第三章
第14話
11
バレンタイン当日は、早朝から物々しかった。
登校した生徒たちは昇降口で足取りを鈍くする。風紀委員たちと共に昇降口に立ち、保羽リコが目を光らせていたのだ。
不審な動きをする者があれば、風紀委員会が直ちに取り締まる。
治安維持で大切な事は、「見られている」事を犯罪者に理解させる事だ。風紀を乱す者を抑止する。それは風紀委員会の行動理念でもあった。
「テロ研が何か仕掛けて来るなら、下足ロッカーのはず。銀野会長の方も、そのタイミングで動いてくるはずよ。テロ研の騒動を許せば、私たちは不利になる」
「でも逆に、初動で上手くテロ研を食い止める事が出来れば――」
「そう、私たちが有利になるってことよ、リコ」
香苗の推測を重視し、保羽リコは予鈴が鳴るまで昇降口に立ち続けた。
登校時間は不発だった。
一時限目、二時限目と、何事もなく過ぎていく。
歴史の授業を受けながら、保羽リコの不安は増した。日戸梅高校の奇人・変人どもが、あまりに静かすぎる。何も起きない事が、逆におかしい。
どこかでなにかしら騒ぎが起きているのが普通であるのに、生徒から風紀委員会に通報一つもたらされない。
なにより、東原先生が荒れていない。
三時限目の休み時間、東原先生は風紀委員会室に来るなり、花瓶の花を取り換えて、花びらをちょんと指で突きながら「良い日ね、今日は」なんて口元を緩めたのだ。東原先生は祝福の女神のような笑顔だった。
「バラ先生も心を入れ替えたんですねぇ、よかったよかった」
などと一名、考えなしに呑気な事を言う風紀委員もいたが、風紀委員会室には重苦しい空気が立ちこめ始めた。
大多数の風紀委員たちは顔が引きつっていた。
「…………」
「…………」
保羽リコも香苗も、嫌な予感に顔を見合わせた。
この世の幸せという幸せにノーを突き付けるのが東原先生だ。
自分が不幸せなら世界もそうあるべきだと、自分を幸せにする努力はせずに世界中を不幸にしようとする努力を欠かさないのが、風紀委員会の特別顧問だ。
三度の飯より他人の不幸。
急患で運ばれてきたら、釈迦もイエスも居留守を使うレベルの救い難さ。
そんな東原先生が、バレンタイン当日に微笑んでいる。ロクでもない事が裏で着々と進行している、なによりもの証拠であった。
「香苗、東原先生に事情聴取してみる?」
「無駄よ、リコ。死んでも口を割らないわ」
自明の理を述べるような香苗の口調に、保羽リコは返す言葉も無かった。
お昼休み、動きがあった。
「チョコが無くなった?」
一報を受けて、保羽リコは顔を曇らせた。
単なる紛失事件とは毛色が違う。
通報が一斉に何件も寄せられ、いずれもチョコを紛失したとの事であったのだ。学年を問わず、女生徒が持ってきていたチョコが消えたらしい。風紀委員会ナンバー3に事態の対処をゆだねて、ほどなく。保羽リコと香苗のスマホに緊急連絡がはいった。
屋上でまずい事態が発生したらしい。
保羽リコと香苗は急行した。
屋上に続く階段の所に、生徒たちがわらわらと集まっている。人ごみをかき分けて屋上ドアへと保羽リコがたどり着くと、一年生の風紀委員がいた。二人組でドアに貼りつき、屋上へと向けて、優しく声をかけているようだった。
「状況は?」
「良くありません、リコ委員長。チョコ紛失事件の捜査中、廊下に大きな袋を抱える男女が居たので、質問をしたらいきなり逃走を。屋上までは追いつめたのですが――」
「こないで! 風紀委員が近づいたら、チョコを壊して私たちは死にます!!」
「あんな感じにチョコを人質にして、立てこもりを」
保羽リコがドアから屋上をうかがうと、手すりの近くに男女が三名居た。女生徒一人が大きな袋を抱え、男子生徒二人と身を寄せ合っている。
どうやら、チョコ一斉紛失事件の容疑者グループらしい。
「あの子たちは? 何かの部活? 同好会?」
「いえ、リコ委員長。彼女らはその……」
「何か知ってるの?」
「どうやら彼女らは、東原特別顧問にそそのかされたらしくて……」
気まずげな様子の風紀委員から報告を受け、頭痛をこらえるように保羽リコは額に手をやった。スマホを耳に当てながら、香苗も複雑な面持ちをしている。
