第4話




「もはや、ただ穴を掘って埋まるだけでは、森田ほどの男は満たされんのだろう」

「なるほど……」


 生瀬さんはせっせとメモを取った。

 捨てた方が良いメモだった。

 森田君にとっては風評被害もよい所だが、少なからず、身から出た錆でもある。天井知らずに上がっていく森田君のイメージは、如奧先輩に二の足すら踏ませた。


「とすると、こまったわね、エリちゃん」

「はい。やるなら、私は森田君を満たしたいです」


 語気強くそう言ったものの、生瀬さんは少し肩を落とした。

 まだ計画の段階だと言うのに、現れた壁は高い。


 計画通りには行かずとも、計画はいわば羅針盤。羅針盤なしに大海へと漕ぎ出せば、目的地へはたどり着けない。

 広げたノートは、まだまだ白い。生瀬さんは途方に暮れた。


「ところで委員長、それは?」


 生瀬さんの手元のノートを、山下は指差した。ノートの片側には、色んな人の名前や数字が書かれており、森田君を埋める計画とは別の計画書のようだった。


「もうすぐバレンタインだから……その、皆さんと、森田君にも。手作りするか、市販のを買うかは、まだ迷ってるんだけど。大切な、アピールチャンス、かなぁって……」


 伏し目がちの生瀬さんは、もじもじと両手の指を絡ませた。

 そんな花も恥じらう乙女に対し、山下は一かけらの容赦もない。


「委員長、それでは普通すぎないか?」

「へ?」

「森田ほどの男が、バレンタインにチョコを渡されて、意識するだろうか? バレンタインにチョコ、あまりに普通の発想だ。深い印象を与えられるだろうか?」

「…………」


 一理あるぞ、と生瀬さんは思った。


(森田君は色々と、銀野会長とすごい事をしてきたんだもんね。山下くんの言う通り、バレンタインにチョコを渡しても、そんなにアピールにはならないかも……)


 生瀬さんが思い返すに、森田君は歴戦の強者だ。

 想い人の為なら十二月の川にすら潜る人だ。

 真っ白い息を吐いてガチガチ歯を鳴らしながらも、「やるんじゃなかった」などという弱音は一言も吐かない人だ。


 本人は否定していたが、生瀬さんが思うに、椅子の人と同じ匂いがしている。並大抵のアプローチでは、森田君はびくともしないだろう。


(リコ先輩も渡す、って言ってた。銀野会長も、渡すだろうし。チョコが埋もれてしまって、目立たなくなってしまうかも……それに私は、一番がんばらないと)


 ヨロズ先輩の様にミステリアスで飛びきりの美人でもなく、保羽リコの様に明朗快活で森田君と深い家族付き合いをしてきた訳でもない。地味で、静かで、部屋に籠って黙々と絵を書いたり、本を読んだりしている時が落ち着く性分だ。

 森田君が信頼を寄せてくれているのも、あくまで友人としてだろう。


「ど、どうしたらいいんでしょう?」

「あら、そんなの簡単よ、エリちゃん」

「簡単、ですか?」

「バレンタインプレゼントはチョコである必要はないわ」

「……?」

「埋めてしまえばいいのよ」


 如奧先輩がおもむろにそう言い、必殺の言葉を続けた。


「バレンタイン当日に彼を。……忘れられない日になるはずよ、お互いに」

(……忘れられない、日……?)


