第16話




 保羽リコと香苗が振り返ると、人だかりに大きな輪が出来ている。

 その輪の中心には見知った人物が居た。

 風紀委員たちによって下足ロッカーから取り出され、山積みされたチョコの箱の前で、東原先生が膝をついて頭を抱えていたのだ。

 わなわなと身体を震わせている。


「わ、私の……私の先月分の給料がぁああああああああああっ!?」


 どうやら一枚噛んでいたようだ。それも、かなりの額の資金援助をしていたらしい。ほぼテロ研と生瀬孝也のスポンサーと化していたのだろう。

 東原先生の慟哭はびりびりと響いた。


「こ、これも、まさか――」


 香苗が詰め寄ると、テロ研部長は満足気に頷いた。


「我々の失敗はすなわち、東原先生のフラストレーションとなる。東原先生はチョコで地獄を見せる事を今日の生き甲斐にしてきたんだ。それが潰えたらどうなるか、君たち風紀委員が想像しなかったのか? ……ふふっ、楽しみは最後まで取っておくものさ」

「テロ研、貴様ぁ」

「ふふふっ、最恐のチョコテロリストを完成させてくれて、どうも」


 保羽リコが睨みつけるものの、うやうやしくテロ研部長は頭を下げた。

 二段構えの策略だ。

 風紀の行動すら、起爆装置の一部にしてしまう。なんと無駄に冴える頭脳だろう。どう転んでも騒動が起きるように計算されている。


 さすがテロ研。性質が悪い。

 使える頭脳の使い方はマイナス百点だ。

 何が「そこにあった絵の具を混ぜただけ」だ。その場にあった絵の具を混ぜただけで、こんな見事な絵が掛けるものか。


「この男を拘束しなさい。たっぷり絞ってやる」

「喜んで付き合うよ。この騒動の対価なら安い物だ」


 香苗の指示で風紀委員が拘束するも、テロ研部長はロクに抵抗もしない。もうすでに事は成ったと、この人格破綻者は恍惚として東原先生を見つめていた。


「グルルルルルルルぅっ……!!」


 獣よりも血に飢えた人間の唸り声が、保羽リコの背中から聞こえて来た。


「タヨレル・ノ・ケッキョク・ジブン・ヒトリ……」


 東原先生だった。暗くうつむき、なぜか片言だ。いつもどこかしら可笑しい先生ではあるものの、今回は輪をかけて様子がおかしかった。


「東原先生を拘束しなさい、早く!」


 保羽リコの直感がそう命じろと囁いた。


「ああもうっ、銀野ヨロズは動き始めてるはずだってのに……!!」

「リコ、今は目の前に集中!」


 香苗の言う事はもっともだが、次から次へときりがない。

 風紀委員に指示しながら、保羽リコは東原先生の目線に気付いた。目線の先にはカップルと思しき三組の男女が居る。いずれも、手に箱を持っていた。チョコの箱だろう。東原先生の血走った目は見開かれ、煮えたぎった不条理な怒りが渦巻いている。


