第20話




     14



 空き教室に身を隠し、ヨロズ先輩は息をひそめた。何度か教室の前を足音が通りすぎる。追っ手では無いようだったが、ヨロズ先輩は身を低くした。


 すこし乱暴に扱ったせいか、キャリーカート上の胸像チョコは細部が欠けてしまっている。けれど問題はない。

 早く森田君にこの場所を伝え、来てもらう必要がある。

 東原先生が明確にヨロズ先輩を狙ってきた。


(ということは、風紀の一手は東原先生以外にもあるはず……)


 補佐の香苗あたりが、ほぼ間違いなく二の矢三の矢を放つはずだ。山下とスタント部が稼げる時間にも限りがある。

 ヨロズ先輩はスマホに指を走らせようとして――


「そこまでっす、銀野会長!!」


 連続したシャッター音に驚き、ヨロズ先輩はスマホを落とした。

 空き教室のドアが開き、鋭い一声と共に小さな人影が飛び込んできたのだ。一年の女生徒だ。デジタル一眼レフカメラを胸元で抱えている。

 女生徒の顔はアマガエルに似ていた。第二新聞部のパシャ子だった。


「ど、どうしてここがっ。まいたはず……」

「聞屋をまこうなんて、百年早いっす」

「だ、第二新聞部……あなたは、森田君に弱みを握られていたはずじゃ」

「ふっふっふっ」


 パシャ子は不敵な笑みを浮かべ、胸元のカメラを撫でた。


「甘いっすね、銀野会長。こちとら泣く子も黙り、黙った子を泣かせて記事に仕立てる、第二新聞部っす。いつまでも書記の脅しには屈しないっす!」

「前回の裏切り、小林さんにバレたのね……」

「……そうとも言うっす。怖かったっす。ついでに、イヴの時の虚偽報告もバレたっす。部長も半泣きになってたっす。小林先輩は鬼の生まれ変わりっすぅ……」


 その時の事を思い出したのか、パシャ子は頭を抱えて身体を震わせていた。


「そんなこんなで、後がないっす! 小林先輩にお仕置きされない為にも、今回は全力で銀野会長に貼り付いてたっす! 観念するっす!」

「くっ!」


 森田君が少し離れた途端に、なんたる様であろう。

 一人では何もできない。

 東原先生の強襲を受けたかと思えば、あっという間だ。隠れた場所もすぐに見つかり、こうして追いつめられてしまっている。第二新聞部のパシャ子は香苗に居場所を連絡したはず。もうじき、保羽リコや香苗もここにやって来るだろう。


「隠しきれない特ダネの匂いが、教室の外にまで漏れ出ているっす。……さあ、大人しく白状するっす、銀野会長! こんな空き教室にコソコソと逃げ込んで、チョコの胸像を用意して、いったい何をたくらんで居たっすか!?」

「……そ、それは……」

「さあ、さあ!」


 パシャ子にぐいぐいと迫られ、ヨロズ先輩は口ごもった。

 いつもならば釈明の二つや三つ、すぐさま口から出て来ると言うのに、抗弁の一つすら満足にできない。生徒議会の質疑応答で鍛えられたはずの対応力や、生徒会の業務で身についたリカバリー能力も、森田君との秘め事となると上手く使いこなせない。


「どうしたっすか? 銀野会長」

「……」

「この清き学び舎で、答えられないような事をしようと?」


 強行突破しようにも、チョコの胸像を持っていては逃げきれない。パシャ子は出口を塞ぐように仁王立ちしている。

 ここは三階。窓から飛び出る訳にもいかない。


「待て!」


 八方塞がりのヨロズ先輩へと、その一言が割って入る。

 パシャの子すぐ後ろに、人影があった。七三眼鏡の背の高い男子生徒、副会長だ。その背後には、肌の黒いギャル風の女生徒の姿もある。松崎さんだ。たまたま通りすがったのか、騒ぎを聞きつけてやって来てくれたのか。

