第40話 失った視力

 荷車に幌の掛かった鴒帆の馬車の荷台に、美玻は身を横たえていた。周囲に隙間なく積みこまれている荷物のせいで、寝返りを打つこともままならない。文字通り、大きな荷物さながらに、そこで大人しくしているしかなかった。

 熱も下がり、短い時間ならば身を起こしていることも出来たが、まだ横になっている方が、体が楽だった。特に揺れる荷車の上では、振動に傷が痛むことが多く、じっと息を詰めて寝ているのが、最良の選択だと思われた。幌が掛けられているから、外の様子は分からなかったが、馬車が進むにつれて空気が温かくなって行くのが、はっきりと感じられた。


 山を下り、やがて平地へと至ると、そこには、厳しい冬の気配などどこにもなく、人々は穏やかな錦秋の時を謳歌していた。あちこちで稲を刈る人々を横目に、鴒帆は荷馬車を進めて行く。

 時折、大きな屋敷に立ち寄っては、荷台の荷を下ろし、上手に商いをしている様だった。


 鴒帆は鴻に店を構えていたが、店は信用の置ける番頭に任せ、年の半分はこうしてあちこちの国を巡っているのだという。途中、得意先と言われる人々に荷を届けながら、彼しか知らない場所へ赴き、希少な品物を入手する。そんな手法で彼は商人として伸し上がったのだという話である。




 二人の旅はひと月ほど続き、足の踏み場もなかった荷台が半分ほど空になる頃には、美玻は体を起こして座っているのが辛くない程度にまで回復していた。


 ある日、鴒帆が得意先の屋敷に荷を届けに行っている間、美玻はふと思い立って、荷台から這い出て御者台に上り、そこに腰をかけてみた。

 天気のいい日で、風はまだ夏の名残を残す様な温さを孕んでいた。久しぶりに見上げた空は水色に輝き、刷毛で掃いたような不揃いな薄い雲が風に流されて行く。


――あたし、やっぱり見えないんだ。


 かつて何千里先までも見通せた美玻の瞳は、今は世界をぼんやりとしか映さなかった。

 怪我は着実に快方へ向かっていたが、失った視力はそのままだった。頭を巡らせて周囲の風景を眺める。恐らく、金色の稲穂が重たく頭を垂れ、秋風にそよいでいるのであろう田んぼの様子は、彼女には金色の海としか見えなかった。それはそれで美しくはあるのだが、見えないという心許なさは如何ともしがたいものがあった。

 動き回れるようになってから、自分と物の間合いが、これまでの感覚ではどうにも上手く計れないことに気づいた。結果、美玻は良くあちこちに体をぶつけたり、或いは躓いたりということをしていた。


「今日は金が入ったから、久しぶりに宿に泊まれるぞ。旨い酒にありつける」

 ちょうどそこへ、鴒帆が浮かれた様子で戻って来て、美玻に銅銭の詰まっているらしい革袋を、持ってみろというように差し出した。

 余程、仕事が首尾良く行ったのだろう。それを自慢したくて仕様がないのだという空気を漂わせている鴒帆を、美玻は微笑ましく思いながら、手を伸ばし、その革袋を掴んだ――筈だったのだが、美玻が掴んだと思い、鴒帆が手を離した革袋は、そのまま地面に落ちてしまった。弾みで口が開き、詰め込まれていた銅銭が土の上にぶちまけられる。

「ごっ、ごめんなさいっ」

 美玻は狼狽して荷台から下りると、慌てて銅銭を拾い集める。鴒帆も隣に屈んで、銅銭を摘みあげていく。その作業の合間に、鴒帆がふと確認するように訊いた。


「美玻、お前。もしかして、見えてないのか?」

「……あの……」

「……かぁ……済まん、気付かんで。言われれば、まぁ良く物にぶつかるし、転ぶし……おかしいとは思ってたんだが。病み上がりで、足元がふらついてるせいだと、俺は勝手に思い込んでたわ」

「……いえ、見えにくいというだけで……全く見えない訳でもないので……大丈夫です……多分」

「怪我のせい……なんかなぁ……そうかぁ、見えないんじゃぁ、この先、色々と難儀だよなぁ……」

「……はぁ」

「よし、決めた。悪いが、今日の宿泊まりはなしな。少し回り道をする」

「回り道?」

「ああ、知り合いに、腕の良い玻璃はり職人がいるんだ。こっから、少し北西へ行った山裾の辺りだ。紗依サイ兎琉トルの国境の辺りだな。そこに、玻璃職人が住まう郷がある。そこへ寄る。いいか?」

「……ええ、構いませんけど」

 鴒帆の旅は商いであるのだから、彼が必要なのだと言えば、その行く先について美玻が異を唱えることはない。


――玻璃職人って、何をする人なのだろう。


 そんな疑問を抱きはしたが、美玻の意識はすぐに残りの銅銭を拾う方へ戻ってしまったので、敢えてそれを問う事もしなかった。

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