第3話




     3



「まだかしら……?」


 時計を見ながら、ヨロズ先輩はそう呟いた。

 山下に森田君の様子をうかがってくるよう、お願いしていたのだ。空き教室の椅子に腰かけながら、教室の戸をヨロズ先輩は眺めて山下の帰りを待っていた。


 ヨロズ先輩はとかくアドバイスが欲しかった。

 普通デートをしようと提案したのはヨロズ先輩だ。そして森田君と話し合い「遊園地で」と決まりはしたが、どうすればいいのか分からない。


(まずは色んな人に話を聞かないと……)


 ヨロズ先輩はそう思った。独断でこなす事は、なるべく控えようと決めていた。自分一人で物事を決めていくと、どうにもおかしい事にしかならない。


 せっかく事態が良い方向に転がろうとしているのだ。

 このチャンスを逃したくない。


 足音が近づいてきてヨロズ先輩が顔を上げると、教室の戸が開いた。


「森田君の様子は、どうだったかしら?」


 山下が空き教室に帰ってくるなり、立ち上がってヨロズ先輩はそう切り出した。


「とにかく嬉しそうだった」


 山下はそう答え、首を傾げた。


「しかし、銀野会長。俺にはよく分からない」

「なにが、分からないの?」

「森田は普通デートと言っていた」

「ええ」

「ならば、このような探りなど必要ないのでは?」


 山下にそう尋ねられ、ヨロズ先輩は首を振った。


「慎重に慎重を期す必要があるのです、今回は。私が一人で突っ走る訳にはいかなくて。森田君の気持ちをちゃんと考えないといけないから」

「それで、森田の様子を見て、俺になにかアドバイスをして欲しい、と?」

「ええ、そうよ」


 山下の問いに、ヨロズ先輩ははっきりと答えて続けた。


「下手を打つと、森田君を失望させてしまうだろうし。デートが途中で、変な感じになってしまうかもしれない。最悪、森田君が怒って帰ってしまったり、そういう事にはなりたくないから。なにか、参考にならないかと思って、こうして――」


 ヨロズ先輩が言葉を続けようとすると、山下が手で制した。


「ひとつ、銀野会長はボタンの掛け違いをしている」

「……かけ、ちがい?」

「森田という男は、常に高みを目指し、成し遂げる男だ」


 山下は断言して、こう続けた。


「あの男が普通デートをすると言った以上、普通のデートになるだろう。そして、仮にどんなデートになろうとも、途中で投げ出したりなどしない。ぞんざいにはしない。その事は、銀野会長も間近で見てきて、よく知っているのでは?」

「ええ」

「森田の胸を借りるつもりでぶつかって行けば良いだけの話と、俺は思う」

「そうね……森田君なら、そうね……」


 今までの森田君の行動の数々を思い出し、ヨロズ先輩は頷いた。

 森田君が影ながら骨を折ってくれていたらしい事は、生瀬さんも言っていた。近頃の森田君からは、妙なたくましさをヨロズ先輩は感じてやまない。


 だが、今回ばかりは森田君に甘える訳にはいかないのだ。


(むしろ私が、胸を貸すくらいの勢いでないと……)


 ヨロズ先輩はそう思い、山下にどう言って説明したものかと考えあぐねていると、山下が虚空を見つめてふぅっと息を吐いた。


「それにしても、穴に埋まり、水に沈み、トランクに詰められ、その他、さんざん俺に格の違いを見せつけて来ていながら、お次は『普通デート』とは……さすが、森田だ」


 山下は腕を組みながら深く頷き、感嘆するようにそう言った。


「参考までに山下くん、いいかしら?」

「うむ?」

「……さすが、というのは、具体的に何が、さすがなの?」


 ヨロズ先輩が首を傾げると、山下はゆっくりと頷いた。

 そして遠い目をして語り出す。


「かつて俺はクリスマス・イブの時、小林先輩に言われた。『非常識な人間というのは、常識に寄りかかる事でしか存在感を出せぬ、身薄いものだ』と。普通と異常は紙一重であり、いわばコインの表と裏。常識を知らぬ者に非常識は極められない。普通を極める事でさらなる非常識の高みへと昇る……森田のやらんとする事も、そういう事なのだろう」


 山下は感心しきった口ぶりで、森田君を称えた。


 それは違うのではないか――とヨロズ先輩は思わないでもなかったが、山下があんまりにも晴れ晴れとした顔で言っているものだから、指摘はしないでおいた。方向性に多少の誤りがあろうとも、下級生自身の気づきに水を差すのは、無粋というものであろう。


「いやはや、俺は誰かに指摘されねば気付けなかったが、森田は自力でその真理にたどり着いている。さらには、すでに行動にまで移しているとは……まったく、かなわない。森田のような男は何が起きても揺るがない。森田の感性は常人の域を遥かに越えた所にある。だから銀野会長もごたごたと考えたりせず、いつも通りやればよい」