 チョコレートのデコレーションを恋人たちの鮮血でやりかねない。保羽リコは素早く駆け寄るなり、カップルと東原先生の合間へと身を挺した。


「先生っ、ダメです! 落ち着いてください!」

「チョコ、コワス……ワタシ、チョット、シアワセニ、ナル……」


 絶対幸せになれないセリフを口走りながら、東原先生が迫って来る。

 運動部に所属する屈強な風紀委員が、東原先生の腰にとりついていた。だというのに、東原先生は物ともせず、ずるずると引きずってしまっている。

 男子生徒二人掛かりでも、押さえきれていない。

 東原先生は相変わらず、負のオーラをまとうと怪物だった。


「そこの一年生っ、早く厳島先生を呼んできなさい!」

「特別顧問っ、気を確かに! 人間ごとチョコを壊してはいけない!」

「東原先生、止まって! 止まってください!」


 呼びかけるも、東原先生の唸り声は獣性を強くしていくのみだ。封鎖テープにより人でごった返していたはずの昇降口付近から、人影は消えている。

 身の危険を感じてほとんどの生徒が避難してしまったらしい。


「……リコ、今の特別顧問に人の言葉は通じない!」

「時間を稼がないと……死人が出る……」

「特別顧問にこれを使うのは忍びないけど、仕方ない――リコっ!!」


 香苗は懐からボーラを二つ取り出し、保羽リコに一つを渡した。ロープの先端にゴムの重りがついた、投擲道具だ。

 上手く投げると足に絡まり、動きを封じる事が出来る。

 生徒の安全のためにはやむを得ない。

 風紀として治安は守る。警告の次は最低限の武力行使だ。


「そこの二人、離れなさい!」


 香苗が鋭く指示すると、東原先生の腰元から男子風紀委員が離れた。

 間髪入れず、保羽リコと香苗は同時にボーラを放つ。ボーラは見事に東原先生の足をとらえ、絡まったと思った次の瞬間、無残に千切れ飛んでしまった。


「――んなっ!?」


 さしもの香苗も素っ頓狂な声を上げた。

 さして筋骨たくましい訳でもない東原先生の身体の一体どこに、そんな力があるのか。恨み妬みの馬鹿力。風紀の暗黒面が無限のパワーを与えているのか。

 ボーラのロープを脚力で引き千切る化け物など、香苗の想定外だった。


 じりじりと東原先生に歩み寄られ、階段へと追いつめられている。

 保羽リコと香苗の背後には、罪もないカップルたちが隠れていた。今の東原先生は何をするか分からない。

 保羽リコは敢然と東原先生の前に立ちふさがった。


 味方にすれば頼もしいが、敵に回せば恐ろしい。それが東原先生だ。

 東原先生の猛威を、保羽リコに止める自信はない。

 それならば、逸らすのみ。保羽リコは声を張り上げた。


「東原先生っ、生徒会長がある男子生徒にチョコを上げようとしてます!!」

「…………」

「それも自分の身体の一部を混ぜ込んだ、特大チョコです! この清き学び舎で、それを男子にペロペロさせようとしてるんです! 許しておけますか!!」

「……ペロペロ……?」

「はい!」

「……ペロペロ、セイトカイチョウ……フシダラ……」

「そうです! 生徒の模範たるべき者が、とんでもない変態なんです!」


 棚に上げるどころではない。自分の事は格安ロケットで成層圏まで打ち上げておいて、保羽リコは正義の心を燃やしながら断言した。

 それは、火のついた東原先生にロケット燃料を注入する結果となる。


「ペロペロ……ツブス……ワタシ、シアワセ……」

「香苗、銀野ヨロズの居場所は!?」

「保健室の近くらしいわ」

「東原先生、フシダラなペロペロは保健室の近くです!」


 保羽リコがそう言うと、東原先生は鼻先を変えた。ゆっくりとした足取りで、核廃棄物を主食にする怪獣の如く、獲物目指して東原先生は直進し始める。

 急場は凌げた。

 保羽リコの背後から、カップルたちの安堵するため息が続々と聞こえて来る。柔よく剛を制し、剛よく柔を断つ。

 香苗に肩を軽く叩かれ、保羽リコは額の汗を拭った。


「銀野会長を人身御供にするとはね」

「これで一挙両得でしょ、香苗」

「やるじゃないの、ナイス判断」

「銀野ヨロズの状況は?」

「草の者から連絡があった。銀野会長には山下くんとスタント部が張り付いてる」

「ぐぬぬっ、邪魔ね」


 東原先生の勢いを止められずとも、逸らす事はできる猛者どもだ。

 保羽リコも香苗も、動きは半歩遅れる。

 テロ研と生瀬孝也をもう少し絞る必要がある。下手をすれば、さらなる二の矢三の矢を用意して居かねない連中なのだ。


「リコ、導道くんを山下くんへ解き放つなら、今よ」

「あの子は、その、山下にはぶつけたくないんだけど?」

「私も、出来ればそうしたいわよ」

「今までは、なんとかぶつけないようにしてきたでしょ、香苗」

「そうだけど、そうも言ってらんないでしょ、この状況」

「…………」


 保羽リコはぐぬっと唸った。香苗の言う通りだ。

 風紀委員の頭数が足りない。

 押収した危険物チョコの監視はもちろん、テロ研への対処、および生瀬孝也の拘束に人員が割かれてしまっている。

 東原先生へも手勢を割かねばならない。


 たった一人で並み居る変態どもを相手に立ち回れるのは、おそらく風紀委員会ナンバー3しかいない。体育会系の風紀委員の中でも、かなりの実力者だ。

 清廉潔白な人柄で、正義の心も人一倍の、剣道部エース。


 風紀のナンバー3は騎士道精神あふれる人であり、己を鍛える修練を欠かさない。つい先日、生瀬孝也に不覚を取られたと見るや、すぐさま克服しようと、生瀬孝也のモルモットになりながらも虫料理に耐性をつけてしまう人なのだ。

 馬鹿がつくほど真面目で実直。


 己が内に鉄の信念とルールを持ち、それに殉ずることが出来る人物だ。

 だからこそ、保羽リコは不安だった。




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