第13話




「どうも、ボランティア部部長の、奈戯 家守です」

「なざれ、いえす、さん、ですか……こんにちは、生徒会書記の森田清太です」


 ボランティア部長と対面すると、森田君は嫌な予感がした。


 ボランティア部長は掘りの深い顔立ちながら、慈しみに満ちた目をした男子生徒だった。おそらく上級生だろう。どんな悩み事でも親身になって聞いてくれそうな、広い心を持つ者が帯びる神聖さがある。


 部長の人柄を森田君は感じつつも、心の底から悔やんだ。

 身の丈ほどもある十字架を背負ってさえいなければ、と。


「ボランティア部は、どうして今回、DIY部にこのような依頼を?」

「もうすぐバレンタインなんだ」

「はい。そう、ですね」

「いつの頃からか、バレンタインは製菓業界の魔の手によって、チョコの贈答習慣日となってしまった。これは大変、悲しい事なんだよ」

「かなしい、こと、ですか……?」

「考えてみて欲しい、森田君。チョコを貰える者がいるように、貰えない者がいるんだ。持つ者と持たざる者に分けられ、そこに不平等が生じ、幸せの影で無数の苦しみが渦を巻く。求めても求めても与えられず、求める事すら恥じてしまい、まるで自らが愛されていないかのように感じてしまう者が、バレンタインに数多く生み出されてしまうんだよ。まったく嘆かわしい。神の愛の前には人は皆、平等だというのに……!!」

「は、はぁ、そうなんですか」

「そうなんだよ、うん」


 話が見えないので、森田君は黙って耳を傾けた。


「けれど、人の心は弱く、はかなく、身薄いものでもある。形あるものなしに、形無きものの素晴らしさを知る事は難しい。目に見えぬ愛を人々が理解するには、まず目に見える愛を与える必要もある。愛とは常に形を変える。無形にして有形、有限にして無限、唯一にして普遍。そう、愛は変幻自在。理屈の壁を撃ち抜く力。愛こそがすべて……!」

「えっと……ようするに?」

「救いを求める子羊に、神の愛を届けようと考えているんだ」

「つまり、依頼を受けてチョコをプレゼントするんですか?」

「求めよさらば与えられん、さ」

「そういう、意味なんですかね? その言葉って……」

「これも愛。あれも愛。たぶん愛。きっと愛。なにがなんでも愛っ。私はみんなに気付いてほしいんだ。世界は愛で出来ているのだという真理に……!!」


 ボランティア部長の目は本気だった。

 おそらく良い人だろう。嘘偽りのない心だろう。だが、どれほど善良な心を持っていようが、善行を積めるとは限らない事を、森田君は身をもって知っている。

 奇人変人の類は、特にその傾向が強い。


 ボランティア部の部員たちはどんな顔ぶれなのかと、森田君は部室を見回した。部長以外は、十字架を背負っていたりはしない。ごく普通の格好をした部員たちだったが、見知った顔がしれっと交じっていた。

 部員たちと計画の修正案について話し合っている。


「あれ、孝也さん? なぜここに?」

「ボランティア部に、是非にと頼まれてね」

「え? ……先約って、この事だったんですか?」

「ああ」


 生瀬孝也が頷き、森田君はぎょっとした。ボランティア部はバレンタインにチョコを配るつもりで、DIY部長に箱作りをたのんだ。

 では、生瀬孝也には何をさせるか?


「……まさか、チョコの作成を?」

「もちろん、そうだよ。特技を活かさないと」


 生瀬孝也が当然のように頷き、森田君は耳を疑った。

 生瀬孝也にチョコの作成を頼む人物がいる。優しそうなボランティア部長が急にロクデナシか、あるいは命知らずに見えて来てくる。


「あの、部長、本気ですか?」

「かつての所業を悔い改め、なにか世の役に立つ事をしたい、と生瀬君がそう言うものだから。バレンタインに愛を配るこの活動に協力してもらう事にしたんだ」

「正気ですか? 孝也さんは、その……」

「疑う気持ちは分かる。だが、生瀬君は心を入れ替えたんだよ、森田君」

「それは、そう自称しているだけで――」

「森田君、信じる心を失ったら、愛は語れないんだ」


 ボランティア部長からは、料理部の面々と同じ香りが漂ってくる。懲りない被害者と言うのか。目先のニンジンにすぐ釣られるというのか。性質の悪い悪魔ほど、ぱっと見は天使に見えるという法則を知らないというか。知っていても気にしないというか。


