第25話
17
「ええっと……これはその、つまり、失敗に備えて、森田君の用意してくれていた、最後の策だったという事で良いのかしら?」
「はい。こうすれば、先輩の体裁は最低限、保たれるかと」
「そうね」
「秘密裏には出来ませんが、結果として、風紀の追及は防げましたし」
「ええ、そうなったわね」
「実は先輩の名前を要所要所で勝手に使って事を進めていたので、関係各所には、色々とフォローを入れておかないといけません。その時は口裏合わせ、おねがいします」
「わかったわ。けれどね、森田君」
少しの疎外感に、ヨロズ先輩は口をすぼめた。
「はい、なんでしょうか?」
「こういう手筈なら、事前に私に説明してくれていても……」
「すみません、先輩」
ぺこと頭をさげつつも、森田君は慮るように言った。
「でも、先輩はカメラが回っていると、その……上手に喋ったり動いたり、出来なくなるっぽい人だから……こうした方が、自然にやれると思って……」
「…………そう、ね……」
「騙す形になって、ごめんなさい。でも、とっておきの予防線だったので」
森田君の瞳には強い意思があった。
大切な人を守るためならば、やり遂げて見せる、と。
「……助かったわ。とても」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「それにしても、一体どうやって? 風紀には第二新聞部がついていたはず。第二新聞部なら、森田君の予防線にも勘付きそうなものだけれど」
「ああ、それはですね、実は――……
森田君が第二新聞部に協力を打診すると、ウシガエルに似た部長は鼻で笑った。一年坊やは、ものの頼み方を知らないようだ、と。
「なんのために、第二がそちらに協力する必要が?」
「この前、やらかしたでしょう? その件を不問にします」
「以前の美術室の記事についての文句なら――」
「違いますよ」
「それじゃ、いったい?」
「イブの当日、落としたカメラをDIYされて尾行を中断した事になっているようですが、DIY部の部長から、カメラは即座に直ったと聞きました。……パシャ子さん、クリスマス・イヴにあなた、香苗さんに背信行為を働きましたね?」
「あ、あれは! 違うっす!」
パシャ子が声を荒げてしまい、部長はしかめっ面をした。
森田君の入れた探りに、まんまと引っかかってしまったのだ。
「カメラの電池も残り少なくて、クリスマスイヴに一体自分は一人で何をやっているんだろうって哀しくなって、そう思うと早く家に帰ってお母さんのお手製フライドチキンが食べたくなっただけっす! 決して反抗の意図があった訳ではないっす!」
「あなたにその意図があったか無かったか、なんてどうでもいいんですよ。大切なのはあなたが香苗さんに嘘をついたという事、そのせいで香苗さんが困ったという事、そして、この事実をボクがこうして掴んでいると言う事です」
「ぐっ……!!」
「……このネタ、香苗さんが握る事になるのと、ボクが握っておくの、どちらがいいですか? ボクの手の中で握り潰しておくことも、やぶさかではないですよ」
目を細めて微笑みながら、森田君は部長を見た。
部長は脂汗を垂らし、頬を引きつらせていた。
「……な、なかなか、胆の据わった顔をする一年坊やだ……」
「美術室のすっぱ抜き、結構、根に持っているんですよ、ボク」
「良くないぞ。恨みつらみは忘れるべきだ。お互いの明るい未来のために」
「ええ。ですから、協力してくださいね。お互いの明るい未来のために」
……――というような事をしておきまして。第二新聞部をこちらに引き込んでおいたんです。信頼できませんでしたけど、良い働きをしてくれました」
「……そう、なの……すごいわね、森田君」
ヨロズ先輩は驚いた。
いつの間に彼は、これほど逞しくなったのだろう。
以前、埋めて欲しいとお願いした時に、困惑して呆けていた森田君とはまるで違う。ほんの数か月前の森田君ならば、自身の脛に傷を抱えながら風紀の二人とあのようにやり合う事など出来ず、しどろもどろになって居たろう。
「また日を改めて、もう一度トライしましょう」
「いいのよ、森田君」
「……え?」
「もう、飛び降りは良いの。やらなくて」
「どうしてです? せっかく先輩、あんなに特訓して――」
「こういった行為は、あくまで資料集めよ、森田君。父の書く漫画の資料を、私が勝手に集めているだけ。……締め切りが迫っていて、今回は時間が無かったの」
「そう、だったんですか……」
「一発勝負だったから、今日駄目なら、もう飛び降りる必要はないわ……」
ヨロズ先輩が暗い顔をすると、森田君は優しく微笑んだ。
「今までがむしろ、上手く行きすぎていたんです。一度二度の失敗でくじけちゃいけませんよ、先輩。次です、次。切り替えていきましょう」
穏やかで、包み込むようで、力強い声音だった。
気遣われているのだと察して、ヨロズ先輩は恥ずかしく思った。年上であり、先輩であり、生徒会長である自分がしっかりせねば、と。
「次は何をするんですか? 先輩」
「次? ……次、は……そう、次は……」
ヨロズ先輩は言いよどんだ。
『自分が必要ないからと言って、相手もそう思っているとは限らない』
副会長の言葉が脳裏をよぎる。
個性を尊重し合うには、杓子定規な事だって必要なこと。
普通は、デートをするものだ。
特別な相手に、より近づいて行くためには。自らの気持ちを確かめてみるには。映画なり、買い物なり、遊園地なり、なんでもいい。重ねていくのだ。
二人で一緒に、ごくありふれた事を。
普通を二人で特別にしていくのだ。
「森田君、次は――」
次は、ごく普通のデートをしてみたい。
ヨロズ先輩はその言葉が出せなかった。
(それで、ほんとうに大丈夫なの……?)
