第58話二人妻(3)
「絶対迎えに来る」
男は、そう言い切って平城京に戻った。
しかし、そうかと言って、あの女を娶るなど、まず両親や口やかましい親戚たちが許すとは思えない。
良い縁組をすること、有力者の家門に連なることは、何より跡取りとしての大切な責務なのだから。
仕事の実力よりは縁戚関係が重きをなす官僚社会は、やはり重い。
男は、どうしようもない落胆を抱えながら、再び写経所で仕事をするようになった。
上役の娘との婚儀の日も少しずつ迫っていた。
男しては、「婿君」として嘱望された以上、上役一家の期待にも応えなければならない。
しかし、上役の娘本人に会う気持ちにはならなかった。
男の本心としては、あくまでも周囲の期待のための婚儀であり、事前に逢ったところで、どうなるものでもない。
また、上役も男の来訪には応えるものの、「あくまでも婚儀の日に」と言い張り、決して娘を男に逢わせようとはしなかった。
そんな日々がしばらく続き、明日香の里に引きこもってしまった昔の女へは、既に文も送らなくなった。
もちろん、明日香の女からの文などは、望むべくもない。
婚儀もあと一週間という時になり、上役の娘の乳母から、文が届いた。
上役の娘本人からではない。
娘の世話を焼いている、乳母からだった。
乳母の文には、「婚儀が一週間も前というのに、まだ顔を見ていないと、当の娘が心配している」と書いてあった。
また、その文の中に、極めて幼く乱雑な文字で、「一度でも・・・明日にでも」と書き添えてある。
書き添えた文字は、娘本人の字だと思った。
それでも、事前にお逢いしたいとのことらしい。
「・・・婚儀の日取りが決まっていて、こちらから断ることもない」
「その上、明日とは、そこまで決められるとは」
「もし、明日行かなければ、どうなるのか」
「それに、この文字は、こんな文字を書き添えるとは」
男としては、どうにも承諾が出来なかった。
といって、知らんぷりもできない。
「・・・となれば・・・」
男は、ここで気持ちを決めた。
「多少は失礼かもしれない」
「しかし、婚儀を約束した間柄だ」
「突然、伺ったほうが、本当のことがわかる」
そして、従者を一人だけ連れ、いきなり娘の所に出向いた。
しかし、突然、「婿君」の来訪をうけた、上役の家では、大騒ぎになってしまった。
今まで、男には知らせていなかった「特別の事情」があったのである。
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