 その言葉の響きに、生瀬さんは心奪われた。

 森田君との忘れられない日。なんという甘美な言葉か。


 地面の下に埋める、という部分の猟奇性は、生瀬さんの脳裏から遠ざかってしまっていた。バレンタインの日が、相思相埋へ向けての第一歩目となる。

 想像するだけで胸がとくとくと鳴り始め、生瀬さんは腰を浮かした。


「じゃ、じゃあ、さっそく森田君に――」

「ストップ、エリちゃん」

「そうです、生瀬様」

「……どうして、ですか?」


 如奧先輩と椅子の人に勢いを止められ、生瀬さんはつんのめった。


「どうしてって――冷静に考えてみて、エリちゃん」


 如奧先輩の言葉の意味を考え、生瀬さんは首を傾げた。


「冷静に考えて……早めに言っておかないと、森田君も驚くだろうし……」

「驚かせていいの。いきなりでいいの」


 如奧先輩は首を横に振って続けた。


「これはいわば、サプライズプレゼントなのよ、エリちゃん」

「そうです、女王様の言う通り。事前通告して鞭打たれても、マゾは喜びません!」


 眼鏡の椅子の人は断言した。

 森田君にも近しいものがある以上、椅子の人の発言は重視すべきだろう。生瀬さんはそう頭では分かっていても、良心が納得してくれない。


「で、でも……さすがに、いきなり森田君をバレンタイン当日に、っていうのは……森田君にだって、その日は、用事があるだろうし」

「エリちゃんがそう思うなら、言い方を変えてみればどうかしら?」

「言い方、ですか?」

「ええ、そうよ。そうね――」


 如奧先輩は指先を自らの唇に当て、少し考える仕草をした。


「用件があるから、十四日は時間を空けて欲しい、ってお願いするの。一応、その日に何かある事は伝わるだろうし、エリちゃんも心苦しくないでしょう? 彼、エリちゃんにはお世話になってるから、予定も空けておいてくれるはず」

「もし首を縦に振らなかったら、私に一報ください、生瀬様。森田なにがしとやらの、首を横に振る筋肉全てを、この指で引き千切ってやります」


 髭の椅子の人が断言すると、如奧先輩の目がすっと細くなった。


「あら、エリちゃんの想い人に、なんて口の利き方をするのかしら、この子は」

「は、はっ! 申し訳ありません!」

「反省は行動あるのみよ」


 髭の椅子の人は、ゆっくりと腕立て伏せを始めた。如奧先輩が背中に乗ったままだというのに、その動きには一切のためらいが無い。

 髭の人の太い腕回りはこうして鍛えられたのかと、生瀬さんは気付いた。


「それと、生瀬様。一つ提言が」


 生瀬さんの腰元で、眼鏡の椅子の人が言った。


「なんでしょうか?」

「いきなりすべてを与えてはいけません。徐々に、徐々に。まずはそう、半身を埋めてあげれば良いのです。そういうお預けこそ、マゾの心をくすぐるのです」

「参考までにお聞きしたいんですけど」

「はい、生瀬様。なんでもどうぞ」

「右半身と左半身、どちらの方が良いでしょうか?」

「っ!? さ、さすが生瀬さま……見事な発想力です。しかし、最初からそれは難易度が高すぎるので、まずは無難に下半身の方が良いかと」

「はい!」


 生瀬さんは素直に頷き、清々しく返事する。

 まったく知識と見識の宝庫だと、生瀬さんはいたく感心した。実に心強い。バレンタイン当日はどう転ぼうと、これまでにない一日となるだろう。


「すまないが、委員長。これより先、俺は手を貸すべきでは無い」


 山下が切り出した。森田君につくと決めているのだろう。生瀬さんはヨロズ先輩と敵対する可能性があり、このままでは利益相反になると考えたのか。


「うん。山下くん、森田君をお願い」

「委員長も、健闘を祈っている」


 二人は握手を交わした。

 そこには己が信念の為に、開戦を前に政府軍と反政府軍に分かれねばならぬ戦友の如き爽やかさがあると言えばあり、無いと言えばまったく無かった。


(バレンタインまで、すぐだ……急がないと)


 今日まで生きて来て、その日をこれほど意識した事はない。

 生瀬さんは心の帯をぎゅっと締めた。

 締めたその帯は生瀬さんの首にあるのではなかろうか。などと真っ当な指摘が出来る常識人は、まことに残念な事ではあるが、この場には一人も居なかった。




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