 どこか清々しさすら漂わせつつ、山下はそう言った。

 奇妙な友情がもたらす向上心らしい。

 誤解も少なからずあるようだ。


 日戸梅高校では良くあることなので、ヨロズ先輩はそっとしておいた。


「そうですか……では、山下くん。今後は、なにかと手を貸してもらうことになると思うのだけれど、どうかよろしくおねがいします」

「わかった。森田からも、銀野会長には手を貸すように頼まれている」


 山下は胸を張って「大船に乗ったつもりでいてもらいたい」と締めくくる。その山下の自信に妙な不安を感じつつも、ヨロズ先輩は一礼した。


 ヨロズ先輩は山下に礼を述べ、空き教室を後にする。


 山下には今後も協力してもらう事になるだろう。森田君とは近しい関係だ。森田君も山下に関しては「変わった所もありますが、とにかく頼れる男です」と言っている。バレンタインの時もお世話になった。ただ、先ほどの山下のアドバイスに関しては――


(あまり参考にしてはいけない気がする……)


 ヨロズ先輩はそう感じた。


 むしろ山下のアドバイスの真逆を行くべきかもしれない。

 まっとうな感性を持った人間に話を聞く事が大切だろうと、ヨロズ先輩は口の堅そうな知人を思い描く。


(まずは、副会長かしら?)


 ヨロズ先輩はそう思い、生徒会役員室へと向かった。


 副会長はなにかと頼りになる。その人柄も信頼できる。

 ヨロズ先輩は以前にも、副会長に相談に乗ってもらっていた。


 ヨロズ先輩が役員室へ入ると、七三眼鏡の副会長は机から顔を上げた。

 書類仕事をしていたらしい。「少し個人的なお話があるのだけれど、いいかしら?」とヨロズ先輩が切りだし、伏せるべき事は伏せながら事情を手短に話すと、副会長はぴんと来たような顔をした。


「もしかして、会長。それは以前お話になった、会長のご友人の話でしょうか? クリスマスイブの日に恋人にプレゼント一つ用意していなかった、とかいう」

「え、ええ……そうです」


 顔をややうつむけて、ヨロズ先輩はそう答えた。

 副会長と話していると、森田君への自分の行いの酷さが突き刺さってくる。


 自分がそのようなポンコツ人間である事を副会長に知られてしまうのは、生徒会長としての面目に関わるような気がして、ヨロズ先輩は友人の話という事にしていた。


「それで、会長のご友人が、彼への気持ちを確かめたい、と?」

「ええ。彼女はそうしたいようね」


 ヨロズ先輩が答えると、副会長は満足気な顔をした。


「……その方も、ちゃんと腰を上げられたのですね」

「はい、ようやく」


 ヨロズ先輩が頷くと、副会長は「腰を上げるのは良い事です」と言って続けた。


「なら、遊園地デートというのは良い選択でしょう」

「その、私の友人は少々変わった所がある人で。今回のデートは、なるべく普通にしたいそうなの。彼女は相手をもてなしたいと思っているけれど、そのやり方が分からないみたいで。一般的な遊園地デートというのは、どのようにすれば良いのかしら? 男性側の意見として、どういう風に進むと親密になれるのかしら?」


 ヨロズ先輩は副会長にぐいっと近づいた。

 ヨロズ先輩の迫力に気圧されたのか、副会長は戸惑ったような顔をする。


「そう、ですね。そうは言われましても、会長。私も遊園地で誰かをもてなす、という経験は二度くらいしかないもので、そう熟知している訳では」

「その経験を、聞かせてもらえれば、と」


 身を乗り出す勢いでヨロズ先輩がそう言うと、副会長は少々面食らったようだ。眼鏡と七三の髪型を整えつつ、こほんと咳払いをして「わかりました」と副会長は言った。


「まずは遊園地の情報を徹底して集めました」

「そうね、情報収集は基本中の基本ね」

「その通りです、会長。まずは目的、そして次に、計画です。どのアトラクションが、どの時間、どう混雑するか。最適に回るルートはどこか。それらを完璧に把握して完全にエスコートしました。一つでも多くのアトラクションを回り、楽しむために」

「それは、副会長の経験なのかしら?」

「ええ。まあ、私の場合、恋人ではなく姪っ子たちを喜ばせるためでしたが」

「その結果は?」


 ヨロズ先輩が尋ねると、副会長は自信満々に胸を張った。


「二度目以降、遊園地に一緒に行ってくれなくなりました」

(あ、これはやってはいけないパターンのやつだわ……)

「会長、遊びは時間に余裕を持たせるべきです。詰め込み過ぎはよくありません」


 自分の失敗談を自信満々に語れる副会長の器の大きさに、ヨロズ先輩は感心した。感心はしたものの――


(あまり、参考にならなかった……)


 やってはいけない事は何となくわかった。

 けれど、やるべきことが分からない。


 副会長にお礼を述べてヨロズ先輩は生徒会役員室を後にし、他に誰かいないかと考える。するとすぐさま、頼れそうな人の顔がぽんっと浮かんだ。


(そうだ、先生。厳島先生なら……)


 日戸梅高校随一の凶相にして、一番まともで常識的な人かつ、校長先生ですら匙を投げた「東原先生を真人間にするための指導」を未だに続ける人格者、それが厳島先生だ。現代国語を教える教諭にして、生徒会の顧問でもある。バレンタインの時は、力強い励ましを貰ったおかげで、こうしてヨロズ先輩は森田君との普通デートにこぎつける事が出来たのだ。


(厳島先生なら、きっといいアドバイスをくれるはず)


 ヨロズ先輩は確信をもって、職員室へと歩を進めた。



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