第17話
12
「使えなくなってしまったわね、保健室が……」
ヨロズ先輩は口に指を当て、思案顔をしている。さっそく計画の変更を強いられてしまった。使う予定だった保健室は、人であふれかえっていたのだ。
(孝也さんが仕掛けたな……)
森田君は確信し、ヨロズ先輩へと振り返った。
「けれど、先輩、動くなら今です」
「ええ、そうね、森田君」
行動あるのみと森田君が断言すると、ヨロズ先輩も頷いてくれた。
風紀の手は足りないはずだ。
森田君たちが事を済ませるなら、今が絶好のタイミングでもある。
森田君たちは保健室近くの空き教室を見つけた。
『バレンタインに注意!! 各自、要警戒を!』という張り紙が廊下に張ってあった。一部の部活動および研究会の不穏な動きは、以前から警戒されている。見知らぬチョコには手を出さないようにと、風紀委員会が周知徹底を図っていたのだ。
森田君はキャリーカートを押した。
空き教室に器材と、ヨロズ先輩の手作りチョコを手早く運び込む。スタント部と山下に、部屋の前で見張りに立ってもらう。
そして、ヨロズ先輩と二人きりになった。
昇降口の方面がなにやら騒がしくなっている。風紀が動いているのだろう。
「では森田君、さっそく」
「あ、はい」
キャリーカートに乗せた箱をヨロズ先輩が取っ払うと、甘い香りが漂ってきた。大きな塊が、板切れに乗っかっている。
チョコレートの胸像だ。辛うじて人の形をしていた。
一応はヨロズ先輩を模ったものらしい。
ヨロズ先輩から、バレンタインに食べて欲しいと言われた、チョコレート。
森田君の口元は緩んだ。
なにより、ヨロズ先輩の指の傷跡を見る限り、精一杯の努力が実を結んだのだ。ヨロズ先輩のその精一杯に全力で応えたいと、森田君は口元を引き締めた。
(えっと、先輩の言っていた設定では、このあと――)
身も心も奪ってから食べる事になっている。
「さあ、どうぞ、森田君」
「あの、先輩、設定が」
「……?」
「その、先輩の身と心を奪ってから、食べる事になってますからっ。その、どうしたら、奪った事になるのかな、って、あの……」
「そうね……身と心を奪う、というのは、具体的にどういう事なのかしら?」
「やっぱりその、恥ずかしい所を見られると言うか、その人だけに、自分の恥ずかしい所を沢山みせてしまう、というのか。見せたくないけど見せたい、っていうか、自分の大切な部分をその人に委ねてしまう、というのか。……そういう感じなのでは?」
「なら、もう森田君には奪われてしまっているわ」
ヨロズ先輩は真顔だった。
自然と言ったその言葉の意味すら、さほど気にも留めていないらしい。ヨロズ先輩のド天然な不意打ちは、森田君の身と心を完全に奪った。
(食べるっ!!)
このチョコを食べる。役柄通り、知的に食べ切って見せる。森田君は喜び勇んでチョコの胸像を前にし、ペティナイフを取り出した。お湯の入った水筒に入れて、五十度ぐらいに温めておいたナイフの刃から、布巾で水気をよくふき取る。
そして事に取り掛かろうとして、森田君の手は止まった。
「あの、先輩……」
「なにかしら?」
「その、見られていると……やり、にくいです」
「…………」
「先輩をかたどっている訳ですから、これ」
等身大のヨロズ先輩型チョコレートだ。
内部は空洞化されて軽量化が図られてはいるものの、使われているチョコの総量は半端では無い。ヨロズ先輩のポケットマネーから出されてものであり、いわば森田君へのバレンタインチョコと言えなくもない。
「そう、ね……ごめんなさい」
まじまじと見るのを止め、ヨロズ先輩は横を向いてくれた。しかし横目でちらちらと森田君の様子をうかがっている。
それはそれで、森田君の動揺は鎮まらなかった。
「どこから、食べるの?」
「え?」
「森田君にどこをかじられているのか、知りたくて」
「…………」
「でないと、私としても、雰囲気がつかめないから」
「み、みみたぶ、から、行こうかなって……思ってます……」
森田君の言葉尻は消え入りそうだった。
なんだろう、このとてつもない気恥ずかしさは。ただチョコレートを食べるだけのはずなのに、自分の性癖をあられもなく晒している気がする。
森田君がそう考えて黙っていると、ヨロズ先輩の耳も紅くなっていた。
ふと冷静になって考えてみると、バレンタインのこの日に、二人していったい何をやっているのか。この微妙な雰囲気に怖気づくまいと、森田君は首を振った。チョコ像から耳たぶを切り取り、玉子焼き器に乗せて火にかけようとして、森田君は気付く。
(あれ? カセットコンロ……おかしいな……)
器具は小さな段ボール箱に一まとめにしておいたはずが、カセットコンロが無かった。解体用の器具に気を取られ、肝腎要の調理器具を生徒会役員室に置き忘れてきていたらしい。確認していたはずなのに、それでもやらかしてしまった。
「先輩、取りに行ってきます。少し待っていてください」
「森田君、とりあえず一口くらいは食べても良いんじゃ?」
森田君が立ち上がると、ヨロズ先輩が引き留めた。
「やっぱりその、設定ですから。ボクもこだわりたいです」
「……分かったわ」
「すぐに帰ってきます。待っていてください」
森田君が頑として言うと、ヨロズ先輩は頷いた。
「山下、ちょっと離れるから。銀野会長を守って欲しい」
「任せろ」
「スタント部の皆さんも、よろしくお願いします」
「ええ、会長に身命を捧げる所存です」
部屋の前に控えていた山下とスタント部の面々は、力強く頷いていた。実に頼もしい。風紀はテロ研の対応で手一杯のはず。まだ時間はある。
生徒会役員室まで足早に向かい、森田君はカセットコンロを手に取った。ヨロズ先輩の元まで急いで戻ろうとして、思わぬ障害にぶち当たる。
「……あれ?」
役員室の戸が、開かない。
もう一度、力を込めて戸を開こうとするが、びくともしない。
(……閉じ込め、られた?)
生徒会室に入って出ようとしたら、戸が開かない。
「ちょっとっ!? あのっ、誰かいますよね!?」
人の気配がする。
誰かに外側から戸を押さえられている。森田君は戸を叩いて呼びかけたが、返事はない。スマホを取り出して助けを呼ぼうとしたが、生瀬さんも山下もヨロズ先輩もスタント部も、音信不通だった。
おそらく、この短時間で何かが起こっている。
(……いったい、どうなってるんだ?)
誰がこんな事をしているのか。おそらく、狙われて閉じ込められた。つまり、自分を役員室に閉じ込めて、得をする人間がいる。
(風紀はそんなまどろっこしい事はしない。……じゃぁ、誰なんだ?)
訳が分からず、コンロを抱えて森田君は途方に暮れた。
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