第四巻

第一章

第1話




     1



「私の体をバラバラに切り刻んで食べて欲しい」


 普通のデートがしたいのに、そう頼んでしまうのがヨロズ先輩という女子高生だ。自らの所業をヨロズ先輩が思い返すに、森田君には散々無茶を言ってきた。


 人気のない山中まで運んで埋めて欲しい。

 コンクリートで固めて湖に沈めて欲しい。

 高層ビルから突き飛ばして欲しい。


 森田君があまりにも健気に手を貸してくれるものだから、それがいつしか、二人の基本になっていた。踏み出してきたステップがどれもこれも異次元すぎて、ちゃんとしたステップを改めて踏み出そうとすると、どうにも二の足を踏んでしまう。


 どうすれば良いのかしら、とヨロズ先輩は頭を抱えた。


「人間の体は骨や皮やら、バラバラにするのは大変ですよ、先輩」

「ええ、ちゃんとした道具が必要ね。あと、扱い方も」

「一番良い道具は、たぶん手術道具の類ですが……」

「高校生に手の出る値段では、ないでしょうね」

「調べておきましょうか?」

「ええ、おねがい、森田君」


 こんな感じで、また行ってしまうのだろうか?

 流れに乗っているだけで、本当に良いのだろうか?


(いいえ。これでは、いけない……)

「先輩、どうしたんですか?」


 ヨロズ先輩が顔を上げると、首を傾げる森田君がいた。

 森田君のまっすぐな眼差しは、寒夜を裂く月光のように眩しい。


 受け止めきれず、生徒会役員室のホワイトボードへとヨロズ先輩は視線を逸らした。先日の校舎屋上での一件以来、森田君とは目を合せる事すら、上手く出来なくなってしまっている。


「ごめんなさい。すこし、考え事を」

「そうですか。……休憩、しましょうか?」

「いいえ。大丈夫。どこまで、話していたかしら?」

「このまま計画を進めると、さすがに先輩が死ぬ、という所までです」

「そうだったわね。バラバラに、なってしまうものね」

「ええ。ボクも人の肉はちょっと……さすがに、その一線を越えてしまうと、あらゆる意味で終わってしまいますから」


 森田君は苦笑いしていた。

 放課後の役員室には、二人しかいない。

 副会長も会計も、もう帰っていた。


「それで、先輩。今回の設定は、どのような?」

「え、ええ。森田君は著名な精神科医にして、古典芸術に深い造形をもつ中年男性なの。世間的にも、とても認められた上流階級の人で、名門貴族の出身よ。口ぶりはいつも穏やかで、態度は紳士そのものなのだけれど、人の肉を食べる事を無上の喜びとしているの。猟奇的な欲望に従い、自らの患者を調理して食べてしまうのよ。無数の被害者がいて、私はその被害者の一人。賑やかな町の一角にある診療所に誘い込まれてしまい、森田君に身も心も奪われて、三時のおやつとして切り刻まれて食べられてしまうの」

「…………」


 今までも大概だったが、今回は特に猟奇的な設定だ。

 森田君はぽかんとしていた。


 最近色々と変わってきているが、この酷さだけは変わらない。

 よくも毎度毎度、こんな設定をひねり出してきたもので、森田君も辛うじてついて来てくれたものだ。ヨロズ先輩は感心すら覚える。


「す、すごい設定ですね」

「ええ」

「賑やかな町の一角……という事なので、自宅で、という訳にいきませんね」

「診療所というのは、保健室で雰囲気を代用できると思う」

「では、また、学校でするんですね」

「ええ、そうなるわ」

「学校の保健室に先輩を連れ込んで、切り刻んで食べる……ですか」

「保羽さんや小林さんを、また出し抜かないと」

「ですね」


 森田君は難しそうな顔をしていた。

 事を進めれば、風紀委員会である保羽リコと香苗の追撃を受けるだろう。この前は、風紀委員会の実力をまざまざと見せつけられた。


 様々な人達の協力は、今回も欠かせないだろう。

 ヨロズ先輩は気を引き締め、ノートに注意事項を書き込んで行く。


「なにより、先輩を食べる部分が難点ですね」

「そこをどうするか、ね」

「そのままやる訳には行きませんよね、これ……」


 どうしたものかと、しばし暖房の音が部屋を満たした。冬風が窓をカタカタと揺らしている。ふむっと顎に指を当て、ヨロズ先輩は切り出した。


「森田君がかじる、というのはどうかしら? 私の、髪とかを」

「髪をかじる、ですか?」

「あるいは指とかをその、舐めたり、噛むくらいなら」

「……!?」

「首とかも、吸ったり舐めたりしたら、それっぽくなるだろうから」

「せ、先輩っ」

「かたロースやサーロインは、やはり部位としては定番だろうし。タンとか、そとももとか、トモバラとかも、私ならそういう部位も良く食べ……森田君?」

「ぎゅ、牛肉じゃないんですから、その」


 森田君が顔を赤らめている。


「よ、良く考えて、ください……先輩、それ……」

「……?」


 指摘されてなお意味に気付けず、ヨロズ先輩は小首をかしげた。


 中盤からは特に意識もせずに言葉を使い、食肉の部位感覚で発言していたヨロズ先輩は、ふと冷静になった。自分が吐いた言葉を具体的なイメージとして頭の中で再現した途端、すごい事を平然と言っていた気付き、ヨロズ先輩も押し黙る。