 ヨロズ先輩にとっては心強い援軍だった。


「第二新聞部、これは何の騒ぎだ?」

「銀野会長がこそこそと人目をはばかって居たっす。風紀から逃げ隠れしているっす。見られてはまずい事をしようとしていたに、違いないっす!」

「その不味い事とは?」

「ほへ?」

「具体的に、どう不味いのだ?」

「そ、それは……このチョコレートに何か関係があるに違いないっす」

「どう関係があるのだ? バレンタインにチョコを用意して、何がいけない? 公衆の面前でチョコを渡すのを憚った、会長の奥ゆかしさではないか」

「そうかもしれないっすけど……」

「そんな事が、第二新聞部にとっては特ダネになるのか?」

「そう言われると……ならないっす……」

「特ダネにもならない事を追っていても、しかたあるまい。それに、会長はお忙しいのだ。そこをどいてもらおう。……さあ、会長、こちらへ」


 一定の声音で副会長はパシャ子を圧倒し、ヨロズ先輩を手で招いた。どうやらヨロズ先輩の窮地を察し、この場から助け出そうとしてくれているらしい。

 だがその助け舟の舳先は、すぐさま岩礁に乗り上げた。


「ちょっと待ちなさいな!」


 風紀委員会のナンバー1と2が駆けつけてきたのだ。


「銀野会長、お忘れですか? 今回のバレンタイン、チョコの受け渡しは原則禁止。それを生徒会長が破るとは、風紀としては見過ごせませんよ」

「銀野ヨロズ……このチョコは、いったい? 人の形をしてるけど?」

「このようなチョコレートをつくって……一体、何の目的で?」


 保羽リコと香苗に問われ、ヨロズ先輩はきりりと顔を引き締めた。副会長と松崎さんの居る手前、物怖じはしていられない。

 見栄と体裁を重んじる、ヨロズ先輩の意地だった。


「これは……生徒会役員への友チョコです!」

「人の形のチョコレートを?」

「ええ。私をモデルにしたチョコの像です」


 香苗の質問への答えに『さすがにそれは、人としてちょっとアレじゃないか?』という目線がヨロズ先輩に集中したものの、ヨロズ先輩はしゃんと胸を張った。

 無茶を通す時は根拠のない自信で押し切るしかない。


「どうして銀野会長の形にする必要が?」

「会長は彫像にしても引けを取らない。それだけの事だ」

「副会長、私は銀野会長に聞いているのだけれど?」

「お互いに、補佐をするのが仕事だろう? 小林くん」

「…………」

「…………」


 生徒会役員と風紀委員はバチバチと火花を散らせた。保羽リコも香苗も、大人しく引き下がるつもりは無いらしい。逃げ道は塞がれたままだ。

 その時、異様な足音が階段から響いてきた。

 一同が見やるよりも早く、おどろおどろしい低い声がやって来る。


「……ペロペロ、ツブス……」


 東原先生だった。

 圧倒的な負のオーラは、勢いを増している。手にはチョコレートがべったりとついていた。どうやら、不幸なカップルが三組ほど餌食になったらしい。


「と、特別顧問!?」

「そんな、厳島先生が対応してくれたはずじゃ……」


 香苗と保羽リコにとっても、どうやら想定外だったようだ。東原先生はチョコの像目掛けて一直線に迫って来たが、ヨロズ先輩がその前に立ちふさがった。


「セイトカイチョウ、ダンシト、フシダラ、ペロペロ」

「誤解です。東原先生、これは友チョコです」

「……トモ、チョコ……?」

「はい。先生も、一口どうぞ」

「チョコ、ペロペロ……フシダラ……トモチョコ、フシダラ……?」

「友チョコは友愛の証です。ふしだらではありません」


 ヨロズ先輩が毅然として言い放つと、東原先生の歩みが止まった。東原先生は両手で頭を抱え、苦しむように首を振って呻いた。


「ウウ……チョコ、ツブス……セイトカイチョウ、チョコ、クレル……トモチョコ、ギリチョコ、ホンメイチョコ……ドレ、ツブセバ、ワタシ、シアワセニナル……?」

「破壊は何も生みません」

「ウウッ、ウウッ……セイロン、チョコ、シアワセ、ツブス、ウウッ……」

「さあ、どうぞ東原先生」


