第11話




     9



「……ふぅ……」

「松崎さん? どうしたの?」

「え?」

「かなり疲れてる感じだったよ。今の溜息」


 森田君にそう指摘され、松崎さんは背筋を伸ばした。

 知らず知らず、仕草に出てしまっていたらしい。


 原因は分かっている。生瀬さんだ。つい先日、衝撃的なカミングアウトを受けてからというもの、松崎さんは日々を悶々として過ごしていた。

 秘密にすると言った手前、不用意に誰かに相談する訳にもいかない。


 しかし、一人で抱えるには大きすぎる事だった。この先どうすればいいのか、暗中でじたばたともがくしかなく、松崎さんの考えは堂々巡りしていた。


「ボクで良いなら、事情、聞くけど?」


 森田君のその申し出は、松崎さんには正直ありがたかった。

 丁度、放課後の役員室で二人きりだ。森田君はパソコンのキーボードを叩く手を止めて、待ってくれている。慎重に松崎さんは切り出した。


「森田君は、その……」


 生瀬さんの事はおくびにも出さないようにと、松崎さんは言葉を選んだ。


「えっとね、この前なんだけど。いきなり知り合いから、予想外のカミングアウトをされちゃって。森田君だったら、そういう時、どうするかなぁって」

「うーん」


 森田君は考え込むように、腕を組んで唸った。


「いきなりこんな事言われても、分かんないかな?」

「いや、すごく良く分かるよ」

「そ、そう?」

「うん。分かりすぎるくらい、良く分かる。その気持ち」

「へぇ」


 強く同意され、松崎さんは感嘆の声をもらした。


 森田君の目と声は自信に満ちている。記憶を巡らせているのか、口を引き締めて森田君は考え込んでいた。なんだか、経験者のようでもある。それも、数え切れぬほどの荒波にもまれて来た気配すら感じる。もはや、玄人の顔つきだ。


 数か月前の森田君とは別人だと、松崎さんは驚いた。


「ボクなら、そうだな……まずは、ちゃんと聞いてみる、かな」

「ちゃんと、聞く?」

「打ち明ける方がどういう気持ちで言ったのかは、分からないけど。たぶん、松崎さんは信頼されているわけだから、それは裏切りたくないでしょ?」

「うん」

「そういうカミングアウトってさ、されると初めは面食らうけど、よくよく言っている事を考えてみると、想い自体はとても純粋だったりして。聞いてるこっちの役に立つような事を、言ってくれていたりするから。ほんと、不思議なんだけど。だから最初に聞いた時のインパクトが凄すぎて、その時のイメージを引きずってしまうと、どうしていいのかわからないように感じるけれど、実はそんなに難しくない、っていうか。何事も、相手の想いをしっかり探る事と、受け止めようとする事が大事だと思うから」

「…………」

「なんて偉そうな事言ってて、それが上手く出来れば苦労はしないんだけど。松崎さんが普段やっている事で、良いんだと思うよ」

「私が普段、やっていること?」

「人の意見をしっかり聞いて、何度も辛抱強く話していく。それって一見地味に思えて、成果もあまり見えなかったりするけれど、とっても大切な事だから」

「……」


 森田君のその言葉は、松崎さんにとって一筋の光だった。

 普段通りにやればいい。

 自分は自分。他人は他人。変わった事など、しなくて良い。


「ごめん、森田君。ちょっと席、外すね」

「わかった。あとの仕事は、ボクが片付けとくから」

「ありがと」


 松崎さんは立ち上がり、校庭へと向かった。

 はたして、生瀬さんはそこに居た。


 穴掘り同好会の面々にまじり、生瀬さんは一生懸命に穴を掘っている。汗が噴き出て、それを拭ったのだろう。額には土の痕があった。松崎さんの姿をみとめると、生瀬さんは顔をほころばせて、スコップを動かす手を止めた。


「松崎さん……あ、もしかして、同好会の部への昇格、決まったんですか?」

「いえ、今日は別の用件で……って、生瀬さん、手。マメがっ」

「あ、あれ? いつのまに……」

「来て、消毒するから。会長さん、いいですよね?」

「ああ、頼む。すまない、生瀬くん。無理をさせてしまった……」

「いえ、厳しく教えて欲しいと頼んだのは、私ですから」


 穴掘り同好会の面々に、生瀬さんは力強くそう言っていた。「大丈夫ですよ、これくらい」と言う生瀬さんを引き連れて、松崎さんは保健室の戸をノックする。


 返事が無い。

 先生は不在だったが、どこに何があるか、松崎さんは心得ている。救急キットを取り出し、松崎さんは生瀬さんの手を取った。潰れた手まめを水と消毒液で洗い、なるべく皮膚はそのままにワセリンを塗り、絆創膏をはってテープで固定する。


