第四章

第21話




     15



「さて、これで邪魔な導道くんと山下くんは排除出来たわ。風紀は東原先生とテロ研と銀野会長に掛かりきり。銀野会長の手勢は釘づけ……ふふふっ」


 女王様研究部から中庭の様子をうかがい、口に手を当てて如奧先輩は微笑んだ。当初の計画からややずれたものの、目的へと向けて着々と進んでいる。

 うまい具合にヨロズ先輩の陣営と風紀が潰しあってくれている。


 森田君の身柄は如奧先輩の手中にあった。

 やや手荒な真似もしたため、生瀬さんには知らせていない。生瀬さんを目の前の事に集中させるためだ。多少の汚れ仕事など、如奧先輩にとっては造作もない。


 適度に山下と戦い、流れを読んで立ち回る。

 時には敗北すら利用し、より有利な状況を得るために身を引く。

 いくつかの幸運も味方し、下準備は整った。


 攻めるための状況は揃っている。もはや必勝と言っても良い。本日、森田君の記憶に刻み付けられるのは「生瀬エリ」という少女一人になるだろう。


「好機であります、生瀬様」

「はい、ありがとうございます」


 眼鏡の椅子の人にうながされ、生瀬さんはぺこりと頭を下げていた。


「エリちゃん。お礼は後よ。今こそ、行動の時」

「はい!」


 生瀬さんは頷き、眼差しを燃え上がらせていた。


「生瀬様、これをどうぞ」


 眼鏡の椅子の人は片膝立ちで、うやうやしく差し出した。その両手には、包装を綺麗に解かれた箱が乗っている。生瀬さんには見覚えがあった。


「これは、松崎さんの?」

「はい。出陣式代わりのチョコであります。バレンタインにご武運を」


 力強く励ましてくれた松崎さんを思い出し、生瀬さんはチョコを手に取った。なんでも、良い結果が出るようにと、お呪いをかけてチョコを作ってくれたらしい。

 生瀬さんは微笑み、肩の力を抜き、一口で食べた。

 その途端――


「……ひっく……」


 可愛らしいしゃっくりが一つ聞こえたかと思うと、生瀬さんがぴたりと動きを止めた。突っ立ったまま黙りこくり、上半身がゆらゆらと揺れ出している。

 おかしい。

 椅子の人の手元にあるチョコの箱を見て、如奧先輩は尋ねた。


「……あなた、それ、何を食べさせたの……?」

「景気づけのウィスキーボンボンを、と……出陣式では杯を傾けますし……生瀬様のご友人である、松崎様の渾身の力作だと伺っていたので……」

「……エリちゃん……?」

「…………」


 如奧先輩が声をかけるも、生瀬さんは暗くうつむいたまま。返事をしない。明らかに生瀬さんは変だ。いつもの生瀬さんなら、無視など絶対にしない。

 勝利を確信したと思ったら、急に雲行きが怪しくなる。必勝などと言うものは、誰もが望むが存在はしない。と、如奧先輩と椅子の人は思い出した。


 ほんのわずかなボタンの掛け違い。

 運命の悪戯。

 どれほど優秀な情報網を持つ将軍であっても把握しきれない、不確定要素の連続――俗に「戦場の霧」と呼ばれるものこそ、戦いの場にあって勝敗を左右する。


「……いす……」

「な、生瀬様?」

「いす、すわる、いす」

「…………」


 片言の生瀬さんは床を指さし、椅子の人にそう言った。椅子の人は生瀬さんに言われるがまま、戸惑いつつも四つん這いになる。

 生瀬さんは有無を言わさず、椅子の人の背中に座った。


 優しく労わるような、ちょこんと腰かける、いつもの座り方ではない。

 どんっと、荒々しい腰の下ろし方だ。椅子の人が心を乱し、ときめいてしまうほど、その座り方にはマゾの心をくすぐる魅力が秘められていた。


「な、生瀬様っ!? ど、どうなされたので――」

「イスは、口答えしません」

「~~~っ!!」


 生瀬さんの人さし指で口をふさがれ、椅子の人は大きく目を見開いた。

 質問一つ、許されない。

 お前は単なる椅子なのだ。その自覚を持ち、私に大人しく座られているがいい――短いフレーズで、強烈な意志をマゾの奥底へと叩き込んでくる。眼鏡の椅子の人は感涙を流しつつ「最高のバレンタインだ……」と喜びをかみしめていた。


 生瀬さんのその雰囲気に、さしもの如奧先輩もたじろいだ。


「え、エリちゃん?」

「どこ?」

「……な、なにが?」

「もりたくん、どこ?」


 生瀬さんはきょろきょろと見回している。ぶっきらぼうな口ぶりで、目つきも鋭い。丁寧で優しく、他者を慮る慈愛に満ちた、いつもの声音ではない。拗ねた子猫というのか、怒った子犬というのか。

 独特の我欲を生瀬さんは全身から放っている。


「森田君なら今、生徒会役員室に居ると思……」

「いってくる!」


 ばっと立ち上がった生瀬さんの背中を、如奧先輩は追った。


「つ、ついていくわ、エリちゃん」

「一人で良い! こないでっ、せんぱい!」

「…………」


 生瀬さんの激しい拒絶に、如奧先輩は言葉を失くした。

 勢いよく閉められた戸の前で、如奧先輩は立ち尽くす。明らかに生瀬さんの様子は放置しておくべきではなかったが、立ち止まらざるを得なかった。


「じょ、女王様……行かせて、よかったのでしょうか?」

「良かったか悪かったか、その判断なんて、誰にも下せないわ。あれは、あのエリちゃんの目は、女王の目よ……ふふふっ、この私が、怯んでしまったわ……」


 ウィスキーボンボンが心の枷を粉砕したのだろう。

 アルコールに対する生瀬さんの弱さも想定外だった。


 生瀬さんは天使である。だが、天使だって溜まるものは溜まる。今までずっと我慢していた色々なものが、どうやら弾け飛ぼうとしているようであった。


 ならば、思うがままにやらせてみよう。

 ここまで積み上げてきた計画は台無しになってしまうかもしれないが、想いに身を任せて振るう天使の刃の切れ味は、人の理解の及ぶものではない。

 如奧先輩はそう思い直して、眼鏡の椅子の人へと振り返った。


「彼に連絡を。役員室での足止めはもう不要、と」

「はい、女王様」


 眼鏡の椅子の人はスマホを取り出し、髭の椅子の人へと一報を入れた。生瀬さん陣営の作戦はこの瞬間、音を立てて崩れ始め、雪崩を引き起こそうとしていた。




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