第39話 微妙な年ごろの俺

 龍の探索について、話すことなど出来はしない。比奈の秘密だからと言うだけでなく、あまりに悲しい結末を迎えたあの旅の記憶は、口にするにはまだ辛すぎるものだった。


 美玻が薄っすらと涙を浮かべているのに気づいて、男が慌てた風に言葉を継いだ。

「ああ、まぁ……事情なんざ別にいいよ。それよりも、あんたはこれからどうするね?」

「これから……?」

「俺は明日にでもここを引き払って、山を降りようと思っていた所だ。あんたの目が覚めなかったら、仕方ない、一緒に馬車に乗せてくしかないなと、思っていたんだが。行く当てはあるのかい?」

「行く当て……」

 そう訊かれて改めて考える。自分は、比奈に戻るべきなのだろうか。生まれ育った郷はもうないのだ。それに、龍の探索は……。


 あの時に見た閃光は、龍が沖斗の魂を喰らってその身を再生させたからなのか。

 スズリは、輝く鱗を手に入れられたのだろうか。

 そして、洸由は……

 もし彼が、鱗を手に入れられなかったのだとしたら、来年もまた、探索は行われるのだろうか。自分は遠見として、それに同行するべきなのか。


「どうするね?」

 横から再び声を掛けられて、美玻は男の顔を見る。そこである事実に気づく。


――ああ、そっか……あたし、もう。


 輪郭のぼやけた男の顔を見ながら、はっきりと納得した。

 自分はもう――見えないのだ。

 見えない遠見など、何の役にも立たない。そう気付いた時、視力を失った不安よりも、どこかほっとしている自分がいた。


「一緒に、連れて行って下さいますか……あたし……こんな体で、大きな荷物と変わらないでしょうけど……もし、ご迷惑でなかったら……」

「構わんよ。商人は荷物を運んでナンボってな。なぁに、元気になれば、それなりに働くことだって出来るだろうし、運び賃は後払いで、ぜんぜん構わないからよ」


――運び賃。後払い。


 男のセリフに、美玻は思わず失笑する。つまり、タダではないのだ。それでも、

「……助かります」

 美玻は深々と頭を下げた。


――それでも今は有り難い。


 心からそう思った。今の自分には何も出来ない。他に行く当てもなく、この先、どうすればいいのかも分からない。それでも自分は、ここでこの男と出会ったことで、とりあえずの行く先を決めることが出来たのだ。


「……汁ぐらいなら、飲めそうかい?滋養の付く薬草も入ってるんだが」

「……はい、ありがとうございます」

 差し出された椀に口を付け、ゆっくりと汁を啜る。じんわりと心地の良い温もりが、体中に広がって行く。ついこの瞬間まで、体を支配していた冷気から解放されて、美玻は、ほうっとため息を付いた。


――あたし、生きてるんだ。

 そんな実感が込み上げる。

――あたし、生きてるんだね、沖斗……


「おいおい、大丈夫かい?」

 いつしか涙眼になっていた美玻を、男が心配そうに見ていた。美玻は慌てて涙を拭いて笑ってみせる。救われた命の重さはまだ辛いけど、それは、美玻がこの先ずっと背負っていかなければならない痛みなのだ。

 覚悟を決めよう――そう心に誓う。


「……大丈夫です。何か、これおいしいなって思ったら……」

「そいつは良かった。体が治りたがっている兆しだな」

「……というか、おじさんの料理がお上手なんだと思います」

 美玻がそう言うと、男は少し傷ついたような顔をした。


――あれ、あたし、何か変なこと言った?料理上手って、褒めたのになんで……


「あのさぁ……おじさんって言われるには、微妙なお年頃なんだけど、俺」


――そっ……そこっ?


「す、すみませんっ。ええとっ……お名前、お名前、まだお聞きしてなくて……」

鴒帆レイハン

「鴒帆、さんっ、ですね。今度からはそう呼ばせて頂きます」

「……ほい、よろしく。で、お前さんは何て?」

「あ、えと、美玻です……」

「ふうん……美玻、ね」

「変、ですか?」

「いやいや、名は体を表すもんだなぁと」

 少なくとも、山の中をさ迷い歩くような、浮民ではないのは確定というところか。


――我ながら、鼻が利くもんだなぁ。参ったね、こりゃ。


 美玻なんて小洒落た名は、どこかの国の支配下にあるきちんとした郷人の、どちらかと言えば、裕福な暮らしを許された層の名前だ。

 涼璃が関わっていた龍探索の一行の中に、このぐらいの少女がいた。何と言おうか、この少女を拾った時に感じた、その身から立ち上る芳しい香りは、涼璃のそれと似ていたのだ。即ちそれは、いずれかの五鍵のもの……だとすれば、この娘は遠見の一族の者だと考えるのが妥当。そう考えた鴒帆の推測は、大方当たっていたことになる。



 数日前、鴒帆は山の頂きに、眩い閃光を見た。そして、そこから天へ立ち上る、大きな光の柱を。あれこそが、希物と呼ばれる鱗を持つ龍だったのだろう。ならば、涼璃は念願通り、龍の鱗を手に入れた筈だ。涼璃が手に入れた鱗で何をしようとしているのかは分からない。それで何某かの霊薬を精製するにしろ、その手法は宮廷の薬師所の秘伝とされているから、簡単にはいかないだろう。


 それでも、皇帝に献上される筈の希物を私物化したとなれば、厳罰は免れない。故に燥怜は、事ここに至っても、やはり涼璃を何とかしたいと思うのではないか。ただ言伝てを伝えれば良いと言われはしたが。


――俺だって、そうだ。


 むざむざ破滅への道を行く者を、引き戻す術があるのなら、何とか止めてやりたいと思うのが人情だろう。浅からず縁のあった人間なのだから。もしかしたら、この美玻はその切札になるかも知れない。鴒帆には、そんな予感めいた確信があった。損得の掛かる商いで、鴒帆は勘を外したことはない。だからこそ、彼は美玻を「仕入れた」のだ。

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