 生瀬さんの本気が、手の傷を見るだけで伝わって来た。


「何度もお世話になって、すみません、松崎さん」

「あの、生瀬さん」

「はい」

「実はこの前、生瀬さんから相談された時、かなり面食らってて、ちゃんと聞けてなかったから。もっとちゃんと、生瀬さんの話が聞きたくて」

「…………」


 松崎さんが思い切ってそう言うと、生瀬さんは少し迷う素振りを見せた。グランドから聞こえて来る運動部の掛け声が近づき、そして遠ざかる。

 保健室の匂いだけが二人の間をしばし満たし、見つめていた手の平から顔を上げて、生瀬さんはゆっくりと口を開いた。


「……その人には、もう心に決めた人がいるんです」

「――え?」

「あっ、まだ付き合ってるって訳ではないんですけど、そうなるのも時間の問題で。だから、私は横恋慕っていうか。そういう感じなんです」

「……」

「なるべく目立っていかないと、いけないんですけど。私はずっとずっと後ろからスタートするわけで、多少は突飛な事もしないと、追いつけないかな、って」

「チャンス、ありますよ」

「そう、ですか?」

「だって、生瀬さん、一生懸命だしっ。すっごい想ってるじゃないですか、その人のこと。生瀬さんがもっとアピールしていけば、どうなるか分かりませんよ!」

「だと、いいんですけど……」


 生瀬さんは力の無い笑みを浮かべていた。

 自信が持てないようだった。


「……そのライバルの人って、そんなに手強い感じなんですか?」

「はい。とっても」

「強敵なんですね」

「すっごい美人で、なんでも出来て。でも、少し隙があって。離れて見るとしっかりしてるのに、近づくと、支えてあげなくちゃってなる感じの、そういう人です」

「も、ものすごいライバルですね」

「好きになっちゃうの、分かるんです。そんな人だから」

「……わ、私は!」


 生瀬さんの弱音を、松崎さんの一声が張り飛ばす。あまりに哀しく思えて、なんとしてでも生瀬さんの背中を押したいと、松崎さんの声には力がこもった。


「私は生瀬さんの味方です! 今、決めました!」

「……松崎さん……」

「応援するから! 相談にだって、いつでも乗るし。ただ吐き出すだけでもずっと楽になるし、いつでも生瀬さんの話、聞くから。だから、弱気になっちゃダメっ」

「……ありがとう、松崎さん。元気、でました」

「必要な事があったら、なんでも言って」

「はい」


 うれしそうな生瀬さんの返事に、松崎さんも笑顔で頷いた。

 森田君の言う通りだ。最初のイメージに引きずられていた。確かにやろうとしている事は常軌を逸しているものの、生瀬さんは本気だ。


 圧倒的に不利な戦いに臨もうとしている。生瀬さんの性格なら、秘めて抑えて、想いそのものを殺そうとしたはずだ。想い人の事を語るときの、生瀬さんの愛おしそうな顔は、切なすぎて見ていられないほどだ。きっと、想い人の恋が成就する事すら、望んでいるのだろう。それでも、どうしても抑えきれずに、覚悟を決めて戦おうとしているのだ。


 松崎さんの義侠心が言っている。


(生瀬さんは、私を仲間だって言ってくれた……)


 ならば、応えてみせよう。


(今、私に出来る事はなんだろう?)


 必要な事があれば生瀬さんから声が掛かるだろうが、何かしたい。勝負に出ると言えば出陣式、出陣式と言えば杯、杯といえばお酒だ。

 友チョコを作ろう。

 松崎さんはそう思った。


 バレンタインは女子の戦場。

 戦場へ出向く生瀬さんに、どうか勝利の加護があるように。打ちアワビと、かち栗と、昆布のエキスを入れた、特製のウィスキーボンボンを作るのだ。料理部の人達に相談すれば、きっと良いアイデアを出してくれる。


 生瀬さんの武運長久を祈らずにはいられない。

 おまじないだが、ないよりはずっと良いと松崎さんは思った。




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