 そこそこ官能的な発言だ。

 自らの頬にヨロズ先輩が手をやると、かなり火照っていた。


「そ、そうね。刺激的、すぎるわね」

「は、はい……」

「どうしたら、いいのかしら?」

「いえその、今はちょっと、ボクもアイデアが出てこないので……」

「考えておきましょう」

「はい、では、今日はこれで」


 森田君が立ち上がった。


 今日中に片付けなければならない仕事は終わっている。副会長も会計も、少し前に帰っていた。用具ロッカーから箒を出して、森田君が床を掃きはじめている。副会長に仕込まれた整理整頓清掃の心がけだろう。


 書類の束を机でとんとんと整えてトレーに仕舞うと、ヨロズ先輩は窓の施錠を確かめて、チリトリを取って森田君を手伝った。

 屈んで埃を受けていると、いきなりだった。


「あ、先輩、肩に糸クズが」


 森田君にぐっと身体を寄せられて、ヨロズ先輩は心臓がきゅっと縮まった。


「ひゃっ!?」

「……先輩?」


 ヨロズ先輩はがたっと後ろに下がってしまった。

 不自然極まりない反応だ。


 背の高いヨロズ先輩を、森田君が見上げている。ちんちくりんの森田君は箒をぎゅっと握り、やや上目遣いで不安そうだ。

 大概の事では動揺しなくなった森田君が、自らの仕草一つでこうも落ち込みかけている事に、ヨロズ先輩は不思議な気持ちが芽生えた。


 意地悪と言うには温かく、喜びというには暗い何か。


「……あの、ボク、なんか、先輩に……避けられて、ます……?」

「ち、ちが……ちがうのっ」

「……最近、あまり目も合わせてくれないし……」

「あ、や、違うのよ、森田君」


 芽生えた想いを振り払うように、ヨロズ先輩はかぶりをふった。

 思わずため息が出てしまう。


 父親の期待に応える事も、生徒たちに頼られる事も、副会長や会計の信頼に応える事も、ヨロズ先輩は今まで、そつなくやって来られた。


 生徒会長として、一生徒として、先生たちからも感謝されている。父の喜ぶ顔を見るために。父が安心して仕事にうちこめるようにと、手のかからない娘として、自らをコントロールできていた。


 それなのに――


(森田君の前では、どうしても、いつもの自分でいられない……)


 張らなくても良い意地を張る。必要のない見栄も張る。

 時折、訳が分からない反応をして、たまらなく怖くなる。こんなに情けない人間だったのかと、自分が嫌になってしまうほど。


「あの、先輩。言いたい事があったら、ちゃんと言ってくださいね」

「ええ」

「言ってくれないと、ボク、分からないですよ」

「…………」

「それでは、先輩。お先に失礼します」

「一緒に帰りましょう。道すがら、アイデアが出るかもしれないわ」

「すみません。今日はこれから、リコ姉ぇと買い物なんです」


 カバンや体操着袋を確かめ、森田君は会釈した。


「そう。では、また明日、森田君」


 手を小さく振って森田君を見送ると、ヨロズ先輩は職員室に向かった。

 生徒会役員室の鍵を持って行くだけだというのに、考え事に気を取られ、曲がる廊下を間違ってしまう。ヨロズ先輩の心はざわついていた。


 帰ろうと森田君を誘って、断られてしまった。森田君が保羽リコを優先した。先約なのだから当然と頭では理解しつつも、もやもやする。そんな自分に、ヨロズ先輩はいら立ちを覚えた。いったい誰と、何を張り合っているのか、と。


(体操着袋、保羽さんのお手製だって、森田君は嬉しそうに言ってた……)


 保羽家と森田家は隣家で、家族付き合いをしている。保羽リコの性格は猪突猛進、良くも悪くも直情的だが、裁縫や料理は得意だ。森田君の持つ小物や、言動の端々には、保羽リコへの深い信頼と親愛が垣間見える。


「…………」


 ヨロズ先輩は目を瞑り、首を振って、自らの頬を軽く叩いた。心の乱れが思考の乱れも生んでしまうと、一つ大きく深呼吸。背筋を伸ばし、口元を引き締めた。

 冬空は冷たく晴れている。心はあのようにあるべきだ。


 ガラス窓に映る自分の姿は、いつも通り。


 喜怒哀楽が伝わり辛い表情に、着こなした制服姿。これで愛想さえあればねぇ、と海外に住む親戚に会うたびに残念がられる。日戸梅高校の風の噂では、雪女の末裔などと囁かれているらしい。小耳に挟んだところでは、超人サイボークとも。


 まったく人を何だと思っているのか。


 家庭科室の前へと差し掛かると、見知った顔が廊下に居た。部屋の前で戸を開けて、料理部の面々に、生徒会役員がぺこぺこと頭をさげている。


「どうしたの、松崎さん? 帰ったはずでは……?」

「ほわっ!? ぎ、銀野会長っ」


 ヨロズ先輩が声をかけると、会計の女の子は驚いたように振り向いた。

 一年生の松崎さんだ。


 海外旅行で焼いたらしい小麦色の肌をしている。お化粧の仕方や身に着ける小物の類から、派手に遊んでいそうな見た目だが、正月前まではこうでは無かった。

 もっと控えめで色白で地味な女の子だった。


「料理部に……何の用が? 部費の件かしら?」

「いえ、生徒会の用事では無くてですね」

「……では、いったい?」

「ほら、もうすぐ、あれじゃないですか。だから、料理部の人に指南を仰ごうと」

「あれ?」

「銀野会長は、誰かにあげたりしないんですか? チョコ」

「チョコ?」

「ほら、バレンタインですよ、バレンタイン」

「バレン、タイン……?」


 松崎さんに指摘され、その行事を思い描いた途端、ヨロズ先輩は閃いた。『バラバラに切り刻んで食べて欲しい』という無理難題を克服する、唯一の希望を。




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