身内から出た錆だ。文句は言えまい。
「……わかった、そのまま呼びかけと監視を続けて。香苗」
「いま生瀬ちゃんに電話してるとこ」
「来てくれるって?」
「うん。けど、すこし時間が欲しいってさ」
「よし。みんな、生瀬を呼んだから、到着するまで犯人グループを刺激しないように。最悪の場合は強行突入するわよ。香苗、突入の準備をお願い」
「あいよ」
声を潜めて保羽リコが指示すると、風紀委員たちは香苗を筆頭に突入プランを練り始めた。屋上の平面図や容疑者グループの居場所、人数、体格、運動部や格闘系の部活に入っているか居ないか、突入チームを手早く組織して話し合っている。どうやら立てこもり犯の中には、空手部の二年生が混じっているらしい。保羽リコは眉間にしわを寄せた。
力押しは良くない状況のようだ。
この事件の人質はチョコである。最優先はチョコの安全という事になった。被害者の女生徒たちが、不安そうに風紀委員たちの突入練習を見守っている。
そうこうすると、小柄な女生徒がやってきた。
「あの、リコ先輩」
「来てくれてありがとね、生瀬」
「どういう状況なんですか?」
「電話で言った通り。チョコを人質にして、生徒が立てこもってるの。チョコも犯人も無傷で何とかしたいんだけど、協力してくれる?」
「はい。松崎さん、ホットチョコレートの準備を」
生瀬さんは松崎さんと二人連れだった。二人とも料理部に居たのだろう。手にトレイを持っている。コーヒーカップへとココア色の液体を注いでいた。屋上で立てこもっていると聞いて、犯人の為に温かい飲み物を用意してきたらしい。この気立ての良さこそ、生瀬さんがこういう案件において無類の頼もしさを発揮する、下地なのだろう。
保羽リコは屋上に近寄り、ドアを叩いた。
「今からそっちに人を寄越すわ」
「こないで! 風紀が来たら、チョコを食べて私たちは死にます!!」
「いまからそっちに行くのは、風紀委員じゃない。一般生徒よ」
「…………」
容疑者グループが困惑したのを見逃さず、保羽リコは生瀬さんに合図した。
「生瀬、今よ。行って」
「はい」
保羽リコに託された生瀬さんは、トレイを持って進み出た。屋上の手すり近くに、三名の生徒が寄り添っている。女生徒が大きな袋を抱えていた。
生瀬さんはゆっくりと近づき、膝をついてコーヒーカップを差し出した。
「あの、これ、どうぞ。屋上に長く居ると、冷えちゃいますから」
「……これは?」
「ホットチョコレートです。料理部の人達から、分けてもらって。とろっとろで、すっごく美味しいんですよ。温かい内に、どうぞ」
「…………」
警戒していた容疑者グループも、生瀬さんの人柄にほだされたらしい。湯気が立ち上るコーヒーカップをふーふーし、寒空の下で口につけていた。
「あの、みなさん、どうしてこんなことを?」
「…………少し前、三人とも、恋人に振られて、それで――」
生瀬さんが尋ねると、容疑者グループは語り始めた。
バレンタインの直前に恋人から別れを告げられた事。周りの幸せが憎くて仕方がなかった事。東原先生の演説に胸を打たれたこと。東原先生の仲介で三人とも知り合った事。けれど実際行動してみると、あまりに虚しい気持ちになった事。
二十分ほど、生瀬さんはずっと話を聞き続けた。適度にうなずき、所々で要約するように聞き返す。相手の話が途切れることが無い。生瀬さんのすぐ後ろでホットチョコレートのおかわりを注ぎつつ、耳を傾けていた松崎さんは感心した。
何か明確なアドバイスをする訳ではない。
生瀬さんは否定も肯定もしない。
ただ、ただ、聞く。相手に次々と語らせる。
出会って間もない人を落ち着かせ、滔々と話をさせる。聞き役が巧みなのだ。生瀬さんの人柄のなせる技だろう。
風紀委員たちも一歩下がり、生瀬さんに任せていた。
その内、容疑者グループが立ち上がり、女生徒が大きな袋を生瀬さんへと差し出した。チョコの箱が入った袋らしい。
どうやら、気持ちの整理がついたようだった。
「もう、いいんですか?」
「はい、すっきりしました。ありがとう」
「みんな、俺たちのこと、馬鹿にして。でも、あなたは話を聞いてくれたから」
「もう大丈夫です。僕たち、自首します」