「……ところで。この活動の資金、どうしてるんですか?」

「資金?」

「そこそこ、お金が必要そうですけど」


 人件費はともかくとして、チョコも箱もタダでは作れない。規模も大きそうだ。材料費まで手弁当、という訳にも行かないだろう。

 森田君の疑問に、ボランティア部長は嬉しそうに顔をほころばせた。


「森田君、お金とは行動について来るものさ。まず行動だ。世の中には、この活動に多額のお金を出してくれる善良な人もいるんだよ。それを世界は愛と呼ぶのさ」


 行動が予算を切り拓く――一理ある。

 ただ、この活動に多額の資金をだす人物、という部分が森田君は引っかかる。部長の口振りからすると、学校から与えられる活動資金とは別口らしい。


 どうにもきな臭い。

 奇人・変人・変態が渦を巻くのが日戸梅高校だ。


(ん? そういえば、たしかリコ姉ぇが……)


 森田君は顎に手を当てた。

 一昨年、保羽リコがぼやいていたのを覚えている。たしか、テロ対策研究部、だったか。去年の日戸梅高校のバレンタイン、テロ研によって風紀はてんてこ舞いだったらしい。テロ研は部員数三名と言う事になっているが、協力者は多く、その時々によって人員は様々に変化する部活らしい。風紀ですら実態を把握しかねている。部長を捕らえて改心させてテロ研を辞めさせても、第二第三の部長が出現し、テロ研は続いてきたそうだ。


(まてよ、ということは……)


 森田君はぴんと来た。

 ボランティア部が誰かに操られているとしたら、黒幕はおそらくテロ研だろう。


(今回、孝也さんもたぶん一枚かんでいる……)


 テロ研が暴れ回ってくれれば、その分、風紀の注意はそちらに向く。風紀委員会の手勢も割かねばならなくなり、ヨロズ先輩への追及の手は緩むだろう。何の罪もない生徒たちがテロ研の毒牙にかかる事になるが、それを見過ごせば得られる物は多い。


 風紀委員会は一見すると、ヨロズ先輩に対して、目立った動きはまだ見せていない。だが香苗や保羽リコの事だ。

 森田君側の動向には目を光らせているはず。

 なにより、今回はバレンタインに動く。決行日は、ただでさえ風紀に読まれやすい。今までのように不意をうち、先んじて動く事が難しい。


(どうする……?)


 良心と目的の狭間で、森田君は自問した。

 そしてすぐに、自らを笑った。


 前回、風紀の追撃を振り切るために料理部を巻き込んだのは、誰だったか。風紀委員たちに毒を盛る判断をしたのは、誰だったか。何の罪もない彼ら彼女らを踏みにじっておきながら、何を今さら、善良な人間のふりをしているのか。

 ヨロズ先輩のためだなんだと、己に騙るなど論外だ。


(すべてボク自身が望み、行動して、引き起こされた事だ……)


 己の手を見つめ、森田君は思った。

 この薄汚れた手を、もう一度泥に浸して何の違いがあるのか、と。


「あの、ボクも、なにか手伝えることがあれば、お手伝いします」

「おお、森田君。それはありがたい。では、DIY部と箱作りを一緒に頼むよ」


 保羽リコには悪いと思いつつも、ボランティア部長の返答に森田君は頷いた。DIY部の部長にも多少は恩を返せる上に、今回はヨロズ先輩に手を貸す事が少ない。箱作りを手伝いつつ、DIY部長にチョコの切断に使えそうな工具を教えてもらおう。


(二月十四日まで、もうすぐだ)


 せめてこう言った縁の下の策略で役立とうと、森田君は決意した。



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