山中に埋めるのでも、湖に沈むのでも、高層ビルから突き飛ばすのでもない。今までやってきた事と比べれば、何の変哲もない事だ。
そんな事で、大丈夫なのだろうか?
滅茶苦茶な事だからこそ、森田君の興味を引く事が出来ていたのではないか? そういう側面があったのではないか?
裏を返せばどうだろう。
変な事をしていなければ、相手になど、されないのではないか?
森田君を失望させてしまうのではないか?
(もし、この関係が無くなってしまったら……)
森田君は今までのように接してくれるだろうか?
慕い続けてくれるだろうか?
(どうすればいいの? ……それでいいの? この関係がなければ、二人で何かをできないような、そんな状況で……私はそれで、ほんとうにいいの……?)
どういう距離だったのだろう? 森田君との距離は。
上手く行っていた時の、彼との心の距離は。
今まで自分は、森田君とどういう接し方をしていたのだろう?
(……ふふっ……)
ヨロズ先輩は微笑んだ。
自嘲の笑みだった。
(それで上手く行かなかったというのに……上手く行っているなんて思い上がっていただけなのに……また、それに頼ろうとするなんて……)
頭痛を堪えるようにヨロズ先輩は額に手をやった。
「先輩? どうしたんですか? 体調、良くないんですか?」
森田君が不安そうに見つめている。
いけない、とヨロズ先輩は首を振った。
「いいえ、ちがうわ。なんでもないのよ、森田君」
「なんでも言ってくださいね。遠慮なんて必要ないですよ」
「なら……なら、次は――」
ヨロズ先輩は自身の胸に手をやり、すぅっと息を吸い込んだ。
想いを言葉にするために、腹の底に力を込める。
「次は…………私の身体をバラバラに切り刻んで食べて欲しい……」
「はい、わかりました」
「……えっ?」
ヨロズ先輩の方が戸惑うほど、森田君は迷わずそう答えた。
「……えっと、その、森田君。わ、わかってしまうの?」
「……? 先輩の身体を切り刻んで食べればいいんですよね?」
「え、ええ……そう、だけれど……」
「任せてください。また二人で、がんばりましょう」
森田君はハキハキとそう答えた。
日戸梅高校に渦を巻く奇人・変人・変態どもの荒波にもまれにもまれ、これまで散々、ヨロズ先輩の滅茶苦茶なお願いをくぐり抜けてきたのだ。ちょっとやそっとの事では動じたりしない、鋼の心を森田君は会得し始めているようだった。
(今回のお願いは、流石に断られると思っていたのに……)
ヨロズ先輩は自身の誤算よりも、自身の不甲斐なさに驚いていた。
普通のデートがしたい。
たったそれだけの事なのに。
話してしまえば済む事なのに。
どうして……?
(こんな簡単な事が、言い出せないの……?)
どうして……
こんな簡単な言葉を伝える事が、これほどまでに怖いのだろう?
(ああ、そうか……そうなんだ……)
ヨロズ先輩はやっと思い至った。
こんな気持ちと戦わないといけないのだ、と。
(森田君はそうやって、私に力を貸してくれていたのね……)
目の前の森田君が、とても眩しく思えた。
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