 ヨロズ先輩はチョコの欠片を手に取り、東原先生の口へと持って行く。

 狼のように鼻先で匂いを確かめ、東原先生は口に含んだ。危うい餌付けは微妙な均衡をくぐり抜けたらしい。

 しかし目をかっと見開くと、東原先生は卒倒してしまった。


「…………」

「…………」

「あら?」


 首をかしげてヨロズ先輩が見下ろすも、東原先生はぴくりとも動かない。きょろきょろとヨロズ先輩が周りを見ると、みな、一歩ほど後退っていた。「えっと……これは、私のせいではないわよね?」という同意を求める目でヨロズ先輩は見るものの、副会長と松崎さんにすら、気まずそうに目を逸らされてしまった。


「そ、そんな。特別顧問が、一撃で……」


 愕然とした声で香苗がつぶやいた。保羽リコも顔を青ざめさせている。


「おのれ銀野ヨロズ、東原先生を手にかけるとは……!」

「保羽さん、そんなまるで、人を下手人みたいに」

「その危険物、押収させてもらいますよ、銀野会長」

「こ、小林さんまで」

「こんな劇物、清太に食べさせてなるもんですかっ」


 爆弾魔から爆発物を遠ざけようとするように、保羽リコと香苗はヨロズ先輩へと歩み寄った。人型チョコレートを完全に危険物と見なしているらしい。

 追いつめられるヨロズ先輩の前に、副会長が割って入った。


「待ってもらおう、風紀。これは我ら生徒会役員への友チョコ。風紀委員会に押収される筋合いなど無いはずだぞ。ましてや、危険物とは何事か」

「……むっ」


 副会長が鮮やかな弁舌で待ったをかけると、保羽リコが怯んだ。

 しかし、香苗は引かなかった。


「殺しても死なないような特別顧問が倒れたのよ? 危険物でしょうが」

「東原教諭が倒れたのは、本当に銀野会長のチョコが原因なのか? そう結論を下すには、まだ早い。東原教諭は、なにやらゴチャゴチャと発言していた。友チョコと本命チョコの分別が出来ず、思考がショートしたのかもしれない」

「生徒議会が臨時法を出したはずよ。校内でのチョコの受け渡しは原則禁止、と」

「だからと言って、風紀委員会が押収して良い理屈にはならない。バレンタインで騒動が起こっても、生徒議会が責任追及を受けないための、罰則規定すらない臨時法だ。よくて口頭注意が妥当だろう。押収するための法的根拠とするにはあまりに弱い。チョコを持って行くなら、押収するにたる正当な根拠を示してもらおう」

「だから危険物だと言っているでしょう、このチョコは」

「それには疑義があると言っている」

「だったら、食べてみなさい。今、ここで。……できるの?」


 香苗の鋭い眼差しに射抜かれ、副会長は暗くうつむいた。料理部で起こしたヨロズ先輩の物騒な噂は、副会長の耳にも入っている。そして保羽リコに介抱され、運び出される東原先生の姿もある。このチョコを食えば命があるか、分からない。

 だが、後ろに控えていた松崎さんへと、副会長は目で合図を送った。


「松崎、食うぞ」

「え? ふ、副会長……」

「銀野会長がくださったものだ」

「いや、でも――」

「松崎、会長の指を思い出せ」


 副会長のその一言で、松崎さんの覚悟は決まった。

 風紀に押収されてしまえば、いつ返却されるかは未定だ。せっかくのバレンタインチョコが意味を失くす。

 義侠心のある松崎さんが、それを捨て置けるはずはなかった。


「必ず食べ切ります!」


 松崎さんの目は悲壮な覚悟に満ちていた。

 もはや後には引けず、ヨロズ先輩は見守るしかない。

 指に絆創膏を数え切れぬほどまいて、料理部や生瀬さんに苦労をかけて、やっとの思いで作り上げたチョコが、見る見るうちに崩れていく。


 目的は達せず、森田君に切り刻んでもらう事もできない。

 せめて一口、このチョコを森田君に食べて貰いたい。その一心で、ヨロズ先輩はチョコのかけらを、こっそり拾い上げてハンカチに包んだ。

 それがヨロズ先輩の精一杯だった。




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