容疑者グループは一礼し、風紀委員たちの方へと歩いて行った。被害にあった女生徒達に頭を下げ、容疑者グループは謝罪しているようだった。
関係者以外にも、わらわらと野次馬が屋上に踏み込んできている。
「ありがとね、二人とも」
保羽リコが近寄り、生瀬さんと松崎さんをねぎらった。
「さすが生瀬、ほんと助かったわ」
「いえ、リコ先輩。私はただ話を聞いていただけですから」
ほんわかとして生瀬さんは首を振っている。強行突入を回避できるソフトパワー。風紀委員会が助っ人として重宝する理由が、松崎さんにも良く分かる。
「生瀬ちゃん、こっち。その袋、持ってきて!」
香苗が手招きしている。被害者にチョコを返すのだろう。
生瀬さんが歩み始めたその時、強い北風が屋上を襲った。
生瀬さんのスカートが風に煽られ、ふわりと盛り上がる。チョコの箱が入った大きな袋を両手で抱えていた生瀬さんは、突風になすすべがなかった。
「生瀬さん、だめぇええええ!!」
「ほひゃっ!?」
生瀬さんの太ももへ抱き付くように、松崎さんが後ろからタックルした。突風にめくれそうになった生瀬さんのスカートを、ひざ下でがっちりガードする。いきなりの事に姿勢を崩され、変な声をだして生瀬さんはべちゃっと倒れてしまった。
何事かと、一同の視線が注がれている。
松崎さんは声を張り上げた。
「見るな男子っ。生瀬さんはねっ、すごいんだから!」
「ま、松崎さん?」
散らばるチョコの箱と困惑する生瀬さんをよそに、周囲はざわついた。
「い、いいんちょ、すごいのか……」
「知らなかった」
「生瀬さんって、見えない所は派手にするタイプなんだ……」
「なんで会計の子は知ってるんだ?」
意外そうにする者、少しワクワクしている者、疑問に首を傾げる者。様々な好奇の目でみられ、生瀬さんは頬を紅くしていた。
「ま、松崎さん? あ、あの、これはいったい? ひゃっ!?」
生瀬さんが可愛らしい悲鳴を上げた。
がばっと生瀬さんのスカートの裾を持ち上げて、松崎さんが中を一瞥したのだ。あたふたとする生瀬さんのスカートから手を離し、松崎さんは一息ついた。
「ふぅ、よかったぁ……」
「ま、松崎ちゃん!? あなた、何をやってるの?」
香苗ですら戸惑っている。
角度的に衆人には見えなかったが、なにせ松崎さんは、女の子のスカートをめくってパンツを見て「ふぅ、よかったぁ」と頬を緩ませたのである。
松崎さんには松崎さんの事情があったものの、傍から見れば、公衆の面前で行われた強制猥褻なのだ。
「へ? 何って、生瀬さんのパンツが気になったから」
「!? ま、松崎、お、お前……」
「個人の嗜好に文句は言わないけど、相手のある事よ、松崎ちゃん……」
「い、いや、これは――」
生瀬さんがパンツを穿けているか自分でも自信がないって言っていたから確かめてあげただけ、と言おうとして松崎さんはハッとなった。ノーパンの秘密を生瀬さんは信頼して打ち明けてくれたのに、危うく口を滑らせてしまうところだった。
そんな事は、松崎さんの義侠心が許さない。
松崎さんの目つきは任侠に燃え、口元はきりりと引き締まった。
「これは、女の子のパンツをチェックするのが、私の趣味なだけだから!」
「「「!?!?」」」
「私以外は見ちゃダメっていうか、特に生瀬さんのパンツは私のものだから!」
「「「っ!?!?!?!?」」」
松崎さんを見ていた女生徒たちが、一様にスカートを押さえてずり下がった。男子たちも騒めいて、若干距離を開ける。
生瀬さんもぽかんとしていた。
「真顔で何言ってんの、この子……」
「……ま、松崎さん、そんな人だったの……?」
「正月からイメチェンしすぎよ、松崎ちゃん……」
「森田に引き続き、松崎まで。近頃の生徒会役員たち、ほんと開花がすごいな」
「……前の松崎さんの方が、慎ましやかで俺は好きだったよ……」
「いやでも、女性同士というのは、これはこれで乙なものが」
強烈な存在感を放ったゆえか、松崎さんはかつてないほど名前をちゃんと呼ばれた。嬉しさと哀しみの入り混じった、複雑な成果であった。
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