない」

「それから、明日香君、一緒についていってあげてくれ」

「ああ、業務命令だ」



「・・・まあ、今日だけ限定にしてあげるか・・・」

同僚女子の、ヤッカミの声はあったものの、「なびかない男、翼」は、ようやく明日香と並んで歩くことになった。



いや、なびかないと言う前に「なびけない、なびいている場合ではない」だったのである。



翼は、地下鉄に乗り、ようやく明日香に謝った。

「ごめんなさい、明日香さん」

「すごく気分を害するようなことを言ってしまいました」

「僕は、まだまだ未熟です」



明日香は、そんな翼の「ゴメンナサイ」にキュンとしてしまった。

「いいよ、そんな・・・」

「私も、そんな事情がわからなかったから」

「強引にしつこく迫ってごめんなさい」



明日香は、自然に翼の手を求めた。

そして、驚くことに、翼もしっかり握り返してきた。


明日香は、また泣き出してしまった。


                                   (完)








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る