第97話暴言レース編み女の恋(5)(完)

フィリッポが次に語った言葉は、またしてもビアンカの予想を超えていた。

「僕は、実はメディチ家の人間でもなく、フィレンツェの人間でもないよ」

「ただ、ビアンカを見るために何度もフィレンツェには通ったけれどね」

フィリッポは含み笑いをしている。


「・・・ますますわからないよ・・・」

頭を抱えたビアンカにフィリッポは、

「まあ。補足説明と言おうか、提案だけど聞いてくれるかい」

「もちろん、ビアンカの希望に添えなければ、今のままの生活でもいい」

「その際でも、しっかりと支援をさせてもらうけれど」


「・・・はい、なんなりと」

ビアンカとしては、そう言われればそう答えるしかない。

何よりフィリッポは信頼できると思っているし、憧れもある。

また、フィリッポの隣に座るメディチ家の二人も、自分がその一員とわかった以上は、絶対に無視は出来ない。


「まずね、ビアンカには、僕と一緒にヴェネツィアに出向いてもらいたい」

「あそこで、レース編みの技術を伝授してほしいのさ」

フィリッポは相変わらずにこやかである。


しかし、ビアンカの少し不安な表情は一変した。

「え?ヴェネツィアですって?そこで私がレース編みの技術を伝授?」

「それは・・・ありえない・・・むしろ・・・」

ほぼ独学で習得したレース編みの技術、自分でもそれほど高い技術とは思っていない。

それなのに、レース編み職人の聖地とされるヴェネツィアで、それを伝授するなんてありえない。

「いや、伝授なんて恐れ多い・・・連れて行ってくださるのなら・・・あくまでも修行で・・・」

ビアンカは真っ赤な顔になり、ヴェネツィア修行をお願いする。


しかし、フィリッポは首を横に振る。

「いや、僕と一緒に行くのなら、指導的立場でなくてはいけないのさ」

またしても予想外の言葉が返ってきた。


「指導的立場・・・」

しばらくビアンカは、その意味を考えていた。

しかし、さっぱりわからない。


「まあ、あまりじらすのもよくないかな」

フィリッポは、またクスっと笑う。

そして、本当のことを告げた。


「僕の本名はフィリッポではない、だましていて悪かったけれど」

「本名は、マルコ・ダンドロ、ヴェネツィアの議員だ、時折ヴェローナで学者もする」


ビアンカは、そこでまた、腰が抜けるほど驚いた。

マルコ・ダンドロ・・・ダンドロ家と言えば、ベネツィアでも筆頭の名家にして総督を何人も出していることは、フィレンツェ育ちのビアンカでも知っている。

しかし、何故、その超名門ダンドロ家の人間が、このフィレンツェの小さなレース編み店にいるのかが、さっぱりわからない。


ずっと黙っていたマリアが口を開いた。

「すべてはレオ10世つまりジョバンニ・デ・メディチの遺言です」

「ビアンカをこの名もないレース編み店に隠したのも」

「正体を隠して、あなたのレース製品を買い続けたのも」

「頃合いを見て、ヴェネツィアに行かせることも・・・」


ビアンカは、もはや声も出ない。


フィリッポから本名になったマルコ・ダンドロがビアンカの手を握った。


「確かに、君の本当の父上レオ10世に、君のことを頼まれていたことは事実」

「それは結婚という意味ではなかったけれど」

「でも、僕としては君の人となりを見たかった、そして、それは君の作品でわかった」

「確かにヴェネツィアのレース製品と比べれば、華やかさはない」

「しかし、本当にしっかりとした真心が君の作品にはある」

「それで君のことが好きになってしまったのさ」

「後のことは僕に任せてくれ、そして、僕と結婚してほしい」

「指導的立場の議員の妻は、指導しなければならない」

「一旦、僕の家で、先生について修行してからでもいいけれど・・・」



翌日の朝、ビアンカは長らく続いたレース編み店をたたんだ。

信じられない程の豪華な馬車に従者や警護の者までつき、ヴェネツィアに向けて旅を始めた。


車の中で、ビアンカはどうしても聞きたかった。

「・・・本当に私なんかでいいの?」

ビアンカは本当に声が小さい。


「うん、何度も君の暴言を聞いた」

マルコはくすっと笑う。


「・・・恥ずかしいよ・・・」

ビアンカはますます下を向く。


「全てを知って好きになった、だから任せてほしい」

マルコは、ガシッとビアンカを抱きしめた。



その後、マルコとビアンカは終生睦まじく暮らした。

心配された暴言も、マルコの優しさと、ビアンカ自身が開放的なヴェネツィアでの暮らしが性にあったらしく、全く聞かれることはなかったという。


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